第5話 予期せぬ出会い
コベーン統括聖庁付属の聖堂・ノルトランズ大聖堂の前には、王都で最も広大な広場がある。
その大広場には現在、百を超える屋台が軒を連ねていた。
屋台はどれも、木材の屋台骨に白い天幕を張って統一してある。
その天幕の中に時折、金糸で特定の紋章を縫い取ったものがある。八本の輻を持つ車輪のような紋様は、太陽の象徴だ。
この紋様がある屋台は、<白き鏡>教の教会や修道院のものであることを示していた。
その紋章を手がかりに、シャルヴェンヌ女子修道院の屋台を探そうとしたが、想像の倍以上は多い屋台に、シャルロットは圧倒された。
「これは……探し出せるでしょうか」
「大丈夫よ。回っているうちに見つかるでしょう」
レリアはあっけらかんとしているが、シャルロットは不安だった。
聖女候補たちは夏至祭の間、修道女とひと組みになって屋台の店番をしなければならない。シャルロットの当番は、明日の午後だ。
その相方に聞けばいいのだろうが、シャルロットは自分の目でも確かめておきたかった。
「場所の見当は、おおよそ付いているんでしょう?」
「ええ、まあ」
「私も大体わかるし、後でそっちに行けばいいよ。それより今は、市場を楽しもう!」
レリアは快活に笑うと、シャルロットの手を引いて、間近にある屋台へと近づいていった。
向かい合った屋台の間を歩き始めると、シャルロットの懸念はどこかへ吹き飛んでいった。
店先には、青果や卵、チーズなどの食料品や、毛織物などの布地や衣料品、宝石や金細工に銀細工、民芸品や雑貨など、ありとあらゆるものが並んでいる。
芋を洗うような通路では、人々の声が四方八方から迫ってくる。シャルロットは川の中を、流れに逆らって突き進んでいくような心地になった。
調理済みの食品を扱っている店の前では、食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。
ミートパイの屋台を発見したシャルロットは、喜色満面になった。修道院に入ってからはほとんど食べていないが、ミートパイはシャルロットの大好物だ。昼食用の小遣いは与えられているので、後で買おうと心に決めた。
六歳から山奥の修道院で育ってきたシャルロットにとっては、目に映るものすべてが目新しい。まるで別世界へ迷い込んでしまったかのようで、どきどきと胸が高鳴った。
頻繁に足を止めて屋台を覗いていると、ふとレリアが「あ」と声を漏らした。
「どうしました?」
「シャルロット、ちょっとこの辺見てて。さっき通り過ぎた屋台に用があったのに、すっかり忘れてた」
「それなら、私も一緒に行きますよ」
「ううん、ひとりで大丈夫! すぐ戻るから!」
そう言い置いて、レリアは慌ただしく来た道を引き返していった。
(一体なにを買うんでしょう)
物品の購入は、特に頼まれていないはずなのだが。
加えて、修道女は基本的に私物を持てないため、支給された小遣いを食事以外に使うことは許されていない。
シャルロットは首を捻ったが、考えたところで答えが出るわけでもない。
諦めて、陳列台の商品を眺めることにした。
どうやらここは、蝋燭を扱っているようだ。シャルロットが以前作ったような蜜蝋蝋燭の他に、もう少し値段が安い獣脂蝋燭も売っている。
商品を順繰りに見ていたシャルロットは、あるものに目が釘付けになった。
(薔薇がこんなところに?)
真紅や赤紫、桃色や淡黄色など、色とりどりの薔薇の花弁が、台の上に並べられていた。
近寄って見ると、幾重にも重なった花びらの中心部分に、太い糸が突き出ている。
シャルロットは驚いて、陳列台の前に座る店主に声を掛けた。
「あの、すみません。これも蝋燭なのですか?」
「ああ、そうだよ。本物そっくりだろう? 北方から仕入れてきたものなんだ。蜜蝋で作ってあるんだと」
シャルロットはまじまじと薔薇の蝋燭を見つめた。
瑞々しく柔らかそうな花びらは、とても作り物には見えなかった。
(ベリルがこれを見たら、とてもびっくりするでしょうね)
興奮に頬を紅潮させたベリルがありありと思い浮かび、シャルロットは我知らず目許を和らげた。
(ベリルがここにいてくれればよかったのに)
好奇心旺盛なベリルとあちこち立ち寄りながら、感想を言い合い、楽しいねと笑い合う。
想像するだけで浮かれてしまうが、それは決して、実現するはずのない夢だった。
悲しみにぼんやりと立ち尽くしていた彼女は、突如左側面から衝撃を感じ、たたらを踏んだ。
「あ、ごめんなさい!」
どうやら、誰かがぶつかってきたらしい。
左に顔を向けると、申し訳なさそうな面持ちでこちらを見る、三十代後半ほどの女性が立っていた。一本に編んだ黒髪がもつれ、どこかやつれた印象を受ける。
薔薇の蝋燭に夢中になるあまり、隣を見ていなかったのだろう。
「いいえ。こちらこそ、いつまでも場所を譲らず迷惑でしたね。すみませんでした」
頭を下げたシャルロットは、向かい合った女性と目を合わせた。
