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黒竜の騎士  作者: 宍戸 浩
第一章 魔女の花
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6.二度目の人生は



初夏を思わせる爽やかな風が、カーテンを揺らして通り抜けていく。

窓の外から、小鳥のさえずりが聞こえた。

書斎の机に向かっていたマティオンは、いまだに慣れない書類仕事で酷使した目頭を軽く押さえた。

コンコン。

控えめなノックの音に、マティオンは扉に目線をやらずに「入れ」とだけ告げる。


「失礼します、父上。」

ひょっこりとその美しい顔を出したのは、一月後で七の歳になる息子のカーレインだった。

「おや、カール。」

同い年の子と比べても頭一つ半高い我が子は、大きめの銀のお盆を抱えていた。

その上には、ティーカップとソーサー、そしてティーポットが載っている。

書斎に設置されたテーブルの上に、それを危なげなく置くとカーレインは父親を上目遣いがちに見上げた。

「ちょっとだけ休憩されませんか、父上。」

母親譲りのアメジストの瞳に、マティオンは笑って頷いた。

「丁度休憩を挟もうと思っていたんだ。」

カーレインがカップに茶を注ぐと、それに合わせて美しい絹のような黒髪が揺れる。

テーブルの近くのソファに腰をおろしたマティオンは、それを見つめていた。


「父上、どうぞ。」

なぜか、一緒に差し出された銀の匙にマティオンは首をひねった。

砂糖が準備されている気配はないし、第一マティオンは砂糖をいれることを好まない。


「毒の有無の確認用の匙です。」

マティオンの心を読んだかのように、カーレインが口を開いた。

「…」

あまりの驚きに、マティオンは声が出なかった。

カーレインは、よく子供に見えない行動をする。


 と、いうよりは、可愛げがない。

美少女もかくやという可愛い顔をしているくせに、だ。

この年なら微笑ましく受け取れる我儘の一つも言わないし、父親や母親にベッタリと甘えることもしない。

だが、ひねくれているのかというと、それとも違う。

なんというか、分別がつきすぎているという表現が一番的確だろう。

言葉を話し始めたときから使用人にも丁寧な言葉を使い、癇癪を起こしたことなどない。

来客があれば、由緒あるドレクニオール公爵家の嫡男としてそれはそれは立派な、子供とは到底思えない振る舞いで迎え、客たちを驚かせることもままあった。

 また、勉学も怠ったところを見たことがない。

ひたすら黙々と打ち込んでいるのである。

彼が産まれて二、三年はその能力の高さに毎度毎度、度肝を抜かれていたが、最近では『黒竜の子』とはこんなものだとマティオンは割り切るようになった。

そうでもしなければ心臓が持たない。


 だが、反面意外に可愛いところがある。

彼はそれほど親しくない人間から褒められても、笑顔を絶やさずお礼を言うだけにとどまるが、身内、つまりドレクニオール公爵家の者が褒めると少し恥ずかしそうに、はにかむのだ。

