32.話し合い
次の日、講義が終わるとすぐにイアンはネルの教室を訪れる。
ネルはまだ帰っておらず、ちょうど席を立ったところだった。
入口に立つイアンの顔を見て、ネルは思い切り眉をひそめる。
そして、そのままイアンを無視して横を通り過ぎようとした。
「おい、待て」
「…何だよ?もう来んなって言ったよな?」
「話をするくらいいいだろ?少し付き合え」
「は?嫌に決まってん…」
「いいから行くぞ」
イアンはネルの腕を掴み、有無を言わさず歩き出した。
「おい!どこ行くんだよ!放せ!」
連れて行く間、ネルは暴れていたが、イアンは強引に引き摺っていく。
行き先は決まっていた。
静かで、かつ他者の目に止まりにくい、ネルと話をするには最良の場所だ。
「着いたぞ」
「医務室?何でここ?」
イアンは質問には答えず、ノックをして扉を開ける。
中ではリビーがのんびりとアフタヌーンティーを楽しんでいた。
二人に気付くとリビーは笑いかける。
「おや、二人してどうしたんだい?」
「ちょっと野暮用がありまして。今日は誰もいないですか?」
「見ての通り、今日も閑古鳥が鳴いているよ」
「では、しばらくここを使っていいですか?できれば誰も部屋に入れてほしくないんですが…」
「いいよ。好きなだけ使うといい。おやつでも食べるかい?」
「おやつがあるのか?」
ネルがおやつという単語に反応し、目を輝かせる。
リビーは菓子を見せ、ネルに向かって手招きした。
イアンを放置してリビーに駆け寄ったネルは差し出された菓子を頬張り始める。
自分の前で見せる態度との違いに、イアンはため息をついた。
イアンは扉の鍵を締めると、リビーとネルの傍の椅子に腰掛ける。
(さて、何を話すか…)
ネルを連れて来たはいいが、どう話を切り出そうかイアンは悩む。
あわよくばリビーに助力を願えるかとも考えていた。しかし、イアンの意図を理解した上でリビーは口出しする気はないようだ。
となれば、イアン自身で何とかするしかない。
ネルが菓子に満足したところで、イアンは口を開いた。
「…お前、甘いものが好きなのか?」
「突然何だよ?まあ、甘いのは好きだ。リビーに会うまでは食べたことなかったけどな」
「一度も食べたことがない?」
イアンはネルの返答に驚く。
エッジタウンでもそう多くはなかったが甘味を口にする機会はあった。
王都出身であるネルが食べたことがないというのはどうにも信じられない。
「うん、一度もないぞ。リビーがうちに来た時にもらった飴玉が初めて食べた甘いものだ。あの時のことは今でもはっきり覚えてるぞ。あんまり美味くてほっぺたが落ちそうだったな」
ネルは飴玉を食べたことを思い出しているのか、両手で頬を覆い、幸せそうな顔を見せていた。
イアンはそれを見て、ネルの家庭環境に問題があるのではと察せられたが、この話題をこれ以上掘り下げて良いものかと考え込んでしまう。
「あたしの親父はメシなんて食えれば何でもいいって感じで、甘いものになんて興味がないんだよ。こんなに美味いのにもったいないよな」
迷っていると、ネルが勝手に理由を話してくれた。
ただ、イアンにはその話の中に引っかかる点があった。
(もしかすると、ネルには母親がいないのか?)
気にはなったが、さすがにそれを面と向かって聞くのは憚られる。
ひとまず、以前にもネルが父親のことを口にしていたことを思い出し、イアンはそれを足掛かりにすることにした。
「…そういえば、俺の父さんも甘いものは苦手だと言ってた。剣を振ってばかりの人だったから、そのことが関係しているかもしれないな。お前の父親はどうだ?」
「親父もあんたのとこと似たようなもんだな。うちの親父もずっと鍛冶場にこもってなかなか出てこないんだ」
「へえ、鍛冶師なのか?」
「そうだぞ。客からの話だけど腕はいいらしい。でも、親父はおっちょこちょいで、いっつも火傷を作ってるんだ。その度にあたしが治してやってさ…」
「ん?治すって、回復魔法が使えるのか?」
「何言ってんだ?あたしは魔法なんて使えないぞ」
ネルは不思議そうに首を傾げた。
「は?じゃあ、どうやって治してたんだよ?」
「そんなの傷に手をかざせばすぐだよ。というか、誰にでもできることなんだろ?親父がそう言ってたぞ」
すぐに傷を治すなど魔法もなしにできるわけがなく、誰にでもできることでもないのだが、ネルの口ぶりは嘘を言っていない。
(どういうことだ?魔法を使っている自覚がないのか?いや、周りの人間が魔法だと指摘すれば分かるはずだ。それに、誰にでも使えると嘘を教え込まれている?なぜそんなことを?まさか…!)
イアンはリビーに目を向ける。
うっすらと笑みを浮かべるリビーの表情はイアンの仮定が正しいことを証明しているようだった。
「先生、これがネルを学園に入れた理由ですか?」
「ふふ、やはり気付いたようだね。君の想像通り、ネル君はギフト持ちだ」
ギフトとは神から与えられる能力であり、それは人智を凌駕する力。
そして、ギフトを持つ者は世界でも百に満たない数しか確認されていない。
そんな話をレイからイアンは聞いたことがあった。
「ネル君のギフトは名付けるならば“治癒”かな?まだその能力がどれほどの効果があるかは検証が必要だけど、間違いなく世界から欲せられるものだ。だからこそ、彼女の父親はそれを隠そうとしたのだろう」
「なるほど。ネルを守ろうとしたわけですか。先生も同じですよね?」
「うん、そうだね」
「なあ、何の話だ?ギフトって何のことだ?」
話について行けないネルは、リビーとイアンの顔を交互に見る。
「とりあえず、お前は学園にいた方がいいってことだ」
「はあ!?あたしはもう学園は辞めるって…!」
「学園にいれば甘いもの食べ放題だぞ。食堂のメシは全部タダだからな」
「そ、そんなこと言われたって…」
ネルは若干の抵抗を見せるが、口から涎が垂れていた。
早くもネルの意志はブレブレになっていそうだ。
「どうする?学園を辞めれば、甘いものはそう簡単には食べられないぞ」
「…ああ、もう!分かったよ!学園にいればいいんだろ!?」
「それが聞けてよかった。今度、食堂でケーキでも食うか?」
「べ、別に甘いものにつられたわけじゃないからな!」
「はいはい」
「おい、何だよその顔は!?違うからな!なあ!?」
ネルに胸倉を掴まれて詰め寄られるが、イアンは意に介することなく笑っていた。




