30.戦友
講義開始の鐘が鳴った時、演習場には30名と少しの人数が集まっていた。
選択科目であるため、周りはイアンの知らない顔ばかりだ。
そこに腰の曲がった老人がヨタヨタと歩いて現れる。
教師はまだ来ていなかったが、その老人がそうだとはとても思えない。
その場にいた生徒たちも不審者を見るような目を向けていた。
しかし、老人は生徒たちの前で足を止める。
「…え~、それでは講義を始める。わしはトマス。トマス爺と呼んでくれても構わないぞぃ。よろしくのぅ」
目の前の老人が担当であるという事実に生徒たちがざわついた。
すると、一人の男子生徒が前に出る。
「これは対人格闘の講義だぞ。爺さんが担当って何の冗談だよ。そんなヨボヨボで何ができるんだ?」
「ほう、これはまた威勢がよい若造じゃのぅ。では、試しにわしと戦ってみるかいな?」
「爺さんと?本気で言っているのか?」
トマスと生徒では倍近い体格差があり、とても勝負になるとは思えない。
「ほれ、さっさとかかって来んか」
トマスは挑発するように手招きした。
「…どうなっても知らないぞ?」
生徒は勢いよくトマスに殴りかかった。
だが、トマスは木の葉のようにひらりと拳を躱す。
老人離れした動きに皆、驚きを隠せない様子だった。
「ふむ、動きはまあまあといったところかのぅ。じゃが、まだまだ青い青い」
トマスは生徒の攻撃を余裕たっぷりに捌いていた。
「このっ!」
攻撃が空振り続け焦った生徒が大振りに拳を放った。
その瞬間、トマスの目が鋭く光る。
トマスが腕を取ると、生徒の身体は宙を舞った。
そのまま地面に落とし、トマスは流れるように生徒の腕を極める。
「痛でででっ!」
生徒はあまりの痛みに何度もタップする。
だが、トマスはそれを無視して生徒に問いかけた。
「どうじゃ?これでも、わしは向いてないと言えるかのぅ?」
「すみませんでした!放してください!」
生徒が必死に謝罪したことで、トマスは極めていた腕を放す。
トマスは腰を気遣いながら立ち上がると、生徒たちに向き合った。
「少々時間を使ってしまったわぃ。さて、始める前に一つ言っておくが、わしが教える対人格闘では不殺を絶対とする」
「あの、質問してよいですか?不殺というのはどういうことでしょう?」
「例えの話じゃ。民の反乱があった場合、お主らは民を剣で斬り捨てるのか?」
「そ、それは…」
王国の法では、貴族は裁判を経ずに民を処刑してはならないと定められている。
言い換えれば、反乱があったとしてもその場で暴徒を殺せないということだ。
ゆえに、ほとんどの貴族は暴動が起きないように上手く領地を治めている。
「不殺というのは難しいぞぃ。殺す方が簡単じゃからなぁ」
トマスは髭をいじりながら遠い目をする。
「まあ、ものはやってみれば分かることじゃ。まずは、二人一組を作ってもらえるかのぅ。その二人で適当に戦うとよい。ほれ、お主はわしとじゃ」
「え?え?」
トマスは調子に乗った生徒の襟首を掴み、引きずっていく。
全員がその彼に憐れみの目を向けていた。
その後、生徒たちは二人一組を作っていくが、残念ながらこの場にイアンの知り合いがいない。
どうするかと考えていると、イアンに影が落とされた。
目の前に立った男の体格はイアンより一回りは大きい。
「君がイアンで合っているかな?」
「そうだが、誰だ?」
イアンが問い返すと、その男は突然上着を脱ぎ捨てた。
そして、筋肉を見せつけるようにポーズを決める。
「僕は2-Fのダリル・ウォーレン!ウォーレン侯爵家の一人息子だ!」
自己紹介を終えたダリルはポーズを変える。
想定外の状況にイアンはしばらく固まっていたが、気を取り直して会話を続けた。
「…で、どうして俺に声をかけてきたんだ?」
「ウォーレン侯爵家はベレスフォード公爵家と双璧をなす武闘派貴族。そのウォーレン侯爵家である僕が期末試験で実技四位だった。一位がセシリア殿、二位がオルガ殿であることは理解できる。しかし!何故、この僕を差し置いて君が三位なのだ!?」
ダリルの主張を聞いたイアンはうんざりとする。
日頃からよく絡まれているが、今回は特に面倒な絡まれ方だった。
「この筋肉を見よ!」
ダリルは再びポーズを変え、胸筋を動かす。
「筋肉は力!筋肉は正義!僕のこの美しい筋肉をもってして、君に劣っているというのか!?いや、そんなはずはない!この場でそれを証明して見せようじゃないか!」
「…つまり、俺と戦うということでいいか?」
「その通り!さあ、始めようじゃないか!僕と君、どちらが強いかを決める戦いを!」
ダリルは構えを取った。
「しょうがない。相手になってやる」
イアンも構え、ダリルと向かい合う。
ダリルは不敵な笑みを浮かべると、イアンに迫る。
「ぬん!」
ダリルは力一杯イアンに殴りかかる。
イアンは避けたが、風圧を感じる程の拳だ。
直撃すれば、只ではすまないだろう。
「おいおい、この訓練は不殺だろ?そんな殺すような勢いで殴っていいのか?」
「殺さなければ、多少痛めつけるくらいは問題ない。しかし、戦いの最中に喋る余裕はあるのか?」
ダリルの戦い方はパンチングスタイル。
蹴りはないが、鍛えられた筋肉から繰り出される拳の威力は確かだ。
ただ、イアンは軽々と躱していた。
「なかなかやるじゃないか。だが、君から攻撃はしないのか?」
イアンはやろうと思えば、いつでも反撃できた。
ただ、中途半端に勝ってもダリルは納得しないと考え、イアンはタイミングを図っていた。
「さあ、そろそろ決着をつけよう。僕の全身全霊の拳を受けてみろ!」
ダリルは文字通り渾身の一撃を放った。
しかし、イアンはその拳を払ってダリルの懐に入ると、顎を軽く打った。
「なんだ?君の攻撃はその程…度…」
ダリルは身体の力が抜けて倒れ込んだ。
「な…何が起きたんだ?」
「脳を揺らしたんだ。しばらくは動けないと思うぞ」
イアンはダリルの前にしゃがみ、言葉を続ける。
「これは受け売りだが、戦いは力だけじゃない。上手く使ってやらないと、その自慢の筋肉が泣いてるぞ」
イアンの言葉にダリルはかっと目を見開く。
勢いよく起き上がると、イアンの肩を掴み、鼻息荒く顔をにじり寄せた。
「なんと!君は筋肉の声が聞こえるのか!?」
「は?何を言って…」
「おお、なんと感動的なことだろう!ぜひ僕と友、いや、戦友となろうではないか!」
「お、おう…」
歯を見せて笑うダリルに対し、イアンの顔は引き攣っていた。




