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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
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帰国

 大井川までのはずが天竜川で足止めを喰らったばかりか、本国三河と遠江を繋ぐ要衝気賀の民が反旗を翻すなど思い描いた構想とは異なる事態に陥った徳川家康。とは言え家康が抑えた気賀を除く天竜川以西は落ち着きを取り戻し、約束とは違うとは言え武田義信とは表向き同盟関係にある。北はこれも同じく同盟関係にある村上義清。反旗を翻したとは言え、気賀の民は堀川城から出て来る様子は見られない。一度態勢を整えるべく岡崎に戻る事を決めた徳川家康。

 浜名湖の南岸を通った方が無難な情勢下にありますが、70年前に遭った地震により海を渡らなければならなくなった事。加えて家康は自前の水軍を持っていない。主従関係を結んでから日が浅い事もあり、遠江の民に委ねる事は出来ない。唯一操船する術を持っている戸田氏に至っては幼少期の苦い記憶が蘇る事になる。故に陸路。気賀を通る事にした徳川家康だったのでありましたが……。


春日虎綱「井伊谷が騒ぎになっております……。」

私(村上義清)「何があったのだ?」

春日虎綱「家康が岡崎に戻ったのでありますが。」

私(村上義清)「それは聞いておる。」

春日虎綱「今回家康は帰国するにあたり、陸路を採用しました。」

私(村上義清)「『誰も信用出来ないから。』と言っていたらしいな。」

春日虎綱「はい。そうなりますと堀川城並びに宝渚寺を通らなければならなくなります。特に宝渚寺は街道筋にありますので、それ相応の規模。もし攻められた場合にでも対応する事が出来るよう家康も備えをした上で押し渡り、無事通過する事が出来たのでありましたが……。」

私(村上義清)「それなら別に騒ぐような事もあるまい。」

春日虎綱「はい。そこは問題ありません。問題になりましたのは、その前。気賀の町を通った時の事であります。その時、家康は隊を2つに分けていました。1つは先頭を進む17騎ばかりの小隊。そしてもう1つは200名程の部隊でありました。当然、200名の部隊に家康も居ると考えるのが自然な事かと思われます。」

私(村上義清)「そうだよな。先頭の17騎は物見も兼ね、もし何か遭った場合はすぐに大隊と合流する手筈を取ることになるわな。」

春日虎綱「そうなのでありますが、実はその先頭の17騎の中に……家康が居たそうであります。気賀の民が籠っている堀川城は気賀の町から目と鼻の先の距離にあります。いつでも打って出る事が可能であります。気賀の町は今。人が居ません。居ませんが町はそのまま残っています。何処にでも隠れる事が出来る状況にあります。幸い堀川城の者共が200名の中に家康が居ると思ったため何事も無く通る事が出来ましたが、一歩間違えれば大惨事に発展していた可能性があったとの事であります。」

私(村上義清)「豪胆だな。」

春日虎綱「いえ。完全なる勘違いだそうであります。気賀の町は今、井伊谷に居る連中が抑えていると思い込んでいたそうであります。」

私(村上義清)「ん!?と言う事は……。」

春日虎綱「うちが取っても良かったのかもしれませんね。もう出来ませんが。」


 残念。

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