その表情の破壊力といったら。

はじめてそれを見たとき、『鬼の統帥』たるマティオンは、奇声を発して固まった。

その後、謙虚なカーレインのその顔を目撃した使用人たちは輪をかけてカーレインを溺愛するようになる。

勿論、両親が超がつく親バカなのは語るに落ちず。

だが、いくら慣れたと言っても、カーレインの行動にびっくりさせられるのに変わりはない。


「父上?」

固まったマティオンに、カーレインは小首を傾げた。

「…ああ、ありがとう。」

カップから、立ち上るふわりと爽やかな香り。

「これは…」

「疲労にきくハーブティーです。最近父上がお疲れのようだったので。」

カーレインの気遣いには、毎回感心させれられる。

「空気が読めない」と親友たちからからかわれるマティオンは、ときどきカーレインが自分の子とは思えないことがあった。


 軽いノックの音に、マティオンがカーレインの時と同じように対応すると、妻のアリーヤが現れた。

「お父様は気に入ってくれた?カール。」

「母上!」

ふふ、とアリーヤはにこやかに、マティオンの隣に座った。

「この子、あなたが最近疲れてるのを見て、なにかしたいって頑張ったのよ。」

「それはそれは。ありがとう、カール。」

マティオンが両手で、ぐしゃぐしゃと髪を乱暴に撫でると、カーレインは嬉しそうにはにかんだ。

その笑みは、年相応のものでマティオンはほっと安心する。


カーレインの顔立ちは、現皇帝の妹で母親であるアリーヤ譲りだ。

皇族の証である大きな紫水晶を縁取る長い睫に、陶器のような滑らかな肌。

一見髪を短くした美少女にも見えるが、背丈は父の遺伝を受け継いでかかなり高い。

この気品あふれる、天使の生まれ変わりか、と疑うほどの美形ぶりも、ドレクニオール公爵家一同のカーレインへの溺愛ぶりに拍車をかけていた。

美しい妻と可愛い息子が仲良くお茶をしているのを、頬を緩めて眺めていたマティオンに、「そういえば」とアリーヤが切り出した。

「この子、歴史学も終わらせちゃったんだけど、次は何を学ばせようかしら。」

おっとりとしたアリーヤの口調と反対に、マティオンは口にいれたハーブティーを吹き出しそうになった。

「…終わったのか、あれを?」

カーレインがこくりと頷く。

カーレインは勉学においても所謂天才だった。

生後わずか数ヶ月で言葉を話し、二の歳で文字を書き、三の歳から始めた基本となる貴族教育は五の歳までに完璧にやりきった。

ちなみに、貴族教育は普通六か七の歳から始め、十四の歳で修学するものがほとんどである。

それに飽きたらず、カーレインは経済学と政治学を修め、その後に歴史学に手を出したのだ。


「算術を発展させた学問なども面白そうですし、生物学なども後学には良いと。どれにするか悩んでいるところです。」

「そ、そうか。」

優雅に目の前に座る息子を見て、マティオンはもうなにも言えなかった。

「因みに、カールは今のところ何ヵ国語を話せるんだ?」

「六ですかねぇ。今はインジュールの言葉を習っていますが。あそこはエルギアの属国のなかでも比較的交易が盛んな国ですから、覚えていたら役に立ちそうですし。」

にこにこと笑うカーレインに、勉強嫌いだったマティオンは脱力感を覚えた。

(これが『黒竜の子』なのか。)

