閑話:「私、先輩のこと好きですからね♪」
『水島おにーさんが、そんな顔するなよ(≡ω)ノシ こんな状況でも、エゼルが惚れた水島おにーさんなら、何とかできるはずだろ? 期待しているからなっ♪』
――そんな声が遠くに聞こえた。その直後、俺の身体がガクンと落ちる。
「……いたたっ、マジで痛い……」
オフィスの椅子を5つ並べて作った仮設のベッド。俺はそこから真っ逆さまに落ちたらしい。
「あ~、涙が出るくらい痛いな」
気が付けば、俺の目には涙がにじんでいる。
しかも、睡眠不足のハイテンションのせいか、独り言が口に出てしまった。
まぁ、今はオフィス内に誰もいないから、気にはしないのだけれど。
「なんか、不思議な夢を見た気がするけれど……ってやばっ! もう3時を回ってるってマジかよ!!」
俺が落ちた衝撃でスクリーンセーバーが解除されたのだろう。起動したパソコンの画面を見ると、午前3時15分と表示されていた。
「ぅ~、明日の会議の資料、間に合うかな?」
まぁ、間に合わせないといけないのは理解しているのだけれどね。
入社して4年目を迎えれば、俺だって資料無しの会議がどんなに気まずいのかは、知っている。
「さて、気合を入れて頑張りますか♪」
仮眠の前に封を開けた、完全にぬるくなったコーヒーを一口だけ飲んでから。
俺はパソコンと向き合うことにした。
◇
無事に会議は終了した。
結局、みんなが出社してくる朝の8時よりも30分くらい前に完成した資料は、会議に出席した役員の人達に好評だった。
まぁ、自分でもよくできたと自信はあったから――それが認められて正直、嬉しい。
「にしても、徹夜した後に残業をさせるなんて……部長、殴って良いですか?」
「……水島君は、ときどき空気読めないよね?」
「よく言われます。でも、部長もブーメランですよ?」
「はっはっは! 俺はAKYだからなっ♪」
「あのひと・くうき・読めないんだ?――ですか??」
「あえて! くうき! 読まない!――だっ!! 勘違いしないでよねっ!?」
「……あのっ……マジですみません……」
「……謝るな。ほら、この間水島君が勧めてくれたネット小説? アレに名言として出てきていたんだよ? だから俺は悪くないぞ?……だからそんな冷たい目で見るな(Tω)ノシ」
「……良かったです。部長のツンデレは誰にとっても得ではありませんから」
「で? 残業してくれるか?」
「しますよ……今度、美味しい昼食を奢って下さいね?」
「了解だ♪ それじゃ、頼む!」
◇
そう、平凡な毎日が続いている。
そう、平和な毎日が続いている。
平日は思いっきり会社で仕事をして。
家に帰宅したら、ビールを飲みながら、ネット小説の新しい話を読んで。
休日は思いっきり、趣味のネット小説を好き放題に書いて。SNSで同じ趣味の人達に、それとなく告知したり遊んでもらったりする。
……大学を卒業してから、今日まで変わらない毎日。
でも、それなのに――どこか「これは違う!」って感じる俺がいる。心が落ち着かない焦燥感を覚える俺がいる。「ここは俺の居場所じゃない!!」って叫びたくなる俺がいる。
俺の心を乱すソレの正体が何なのか、始めのうちは気付かなかった。
正面から向き合うのにも、時間がかかった。そして最近になって、ようやくソレの正体が――『心の中の大切な何かが足りない』という喪失感なのだと気が付けた。
でも、同時に湧き上がってきた疑問。頭の中から消えない疑問。
ふとした瞬間に考えてしまう。
いったい俺は、「何を失ったのだろう?」って。「何を大切にしていたのだろう?」って。
仕事は充実している。振られた彼女に未練は無い。
趣味だって楽しい。良い感じに書けているし、読者の反応も上々だ。
友人関係は良好。最近、小学校の同級生が結婚するって話を聞いて、少しだけ羨ましいなぁとは感じたけれど。
