表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
統一

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

83/653

影響力の

私(村上義清)「上野の情勢が……芳しくないそうな。」


 上野の国は関東管領山内上杉憲政が治める地域。


私(村上義清)「何か情報は入っているか?」


 上野の国は真田幸隆が一時亡命していた場所。


真田幸隆「……そうですね……。河越の敗戦の影響が大きいのではありますが、北条(氏康)がすぐに兵を動かすことが出来る状況にはありませんでした。」

私(村上義清)「地震があったからな。」


 1549年関東地方で大地震が発生。対応が後手に回ったこともあり北条領内では農民が集団で村と田畑を放棄逃亡する事態に発展。これに対し氏康は伊豆から武蔵南部に徳政令を出すと共に農民に対し「直訴」する権利を与え沈静化。この中間を通さない直訴権が、中間搾取層の権限縮小並びに排除に繋がり、偶然の産物として北条による支配権の強化に繋がったのでありました。


私(村上義清)「……うちもやろうかな。」

真田幸隆「上杉と武田の窓口になっているのが誰であるのかをお忘れではありませんか?」

私(村上義清)「……続けよ。」

真田幸隆「はい。北条氏康は自領の強化に励むことと並行しまして武蔵北部へと進出。代々山内上杉に仕えていました忍城の成田長泰を皮切りに同じく累代の家臣であります北多摩入間の三田が帰順。更には秩父の藤田や南多摩の大石は北条から養子を迎え降伏。憲政は武蔵における権益の全てを失い、上野に押し込められる形となっています。」

私(村上義清)「その上野においても……。」

真田幸隆「はい。伊勢崎や舘林の勢力が北条側に。現在、上野の内、利根川より東の地域は抗争の真っ只中にあります。」

私(村上義清)「西側は。」

真田幸隆「長野業正が睨みを利かせていますので今のところ落ち着いてはおりますが、なにぶん小田井原の時、憲政の命を無視し信濃へ越境しなかったことを思いますと……。」

私(村上義清)「いつ(北条に)転んでも不思議なことでは無い。」

真田幸隆「まず自分が生き残ることが第一でありますからね。」

私(村上義清)「憲政が(長尾景虎に)会わせようとしたことも何か関係があるのかもしれないな……。」

真田幸隆「長尾景虎の上洛も。」

私(村上義清)「親父の時は越後に攻め入っていたんだけどな……。」


 山内上杉憲政の父憲房は、越後守護である養父で越後守護の顕定と対立する越後守護代長尾為景を討つべく出陣した経歴を持つ。因みに越後守護代長尾為景の子供が長尾景虎。


私(村上義清)「歴史的和解。」

真田幸隆「正しくは『背に腹は代えられぬ。』でしょうか。うちも似たようなものですよ。」

私(村上義清)「確かに……。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