第86話:「なんで! なんで! 何でですかっ!!」
私ちゃんの力の開放。
それに対してエゼルさんは、なぜか急に笑い出した。
「ふふふ、フハハハッ、フハハハハっ!!」
震え、恐れ、怯えが混じるぎこちない笑い声。
でもエゼルさんは、私ちゃんの目を見ながら笑いの三段活用を続ける。
「ふふふ、フハハハッ、フハハハハっ!! フハ、ハハハっ!!」
もう、その瞳には――怯えの色は見えない。大胆不敵なエゼルさんの笑みを取り戻していた。
「お前、面白いのな♪ エゼルに名前を教えてくれないか(≡ω)?」
ピコピコと狼耳を動かす天使。
ふさふさな尻尾も、彼女の好奇心が揺さぶられるのに合わせて揺れている。
「ふふっ♪」
「ん? どうかしたか?」
思わず笑いを返してしまった私ちゃんに、エゼルさんが不思議そうな表情を浮かべた。
「いえ、エゼルさんらしいなぁと思ってしまって」
「エゼルらしい?……どういう意味だ??」
不思議そうな表情が困惑に染まる。
でも、私ちゃんは彼女の問いに答える代わりに、自分の名前を口にする。
「ディルです。私ちゃんの名前は、カンディル・バイオレッドという名前です。エゼルさんは覚えていませんか?」
「カンディル?……バイオレッド?……ん~」
私ちゃんの言葉に、エゼルさんが何かを悩むような表情を浮かべる。
だから、私ちゃんは思わず口を開いてしまった。
「エゼルさんは思い出しませんか? 以前、私ちゃんと出会っていたことを。水島おにーさんの仲間になった日々を」
「……っ!」
エゼルさんが息をのむ声。それと同時に、ダンジョンが急に静かになった。
ぴたん、ひたん、ぴたんと水の落ちる音が鍾乳洞の中に響き渡る。思考加速をしていないのに、思考加速をした世界に迷い込んだかのような緩やかな時の流れ。
そして、エゼルさんがゆっくりと口を開く。
「……あはは。なんでだろうな~♪」
その声は、さっきと同じで震えていた。でも多分、震える理由は違っている。
だって、エゼルさんの目に、光るものがあるのだから。
「涙が止まらなぃ……」
ぽろぽろと涙をこぼして、鼻をすする狼耳天使。
彼女は、息をゆっくりと吸い込んで、言葉を続けた。
「何か大切なことを、エゼルは、忘れているんだろうな。『美味しいごはん』、『名前を聞いたことのないお菓子』、『食べたこともない甘い味』……そして、とっても優しい『心が優しくなれる』あの匂いの記憶」
泣きながら笑顔を作って、エゼルさんが真っ直ぐに私ちゃんを見つめてきた。
「――なぁ。カンディル――いや、『ディル』は、『水島おにーさん』が誰なのかを、もしかして知っているのか?」
カンディルじゃなくて、ディルと呼んでくれた声。
「知っています! エゼルさん、記憶を少し取り戻せたのでsu――「こっちに来るな!!」――えっ?」
エゼルさんに近づこうとした私ちゃんを、アイテムボックスから片手に出現させた大鎌で牽制するエゼルさん。
そして、反射的に体の動きを止めた私ちゃんに、エゼルさんが話しかけてきた。難しいことを、子どもにかみ砕いて説明するような優しい声で。
「ごめんな、ディル。たとえ完全に記憶を取り戻したとしても――エゼルはお前を殺さなきゃいけない」
「な……んで……?」
言葉が出てこない。うまい言葉が出てこない。
嫌だ、私ちゃんは、エゼルさんを――
「悪い、立場が逆か。ディルの方が、エゼルの倍以上レベルが高いのだからな♪――さぁ、できるだけサックリと、エゼルを殺ってくれ、痛くしないでくれると助かる(≡ω)b」
――エゼルさんを、殺したくない!
「なんで! なんで! 何でですかっ!!」
(次回に続く)