食事は美味しい。スポーツも楽しい。
読書やネット小説を読むのも楽しい。
魚釣りも楽しい。
欲しい物も、ボーナスであらかた買うことが出来た。
老後の心配は……まだ、あまり実感がわかない。両親の老後や介護も、まだまだ大丈夫。
毎日が、毎週が、毎月が――充実している。それなのに「何か」が足りない。
◇
日々にモヤモヤとしたものを抱えながら、あっという間に数か月が過ぎて――俺は会社に入社して5年目の5月の後半を迎えた。
今日のお昼は新人の後輩女子に誘われて、ちょっとおしゃれなお店でランチになった。もちろん、昼食代は俺のおごりだけれど。
……金欠だからって、先輩にたかるのは、社会人としてどうかとガチで思う。
「水島先輩っ、ちゃんと聞いてますか??」
きゃいきゃいとしたアニメ声で、後輩の七社神楽が俺を非難してくる。こいつ、「口を開かないで座っている」時には可愛いんだけれど……その中身はBL大好きな腐女子である。だから恋愛対象には、ちょっと無理。
でも、おかげでこうして友人のような関係?――いや、先輩と後輩として良好な関係をこの1ヵ月弱で築けている。たまに、そう、本当にたまにだけれど、俺の残業を手伝ってくれたりもするし。
「せ~ん~ぱ~い~!! 可愛い女の子を無視するのはNGですよ!?」
「自分で可愛いって言うな。希少価値が下がるぞ?」
「そうですか? 使えるモノは有効活用するのが、サバイバルの基本なんですよ?」
「……残念だな、ここは鹿児島市の天文館だ。地方都市でサバイバルをする機会は少ないし、職場でサバイバルをすることも無いだろう。せいぜい、アウトドアにしておいた方が良い」
「ぅ~。それじゃ、何かあった時に先輩は生き残れませんよ? 死んじゃいますよ?」
そう言って唇を尖らせる後輩。
いったいお前は、何と戦う予定なんだよ……(Tω)
「それよりも! 水島先輩は、私の髪型を覚えてくれましたか??」
「ん~と、ナチュラルなんちゃらグレージュアレンジって言う髪型だよな? 聞いていたからな?」
「惜しいです! ナチュラル・シルエット・デジタルパーマ・グレージュアレンジ! これ、テストに出ますから覚えて下さいっ♪」
どんなテストに出るんだよ?――って突っ込みたかったけれど、めんどくさいから止めておく。
とりあえず、笑顔で首を縦に振っておこう。
「せんぱーい、めんどくさいって顔に出ていますよ~?」
くそっ、こいつ無駄に勘が鋭くなりやがって。
「そうか? ナチュラル・シルエット・デジタルパーマ・グレージュアレンジだよね? 覚えたよ?」
「ふふっ♪ 先輩のこと、大好きですっ!」
「はいはい。俺も好きだよ」
「ほ、本当ですかッ!?」
オーバーなリアクションで俺をからかってくる後輩。
そんなの、言わなくたって分かっているだろうに。
「冗談に決まっているだろ? とりあえず、お前は腐女子からまともな吸血姫に進化してから出直して来い」
「うぇぇ~、つれない水島先輩なんて嫌いですぅ!!」
「はいはい。あと30分で休憩時間が終わるから、さっさと昼ご飯、食べ終わるぞ」
「ふぁ~い。私、先輩のこと好きですからね♪」
まだからかってくる後輩に作り笑顔だけで返事をして、俺は少し冷めたナポリタンを口に運んだ。
なんでかな? ここ数年、ナポリタンが味気なく感じる。それなのに、目に付いたら注文せずにはいられない俺がいる。もっと美味しいナポリタンを、俺は誰かと楽しく食べた……ことは無い。
普通に、普通のお店で、普通の味のナポリタンを食べたことがあるだけだ。
「せんぱ~い。また、考え事ですか?」
心配そうな表情の後輩の声で我に返る。
「いや、すまない。午後の仕事の事を考えてた」
咄嗟に口から出て来た嘘。俺は本当に――何をしているのだろうか。
(次回に続く)




