第3話:「きみの名前を教えてくれないか?」
「……さっき、何でも言うことを聞くって言ったよね?」
ええ、ハイ、なるべく優しい笑顔で言ってあげましたよ。どんな反応を返してくれるのかな? ちょっと楽しmi――
「ふぇ、ぐずっ、ぅぇぇ……ゲホ、ゲホッ!!」
思いっきり咳き込む女の子。
俺の全身から、血の気が一気に引いていく。
「っ!? ちょ、ちょっと待って! ごめん、100%冗談だからっ!! 大丈夫、俺はきみに何もしないからっ!!」
「けほっ、ほ、ケホッ……んとですか?」
涙目で俺を見上げる少女。罪悪感が半端ない。
「ゴメン! 本気でゴメン! 咳き込むくらい、嫌だったんだよね!!?」
いや、流石にここまで拒絶されるとは正直思っていませんでしたけれど、本当にごめんなさい。そもそも『自分の夢だから大丈夫』とか舞い上がって、女の子に意地悪するなんて……よく考えたら俺、ゴミムシ以下だわ。
「ぐしゅっ、……ほんとに、ほんとに、本当ですか?」
呼吸が落ち着いてきた女の子は、まだ涙目。
現在進行形で、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。
「うん、ほんとだよ! ほんとに! 大丈夫だからね? ほら、泣かないで。お兄さんがハンカチ、あげるから」
「ぐしゅっ……あ、ありがとうございます……ぅ」
俺が手渡したハンカチを素直に受け取って、ぐしぐしと目元を拭く女の子。
とりあえずハンカチは受け取ってくれたから、完全な拒絶はされていないとは推測できるけれど……どうしよう? この状態から、この子を笑顔にさせるのってかなり難しいぞ?
そして、生まれた小さな沈黙。ぎこちない空気が俺達を包む。
「あのさ」「あのっ!」
俺達2人の声が重なった。
再び訪れる静寂。これは余計に気まずい……。
「……」「……」
よし、決めた。これは夢の中だけれど、この子には絶対に優しくしよう。
今からは、もう悪戯するのはやめだ、やめっ!! 年上のお兄さんとして、全力で優しくしてあげよう!! せめてもの罪滅ぼしに……otz
「えっと、良かったら、きみから話しても良いよ」
「良いのですか?」
「うん、話したいことが有ればだけれど。『沈黙してしまったから、無理して何か話さないといけない!』ってきみが思っているなら、俺が話すけれどさ……?」
「あ、いえ、それは大丈夫です。私ちゃんが言いたかったのは、『男の人なのに、綺麗なハンカチなんだなぁ』って思って……ちゃんとアイロンが掛かってますし」
「ん? ああ、一人暮らしが長いと、どうしてもね。それに、こういうところを周りの人って意外と見ているから、きちんとしたいなぁって俺は思うんだよ」
「そういう人、私ちゃん的には素敵だなと思います……アイロンかけるの、結構めんどうなの知っていますから」
「あはは、ごめんね、意地悪して」
何だろう……自分よりも年下の女の子に、思いっきり気を遣われてしまった気がする。なさけないな……。
「水島さんは……ほんとうに、意地悪でした。でも……だから……責任、取ってダンジョンマスターになって下さい♪」
「えっ? 今、それを言うの?」
「ハイっ♪ 私ちゃんを泣かせた責任をとって、ダンジョンマスターになって、下さいなっ♪」
どこか冗談っぽい言い方で、女の子が俺の腕に抱きついてくる。
何というのか……距離感、近いよ。さっきまで、咳き込むくらい俺のこと嫌がっていましたよね? あなたは。
でも、何となく少しは許してもらえたような気がした。まだまだ償いには足りていないと、俺自身も思うけれど。
とりあえず、腕に抱きついてじゃれてくるこの子を、何とか説得して離れさせないと……。付き合っていた彼女と別れて久しい俺の場合、夢の中とはいえ『優しいお兄さん』のままでいられなくなりそうだ。
……いや、そんなことしないけれどさ。安全マージンは多めに取りたいじゃないですか! お兄さんとして!! だって柔らかいんだよ!! 夢なのに!
「水島さん?」
「こほん。かわいく言っても駄目だよ? ダンジョンマスターにはならないよ……人類の敵、まっしぐらだからさ?」
賢者じゃないけれど、賢者モードで答えてみる。
「え~~」
「えーじゃないの」
「んじゃ、もっと可愛く言ってみます!! みっ、みみ、みっ、水島おにーさん(///ω)ノシ」
「「ぐはっ!!」」
思わず2人で悶えてしまった。某帝國軍のような自爆攻撃をしてくるなんて、この子はなんて怖いのだろう!!
