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旅行先で目を覚ましたら村上義清になっていた私。そんな私を支えることになったのがアンチ代表の真田幸隆だった。  作者: 俣彦『短編ぼくのまち』
統一

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縦に

 高遠頼継を降した村上義清。その版図は信濃国東部を南北に貫くまでに拡大したのでありました。ただ……。


私(村上義清)「あまりにも縦に……。そして細く長いんだよね。これが……。」


 今の長野市から千曲川を遡り上田市。そこから152号線を南下し高遠までの100キロを超える一本道。これがチリのように東の全てをアンデス山脈。西の全てが太平洋によって守られているのであれば、まだ良いのではありましたが……。


私(村上義清)「どこからでも分断される(攻め込まれる)恐れがある……。特に注意しなければならないのが。」


 武田と小笠原に挟まれた諏訪地域。しかも……。


私(村上義清)「本拠地が北に偏り過ぎている。……なら諏訪や上田に本拠地を移せば良いのではないか。と思うのかもしれないが……。諏訪(の衆)や幸隆が黙ってはいない。幸いにして武田の子であり諏訪の孫である男子を高遠の養子に迎えることが出来たため、武田との関係を維持することが出来たのは良かったのではあるが……。」


 ただその武田の子を迎え入れたことを面白く思っていない人物が。その人物の名は小笠原長時。小笠原長時は、武田晴信の諏訪西部侵攻以後対立関係に。その後、村上義清が武田晴信を破り、武田家が諏訪を放棄したため平穏を取り戻し、松本平や伊那谷と言った信濃西部に影響力を行使していたのでありましたが、村上義清による高遠侵攻とその高遠に武田の子が養子に入ったことにより、武田と村上が昵懇の仲であることが明るみとなる。これに対し小笠原長時は、抗議の文を村上義清のもとに送りつけるのでありました。


真田幸隆「いよいよですね。」

私(村上義清)「どういうこと?」

真田幸隆「殿が信濃を我が物とするいよいよであります。」

私(村上義清)「小笠原の規模を考えると、そんな簡単にはいかないぞ。」

真田幸隆「奪う気満々でありますね。」

私(村上義清)「……高遠に出た時点で覚悟はしていたけど……。このままにしておけば、いづれ諏訪や高遠に調略の手が伸びて来るであろうからな……。」

真田幸隆「その前に小笠原の家中を骨抜きにすれば宜しいかと。そんなこともあろうかと……。」


 真田幸隆が提示した小笠原家の内応者一覧を眺め。 


私(村上義清)「いつも先回りしてくれていてありがとう。もしかして俺の家中にも……。」

真田幸隆「知らぬが仏と言いますから。」

私(村上義清)「……わかった。しかし相手はここ信濃の守護だろ……。将軍家に認められた。しかも別に争点があるわけでもない(小笠原)長時と戦った場合、国人の理解を得ることが出来るのだろうか……。」

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