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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
南進

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国人統治の成功例

 今川氏真の父義元は三河へ進出した際苦労したのが国人領主の扱い。義元は基本。従った国人の権益を認める方針であったため、義元進出以前に係争していた案件が解決されなかったことに不満を覚えた国人の叛乱に悩まされ、自らが三河に入らざるを得ない状況に追い込まれた今川義元。入った三河の国人の不満を解消し、かつ彼らの収入を増やすべく遠征した尾張で敢え無い最期を遂げたのでありました。


真田幸隆「その三河の中で、最も統治がうまくいった場所がありました。どこであったと思います?」

私(村上義清)「吉田や長沢か?」

真田幸隆「確かにそうであります。ありますがそれらは今川の直轄地であります。ここでは家臣団が残った場所の中で、その家臣団を最も効果的に活用することが出来た場所であります。」

私(村上義清)「……そうなると岡崎か?」


 家康の父広忠死去に揺れる岡崎松平。跡取りたる竹千代(家康)は尾張に居たため当主不在。この時義元が採った行動。それは岡崎城の接収。


真田幸隆「岡崎城に朝比奈泰能を容れ、岡崎松平の家臣はその傘下に収められました。」

私(村上義清)「その後、彼ら(家康の家臣)はこき使われに使われたのだろ?」

真田幸隆「はい。前方に敵方の織田。後方には督促の今川に挟まれた彼らは、常に最前線での戦いを余儀なくされました。」

私(村上義清)「使い捨て要員だったのだろ?」

真田幸隆「最初はそうであったと思います。ただいくさを積み重ねるにつれ彼らは鍛えられ、今川にとって無くてはならない戦力に成長。のちに織田から取り戻され駿府で育った家康を大いに助けることになりました。」

私(村上義清)「しかし今彼らは氏真に刃を向けているのだろ?」

真田幸隆「確かに。ただそれはあくまで義元が斃れてしまったからであります。その証拠に家康の父広忠が亡くなってから義元が討たれるまでの10年以上。岡崎で問題となった事案はありません。そして今、当主不在の井伊谷も同様であります。」

私(村上義清)「領主を亡き者にし、そこに氏真の息のかかったものを送り込み。残された有力者を使い統治をさせる。面倒くさい事案はその有力者に指示し実行させる。変に自我を持つ人物が居ないほうが良いってことか……。しかしそんなことを続けたら領内から人財が流出してしまわないか?」

真田幸隆「ただ優秀でありましても忠誠心が無いことには意味がありませんので。」

私(村上義清)「……そうだな。」

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