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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
南進

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氏真の対外政策

真田幸隆「加えてどうやら氏真には父の仇を討つ気が無いように思います。」

私(村上義清)「それどころではないだろう。」


 父義元の急死に、家康の独立に端を発した三河国人の離脱。そこに村上義清が介入。


真田幸隆「確かにそうなのではありますが、義元の死から既に3年が経過しています。その間氏真は何をしていましたか?本気で家康を倒そうと考えていたのでありましたら、あんな簡単に駿府に戻ったりなどしないでしょう。駿河と遠江は国内的にも対外的(周辺は同盟国の武田と北条)にも安定しているのでありますから。もし彼が対家康最前線となる長沢もしくは吉田に留まっていましたら奥三河の衆が動揺することはありませんでした。当然我らに出る幕などありませんでした。その家康にしましても離脱を正式に表明し、行動に移すまでに1年近い時間がありました。その間氏真は何をしていましたか?『駿河に戻って来い。』の一言だけだったのではありませぬか。氏真自らが即座に弔い合戦の兵を挙げていたら家康が信長の誘いに乗ることは無かったでしょう。」

私(村上義清)「家康が岡崎を離れなかった理由は?」

真田幸隆「(刈谷市の)重原が織田方の手に落ちています。そこから岡崎まではそれ程離れているわけではありません。既に今川の兵が撤退し、空き城同然となっていた岡崎を家康は退去することが出来たでしょうか?その時家康にはまだ信長からの誘いはありません。」

私(村上義清)「……そうだな。氏真から『岡崎は棄てよ。』と言われているのと同じなのか……。俺も気をつけるよ。」

真田幸隆「今後、氏真は領土を拡大する意志を持っているとは思えません。本貫地の駿河と遠江の維持に励みながら、あわよくば三河も。ぐらいに考えていると思われます。ただ少なくとも家康とのいくさは続きます。いくさが発生すれば活躍したものに褒美を与えなければなりません。しかしその原資となる土地を外に求めることは出来ません。当然であります。勢力拡大のためのいくさではありませんので。だからと言いまして駿河と遠江の土地にも限りがあります。感状とか刀とか名前を与えるなど方法はありますが、皆が欲しているのは土地であります。そのために氏真が自らの土地を供出するとは思えませぬ。」

私(村上義清)「国人を守る義務がある以上、直轄地を減らすわけにはいかないからな……。」

真田幸隆「ではどこから褒美の土地を捻出することになるのでしょうか?」

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