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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
甲斐の虎

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和睦の条件

私(村上義清)「しかしよくあれだけバラバラな関東の勢力を憲政はまとめたものだな。」


 これまで関東は古河公方と山内、扇谷の両上杉の三者が対立。その間隙を縫って台頭したのが北条氏。駿河東部を皮切りに、伊豆から相模。そして武蔵へと進出する中、父氏綱が亡くなり跡を継いだのが北条氏康。この機会を逃してはならぬと山内上杉憲政は、これまで対立していた扇谷上杉と和睦。更には氏康の妹を婿に迎えていた古河公方足利晴氏を支援し陣営に引き込むことに成功。北条を武蔵から追い落とすべく挙兵。この動きを見た関東の諸勢力が上杉側に加勢。北条綱成が守る河越城を8万もの大軍で包囲したのでありました。


真田幸隆「山内上杉憲政の動きは関東に留まらず駿河の今川義元とも連携。」

私(村上義清)「氏康は北と西から挟み撃ちにされたのか。ところで今川が参戦した理由は?」

真田幸隆「はい。今川と北条氏康の父氏綱との関係は元々は良好でありました。ところが今川家の当主に義元が収まった際、これまで今川と対立関係にあった武田信虎の娘を正室に迎え同盟を結びます。その武田と敵対関係にあったのが北条氏綱。氏綱は当然激怒。駿河へと侵攻し、北条創業の地とも言える富士川以東を占領。」

私(村上義清)「以後も対立が続いていた。」

真田幸隆「はい。それに目を付けた憲政は、今川義元に参戦を打診。義元は承諾し、富士川以東の奪還を目指し挙兵。この動きに加わって来たのが義元の同盟者である甲斐の武田晴信。」

私(村上義清)「相模も狙われる危険性が生じたのか。」

真田幸隆「はい。ただ武田晴信と北条氏康はその前年に和解済み。」

私(村上義清)「その武田と今川は同盟関係。」

真田幸隆「武田との伝手を使い氏康は西の脅威を取り除くべく晴信に仲裁を依頼したのでありました。」

私(村上義清)「今川は応じたのか。」

真田幸隆「はい。ただそれには条件がありました。」

私(村上義清)「まぁそうなるわな。その条件は?」

真田幸隆「奪われた富士川以東の返還でありました。」

私(村上義清)「これを呑まないと……。」

真田幸隆「あくまで今川の協力者として振舞っていた晴信が、本格的に北条攻略へと動くことになります。」

私(村上義清)「表向きは『元の状態に戻しさえすれば良いですよ。』と言いながら。」

真田幸隆「そうなりますね。」

私(村上義清)「きついな。きついけれども『占領した土地だから。』と割り切ることも出来ない訳では無い。」

真田幸隆「氏康はこの条件を受け入れ、西の脅威を取り除くことに成功。一方、武田晴信は甲斐東部の北条並びに南部の今川に対し、それぞれ貸しを作ると共に安全を確保。信濃進出を本格化出来る態勢が整ったのでありました。」

私(村上義清)「……荒れて欲しかったな……。ところで幸隆。」

真田幸隆「なんでしょうか。」

私(村上義清)「私と武田晴信がいくさとなり、仮に。仮の話であるが、こちらの状況が不利となり、晴信と和睦を結ぼうとした場合。条件は何になると思う。」

真田幸隆「それは勿論。殿の首に決まっているでしょう。」


 それを和睦とは言わない。

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