3 不安な憶測を確かめる誤った方法
「クライヴ、お昼に届いてたパパからの贈り物、お酒だったんだけどー」
「っ!?」
夜、クライヴの書斎を訪ねたら、なんだかとても驚かれた。
「な、何?」
「……いくら家の中といっても寝間着でうろつくものではない」
「ネグリジェって言って。可愛いでしょ」
「何か着てくれ」
頭を抱えることでもないだろうに。
クライヴが使用人に命じ、使用人は何を思ったのかクライヴの寝室からガウンを取ってきた。シルクのつやつやガウンは私の足首までの丈で、袖もすっぽり手が隠れるサイズ。
さすが公爵家様。良いもの使ってるぅ〜。
「見て見て。クライヴのぶかぶかだから毛布着てるみたい」
「……君はそれを見せびらかすためにここへ来たのか?」
「そうじゃないけど、こうしろって言ったのはクライヴでしょ?」
「僕はそんなこと言ってない」
言ってないけど、同義のことは言ったでしょ。まぁいいや。
お酒のボトルを持ち上げてみせる。
「お酒飲みに誘いに来たの。お仕事終わるまで待ってていい?」
「…………」
「ソファーに座ってるね」
「……いや、出ていってくれ」
「なんで?」
「君がいると集中できない」
「私、黙ってるよ? 良い子で待ってる」
「視界に入る」
だるそうに目を細める。ずっと不機嫌で逆に疲れたりしないのかな、この人。ご機嫌取りしてあげるほうの気持ちも考えてほしい。
私が構ってあげているのも、理由があるからなのに。
「これ、パパからのお手紙付きだったの。お酒でも飲んで親睦を深めろって。どう?」
「僕は君と親睦を深めるつもりはない。おい、こっちに来るな」
デスクに近付いたら、しっしっと手を払われた。むう。
「クライヴって私嫌いがすごいよね」
「安心してくれ。僕は君の年齢ほどの女は全般嫌いだ」
「結局私のことも嫌いってことでしょ」
「……彼女を外へ」
またまたクライヴが使用人に命じたせいで、私は部屋から退出させられた。女性をこんな扱いするから、婚約者に振られたんだぞ。
自分の部屋に戻ってから、ガウンを着てきたままなのに気付いた。返しに行っても気まずいし、一晩だけ借りちゃお。
脱いで、使用人に渡そうとして、ちょっと動きを止めた。出来心でついぎゅっと抱きしめてみる。ふんわり石鹸の香りがした。クライヴ、こんな匂いしてるんだ。
一人、自室のベッドで考えるのは、クライヴのこと。
思い返せば、私とクライヴは接触という接触をしたことがない。触れたのは、結婚式で困惑と嫌悪の混じった表情で嫌々したキスか、クライヴがブチギレしてきたビンタか。
社交界での腕組みは、クライヴはタキシードに袖を通しているし、私はグローブをしているし。結婚してから今まで一緒に寝たことないし。
私たちの初夜って、もしかしなくても消滅してるし。
式のあとは宴会で疲れちゃって、翌日はクライヴのおうちの引っ越し作業で疲れちゃって、その翌日からクライヴはお仕事に行って毎夜遅くに帰ってきちゃってて。
クライヴは女嫌いだから、これからも何もしないのかな。それとも、私に魅力があったらそんなことなかったのかな。見苦しいの言葉が脳裏をよぎって、ベッドの中でのたうち回る。
別に、別に、手なんか出してくれなくてもいいけど、いいけど……。
「いいけど、なんか、ムカつく……」
「惚気ね! いいわよ、そういうの大好き!」
「ポジティブに考えましょ。そうね、シーラが大切だから丁寧に接してくださってるだけよ!」
ハンナとアリアをおうちに招いてアフタヌーンのティータイム。
相談したら、斜め上の回答が返ってきた。
「だーかーらー、そういうのじゃないって。クライヴって女嫌いなの」
「確かに女性とお話なさっている印象はないわね」
「男性とはよくお話していらっしゃるわよ。エド様とか」
エド様。クライヴのお友だちだったはず。同じ家庭教師の元で育った同期なんだっけ。お仕事先も一緒だと聞いた。
「大変仲もよろしいご様子で、こちらまでうっとりするわよね」
「お並びになるとお似合いすぎて、誰も話しかけられないもの」
「仲が良くて、お似合い……」
そこから導き出された答えは、
「クライヴは、エド様が好き……?」
「ま! 禁断の恋!?」
「最近、西の国では許されてきているのよ。最先端知識のあるお二方なら、その影響を受けていてもおかしくないわ」
