表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
戦線拡大

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

372/653

氏寺

春日虎綱「井伊谷の者と話していましたところ、立て籠もりの原因はたぶんこれでは無いか?と言う事がわかりました。」

私(村上義清)「申してみよ。」

春日虎綱「はい。気賀の民を堀川城へ避難させた上。家康に抵抗するよう働き掛けたのは、今川であります。」

私(村上義清)「氏真か?」

春日虎綱「いえ。氏真ではありません。」

私(村上義清)「どう言う事だ?」

春日虎綱「正しくは氏真が掛川まで後退してしまった事が要因であります。」

私(村上義清)「氏真の保護があって初めて、成り立っていた者たち?」

春日虎綱「はい。」

私(村上義清)「いったい誰なんだ?」

春日虎綱「宝渚寺であります。」


 宝渚寺は今の浜松市北区細江町気賀にあるお寺で宗派は……。


春日虎綱「臨済宗であります。」


 臨済宗は鎌倉時代。栄西が日本に伝えた宗派で、大陸との行き来を通じ獲得した大量の銅銭で以て蓄えた経済力を背景に、時の政権北条氏並びに将軍足利氏と結託。鎌倉や京を始め、全国に波及していった一大勢力。その影響力は遠江にも。その要因となったのが……。


春日虎綱「今川の氏寺は臨済宗であります。」


 駿河今川氏4代範政の時代に今の静岡県富士市にある臨済宗の善得寺を氏寺に指定。以後、発展を遂げたのでありました。


私(村上義清)「それだけの力があるのであれば、金持ち喧嘩せずで構えて居れば良いのでは無いのか?」

春日虎綱「駿河はそれでも良いと思うのでありますが、遠江は事情が異なりまして……。」


 遠江において臨済宗が発展したのは、遠江における今川支配が安定した義元の代になってから。


春日虎綱「まだ20年ぐらいしか経過していません。」

私(村上義清)「安定しているわけでは無い?」

春日虎綱「気賀の民が皆、堀川城に避難。抵抗を試みている事を見ますと、安定はしていると思います。ただ気賀は義元以来。いくさが無い場所でありました。何かあったら今川が守ってくれる。そもそもその心配も無い。何故なら戦場は遠く離れた尾三国境なのだから。と有事の際の備えも出来ていないのが実情では無かったかと思われます。そこに来ての家康の侵入並びに氏真の後退。そして武田の進出。加えて、気賀は交通の結節点。富の集積する場所であります。」

私(村上義清)「それに……家康だしな。」

春日虎綱「従って来ました国人の権益を奪うわけにはいきませんし、敵対した者を打ち破るためには国人の協力を得なければなりません。当然、成果に応じ分配しなければなりません。労役の割に得る物は少ない。効率的に自分の物にする事が出来る場所は無いか?で狙ったのが、一向宗でしたからね……。」

私(村上義清)「自分の筆頭家老に改宗を迫ってまで突撃したからな。あいつは……。そんな奴が何を言っても信用出来ないか……。」

春日虎綱「仰せの通りであります。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