35.おやつの時間
「えーっと…そして…か、かみによって…ひとが、そうどうされ…」
「そこは、“そして、神によって人が創造され”、だ」
「だぁー!もう嫌だ!難し過ぎるぞ、これ!」
ネルは頭を抱えて叫ぶと、机に突っ伏した。
その大声に図書館の職員が咳払いをしたので、イアンは謝罪の意を込めて会釈する。
ここ数ヶ月、ネルの読み書きの練習に付き合っているのだが、いまいち進みは芳しくない。
今、ネルが読んでいるのは“創世記”という物語だ。
物語の概要は、神がこの世界を形作り、生命を生み出したというもの。
内容は簡単なので、ネルでも問題ないだろうとイアンは思ったのだが…
「とりあえず、休憩にするか」
「それなら、おやつにしようぜ!」
「お前、急に元気になったな」
「ほら、早く行くぞ!」
ネルはさっさと荷物をまとめて、イアンを急かす。
イアンは小さくため息をつくと、ネルと一緒に食堂に向かった。
放課後の食堂はまばらに人がおり、歓談の声が聞こえていた。
ネルは食堂に着くと、まっすぐに注文口に走る。
「おばちゃん、来たぞ!今日は何があるんだ?」
「ああ、ネルかい。今日はチョコレートパフェだよ」
「やった!じゃあ、それで!」
「はいはい。でも、そういつも食べに来てたら、そろそろ腹回りが気になるんじゃないの?」
「大丈夫だって。あたしは毎日身体を動かしてるからな」
ネルは食堂のおばさんと楽しそうに会話していた。
甘いものを頻繁に食べに来ているせいか、いつの間にか親しくなっていたようだ。
イアンは特に空腹でもなかったので、飲み物だけを頼む。
「あれ、イアン君?」
席を探していると、唐突に声をかけられる。
振り向くとクレアがリンダとお茶をしていた。
「珍しいね。イアン君もパフェ食べに来たの?」
「いや、俺はあいつの付き添いだ」
嬉しそうにパフェを運んでいるネルをイアンは指し示す。
「あの子が時々話に出てたネルちゃんだね。勉強の進み具合はどう?」
「…まあ、ぼちぼちだな」
「その感じだと、進んでいないようね。まったく、どこかの誰かさんと一緒だわ」
イアンの曖昧な返事に、リンダはすぐに状況を理解したようだ。
リンダの皮肉にイアンは何も言い返せなかった。
「そうだ!もしよければ、私たちと一緒にお茶しない?」
「いいのか?」
「うん、私もネルちゃんとお話してみたかったの。リンダもいいよね?」
「ええ、構わないわ」
「そうか。ネル、こっちだ」
クレアの誘いを受け、イアンはネルを呼ぶ。
「席見つけたのか?早く食べ…」
ネルは初めて見る顔ぶれに動きを止める。
その表情は明らかに二人を警戒していた。
だが、クレアは気にせずネルのもとに歩み寄る。
「あなたがネルちゃん?私はクレア。そこにいるのがリンダよ。私たちと一緒にお茶しましょ。ほら、座って座って」
「は?え?」
ネルが戸惑っている間に、クレアはその背中を押し、隣にネルを座らせた。
イアンも空いていたリンダの隣に腰を下ろす。
「ネルちゃんは王都出身?」
「そうだけど…」
「そっか。じゃあ、休みの日とかはすぐに家に帰れるんだね」
「寮の方が居心地はいいけどな」
返答しながら、ネルはイアンとパフェに交互に視線を送っていた。
「…気にせず食っていいぞ」
「あ、ごめんね。気を遣わせちゃったね」
ネルは小さく頷くと、スプーンを手に取った。
一口食べると、美味しかったのか表情が明るくなる。
その様子をクレアはニコニコと見ていた。
「パフェ美味しいよね。私も好きなんだ」
「だよな!美味いよな!」
好きなものの話題を出され、ネルはあっさりクレアに心を開いたようだ。
クレアのこういった部分はとても真似できないとイアンは感じる。
「ねえ、彼女はあれでいいの?」
リンダが声を潜めてイアンに声をかけてくる。
「何のことだ?」
「彼女の言葉遣いや態度よ。男のような口調だし、年上に対する礼儀もないようだし」
リンダは怪訝な表情を浮かべていた。
確かにネルの言葉遣いは荒いし、態度もでかいが、イアンはそれを気に留めたことはなかった。
「そんなに気になることか?俺の故郷じゃ、ああいう奴は結構いたぞ」
「平民の基準ならそれでいいかもしれないけど、貴族は違うのよ?状況、相手によって適切な応対ができなければ、品性がないというレッテルを張られるの。このままだと貴族の子女が多くいる学園では苦労することになるんじゃない?」
「確かにな…ただ、あいつにそれができると思うか?」
イアンはクレアと談笑していたネルに目を遣る。
口にクリームを付けたネルは品などというものからはかけ離れていた。
「無理そうね…」
「だよな?まあ、何とかなるだろ」
無理に強制するとネルは間違いなく反発すると分かっているので、イアンは積極的に動く気はなく、この件はリビーに任せてしまおうと考えていた。
すると、クレアの笑い声が耳に入る。
「あーほんと、ネルちゃんは面白いね」
「何だよ?まあ、あたしもクレア姉ちゃんとしゃべれて楽しいけど」
「そんなこと言っちゃって可愛いなあ。私一人っ子なんだけど、まるで妹ができたみたい」
クレアはネルの頭を撫で、ネルもそれを大人しく受け入れていた。
イアンが同じことをすれば、間違いなく手を噛まれているだろう。
「そういえば、クレア姉ちゃんの髪って長くてキレイだよな」
「ありがとう。髪のお手入れは頑張ってるから、褒められて嬉しいな」
「…あたしも伸ばしてみようかな」
「うんうん、ネルちゃんなら絶対似合うよ。そしたらおそろいだね」
「おそろい・・・」
クレアに笑顔で語りかけられ、ネルは嬉しそうに頬を染める。
二人の様子にリンダの表情も和らいでいた。
そうしてたわいのない会話をしていると、いつの間にか一時間過ぎていた。
「もうこんな時間か。ネル、勉強の続きは明日にするぞ」
「ごめんね、イアン君。私が引き止めちゃったから」
「いや、問題ない。悪いが俺は訓練があるから先に行く」
イアンは席を立って、さっさと食堂を出て行った。
「じゃあ、私たちもお開きにしよっか」
「そうね。明日の予習もあるし、このくらいにしておきましょ」
「じゃあね、ネルちゃん。またお話ししようね」
「うん、クレア姉ちゃんにリンダ姉ちゃんもまたな」
「ええ。さよなら」
クレアたちと手を降って別れた後、ネルは楽しい気分に浸りながら小さくスキップして帰っていた。
すると、唐突に人影がネルの進路を塞ぐ。
「ネルさん、ちょっといいかしら?」
その人影は薄く笑みを浮かべた。




