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物語壱-4





 璃枝リノエの様子はまた見に行くことにして、その日は父と別れて就寝した。

 翌日、琳狗リンクは久々に鍛錬場に顔を出した。父と同様に琳狗も机仕事が増えており、身体が鈍っていたからだ。

 尤も、琳狗の増えた仕事は、先日まで琥城コウキが預かっていた案件だ。碌な引き継ぎも出来ないままのものが多く、過去の事例を確認するところからせねばならないものばかりで、かなり時間を食っている。

 ひとまず急ぎでは無いものは後回しにして身体を動かそうかと、そう思っていたのだが。

 思ってもみない先客がいた。


「あら、琳狗」

「……姉さん?」

 鍛錬場に人がいるのは当然だ。公的な場所であるから、琳狗のように鈍った身体を鍛えようとする文人や、訓練中の軍人が時間を問わず出入りしている。

 だが、璃枝がいるとは思わなかった。引き籠っていた事実以前に、鍛錬場は女性の来るべきところではない。

 璃枝の周囲には困り顔の兵士が数人いて、琳狗は彼らに同情した。

「……もう大丈夫なの?」

 ひとまず、昨日の今日であるし、心配をしてみる。

「そうね。泣いたって何も変わらないけれど、房に籠っていても何も変わらないし」

 ……まったく大丈夫そうに見えない。


 常の璃枝だったら、もっと高めの声音で、甘ったるい喋り方をする筈だ。低い声音で淡々と喋る様子は、やはり別人にしか見えない。

 何をしに来たのか知らないし引き籠りが終了したところ悪いが、早々に房に引き取って貰おう。

 琳狗がそう決めた矢先に、璃枝が微笑みを浮かべた。

「そうだ。せっかくだし、琳狗が相手してよ」

 笑顔だけは無邪気な姉そのもので、琳狗は気味の悪いものを見てる気分になった。

 よく見ると、璃枝の手には一振りの薙刀がある。まさか、それで相手をしようということなのだろうか。

「……遊びじゃないんだよ?」

「知ってるわよ?」

 口調や様子はともかく、これはいつもの姉の我儘の一つだ。琳狗はそう思うことにして、鍛錬場の壁から刀を一振り手に取った。

「姉さん、怪我しても知らないよ?」

「大丈夫よ」

 そういえば昔、璃枝は琥城の武術の時間にもくっついて回っていた時期があったな、と思い出す。あのときは、結局どうしたんだったか。最終的には危ないからと璃枝が追い出されていたような気もするが、よく覚えていない。


 呆れ混じりに刀を鞘から抜く。勿論訓練用だから刃は潰してある。璃枝の持つ薙刀も同様だ。

「本当に知らないからね」

 念を押すと、何故か、璃枝の周囲にいた兵士たちがざわつき始めた。

「……草薙さま、まさか本当に璃枝さまの相手をされるので?」

 兵士の一人が、琳狗に問うてきた。きっと怪我をさせたらどうするんだ、という懸念があるのだろう。当然だ。

「姉さんが相手してくれと言ってるんだから、この場でもし姉さんが怪我をしても、周囲に責任は及ばない。安心してください」

 軍の管轄で領主の一人娘が傷を負った、などという責任を負わされたくはないだろう。

 そう思っての言葉だったのだが、ざわめきは収まらなかった。

「琳狗、始めてもいいかしら」

「……いいよ」

 いったい何故、周りはこんなにも不安げな表情をしているのだろう。

 疑問には思ったが、大したことはないだろうと判断して、琳狗は前に出た。璃枝も進み出て、いつの間にか集っていた兵士たちが二人から離れていく。


 刀と、薙刀。

 得物だけ見るなら、薙刀の方が間合いが長い分有利だが、所詮は女性のお遊び程度の薙刀なんて歯牙にかける必要もない。早々に間合いを詰めて懐に入って、即行で終わらせてやる。

 領主の後継として鍛えられてきた身だ。

 適当にあしらってやるくらい造作もない。

 琳狗が、正眼に構える。

 一方璃枝は、薙刀を杖のように立てて両手に持ち、構えがなっていない。

 素人相手だと、如何に怪我をさせないようにするかが大変なところだが、まさしくその通りのようだ。気晴らしにきたつもりだったのに、なんでこんな気を遣わなきゃならないんだ。


 琳狗は呼吸を整えると、一気に間合いを詰めた。構えてすらいない璃枝の正面に突っ込む。あとは、首筋に寸止めして、勝負あり、

 と、思ったのだが。

 璃枝が動いた。

 詰めた筈の間合いが一瞬で広がる。行き場を失った剣先は、空を切る。琳狗の視界で、璃枝が笑っている。薙刀が無造作に振られる。横っ腹に目がけて襲いかかってきた刃を、琳狗は後ろに跳ぶことで避ける。上着の一部が刃にかすって、ほつれる。大振りした薙刀は璃枝の体勢を崩すかと思ったが、璃枝は勢いに任せて薙刀を回して頭上から振り下ろしてきた。目の前を薙刀の刃が落ちる。

