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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
甲斐の虎

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接収

私(村上義清)「とにかく接収が面倒くさい。」


 接収とは国家などが所有物を取り上げること。


私(村上義清)「海野平の時、申し訳ないことをしたと思っているけど、お前(真田幸隆)らを破ってここ(尼ヶ淵など海野領)に入ったあと、すんなり自分(村上義清)のものになるわけではないじゃないか。」

真田幸隆「まあそうですね。」

私(村上義清)「領民がたとえ『これまで治めていたものが居なくなりましたから即従いますよ。』とはならないし、ましてや領主が残っているところもある。こちらとしても出来ればこれ以上被害を増やしたくはないし、敵対した側の領民を利用して収入も増やしたい。」

真田幸隆「はい。」

私(村上義清)「そこかどうすればうまく統治することが出来るのか調整に調整を積み重ねていく。この作業って結構面倒くさいことなんだよね。幸い海野についてはお前の弟(矢沢頼綱)など従ってくれるものが多かったから良かったものの、『山内上杉に』の志賀に関しては……。」

真田幸隆「今、志賀からうちに来たものと袂を別ったものが住んでいます。」

私(村上義清)「加えて敵対する武田の家臣が領主として健在なところに『和睦で決まりましたので明け渡してください。』と言われて素直に聞き入れては……。」

真田幸隆「『晴信の仇』と一戦交えて来ることも……。」


 接収についての揉め事として代表的なものに土佐の国で発生した浦戸一揆があります。これは関ケ原の戦いに敗れた長宗我部盛親が改易されたあと、本拠地浦戸城を接収するために派遣された井伊直政の家臣に対し起こした長宗我部家臣による一揆。最終的には、重臣層が普段は農作業に従事している一領具足を追い出すことにより収まったのでありましたが、その後入城した山内一豊は、重臣層を上士として遇する羽目に遭う一方。一領具足を介入するため郷士の身分を創設。その結果、兵農分離未完了での統治を余儀なくされることになりました。


私(村上義清)「いくさになる危険性を孕み。仮に接収することが出来たとしても残った志賀のものと、うちから志賀に帰還するものとの調整と言う問題も残っている。その原資はどこから出すとなった場合当然……。」

真田幸隆「殿の機密費の中から……。」

私(村上義清)「なんのための領地獲得なのかわからなくなってしまうからな……。要地ではあるから欲しいと言えば欲しい場所ではあるが、今無理してまでとは思わぬ。」


 数日後。和睦履行のため山内上杉憲政は、上野より部隊を派遣。志賀城の接収に乗り出すのでありました。

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