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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
甲斐の虎

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地盤無し。40代無職の男性

私(村上義清)「そんな時現れたのが山本勘助だった。と言うことか……。」

真田幸隆「はい。武田晴信の意を汲んだ板垣信方は駿河で仕官先を探していた勘助を見つけ、晴信に勧めるのでありました。」

私(村上義清)「そなたと同じ流れで。と言うことかな。」

真田幸隆「近いですね。」

私(村上義清)「(……勘助も欲しかったな……。)勘助は今川で仕官先を探していたんだよな。」

真田幸隆「えぇ。」

私(村上義清)「なんで今川は彼を放置していたんだ。」


 山本勘助は三河の国牛窪を領していた牧野氏の家臣である大林氏の養子となるも20代で出奔。


私(村上義清)「何があったんだ?」

真田幸隆「詳しくはわかりませんが、勘助の上司である牧野が戸田や松平。更には今川との係争に巻き込まれ、滅亡の危機に瀕していた時期と出奔した時期が重なりますので……。」

私(村上義清)「それもお前と似たような……。」

真田幸隆「原因を作ったのは殿ですよ。」

私(村上義清)「……そうだったな。」


 その後、関東や中国四国九州を遍歴しながら兵法から城取り。更には陣取りを極めていく山本勘助。


私(村上義清)「中国地方で城取りを学んだとなると……。」

真田幸隆「えぇなんでもありですよ。彼は。」


 毛利元就や宇喜多直家を想像してみましょう。

 10年の時を経て生まれ故郷の駿河に戻った山本勘助は、今川家重臣朝比奈信置を通じ今川家当主義元への仕官を試みるのでありましたが……。


真田幸隆「地盤を持たない40代男性を雇ってくれるところはなかなか……。」

私(村上義清)「……そうなんだよね……。」


 戦国時代の当時は人間50年の時代。


真田幸隆「加えて彼は諸国遍歴中に傷を負い、隻眼で足も不自由。」

私(村上義清)「義元からすれば『何のためにお前を!?』と言うところかな……。」


 そんな冷たい態度に終始する義元に対し、勘助は10年近い年月仕官を求め続けることになります。


私(村上義清)「生活することは出来たんだね。」

真田幸隆「義元の重臣。雪斎和尚の義理の甥の家に身を寄せることが出来ていましたので。」

私(村上義清)「雪斎和尚に通じるところで生活することが出来ているにもかかわらず、今川の家臣になることが出来ない……。」

真田幸隆「義元に対して思うところは多いと思われますよ。彼は……。」

私(村上義清)「今の勘助だったら当然採用していたと思うけれども、当時のだったら……。」

真田幸隆「殿ならどうされていました。」

私(村上義清)「うちは常に人手不足。」

真田幸隆「そんな彼に目を付けたのが板垣信方。たぶんでありますが、雪斎や朝比奈からの紹介もあったと思われます。」

私(村上義清)「武田と今川が同盟関係にあったことも手伝ったのかな……。ところでお前は?」

真田幸隆「私はその勘助を通じて。であります。」

私(村上義清)「……そうか……。」


 板垣信方の推挙により、山本勘助は武田晴信との対面を果たすのでありました。

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