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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
同盟崩壊

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役割

真田幸隆「武蔵東部への進出を控えたい理由は他にもあります。それは我らに課せられている役割であります。」

私(村上義清)「輝虎の名代か?」

真田幸隆「はい。輝虎が将軍様より与えられた関東での役割は関東管領であります。関東管領の範囲となりますと関八州に甲斐が対象となりますが、実質影響力を及ぼしていたのは上野に武蔵。相模と伊豆の4ヶ国。今の(関東における)上杉と北条の勢力圏になります。

 しかし輝虎が関東に入って以来、兵を動かした場所を見ますと拠点の上野を除きますと下野に下総。そして常陸であります。一部武蔵に入った事もありますが、目的は通過のためでしかありません。やっている事は関東管領と言うよりは関東公方の立ち振る舞いをしていたと言われても仕方ありません。

 それらの国へ出兵しなければならなくなった要因は何でしょうか?そうです。氏康の進出であります。問題の根は、将軍様から輝虎に課せられた本来の役目。北条征伐であります。小田原城へ迫った最初の遠征が輝虎本来の姿で無ければなりません。

 冬。悲鳴を上げた所に兵を動かしただけで春には引き上げる。それを繰り返した結果、上野の権益を維持するのがやっと。その上野においても頼りにしていた喜多条に見限られる始末。北条が弱いわけではありませんし、城も頑強に造られています。そう簡単に倒す事は出来ませんが駿河攻略の一環として牽制のため、関東に入った義信に蹂躙されてしまいました。小田原が堅固で無かったらどうなっていたかわからなかった北条の姿を見ますと……。輝虎が本気になっていたら武蔵から北条を追い出す事が出来たのかもしれません。その時、鉢形に氏邦は居ませんし、滝山は築城前でありました。

 仮に我らが川を下る選択肢を採用した場合、下野に常陸。そして下総の国人は間違いなく我らとの共闘を持ち掛けて来る事になります。その中には、武蔵岩付城城主であった太田資正も居ます。彼らと協力して北条に勝利を収める事が出来たとしましょう。そうなった場合、そこで得られた成果は誰のものになるでしょうか?協力した者共の権益を奪う事は当然出来ませんし、武蔵東部につきましても太田資正に返さなければならなくなります。我らの役割はあくまで関東管領の名代でしかありませんので。

 関東において、我らが成果を手に入れる事が出来る場所は北条の権益として定着している武蔵中西部と相模。そして伊豆しかありません。しかし今の力では実現困難であります。力を蓄える必要があります。そのために……。」

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