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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
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改姓

 足利義秋が上洛を目指し、朝倉義景。更には上杉輝虎に働き掛けを行っていた丁度その頃。上杉にも動きが。それは……。


真田幸隆「申し上げます。北条高広が喜多条高広に改姓しました。」

私(村上義清)「何だその悪い地名を覆い隠すような文字の羅列は?別に『北』が不吉な文字では無いだろうに。」


 戦国時代で探すと水に左右され易い場所に立地している事を表す「浮田」に由来を持つ「宇喜多」。現在の日本で探しますと、新しい造成地などでよく見ることが出来るかと思われます。


真田幸隆「『北条』と言う文字が彼(高広)にとって不吉な文字であった事は確かかもしれません。殿も御存知の事かと思われますが、喜多条高広が上杉輝虎のもとを離れ、北条氏康の軍門に降りました。」


 喜多条高広が厩橋城に転籍になってから3年。北条氏康の手は武蔵から下総。更には喜多条高広の居る上野にも手が及び、頼みの綱とも言える東上野南部の由良成繁も北条方に転進。西からは武田義信が迫る中、孤軍奮闘の戦いが続いていたのでありましたが……。


私(村上義清)「まぁ気持ちはわからないでも無いな……。」

真田幸隆「はい。」

私(村上義清)「その間、輝虎はどうしていた?」

真田幸隆「はい。輝虎は関東各地からの要請に応じ常陸や下総。下野に勿論上野にも兵を出し、その都度戦果を収めていたのでありましたが如何せん彼が関東に常駐する事が出来ない事情。会津からの侵入や越後国内における家臣の造反。更には一向一揆への対応。これは主に越前の朝倉義景からの要請であります。これらの事もあり、彼が関東を去った瞬間に北条氏康の巻き返される情勢が繰り返されていました。」

私(村上義清)「輝虎が関東に居続けることが出来ない事情を作り出していたのは?」

真田幸隆「はい。武田義信の働き掛けあっての事であります。」

私(村上義清)「うちが勢力を拡大する事が出来ないのも?」

真田幸隆「いえ。それは全て殿の力量不足に由来します。むしろ殿の命があるのは我ら家臣一同が義信の誘いに乗らなかったからであります。」

私(村上義清)「……そう……。」

真田幸隆「ただ高広の一件の切っ掛けを作ったのは義秋様でありまして……。」

私(村上義清)「何があった?」

真田幸隆「はい。輝虎が安房里見氏の要請を受け、下総に出兵中。義秋様から例の文。『私を担いで京へ上るのだ!』が届きまして、輝虎は越後に戻るため兵を退いてしまいました。これが関東の上杉方の失望を招き、北条方に転じる者が続出する事態に発展してしまいました。」

私(村上義清)「『あいつ(輝虎)は上ばかり見ていているだけで、俺ら(関東の上杉方)の事なんか何も考えていないんだ。』」

真田幸隆「殿も気を付けてくださいね。」

私(村上義清)「わかった。」

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