10.放課後
チャイムが鳴り、今日最後の授業が終わる。
イアンは座学で固まった体を伸ばしながら、レイに話しかける。
「レイ、この後どうするんだ?」
「研究会に顔を出すつもりだよ。今日は僕が発表の番なんだ。今研究しているのは王都の経済についてで、ここ数年の物価を分析するとね…」
レイは楽しみが抑えきれないといった調子で話し出した。
イアンは帰り支度をしながら、レイの話を聞き流す。
レイの所属する研究会は政治・経済研究会だ。
初めてその名前を聞いたとき、イアンはまったく興味が湧かなかった。
ただ、レイにとっては面白いようで、現にこうして喋りが止まらない。
「…それでね、王都の物流を考慮すれば」
「分かった、もう十分だ。その話の続きは研究会でしてくれ。時間は大丈夫か?」
「あ、もうこんな時間か。僕は行くよ。それじゃあ、また明日」
レイは荷物を持って、教室を早足に出て行った。
「イアン君、ちょっといい?」
イアンが立ち上がったところで、クラスメイトのクレア・ローウェルに声をかけられた。
「ローウェルさんか。何か用か?」
「今日馬術部の練習は休みだけど、私たちが厩舎の掃除当番だったこと覚えてる?」
「あー…そういえば、そうだったな」
「絶対忘れてたでしょ。ほら、早く行くよ」
クレアは頬を膨らませ、さっさと歩き出した。
イアンは鞄を肩にかけ、その後を追いかける。
教室から厩舎までは歩けば約五分。
その間、二人は特に喋ることなく移動する。
作業着に着替えた後、厩舎に顔を出すと馬たちが鼻息を鳴らした。
「じゃあ、私は敷き藁の交換をするから、イアン君は糞の回収と床の掃除をお願い」
「分かった」
イアンは手際よく馬糞を回収し、肥溜めに捨てる。
初めの頃は臭いがキツかったが、慣れてしまえばそれほど苦でなくなった。
糞の回収を終えた後、クレアが敷き藁を片付けた場所から床を掃除していく。
掃除が一通り終え、イアンが馬たちにエサを与えていると、クレアはブラシを持ってきた。
「私はこの子たちのブラッシングをするから、イアン君はもう帰っていいよ」
「…やり方を覚えたいから、見ていてもいいか?」
「え?まあ、別にいいけど…」
クレアは少し恥ずかしそうにしながらも、イアンが見学することを了承する。
「ほら、いい子。きれいにしてあげるからね」
クレアは馬に向かって語りかけながら、ブラッシングを始める。
その手つきは淀みなく、丁寧に馬の毛並みを整えていく。
心なしかブラッシングをされている馬も気持ちよさそうだ。
「…随分と手慣れているな」
「何?文句があるの?」
「いや、そういうわけじゃない。貴族でもそういうことをするのか?」
イアンがエッジタウンに居た時、貴族の馬の世話をしている男に話を聞いたことがあった。
その男が言うには、貴族は馬に乗ることがあっても自分で世話をすることはほとんどないそうだ。
だからこそ、クレアの手際の良さに感心したのだった。
「まあ、うちは特別かな。お父さんは男爵なんだけど、いわゆる貧乏貴族ってやつで、貴族らしい暮らしとは無縁だったんだよね。領民の人たちと一緒に農作業したり、家畜の世話をしたりしていたから、こういうことには慣れているの」
「貴族といってもいろいろあるんだな」
「でも、私はその生活が好きだったよ。むしろ、今の方が貴族同士の派閥とかがあって大変だし。イアン君には関係ないだろうけど」
「確かに、平民の俺からすれば貴族の派閥はどうでもいいな。むしろ派閥を作る意味が分からない。面倒だと思うなら、無理に派閥に入らなくてもいいんじゃないか?」
イアンが本心を口にすると、クレアは声を上げて笑い出した。
「何か面白かったか?」
「イアン君を笑ったわけじゃないよ。なんだかあれこれと悩んでいるのが馬鹿らしくなってきて。あー、こんなに笑ったのは久しぶりかも」
クレアは心からの笑顔を見せる。
同じクラスになって数ヶ月は経つが、クレアがこんな表情で笑うことをイアンは知らなかった。
「ねえ、イアン君は馬は好き?」
「好きかどうかは分からないが、かっこいいとは思ってる」
「だよね。かっこいいよね。力強く駆ける姿とか最高だよね。知ってる?馬ってさ…」
クレアは活き活きと話し始めた。
おそらく、こちらが本来のクレアなのだろう。
学園に来てから、領地との環境の違いに戸惑っていたのかもしれない。
「そういえば、イアン君はどうして馬術部に入ったの?」
「騎士になるなら乗馬ができるようになっておかないといけないと思ったからな」
「イアン君は騎士になるつもりなの?」
「まあ、そうだな」
「そっか、もう先のことも考えているんだね。私は何も決まってなくて…」
クレアの表情が曇る。
将来のことも悩みの一つだったようだ。
「それなら、ひとまず学園にいる間の目標を決めてみたらどうだ?」
「目標?」
「たとえば、馬術の大会で優勝するとか」
イアンの提案にクレアは鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
「優勝?私が?」
「ローウェルさんは馬の扱いが得意なんだろ?」
「うん、小さい頃から乗ってるし得意だと思う。でも、優勝はちょっと…」
イアンの素人目から見てもクレアの馬の扱いは上手く、人馬一体の動きが体現できているように思えた。
だからこそ、馬術大会優勝を提案したのだが、クレアには重荷だったかもしれない。
クレアはしばらくその場で考え込む。
すると、傍にいた青毛の馬が突然鳴いた。
「励ましてくれているの?」
クレアの問いかけに青毛の馬は肯定するかのように鼻を鳴らす。
「そっか…分かった。私頑張ってみる。馬術大会で優勝を目指してみるよ」
クレアは先程まで浮かない表情をしていたが、今では決意に満ちた顔つきになっていた。
「ああ、頑張れ」
「ちょっと、素っ気なさ過ぎじゃない?」
「応援はするが、自分の力で達成しないと意味ないからな」
「確かにそうだけど…」
クレアは不満げな表情を見せる。
ただ、それは一瞬のことで、すぐに表情を切り替えた。
「まあいいや。ねえ、イアン君。私と友だちになってくれないかな?」
「いいぞ。ローウェルさんならいい友だちになれそうだ」
「そのローウェルさんっていうの少し他人行儀じゃない?クレアでいいよ」
「じゃあ、クレア。これからよろしく」
「うん、よろしくね」
二人は笑顔で握手を結んだ。