「カールは優秀すぎるから先生も困っていたわ。飲み込みの早さが驚異的で教材の準備が追いつかないって。」

アリーヤがほわほわと笑う。

 そのとき、また扉をノックする音がした。

「皇帝陛下からお手紙でございます。」

トレヴァーから白い上質の封筒を受け取ったマティオンは、中身を見てカーレインに視線を向ける。

「どうされました、父上?」

こてんと可愛らしく首をひねったらカーレインに、マティオンはふっと目元を緩めた。

「皇帝陛下が、お前に久々に会いたがっている。」

「いつですか?」

「三日後だ。」




 宮殿に着くと、すぐに二人はすぐに庭園の一角にある豪勢な東屋に通された。

謁見の間でないのは、マティオンと皇帝が気の置けない仲であるからだ。

生まれてから数え切れないほど、カーレインはこの宮殿に招待されてきた。

私的にも、公的にも。

最初の頃は、イザベラが苦しんでいた場所であるだけに躊躇はあった。

しかし、あの頃漂っていた重苦しい雰囲気は今は感じられない。

「久しいな、マット、カール。」

愛称を呼びながら、気さくに手を振るのは現エルギア帝国皇帝シルヴェニアス。

腰まで伸びた金色の見事な髪をきっちりと結わえ、紫色の瞳が麗しい。

隣でにこりと微笑んだのは、現エルギア帝国皇后妃エレオノーラ。

空色の瞳に、亜麻色の髪をした清純な美女である。

現在その腹には、小さな命が宿っている。

前世では決して許すことができなかった男の命が。

「お久しぶりでございます。我がエルギアの太陽にあれませる皇帝へい…」

「ちょっと待ったカール!そういう堅苦しいのはなしにしよう。」

挨拶をぶったぎって、シルヴェニアスがカーレインに声をかけた。

「いえ、しかし、皇帝陛下は我が国の…」

「今日は公の場ではないのだよ?私は今、君の伯父でしかないのだから。いい加減慣れてほしいな。」

「甥っ子がかわいくて仕方ないんだこいつは。ほら、カール。」

マティオンの催促で、カーレインは少し抵抗を覚えながらも声を発した。

「お久しぶりです。シルヴィー伯父様。」

満点、とにこにこしながらシルヴェニアスは手で丸を作った。

「あいも変わらず、カールはとても優秀らしいじゃないか。王宮の学者たちが『エルギア開闢以来の鬼才』とまで評価していたぞ。」

「ありがとうございます。でもまだまだです。」

嬉しそうに礼を言うカーレインに、シルヴェニアスは目尻を下げた。

「謙虚で真面目。一体誰に似たんだか。」

シルヴェニアスが意地の悪い笑みをマティオンに向ける。シルヴェニアスと幼馴染みのマティオンは学生時代に何度か座学の講座を抜け出して街に繰り出していた。

ちなみに、抜け出そうと誘っていたのはいつもマティオンのほうだ。

そうしてもう一人の幼馴染みである、エルバート公爵家のジモンに説教されるまでが必ずワンセットだった。

当時のことを思い出して、マティオンは微妙にバツが悪い顔をした。

「優秀すぎてほんとに俺の子か、ときどき疑いたくなる。あ、言わずもがなアリーヤを疑う不実な真似はせんぞ。神に誓ってな。」

言っていることは無茶苦茶に矛盾しているが、本人は至って真面目だ。彼は息子同様に溺愛している妻のことになると少々では無いほどおかしくなる。

「お前のアリーヤへの愛を疑ってはおらんよ。もしそんなことをすれば、世の中の愛全てを疑うことになる。」

シルヴェニアスは、苦笑して頭を振った。


 「ところで今日は来月に迫ったカールの誕生日のことで、宮殿に招いたんだよ。」

紅茶のカップをソーサーに戻すとシルヴェニアスは視線を合わせてきた。

「覚えていらしたのですね。」

「当たり前だ。可愛い甥っ子の誕生日だからな。」

シルヴェニアスがいたずらっぽく笑う。

「何がいい?実はカールの誕生日の茶会は生憎、重要な公務と重なっていて顔を出せないんだ。エレオノーラも身重の身だから、宮殿の外へは行けないし。だから、贈り物を直接届けようと思ってね。」

「そうですね…」

しばらく黙考した後、カーレインは恐る恐る口を開いた。

「宮殿の書庫にある禁書エリアへの出入り許可が欲しいです。」

「ほう。」

シルヴェニアスの顔つきが一瞬で帝国に君臨する皇帝のそれになる。

禁書は、帝国の極秘事項が記載されているごく限られた人間しか見ることのできない書物のことだ。

「それは、単純な興味から?」

カーレインは頭を振った。

「『黒竜の子』について知らねばならないと思ったからです。私は自分のことについてまだ何も知りません。この国の筆頭公爵家の嫡男としてこの世に生を受けた以上は、無知でありたくないのです。」


興味からではない、使命感からだ。

勉学の方はイザベラの従者に相応しい人物になるための、凄まじい演習が実を結んだ恩恵であるが、自身の人間離れした身体能力や、髪の色は生まれ持ったそれであって、後天的なものではない。

『黒竜の子』の起源はこの国の開闢まで遡る。

ドレクニオール公爵家の家録にも一応の記載がありはするが、王家の所有する情報量には遠く及ばないのだ。


 アメジストの瞳がふっと緩められた。

場を支配していた重圧感が消えていく。

「カールはいつも真っ直ぐだね。正直な話、君が自分を律して勉学に打ち込む姿に、時々修行僧を見るよ。」

凪いだ海のように穏やかな笑顔を浮かべると、シルヴェニアスは頷いた。

「可愛いカールの誕生日の贈り物には、相応しいかもね。わかった、禁書エリアへの許可書をあげよう。」

ただし、持ち出しは禁止だよ。

優しげに紡がれた言葉は、皇帝としては決して見せない色が含まれていた。

「ありがとうございます!」

そんなカーレインに、エレオノーラは申し訳なさげに眉を下げる。

「ごめんなさいね、カール。誕生日を直接祝ってあげられなくて。」

「御子がお生まれになるのです。皇后陛下は、ご自分の身体を大切になさって下さい。」

「いい子ね、カール。」

ふんわりと笑うエレオノーラに思わずほほえみ返す。

そうしてそっと声をかけた。

「御子は近いうちにお生まれになるのですよね。」

「ええ、もうすぐよ。カールの誕生日とどっちが早いかしら。」

「外にでていらして大丈夫何ですか。」

「あら、心配してくれてるのね。お医者さんは少しくらいならと言ってらしたわ。」

「そうですか。それなら良かった。」

エレオノーラはカーレインの頭にそっと手をのせると、優しく撫でた。

「カール、この子が生まれて来たら仲良くしてあげてね。」

「私からもお願いする。この国のためにも、支えてやってくれ。」

「勿論です!」

カーレインはにっこり笑うと、大きく頷いた。

しかし、その心中は複雑である。

(前世で自分を殺した男と果たしてうまくいくのだろうか。)

だが、これだけは誓える。

(今度は絶対に、イザベラ様と、このエルギアの民だけは守り抜いて見せる。)

それが生まれ落ちたときから前世の記憶を持つカーレインの、たったひとつのしかし、決して易しくなどない目標だった。

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