その瞬間、女性ははっと息を呑んでシャルロットを凝視した。
「フロランス……?」
「え?」
シャルロットは聞き覚えのある名前に目をまたたいた。
「フロランス……フロランスよね!? 私、ゾエよ。覚えてる?」
「あ、あの」
「信じられない! まさか、あなたとこんなところで会えるなんて!」
ゾエと名乗った女性は気持ちが高ぶったのか、目を潤ませながらシャルロットの両腕を掴んだ。
「今は王都で暮らしているの? それとも、この近郊かしら。ねえ、今までどうしてたの?」
「あの、すみません!」
矢継ぎ早に尋ねてくるゾエに、シャルロットは思わず声を張り上げた。
「申し訳ないのですが、私はフロランスではありません。シャルロットと申します」
「えっ」
顔を強張らせたゾエに、シャルロットは慌てて言い添えた。
「ですが、母の名前がフロランスなんです。もしや、母と私を間違えていらっしゃるのでは?」
ゾエは呆然とシャルロットを見つめ、「子供」と呟いた。
「そう……あの子、子供を産んだのね。あまりにもそっくりだから、てっきりフロランスかと……」
そう独りごちると、ゾエはシャルロットから腕を離した。
「ごめんなさい、取り乱しちゃって。あなたのお母さんとは、長らく会っていなかったものだから」
気まずそうに微笑むゾエに、シャルロットは「そうでしたか」と相槌を打った。
「お母さんはお元気? 今は、なにをしていらっしゃるの?」
「ええっと」
シャルロットはなんと伝えようかと目を泳がせた。
下手なごまかしは不誠実だろう。気が進まないが、事実を述べることにした。
「……母は、私を産んですぐに亡くなりました」
ゾエは瞠目し、凍りついたように一切の動きを止めた。
「そんな……」
唇をわななかせて青ざめるゾエに、シャルロットは掛ける言葉が見つからず、押し黙った。
その時、他の客がやって来て、薔薇の蝋燭に歓声を上げた。こちらを迷惑そうに見ている店主に気づき、シャルロットは「出ましょう」とゾエに声を掛け、ひとまず通路を歩き始めた。
ゾエは言われるがままシャルロットに付いて来たが、その足取りはふらふらと覚束ない。
「大丈夫ですか? どこか、休める場所を探しましょうか」
「いいえ、大丈夫。ちょっと……びっくりしただけだから」
ゾエはゆるゆると首を振ると、ぎこちない笑みを浮かべた。
ふたりはしばし無言で歩を進めていたが、やがてゾエの方が口火を切った。
「お買い物の邪魔をしちゃって申し訳なかったわね」
「いいえ。冷やかしているだけなので、お気になさらないでください」
「ああ、そうか。自分のお金は持てないのね」
修道服を身にまとっているため、シャルロットが<白き鏡>教の修道女であると認識したらしい。
ゾエは納得したように頷くと、顔を曇らせた。
「……あの、シャルロットさん。よかったら、今度私の店に遊びに来てくれないかしら。すぐ近くで本屋をやっているのよ。あ、屋台じゃなくて、ちゃんとした店舗でね」
「そうなんですか! 本屋は、まだ一度も行ったことがないんです」
「そうなの。それなら、是非いらしてちょうだい。……あなたのお母さんのことで、話したいこともあるし」
恐らく、本題は最後の部分だ。
シャルロットの鼓動は、にわかに速まった。
(母さんのことが、なにかわかるかもしれません)
母の形見である、大樹の葉守り。あれを持っていた母は、果たして大樹信仰の巫女だったのだろうか。
今すぐゾエに問い質したかったが、シャルロットはぐっと堪えた。
レリアによれば、大樹信仰は異教として弾圧された過去がある。人目のある場所で口にするのは、あまりにも危険だ。
シャルロットは瞬時に、ゾエの本屋を訪ねる意志を固めた。
(行けるのは、聖女選定が終わってからですね)
選定の間は労働時間でもない限り、修道院の敷地からは出られない。
選定期間が終われば、聖女に選ばれようが選ばれまいが、新市街に赴く時間ぐらいは作れるだろう。
「少し先になってしまうかもしれませんが、必ず伺います」
シャルロットがはっきりと告げると、ゾエはほっとしたように表情を和らげた。
「ありがとう。待っているわね」
ゾエは本屋の場所をシャルロットに教えると、「また会いましょう」と手を振って去って行った。
(まさか、母さんを知っている人に会うとは)
人混みをすり抜けて来た道を戻りながら、シャルロットは偶然の出会いに感謝した。
自分が母と瓜二つだということは、父から聞き知っている。
しかし、母の経歴は一切聞かされていない。
よく考えてみれば、王都から馬で五日はかかるアストロ市住まいの母が、王都に暮らすゾエと親しかったのも不思議だ。
ゾエもまた、大樹信仰に関わりがあったのだろうか。
引き返してゾエに根掘り葉掘り聞きたい衝動が再び湧き上がったが、シャルロットはそれどころではない、と己を戒めた。
目下大切なのは、蝋燭の屋台付近に戻り、レリアと合流することだった。




