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7 今日も一日キスで始まりキスで終わる

「シーラ、いってくる」


 最近、夢にクライヴが出てくる。

 すぐどっかに出掛けていくだけなんだけど、登場率が半端ない。なんと、ほぼ毎日。ここまできたらむしろ悪夢。私は呪われているのかもしれない。

 この夢の一番嫌なところは、


「あっ、奥様、お目覚めになったのですね。おはようございます」

「……おはよ。クライヴは?」

「本日ももうご出勤なさいましたよ」


 必ずと言っていいほど、現実では会えないところ。




 悪夢の始まりは、私の記憶が正しければ結ばれた日の翌日から。

 あのときに呪われてしまったのか。はたまた、行為の相手が夢に出てくるようになるというのは常識化しており、私が知らないだけでみんな相手の夢を見ているとか。

 どちらにせよ、クライヴの夢はもう見たくない。朝起きてなんだか寂しくなっちゃうから。


 朝の支度をしてダイニングに向かう。あ、今日は便箋の日だ。

 便箋のある日のうち、大体は『今夜、寝室』。簡潔でわかりやすい『一緒に寝よう』の合図だ。さらにそのうち半分以上は、本当に一緒にすやすや眠るだけ。



「ねえ、寝るだけなら別でよくない?」


 そう提案したのは晩ご飯のとき。

 クライヴは食事の手を止めることはなく。


「君は別がいいのか?」

「寝るだけなら別でもいいんじゃないかなって」

「どちらでもいいなら、同じでも問題ないだろう」


 チッチッチッ。私は人差し指を動かした。現状が良いと思っているなら、こんな提案いたしませーん。


「問題は、ある」

「どうした?」

「嫌な夢を見るの。自分の部屋で寝たら見なくなるかも」

「夢か」


 そんなの起きて忘れたら問題ない、とか冷たく返してくるかなーと思ったけれど、


「使い慣れないベッドで睡眠の質が落ちているのかもしれないな。では、しばらく各自ということにしよう」


 すんなり受け入れられた。よしよし。

 これで悪夢を見なくなりますように。




 その日は、雲もなく晴れて、ひんやりした夜風が気持ちよかった。

 出窓の台のところに腰掛け、空に浮かぶ満月と、同じ色のフルーツジュースで乾杯。今夜は眠らないと誓う。

 別々で眠るようになって数日経過したが、悪夢は未だ健在。やけになった私は、夢を見ないように夜通し起きておくことにしたのだ。


 使用人も下がったあとに月を見て夜風に当たる。時折木々が揺れる以外、音のしない静かな夜。たまにはこういう時間も悪くない。

 こくこくジュースを飲んで、一人ロマンチックな空間に酔う。夜に月とともにドリンク。私、すごいオシャレな大人って感じする!


 すたすた。無音を壊すかすかな足音で、にやけ面が一気に冷めた。誰かが起きている。こんな時間に? しかも、私の部屋のほうに近付いてきている。

 ジュースを飲み干してベッドにダイブ。熊に会ったら死んだふり、怪しい人が来たら寝たふり。世の常識である。


 ノックもされずにギィとドアが開く音がして、


「シーラ、寝たか? ……いや、寝てるよな」


 クライヴの声がした。すたすた部屋を歩いている足音も。

 なんだクライヴかぁ、って起きようとし、やめた。この人、なんでノックしなかったんだろ。何平気そうに乙女の部屋歩き回ってるんだろ。

 最も妙な引っかかりは、それらが手慣れている風なこと。


「窓を開けっ放しにしているのか。不用心だな」


 あ、窓閉めてる。


「グラスまで放置か。深夜にジュースとは、ぐうたらして豚みたく太らないといいが」


 う、うるさいうるさい。私は毛布の中で二の腕を触った。ぷにぷに。こ、これならまだ標準の範疇なはず。

 抗議したかったけど、足音がベッドに向いているので必死に我慢した。代わりに、必殺狸寝入り。バレたことない寝たふりの寝息をしてみせた。


 天蓋から降りるカーテンがためらいなく開けられ、クライヴかベッドに座った気配がする。あぁ、クライヴが夜な夜な変なことをしていたせいで、私は悪夢を見ていたんだな、と悟った。