あと、何でかな? 悪くないなと思ってしまった俺がいた……。
「ぼそっ(み、水島おにーさんって呼んだら、何故か精神に大ダメージを受けてしまったぁぁぁ……。でも、今更水島さんなんて言えないよぉ~。……これは、そう、練習するのよ! 練習するしかないのっ! 頑張って、そぅ、頑張るの! 私ちゃんは!!)」
うん、なにか横でぼそぼそ言っているのが聞こえているような気がするけれど……可愛いからそのままにしておこう。
「ぼそっ(水島おにーさん、みずしまおにーさん、水島おにーさんっ)。ぼそっ(水島おにーさん、みずしまおにーさん、水島おにーさんっ)……」
何回も何回も俺の名前を連呼して練習するなんて――何この可愛い生き物。これ、マジで夢なのがもったいない。こんな年下の従妹がリアルに欲しいです。
「うんっ♪ 水島おにーさんって言えるようになりました!」
俺が色々なことを考えている間に、女の子の練習タイムは終わったみたいだ。どこか自信にあふれた目で俺の方を見ながら、にぱっとした無邪気な笑顔を浮かべる。
「水島おにーさん、私と一緒に、責任取るのは嫌ですか(///ω)?」
……何この超絶可愛い生き物。
重要なので、繰り返す。何この超可愛い生き物。
俺が反応を返せないでいると、どんどん頬っぺたが赤く染まっていく様子も、可愛くてずっと見ていたくなる。
その次の瞬間、女の子の眉が八の字に変わった。
「ぐしゅっ、ふぇ、っく、ふぇぇ……」
「いや、ちょ、ちょっと待った! なんでこのタイミングで泣くの!?」
「私ちゃんがぁ~、頑張ったのにぃ~、おにーさんがぁ……」
ぽろぽろと涙をあふれさせながら、途切れ途切れに答える少女。
「あー、ゴメン、反応しなかった俺が悪かった。取り繕っても嘘はバレると思うから、正直に言うよ? 思わず可愛くて、見惚れていたんだよ……きみに」
「かっ、かわ……ほわわわぁ!」
「そういう反応が、可愛く見えるから……ね? なかなか反応が出来なかったんだよ」
「……それじゃ、ダンジョンマスターになって下さい(///ω)」
「それとこれは、全然話が――」
違うんだよ? と優しく言いかけた僕の言葉を、大きな轟音と振動が遮る。
ビリビリと空気が震えて、鍾乳洞の石灰氷柱から水の雫が雨のように降り注ぐ。
「ッ!?」「これは!?」
小さく零れた赤髪の少女と俺の言葉が重なって、お互いに目線を合わせる。さっきまでの、ほのぼの&ほんわかしている雰囲気は一気に消えた。
「あの! 多分、私ちゃんの想像が正しければ、ダンジョンに侵入者です!」
「今のは、侵入者が爆発系の罠か何かに引っかかったのかな?」
「いえ、そうだったらいいのですが……このダンジョンには、爆発系の罠はありません。多分、侵入者の魔法か魔道具が発生源だと思います。すぐに確認をしなきゃ!」
「――ってことは、このダンジョンがどのくらいの大きさかは知らないけれど、揺らすことが出来るほどの相手がやって来たということか」
「はい、今、管理用のモニターを表示させますね!!」
そう言うと、俺と会話をしながら作業していた女の子の宣言通り、空中にいくつもの四角い枠が表示された。それを何かに例えるのなら、パソコンのモニターとほぼ同じ。
空中に操作用のキーボードみたいなものも見えるし、女の子が操作している様子を見るに、タッチパネルのような操作もできるみたいだ。どちらも空中に浮かんでいるから、地球よりも時代を先取りしている雰囲気だ。
――と、ここでふと思い出してしまう。
俺の予感の通り、コレは夢だけれど、よりにもよって『ホラー系の夢』だった。だから、このまま大事になる前に、三回ジャンプして目を覚ました方が幸せなんじゃないかなと。……侵入者という明らかな強敵相手に、この赤髪の女の子が蹂躙される姿は正直見たくない。多分、俺も巻き込まれる「その」瞬間に目が覚めて――多分、1週間はテンションが下がった状態を引きずる自信がある。
そんなことを考えていると、心配を隠せていない不安そうな表情で、女の子が俺の顔を覗き込んできた。
「何を考えているのですか?」
ああ、決めた。何というのか、ここまで打ち解けてしまった関係だと、この子のこんなに困った顔は見たくない。だから――
「なぁ、きみは俺の夢の中の登場人物だろ? ここで俺が目を覚ましたら、多分きみは無事なままで消えられると思うかra――「ほぇ? 夢じゃないですよ?」――えっ?」
「いや、だから、私ちゃんの大召喚は成功しましたし、夢じゃないですよ? ……っていうか、水島おにーさんは、いままでずっと夢だと思っていたんですか!??」
夢の中の登場人物に『夢じゃない』って言われた俺よりも、びっくりしている感じの女の子。
なんだか、緊張していた空気が緩んだような気がする。