 琳狗がつい一瞬前までいたところに、亀裂が入った。

 地面に半分めり込んだ薙刀を軽く持ち上げて、璃枝は肩に担いだ。


「やるじゃない琳狗、避けるとは思わなかったわあ」

 無邪気に笑って手を叩く姉は、汗一つかいていない。

「ちょっと踏み込み過ぎたかなって思ったけど、安心したー」

 琳狗は、背中を汗が伝うのを感じた。冷たいものが、背筋を滑り落ちる。


 なんだ、これ。


 野次馬と化した兵士たちが、目元を覆ったり、逸らしたり、ほっと息を吐いたり、様々な反応を見せる。

「でも、やっぱり間合いが違うと困る?」

 璃枝はそう言って、薙刀を近くにいた男に預けて、代わりに男が腰に佩いていた刀を取った。間を空けずに、琳狗に向かって駆けてくる。

 璃枝が片手で斬りかかった刀を、琳狗は両手で持った刀で受けた。びりびりとした振動が伝わって、腕が痺れる。

「何合くらい斬り合えるかしら」

 言うなり、璃枝は下から上から、矢継ぎ早に斬りかかってくる。琳狗は、受け流すのが精一杯になった。


 なんだこれ。なんだこれ!


 女性の力ではない。

 速さも、重さも、男のそれと張り合う。寧ろ、琳狗は押されている。

 意地で璃枝の刀を撥ね飛ばして、琳狗は間合いをとった。飛ばされた刀が、二人の間に落ちる。

「あら」

 刀を握っていた右手に痺れがきたのか、璃枝は右手を一振りすると、丸腰のまま琳狗の懐に飛び込んできた。そうくるとは思わずに、琳狗は反応が遅れる。

 璃枝の右手が琳狗の襟首に伸びる。あ、と思ったときには胸座を掴まれ、琳狗は地面に引き倒されていた。

 弟に馬乗りになった姉が、弟の持つ刀を奪う。

「王手」

 琳狗の首筋に奪った刀を突きつけて、璃枝は笑った。

 艶やかな笑みだった。



 琳狗を相手に一暴れした璃枝は、鍛錬場にいた男たちに礼を言うと、何事もなかったかのように出て行った。

 茫然としたままの琳狗の許に、兵士の一人が声をかける。

草薙ソウテイさま、怪我は?」

「……擦り傷程度だから、問題ありません」

 あからさまにほっとした様子の男たちが目に入る。そして、誰も璃枝の心配をしていない。

 もしかして、と思うが、あまりにも非常識過ぎる考えに、琳狗は首を振る。

 今度こそ、夢を見たと思いたかった。

「掠り傷で済んだのなら、良かったです。……本当に」

 琳狗は、兵士の言葉が耳についた。この言い方ではまるで、

「まさかお前、草薙さまが大怪我するとでも思ってたのか」

「いやだって璃枝さまだぞ? 毎回来る度に十数人を一度に相手して無傷で帰っていくお人だぞ?」

 耳を疑うとか、そういう話ではない。琳狗は発言者に詰め寄った。

「姉さんは、ここによく来ていたんですか? 鍛錬場に?」

 琳狗の様子から悟ったのか、兵士の中でも位階の高い男がやってくる。襟の徽章がちらりと見えたが、首に巻かれた手拭いに隠れて見えなくなった。

「草薙さまは、ご存じなかったのですね」

 座り込んだままの琳狗に目線を合わせるように、男は膝を折った。


「璃枝さまは、暇を見つけては毎日、こちらに通っておいででした。今では御覧の通りです」

「毎日って……、いったいいつから」

「……玻音さまが成人された時分だったでしょうか」

 琥城が成人した頃というと、もう七年も前か。

『璃枝も混ぜて!』

 帝王学や武術やらを璃枝から遠ざけて、璃枝があの台詞を言わなくなった頃だ。琥城が役職に就いたのも同時期。琥城が諭しても聞かなかったのにどうやって納得させたのかと思っていたが、鍛錬場に出入りするようになっていたのか。


 琳狗は呻る。

 十年以上鍛えてきた筈なのに、七年そこらの経験しかない姉に、手も足も出なかった。

 半ば絶望しそうな琳狗を余所に、男は微笑みを浮かべた。

「ここ数日は塞ぎこんでいたと伺っておりましたが、安心しました。腕が鈍ったとぼやいておられましたが、草薙さまとの手合わせは楽しんでおられたようですし」

 また、耳に引っかかる。

「鈍った……?」

「ええ。いつもは出来る手加減が出来ないと仰って、先程数人を昏倒させてしまわれたので、医務室に連れていったところでした」


 愕然とする。

 璃枝の評価が高いこともそうだが、その評価を当然だと思っている兵士の態度も信じられない。瞠目したまま、開いた口が塞がらなくなる。

 父や母は、知っているのだろうか。

 あまりのことに黙ってしまった琳狗を周囲は心配したが、その不甲斐ない現状にも恥ずかしくなって、琳狗は早々に鍛錬場を後にした。

 剣術で打ちのめされただけではなかった。

 このままでは、自尊心まで砕かれてしまう。

 少々の怯えと覚悟を以て、琳狗は珂栄の許へと向かった。






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