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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
南進

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関わり

私(村上義清)「(家康の父)広忠はなぜそんなことをしたのだ?」

春日虎綱「厳密に言いますと広忠の父清康の時からのようであります。」

私(村上義清)「それ以前はどうだったのだ?」

春日虎綱「はい。清康以前の松平は拠点を安祥に構えていました。」


 松平氏が安祥に拠点を構えていたころ、東三河の今橋城を攻略したのが今川氏親とのちに北条早雲と呼ばれることになる伊勢長氏。彼らは更に兵を進め西三河へと進出。この動きに対応し、今川家を追い払ったのが松平とそれに協力した……。


私(村上義清)「一向宗であった?」

春日虎綱「はい。その一向宗の武を担当していたのが石川氏であります。その石川氏と松平氏との関係が今川撤退後悪化。清康の父信忠は安祥で孤立の憂き目に遭います。これを打開するべく擁立されたのが家康の祖父松平清康。13歳の時であります。」

私(村上義清)「家督を継いだ清康は一向宗及び石川氏とどう対処した?」

春日虎綱「はい。石川氏の影響が大きい安祥からの脱出を図りました。」

私(村上義清)「それが今家康が拠点を構えている岡崎城?」

春日虎綱「はい。」

私(村上義清)「一向宗と石川氏の影響力が及ばない場所を探した結果が岡崎への移転であった……。」

春日虎綱「はい。」

私(村上義清)「となると一向宗に対する政策もつかず離れず……。」

春日虎綱「厳密に言いますと『関わらない』になりますでしょうか。ただ清康には安祥と言う豊かな場所を持っていましたので、ここで得た富を源泉にしまして武力を強化。西三河はもとより東三河。更には尾張へと勢力を拡大させることに成功しました。」


 安祥は今の安城。安城は今も日本のデンマークと呼ばれる農業地帯。


私(村上義清)「一向宗を放置するだけの余裕があった?」

春日虎綱「はい。あと民を始め、清康に協力する勢力並びに清康の家臣の中にも一向宗を信仰するものが多数居ますので彼らへの配慮もあったと思われます。」

私(村上義清)「その方針を広忠も踏襲。」

春日虎綱「そうなります。ただ清康とは異なり、広忠の政権基盤は常に危ういものでありました。」


 広忠の父清康は尾張遠征の際、家臣の勘違いによりわずか25歳で死去。息子の広忠はその時まだ10歳。


私(村上義清)「清康も若いときに跡を継いだだろう?」

春日虎綱「ただその時は清康の祖父長親がまだ元気でしたので。広忠が継いだ時も存命ではありましたが、さすがに齢が齢でありましたので……。」

私(村上義清)「頼みにはならなかった?」

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