三話
「松風様、何故まだあの男の元に通われるのですか?」
茶店で休んでいたら傍に座った旅人の装いをした男がこっそり話し掛けてくる、この男は私に仕える忍びの者だ。
……一言で言えば「気に入ってしまった」からであろうな、あの秋月師だけでなく、兄弟子の七里も、師の娘の灯もみな良い人であった。自分の身分を隠してはいるが(ただ、秋月師だけは気づいていそうだが)身分関係なく私自身と付き合ってくれる掛け替えの無い人々なのだ。
「……松風様は秋月殿に剣で勝てますか?」
続けて男は聞いてくる、そう最初は「剣鬼」だ「達人」だという男の腕を見てやろうと訪れたのだが……いつの間に弟子になっていた。
「秋月師には……まだ勝てないだろうな……」
そう言った時に男は「そうですか……」と少しがっかりした様に言う、仕方ないだろうあの人は剣の化身だ。
だが、人の身であれば年を取り、いつかは衰え、放っておいてもいつか死ぬ。それでなくても千人以上に武装させ秋月師一人を囲み逃げ場をなくしてからその千人ごと火で囲めば殺せるだろうとは思う、そんなことをする気はないし、言葉にもしないが……
先程、秋月師にも会い、その前には七里さんにも会った……、師は相変わらず自分を殺すための集いに面白がって顔を出すのだろう、酔狂だなと思う。七里さんは……何を考えているのかわからない、いや、剣のことばかりを考えているのだろうなと少し笑う。勿論、馬鹿にして笑うのではなく、こちらも相変わらず真面目な人だなと嬉しくなって笑うのだ。
最初、秋月師を見に行った時に秋月師と七里さんが稽古していた、まるで大人と子どもの稽古の様だった。何故、剣鬼と呼ばれる男がこんなにも才能のない男を弟子にしたのだろうと不可思議に思ったのが最初だった。
秋月師に一手御指南をお願いしたら
「そうか、では弟子の七里と十日間毎日試合をしてくれ、その後なら良いぞ」
と言われた。こんなに弱い男と十日間も試合とはと最初は馬鹿にして始まったのだが、一日目から二日目、三日目と回数を重ねていく内に気付くのだ、この男は私の剣を学んでいると。下手なりに私の前日の剣をどう対処しようか考えてから対峙するのだ、勿論それでも到底私には及ばないが……それでも前向きのその姿勢は好感が持てた。
そして最後の十日目、七里さんは私の攻めを受けきって、反撃に出ようとした所をこちらが見せていない技で七里さんを打ち勝った。見せる気もなかった技を出さざるまで追い詰められたのだ。七里さんは悔しそうな、情けなさそうな顔をしていたが、対照的にその時の秋月師の嬉しそうな顔は忘れられない、七里さんを本当に可愛がっていると思ったものだ。
勿論、その後に秋月師と試合をして負けて何故かそのまま秋月師と七里さんと酒盛りをしていつの間に弟子入りしていた、今となって思い出すのは七里さんとの十日間の試合ばかりで秋月師との試合は何故か思い出せない。
「……松風様」
声をかけられて漸く自分が物思いに耽っていたことに気づく
「……松風様、もし秋月殿を亡き者にしたいと思うならば我らが命に替えましても……」
「……不要だ、そんなことは必要ない」
それに……お前達、忍びの者が束になっても敵わないだろうとは言わずにおく。
皆、秋月師を桁外れな腕前の危険な男と思っているようだが付き合ってみて乱を起こすような野心は無いと確信している、むしろ虎の尾を踏む者が居ないことを祈るだけだ、だがいくらでも虎の皮を得ようという愚か者はいる。だから秋月師は娘の灯にも剣を仕込んだのだろうとは思う、いざというときに自らの腕で切り抜けられるようにと……だが密かに慕っている七里よりなまじっか腕が立つことで普通のおなごの様に接することができないのは損な娘だなと思う。
松風はやんごとなき身分の者の落とし胤だがこの様な生活を気に入っている、だがいつかは跡継ぎ争いに巻き込まれ秋月師や七里、灯と会うこともなくなるだろうと分かっている、だからそれまではこのまま楽しみたい……それだけを望んでいる。