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1 ビンタの応酬で仲良く初めての挨拶

 花盛りの十七歳で政略結婚することになった。

 相手は二十四歳の公爵家の長男のオッサン。結婚歴無し、私とダンスで踊ったことも無し。最近、幼少期からの美人婚約者が寝取られたらしいので、恋人も無し。

 なーんにも無いオッサン。


 その名も、


「あら、おはようございます、クライヴ様。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます」

「……あぁ」


 クライヴ・クラーク。挨拶すらも返せない本当に哀れなオッサンである。




 式当日。

 私が支度している最中、挨拶できない系成人男性が顔を見せにきた。嫌々そうなオーラが滲みて出るから、誰かに言われて強制的に来たと予想。

 クライヴは薄茶色の七三分けのオールバックでかっちり決め込んでいた。燕尾服の白色版みたいな、挙式で用いられる伝統的装束を身にまとって、何を考えているのかわからない仏頂面。

 窓の外を見ていると思ったら時計台のほうを見ていた。気だるそうにふーっとため息。


「…………」

「…………」


 突如、仏頂面の眉がピクッと動く。


「僕はそろそろ失礼する」

「えぇ、ごきげんよう」


 滞在時間はきっかり五分。愛想笑いもせずにさっさと部屋から出ていった。

 な、なにあれ。あんなのだから婚約者にも逃げられたんじゃないの。


 クライヴの美人元婚約者は、昨年、どこかの舞踏会でクライヴを盛大に振って婚約破棄。他の人と駆け落ちしたんだとか。

 しかし、法は浮気したほうを裁くし、社交界も長いものに巻かれる人が多い。

 今をときめく公爵家の嫡男様クライヴは手厚く擁護され、浮気者は指名手配後、牢獄へ。彼女の家は悪評が尾ひれをつけて泳ぎ回り、あっという間に没落していった。


 そしてパパのコネで、次なる相手として私が選ばれた。


「明日は我が身かも……」


 鏡を見ながら、紅を差した唇を撫でる。

 未来の私よ、どうか大人しくしていてくれますように。




「クライヴ、おはよ」

「…………」


 その日は、雲が多めなありきたりな晴れ模様の日だった。

 結婚式を挙げて一ヶ月。他のおうちなら、新婚さんのいちゃいちゃ朝ご飯タイムだけど、うちはクライヴが挨拶しなかったのでひえっひえ。

 私は暖かい紅茶で温まりながら、一応今日の予定を伝えた。


「私、今日はハンナのお茶会に行くから。そのまま演劇に行くから晩ご飯もいらない。クライヴの帰宅より遅くなると思う」

「…………」

「そうだ。アリアづてに聞いたんだけど、ハンナがお誕生日パーティーに私たち夫婦で招待したいんだって。クライヴ、予定は?」


 オッサンは黙ってコーヒーのカップを傾けた。


「…………」

「…………」


 返事が返ってこないのはわかってた。別にいい、いや、よくない。


「クライヴは忙しい? 無理なら断っとくけど、でも、ハンナって私の大事なお友だちだし、結婚祝いで良いグラスくれたからお礼代わりに参加してもいいと思うの。どう?」

「…………」

「あのー、喋れなくなっちゃた? お医者さん呼ぶ?」 


 おーい、と呼びかけたら、クライヴはカップを置いて私をギロッと睨んできた。おー、こわ。そんなので私が怯むと思ったら大間違いなんだから。

 果物を口に運んで、イライラとともに飲み込む。さあて、もう一度。


「クライヴ、聞こえてる?」

「…………」

「ねえってば」

「……君に教える義理はない」

「なにそれ。私は奥さんだけど」

「離婚しても僕は構わない」

「あー、それよく言うよね。口癖なの?」

「…………」


 無視して会話を終わらせるのが、クライヴの得意技。

 お誕生日パーティーへの返事もせずに、ダイニングルームから出ていこうとする。もう、なんなの、この二十四歳。七歳も年下の私の手を焼かせないで。

 私は慌ててクライヴの腕を掴んだ。


「ちょっと、何か言うことないの?」

「君には、この一ヶ月間、言いたかったことがある」

「それってつまり式を挙げてからってことね。何?」


