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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
甲斐の虎

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志賀城の誤算

真田幸隆「武田晴信の侵攻に対し、志賀城の城主笠原清繁は籠城を選択しました。」

私(村上義清)「武田との力関係を考えればやむを得ないか……。」

真田幸隆「この危機の報せに動いたのが山内上杉憲政。」

私(村上義清)「河越城で敗れたばかりだよな。」

真田幸隆「確かに河越城で憲政は打撃を受けましたが、本拠地である上野を中心に影響力を保持していました。」

私(村上義清)「援軍を出したと。」

真田幸隆「はい。志賀城からの使者を受け、憲政は西上野の国衆が中心となって兵を編成。碓氷峠を越え、信濃に入って来ました。その数3千。」

私(村上義清)「結構な規模だな。」

真田幸隆「はい。ただその中に西上野をとりまとめていた長野業正の姿はありませんでした。」

私(村上義清)「受領名『信濃守』の業正が居なかったのか。」

真田幸隆「はい。理由はわかりませぬが、河越城での大敗の直後であったことが関係しているかと思われます。」

私(村上義清)「信濃のことなんかに構ってはいられない。」

真田幸隆「いえ。たぶんでありますが、武蔵西部を北条に奪われてしまったことにより、上野が安全な場所では無くなってしまいましたので山内上杉序列2番目の業正を派遣することは出来なかったと思われます。」

私(村上義清)「甲斐政変の時には来たんだけどな……。となると、来る武田とのいくさの時も……。」

真田幸隆「山内上杉からの援軍。仮にあったとしましても長野業正が率いてを期待することは出来ないと思われます。」

私(村上義清)「それにうちは憲政に連なるものとの縁組をしていないから尚更か……。」

真田幸隆「そうなりますね。志賀城の中には笠原清繁と縁戚関係にある山内上杉の家臣高田憲頼親子が入っていましたので、派兵された数も3千もの大軍となりました。」

私(村上義清)「勢いのある北条に対しながら、まだこれだけの兵を出すことが出来るのか。」

真田幸隆「はい。故に笠原清繁は山内上杉陣営に留まった。勿論目付が在城していたのではありましたが。」

私(村上義清)「武田が攻めて寄せて来ることは想定の内にあるから当然、城内には備蓄が為されていた。」

真田幸隆「と思われます。」

私(村上義清)「武田が城攻めに手こずっているところに上野からの兵が襲い掛かる。」

真田幸隆「その連携は可能であったと思われます。」

私(村上義清)「でもうまく行かなかった。」

真田幸隆「はい。城に籠ったのを確認した晴信は、金堀衆を動員し城の水の手を断つことに成功しました。」

私(村上義清)「……水が無いのはきついな。」


 水を一滴も飲まないと人の命は2から5日。


真田幸隆「『渇き』に苦しめられる想定外の事態に陥った志賀城。『武田を攻めさせておいて』などと悠長なことを言ってはいられなくなった城の惨状を受け、上野の援兵は急ぎ碓氷峠を越え信濃へ入るのでありました。」

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