二話
「お父様、また七里様に『才能が無い』って仰ったのしょう?七里様が落ち込んで帰っていきましたよ」
今年十七になる一人娘の灯が俺を責める様に言う。
「仕方ないだろう、本当の事なのだから……」
「……本当の事でも少しはお世辞など言わないと、七里様が剣を捨てたらどうするんですか」
そんなことは無いと確信しているが、もしそうなったらそれでも仕方ないとは思っているのだが、この娘は弟子の七里が辞めたら困ると言う。
「お前こそ辞めて困るならなんで『才能が無いから辞めたら?』なんて言うんだ?言わなきゃ良いのに……」
「……七里様が悪いんです、まだ遊廓などに通うから……」
「あれは……仕事だから、以前の事はもう許せ」
その話題になるとこちらが不利だ。
少し前に「七里が二十を越えてまだ女を知らない」ことを俺と七里の弟弟子が面白がって、ならば遊廓のとびきりの女に会わせて良い思いをさせてやろうと無理矢理連れて行き、花魁と一夜を共にさせた。
その事が後に灯に知られ、怒るどころかまさかこの気丈な娘が隅で泣いていたのを見て漸く「そこまで七里を慕っていたのか」と気づかされたのだ。
その一夜だけならともかく、何故かその夜の花魁に気に入られた七里が用心棒として雇われ、何度も遊廓に通っていると知ったときの灯は……烈火のように怒っていた。
それ以来、灯は七里の顔を見るたびに七里に冷たいことを言い、七里が帰るとまた不機嫌になる事の繰り返しだ。
「……本当に、もう少し素直になれば良いのに……誰に似たのやら……」
「何か仰いましたか?お父様」
「いや、何でもない。そうだ約束があったから出掛けてくる」
そう言ってこちらを睨む娘から逃げるように屋敷から出る、三十六計逃げるに如かずだ。
屋敷を出て歩いていたらもう一人の弟子に会う。
「師匠、お出かけですか?」
「……今は屋敷に行かん方が良いぞ、七里が仕事に行ったから灯が仁王様の様な顔で睨んできた」
「あー……まだ怒っているんですね、七里さんもそろそろお嬢さんの気持ちに気づいてご機嫌とってくれたら良いのに……」
「そうだな……こちらから七里に言ったとばれたら灯はどんだけ怒るか想像もつかんしな……」
二人してため息をつく、七里は良い奴だがそういうことに鈍すぎることはお互い知っているからだ。
「それじゃ今日は他所で遊ぼうかな、師匠は何処に行かれるのですか?」
「お呼ばれしているので行ってくる、今日は食えるものが有れば良いなぁ」
そう言ったときの弟子の顔は「またか」って顔をしている。俺だって付き合いで行ってるだけなんだがな。
「それではな」
そう言って弟子と別れ知り合いの道場主達の集いに参加する。
ふふふ、俺が現れた時の奴等の目、そんなに殺気をこめるなら皆で刀を抜いて掛かってくればよいのになぁ。
「さぁさぁ、座ってくれ」
座らされて用意されたお膳を見ると……今日食えるのは焼き魚しかない……だから魚だけを摘まんでいると上座の老人が話し掛けてくる。
「秋月殿、今日は酒は召し上がらないのかね?」
「……今日はやめときましょう」
お前達のせいだろう、勿体ないと睨み付けお断りする。
くだらない道場経営の話などで終始し、解散となる……なんだ今日も襲ってこなかったか、つまらないな。そう奴等の在り方をくだらないと思うと同時に、何故みな七里の様に生きれないのかと思う。そして、また明日の七里との稽古が楽しみだと思いを馳せ、ただ飯で腹も膨れなかったから帰りに蕎麦でも食って帰るかなと歩きだした。
………………
「御子神殿、何故あの秋月めを殺ってしまわなかったのですか!」
集いに参加した道場主十名は上座の老人に詰め寄る、この老人の合図で秋月を囲んで斬ることがこの集いの本当の目的だった。
「……刀を抜いたら我ら皆殺られておったろうよ、奴は化物だ!見よ、奴の食い残した膳を!毒を盛ってない魚だけを食って帰りおったわ!何故か解らぬが……奴めには危ないと思うものはわかってしまう……そういう剣鬼なんだあれは」
一流の剣士の勘なのか危険なものを回避できる男、それが平然とこの場で飯を食える……つまり我々が一斉に襲い掛かっても対処できる自信があるということだ。
ここに集うものは老人以外はみな秋月に道場の試合であっさり負けている……これは道場主という剣で飯を食っているものにとって返上しなくてはならない汚名であると皆で集まっているのだが……
「……いずれ殺ってやるぞ、秋月」
彼等の願いは遠い……まるで夜空の月のように。