 腕は振り払われ、肩を押され、距離が生まれる。クライヴは数歩下がって腕を組んだ。やれやれと前髪を払って眉間にシワを寄せる。


「君は敬語も使えなくなったのか? 最初は品行方正な淑女を振る舞っていたくせに、今では馴れ馴れしい粗悪な言葉と態度。どういうことだ?」

「クライヴだって私にタメ語で横柄だよね」

「当たり前だろう。僕は君より地位も年齢も上だ」

「今ここでは、私は妻でクライヴは夫でしょ」

「妻は夫を引き立て、慎ましやかに生きるものだ」


 でたでた。そういう考え方の人。


「はいはい、前時代的な古い考えのやつね」

「これだから学のない人間は」

「そうやって見下すのやめない? 夫婦なんだから、そういう考えは捨て」

「僕は君と夫婦だと思ったことはない」


 私が話してる途中で被せてこないで。

 常に世の中の全てを見下したような目の色で、初対面の人に対しても上から目線の高慢的態度で。たまたま生まれた家の地位がよかっただけのくせに、自分に価値があるとでも思っているのか。

 私は大きく一歩踏み込んで、クライヴのネクタイをグッと握った。


「あなた、自分が神様にでもなったつもり?」


 見つめる先のクライヴの焦げ茶の瞳がやや見開く。


「あなたも私もここでは地位なんて関係ないんだから、対等な関係を築こ」

「小娘が僕と対等など、生意気なことを言うな!」


 瞬間、脳に火花が散った。ぐらりと体が揺れたのを立ち直す。頬がじんわり熱くなって、手を押さえたあとで痛みが広がっていった。瞬きを繰り返すうちに、次第に視界も頭もクリアになっていく。


 私、ビンタされた? 


 考える暇はなかった。手が勝手に動いていた。

 目には目を、歯には歯を、的な。


「……っ」


 クライヴの頬は良い音がした。ほっぺたも手のひらも熱くて痛い。背後で使用人の息を呑む音が聞こえた。あと小さな悲鳴も。

 ネクタイを引っ張って、クライヴの顔を引きずり下ろす。私の目の前に。


「痛い? 私も痛かった。自分がされて嫌なことは、人にもしないで」


 ネクタイを握りしめる自分の手が、わなわなと少し震えているのに気付いたのは、自分の声も震えていたから。


 十七歳で、七つも上のオッサンと政略結婚。

 周りの子が素敵な将校だの同年代の貴族だのと華やかな恋愛模様を描いている中で、私はこんな非常識なオッサンと結婚。冗談だったらまだ笑えたけど。

 誰に文句言えばいいんだろ。親? 公爵家? この国? はたまたいたずらな運命に? 私の怒り程度じゃ、何も世界を変えられないけど。



 私も相手も望んでない残念な新婚ライフ。

 それでも私からは離縁の申し出はしない。理由は三つ。


 一つは、私の家にとってデメリットだから。クライヴの本家は元婚約者の親戚共々地獄に落とした殿上人だ。家の問題が関わっている以上、私個人の事情で両者間の亀裂を生むのは自殺行為になる。

 もう一つは、私の経歴に傷がつくから。十七歳にしてバツイチにはなりたくない。仮に離婚できたとして、バツイチを理由に優良物件イケメンに逃げられ、事故物件ジジイが愛人目当てにやってくる地獄な未来しか見えない。

 最後の一つは、単純に負けた気がするから。離婚してこの人から逃げるなんて真似、絶対にしてやらない。



 近寄らせたクライヴのおでこと私のおでこを合わせる。視線はまっすぐ。あなたも逸らさないで。

 一ヶ月も我慢して、今日やっとクライヴが本音を吐き出した。私もおんなじ。もうあなたに我慢ならないの。


「挨拶は返す。挨拶して無視されたら、あなたも嫌じゃない?」


 笑いかけて続ける。


「クライヴ、おはよ」

「…………おはよう、シーラ」


 初めて挨拶したと思ったら、クライヴは私を突き放して仕事に出掛けていった。「いってらっしゃい」とかけた声に何かが返ってくることはなかった。



 家主のいなくなった家で、ふう、と胸に手を当てる。

 過去の私よ、ごめんなさい。やっぱり大人しくできなかった。でも、後悔はしてない。公爵家相手だからっておとなしく結婚したけど、ようやく言いたいことが言えたから。


 あー、スッキリした!

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