「えっと……違うの? 夢でしょ? ほら、こうして夢の中で3回ジャンプすると、俺の場合、目が覚め――「あはは、えいっ♪」――ぐはっ!! ちょ、ひどっ、いきなりレバーに強パンチは無いよっ!?」
「目が覚めましたか?」
「あれ? 痛いけれど、夢が続いて……」
「ていっ♪」
「甘いっ!」
片手チョップをしようとしてきた女の子の細い腕を、両手で優しく受け止めて防御する。
「ふっふっふ。きみはまだまだあまi――ぐはっ!!」
いきなり視界が暗転して、大きく身体が吹き飛ばされた。
視界の端に、ドヤ顔の女の子がうつる。
「甘ちゃんなのは、どこのおにーさんですか~☆ 両腕を上げたら、脇腹が両方ともがら空きですよ♪」
細くて白い脚からは、全然想像が出来ない威力の回し蹴り。普通の女の子では放てないそれを、どうやら俺はもろに喰らったらしい。……あばら骨、いてぇ……。
でもさ、今重要なことはそれじゃないんだ。今はもっと大切なことがある。
「あー、その、きみはちょっと天然系みたいだから……あえて言うからね? 念のため確認するけれど、セクハラとか言わないでよ? 俺は、現状がまずいと思うから、言うのだからね?」
「ほえ? 何の事ですか?」
とりあえず、念は押したから、視線を逸らしたままで言葉を紡ぐ。
「……ずっと自慢げに左脚を上げているけれどさ? その、ね? 俺がなるべくそっちを見ない理由、もう分かるでしょ?」
健康的な脚だけじゃなくて、こうもりさんの群れが描かれている『ソレ』が目に入るのは……けしからんと思うのですよ。
「あ! ぁぁあぁぁ~っ!! これはっ、これは、違うのです(///ω)ノシ」
「そっか、違うのか。うん、俺は何も見てないよ♪」
「は、はい! あ、ありがとうございます! あははは~、水島おにーさんは、良い人です!!」
「そんなでもないよ、『面倒見がいい』とはたまに言われるけれどね?」
俺の言葉に、女の子が赤い顔のままだけれど、嬉しそうな表情を浮かべて微笑んだ。
「ハイっ♪ そんな雰囲気、分かります!」
ちょっとだけ柔らかくなった空気の中。
でも、それを噛みしめる間もなく、鍾乳洞を揺らす振動が再び襲ってきた。
「……水島おにーさん、これでダンジョンに侵入者が来ていることが、夢じゃないって分かってもらえましたか?」
真剣な瞳の女の子。自ずと俺も気が引き締まる。
「……認めたくはないけれど、この肝臓のズキズキする痛みと、脇腹に『大阪のおばちゃんの自転車がぶつかってきた時と同等の、かなり激しい痛み』を感じているから、認めない訳にはいかないかな? 多分、あばら骨が2~3本、ヒビが入っている痛みだよ……コレ」
言うべきか言わないべきか迷ったけれど、侵入者を相手にするのなら、負傷した状態では足手まといか肉壁くらいにしかならないから言うことにした。
「ご、ご、ごめんなさいっ!! すぐに回復魔法をかけます!」
そう言って俺に近づいてきた女の子。やっぱり、この世界には回復魔法があるんだな~と思いつつも、別のもっと大切なことに気が付いた。俺はまだ、この子の名前を知らない。
「動かないでいて下さいね? 服の上からでも、回復魔法はかけられますから……」
痛みを抑えるために俺が当てている手をそっとずらして、女の子が患部に手を近づける。すると、毒々しい黒い闇が生まれて――って、コレ、本当に大丈夫なの?
「あ、心配しなくてもいいですよ? 私ちゃんは吸血姫なので、闇魔法が得意なだけですから! 安心して任せて下さいっ」
「……ぉ、おう、任せたよ……」
大丈夫と本人が言っているから、大丈夫なのだろう。うん、吸血姫とか言っていたような気がするけれど……重要なのはそこではない。
「ものすごく今更なんだけれど、聞いていい?」
「はい? 水島おにーさん、何ですか?」
「俺もさすがに、この世界は夢なんかじゃないって理解した。あと俺達2人に危害を加えてきそうな侵入者が、今、刻々と近づいて来ているのも理解している。そして……その侵入者を退けられたら、俺も俺なりに『せかいせーふく』を一生懸命に頑張るけれどさ。つまり……多分きみとは10年とか20年とかじゃ済まないくらいの、永い永い期間を一緒に過ごす関係になると思う。だから、まずは今を生き残るために――」
俺は、小さく言葉を区切って、赤髪の少女の瞳を真っすぐに見る。
この召喚は、危ないタイプの異世界転移だと分かっている。
赤髪の美少女という『可愛い生き物』の情にほだされて、流されているのも分かっている。
このタイミングを逃したら、もう普通の人間としては多分生きていけないのも分かっている。
……せかいせーふく? 人類の敵まっしぐらな中二病だよ!!
でも、それの何が悪い?
だから、吸い込まれるような紫色の瞳に、俺なりの『あいのこくはく』を捧げよう。
「きみの名前を教えてくれないか?」
(次回につづく)