 もぞもぞ寝相を変えるふりを装って、横向きから正面に。いきなりカッと目を見開いて驚かせてや、


「シーラ」


 頬に指が当たって、私は狸寝入りを続行させることにした。

 クライヴに顔ペタペタされてる。まぶたもおでこもほっぺたも鼻も、くまなく満遍なく。ゆっくりゆっくり羽根でなぞられてるみたいに。

 耳は揉むように、髪は梳くように、優しく優しく全部触れていく。


「可愛い。今日は嫌がらないな」


 ふふっと笑う声が落ちてきて、急激にくすぐったくなった。体と、心も。

 撫でる指は首筋や鎖骨まで降りてきて、ぷにぷに二の腕を通り、最後に手を持ち上げた。


「おやすみ、シーラ」


 手の甲に柔らかい感触がしたあと、クライヴがベッドを離れた。

 ドアが閉まる音がするまで息を止める。早く閉まれ、閉まれ、閉まれ、閉まった。


「な、なにあれ!」


 私はガバっと起き上がった。顔、あつ。パタパタ仰いで再び夜風に当たりにいく。

 なーにが『おやすみ』だ。こんなの寝られるわけがない!



 眩しい光に気付いて意識が徐々に浮上する。いけない、出窓のところで寝てしまっていた。でも、もうちょっと眠っていたい。

 朝日がぽかぽかで温かいな。まるでいつかの人間湯たんぽ。


「奥様、おは……あらまぁ」


 使用人のおばあさんの声がする。うう、あとちょっと寝たいのに。


「お風邪をお引きになったらどうしましょ」

「……ん」

「ブランケットお掛けしますね」


 うんうん、良きかな良きかな。暖かさにまどろんでいく。鳥の鳴き声を子守唄に二度寝タイム。


「シーラはまだ寝てるのか?」


 子守唄にクライヴの声が混じった。瞬時に脳が覚醒。またクライヴ?


「そのご様子でございます」

「……何故、窓のところに?」

「わたくしめが参りましたときには、すでに」

「そうか」


 クライヴがこっちにやってくる。私の髪に指を通して横の髪を耳にかけた。さらに前髪を払って。

 ……これ、悪夢とおんなじ。


「シーラ、いってくる」


 クライヴはちゅっとおでこにキスして出ていった。




 悪夢の原因はなんてことない、クライヴのせいだったと判明した。夜は眠たいから対処しきれないとして、問題は朝のほう。

 クライヴがしていたことが、まるまま私の夢になっていたのだから。


 これではいけない。何がいけないかというと、その、意識してしまうから。

 夢を見て『クライヴ、今朝もキスしにきたんだなぁ』とか考えて一日が終わっちゃうからである。


 対処法はある。クライヴが家を出るときに起きていればいい。

 ということで、ものすごく早起きを頑張ってみたら、案の定夢は見なかった。快眠、快眠。にこにこでダイニングに行くと、コーヒーを飲んでいるクライヴがやや驚いた目をした。


「シーラが起きている」

「たまには早起き」

「そうか。良いことだ」


 ともに朝食を過ごし、使用人たちに混ざっていってらっしゃいと言う。クライヴは何事もなかったかのようにお仕事に出掛けていった。


 早起きをして、つまり夢を見なくなって二日目。

 私の「おはよ」の声に、クライヴはこれまた驚いた。


「おはよう。今日も早起きだな」

「健康的でしょ」

「あぁ」


 またまた朝食を済ませて、いってらっしゃい。



 そして三日目。夢を見るより、朝起きて直接クライヴの顔を見るほうがよっぽど良い。会話できるし、お見送りできるし。

 けど、今日のクライヴは仏頂面だった。


「君は朝起きれるようになったのか」

「そうだよ」

「……そうか」


 ちょっと眉間にシワを寄せて、コーヒーをずずっと啜った。お仕事とかで何か嫌なことでもあったのかもしれない。

 なんだか不機嫌そうなクライヴを見るの、久々だなぁ。


 朝食を終えたら、軽く読書をしてクライヴの支度を待つ。使用人に呼ばれて、出発前のクライヴの元へ。

 使用人たちが並んで頭を下げて「いってらっしゃいませ」と言う中、私は手を振って見送る。


「いってらっしゃーい」

「あぁ、いってくる」


 外に出て数歩、ピタッと動かなくなった。あれ、忘れ物かな。

 クライヴが踵を返して私のほうに戻ってくる。黙って私の後頭部に手を回し、


「シーラ、いってくる」


 ほんのりコーヒー味のキスをした。そして満足気に微笑んで、今度こそ出掛けていった。



 呆然と立っている私に、使用人たちの生暖かな視線が刺さる。いや、見ないで見ないで。ごほんとわざとらしく咳払いしたら、みんな各々のお仕事へ散って行った。

 一人になった玄関でへたり込む。顔、あつ。なんなら全身あつ。胸の奥が沸騰したお水みたいにきゅーっと熱くなってる。


 これなら夢を見ているほうが遥かにマシだった。

 起きてたら、狸寝入りで誤魔化せない。

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