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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
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城に残った者は……

私(村上義清)「城に踏み止まった者は今どうしている?」


 城が落ちた際、生き残った者の内逃げる事が出来なかった者は、勝利した側の捕虜となり功績のあった者への褒美として分配。これを元手に市が開かれ、売り払う事より報酬を得る事が頻繁に行われていました。ただ売り払うと言っても買い取るのは捕虜となった者の親族がほとんど。城で働く者は基本。その地域の有力者である場合が多く、それなりの蓄えもある家。今後の統治を考えても必要な方々であるため、法外な値段を吹っ掛けるような事はしないのが一般的。志賀城の戦いは例外。そんな中、堀川城では……。


春日虎綱「戦闘員非戦闘員の如何に関わらず。家康は彼らを亡き者にした上、城を焼き尽くしました。」

私(村上義清)「要塞として使うには便利な場所だろ?」

春日虎綱「要塞につきましては、弱点がわかっていますからね……。それにあの城を有効活用するのに必要不可欠な水軍を家康は持っていません。実際、舟を使って脱出に成功した者が居ます。彼らを追い掛ける術を家康は持っていません。

 立地につきましては、気賀は三河と遠江を結ぶ上で重要な場所であります。ただこれまでと異なる点が1つあります。それは気賀を狙う勢力が何処から来るのか?であります。義元の時代は必要ありませんでした。いくさとなる舞台は、遠く離れた尾三国境でありましたので。その義元が斃れ。家康の東進に対応するために築かれたのが堀川城であります。気賀は今、家康が掌握しつつある状況にあります。

 では今後、気賀の町を狙う勢力があるとすれば何処になりますでしょうか?そしてその勢力は何処から迫って来る事になりますでしょうか?答えは2つあります。

 1つは我らが抑えています井伊谷。ただうちと家康は同盟を結んでいますので、正確には今川領であります奥山の南下に備える事。これが1つであります。

 そしてもう1つが二俣城。東からであります。武田も我ら同様家康と盟約の関係にあります。しかしそれは偽りの同盟であります。武田が守っているのは今川であります。その証拠に二俣城から南は本来。家康の領土とする事が約束された場所であります。そこを今、武田は実効支配しています。もし武田が川を渡り、気賀の町を抑えたら、徳川は三河と遠江で分断される事になります。そのためにも抑えとなる場所が必要になります。その時、堀川城は役に立つのか?……なりません。何故なら堀川城は気賀の西に位置して居ます。加えてこの城を使いこなすには舟が必要であります。しかし家康には舟を使う術を有していません。もしそこに北条(今川)の水軍が今切から北上し、堀川城を占拠したら……。

 それを避けるためにも二度と使う事が出来ないよう、家康は火を掛けたのであります。」

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