「ね、あり得るよね!」
「そうね。それなら女性嫌いなところも納得できるもの」
紅茶のカップに口をつける。
婚約者がいたのに結婚が遅かったのもエド様がいるから。私と結婚後に何もしてこないのもエド様がいるから。
謎は全て解けた! スッキリした爽快感のあと、ぽんっと空虚な気持ちが襲ってきた。
「私、お飾り妻だったんだ」
「まぁ。シーラったら最初は結婚自体嫌がっていたのにショックなの?」
「別にショックとかじゃ……」
「あらやだ! 私、シーラの悲しそうな顔は見たくないわ! いつでもうちに家出してきていいのよ?」
「そうそう。私の家にも毎日泊まりにきたらいいわ」
可愛い顔して、なかなかなことを言ってくれるお友だちだ。二人のこういうところ、大好き。
ハンナはじとっとした目で肘をつき、顔の前で腕を組んだ。
「シーラがいるのに浮気するなんて見る目がないのね。あり得ないわ! 離婚とかできないの?」
「神殿が認めるような正式な理由があればできるんじゃないかしら。訴えたとしても、相手は公爵家だけれど」
「浮気の証拠でも握ればこちらが有利に立てるということ?」
「そうね。証拠を掴む案、良いと思うわ! 考えてみましょ」
ぱちんと手を合わせるアリアに私も頷く。
ここで議論を重ねていても、ただの妄想止まりでしかない。証拠を得るというか、確認を取るというか。クライヴと話をしないと、何も解決しないと思うから。
このときの私は事態を甘く捉えていた。
クライヴの気持ちを知るためにちょうどいいかも、なんて。
その日は、分厚い雲に阻まれて月が見えず、不穏な感じがした。
そんな夜に、私はクライヴの書斎を再度訪れた。
「あの、クライヴ」
「また君か。なんだ? 先に断っておくが、僕は君と酒を飲む気はない」
「今日はお話しに来たの」
クライヴがちょこっと首をかしげてペンを置く。お話なら、してくれる気はあるらしい。
「どうした?」
「クライヴはエド様と仲が良いって聞いたんだけど」
「あぁ。それが?」
「や、えっと、エド様ってどんな人なのかなーって思って」
指先は合わせたり離したり。声、上擦って変な感じになってないといいけど。
『恋愛系の質問で揺さぶりをかけるのはどう?』というハンナの言葉を思い出す。恋愛系、恋愛系……。安直だけど、簡単な質問しか思い浮かばないや。
「その、好きな人とかいるの?」
「エドにか? あいつはそういった相手は特に」
「本命っぽいの、クライヴなら知ってるんじゃない?」
というかクライヴが本命だったりして、を吐き出さずに飲み込んだ私は偉い。
やけに自分の鼓動が大きくて速い。緊張してるのかも、私。
「さあな」
クライヴの返事は相も変わらず、氷もびっくりの冷たさだった。
アリアはなんて言ってたっけ。『クライヴ様も、好きな人が他の人に狙われるのを嫌がるんじゃないかしら。私はそうだもの』とかなんとか。
人の嫌がることは、したくないんだけどな。うう、良心が痛む、けど背に腹は代えられない。
「じゃあ、その、エド様が出席予定の夜会とか知らない?」
「さあ。あいつは気まぐれだからな」
「競馬とか観劇とか、そういうよく行くところでもいいんだけど」
「……君はエドと知り合いたいのか?」
「な、仲良くしたいと思っちゃだめなの?」
部屋の奥の書斎で静かに目を伏せるクライヴは、トントンと机を叩いて苛立った声色を放った。
「あぁ、不快だな」
「……やっぱり、エド様と」
「耳障りな声を出すな」
きゅっと痛んだのは、強く握って爪が食い込んだ手のひらと、どこか体の中心らへん。
そんな、ぞっとする低い声出さなくても、脅かすような言い方しなくても、萎縮させるような目で睨んでこなくても、いいのに。エド様相手なら、こんな怖い態度取らなさそう。
「今すぐ出ていけ」
「……ご、ごめ」
喉の奥が引くついて上手く声が出ない。色々ショックで。
クライヴがドスドスした足音を立ててやってきて、勢いよくドアを開ける。私は使用人に促されて部屋を追い出された。閉められたドアにもたれてしゃがみこむ。
最後に見上げた、クライヴが酷く軽蔑した目が忘れられない。
「これだから女は嫌いなんだ。泣けば許してもらえるとでも思っているのか? どうせすぐに心変わりするくせに。君も恩を仇で返すんだろうな」