4話
吉平が現れなくなってから、路上ライブは文字通り元に戻った。客足は徐々に減り、皆無。
僕の音楽など、やはり彼のお飾りに過ぎなかったのだ。音楽をやめる時だ、と神様が言っているのだろうか。
そう思わざるを得ないように、連日雨が降り続いた。路上ライブが出来ない日が続いたのだ。
最後にあのロータリーを見て、もう音楽の夢は諦めよう。そう思った。
わざわざ電車に乗り込んで、いつものあの場所へと向かう。
毎晩のように演奏していたその場所に辿り着くと、赤いパイロンが設置され“路上パフォーマンス禁止”の貼り紙がされていた。
「なんや…場所もなくなってしもたんか…。」
今までここで路上ライブをしていたことも、三浦 吉平という男に出会ったことも、観客を楽しませていたことも、全て夢だったのではないかと思わせる。
彼とは、あの日を境になぜ会えなくなったのだろう。
話したい、という吉平の言葉をきちんと聞いてあげたら良かったのか。多くの観衆のいる中で、パフォーマンスを投げ出して会話に耽る事など考えも出来なかった。一体、何がそんなにも話したかったと言うのか。
ふと、雨が降り出す。
僕は慌てて駅内にあるコンビニでビニール傘を買う事にした。
「よく降るね〜。」と、コンビニの年配店員と適当な会話を交えてから、視線を外した先、僕の表情は一変する。目に映ったのは新聞。それを購入する判断は、数秒もかからなかっただろう。
荒々しくお金を払い、その場でその新聞を読み漁った。
“天才化学者 三浦 吉平 両親殺害の容疑”と、見出しは謡う。
「化学…?殺害ってなんや…。」
ふにゃふにゃとした笑顔の裏に、そんな一面を持っていたというのか。化学者だなんて一言も言っていなかった。話というのは、何だったのだ。まさか本当に騙されて…。僕は。ボクは。ぼくは。
ごちゃごちゃと頭は一度にいろいろな事を考え出す。
「…だぁあ!もう!!」
混乱する頭をブンブン左右に振って、僕は買ったばかりの新聞とビニール傘を握りしめて走り出した。
吉平は河川敷に住んでいる、と言っていた。
それが本当かどうか定かではないが、信じて探すより他ない。近所の川を調べて歩いてみるが、1人で探すには距離があまりにも長く、ましてやこの川で合っているのかすらわからない。
「すみません、この川にホームレスが住んでる場所があったりしませんか?」
すれ違う人に尋ねて大まかな場所を伺うが、いざその場へ行ってみるとゴミが積まれているだけだったり、そんな若い奴がいるわけ無いと怒鳴られたり、収穫は無かった。
河川敷に彼はいないのかも知れない。もしかしたら三浦 吉平という名前すら、嘘だったのではないか。そもそも会ってどうしようと言うのだ。彼を問いただすのか。今更腹を割って話そうと言うのか。パフォーマンスを無理やりさせた僕が、どの面を下げて会ったらいいものか。
雨が一層気分を沈め、僕の思考を暗くする。
それでも探す事をやめず、呆然としながら川沿いを歩いた。
「あれー?兄さんじゃないですか?」
その聞き慣れた声は突然に降りかかる。
目の前に傘もささずにタオルを頭に巻いた金髪の男が、草の間からひょっこり現れ、見慣れた緩い笑顔を向けるまで、僕は一体どれほど不安を自身の中で増幅させていた事だろう。安堵から泣きっ面を浮かべてしまいそうになる。歯をキツく食いしばる。
「お前…。」
何から言えばいい。言葉が頭のなかで渦巻いて、上手く出てこない。
「あの…なんや、その…ごめん。」
ようやく絞り出した言葉はそれだった。
「…兄さん。やだなぁ〜。周りのホームレス友達にここの事誰にも言わないでって言ったのになぁ。」
「誰も教えてくれへんかったわ。」
「え!」
「歩き疲れたで…ほんま。」
考えてみれば、僕達は喧嘩をしたわけでも口論をしたわけでもなく、ただパフォーマンスをしなければ会う口実を失ったことに気がついただけなのかも知れない。
「新聞を見て、お前の話…ちゃんと聞いてやったら良かったって思ったんや。」
僕は新聞を吉平との間に放り投げた。
それを見て、彼は困ったようにフッと笑う。
「俺たちはただ、あの場でお客さんを笑顔にする。それだけの関係じゃないですか。あ、あと飲み友達?」
「三浦 吉平。…お前、何者なんや?」
ストレートな質問に、彼はヒラヒラと散る木の葉を見つめるように視線を泳がせて地面を眺めた。
あのふにゃふにゃの笑顔が消える。
真面目なその表情を僕は初めて見る。
「俺は…化学研究者です。」
言葉を選ぶように、語り始めた。
「ある日、人を魚にする方法を見つけ出しました。」
言っていることがどんなに現実と逸脱していようと、今は話を受け入れることが出来る。
「研究当初は、ただ純粋に魚と話が出来る方法が無いか探していただけだったんです。でも、僕の両親が認知症を患ってから少しずつ歪んだ考えを持ってしまいました。」
「…介護に疲れたんか?」
「いいえ。…いや、本当はそれもあったかも知れないですね。長い間、介護に明け暮れました。2人の事は大好きでしたし、育ててくれた恩もあったので介護に対してそれほど苦は無いと思ってました。」
僕は黙って頷いた。
「でもやっぱり人間だから両親にも寿命が来るんです。もうこのままでは生きられない、それが分かった時、僕の研究が頭をかすめてしまいました。」
「魚にしたら、助かるんか?」
「魚という小さな個体にする事で生命活動を再び継続する事が可能なんです。」
「難しい事は分からへん…。」
「えっと…簡単に言うと、無駄な部分をそぎ落とすことで生きていけるってイメージが近いかと。」
「…おっけーおっけー。」
「それで俺は2人を魚にする事にしたんです。」
「なるほどな…。」
これがその新聞に書かれている事の真相なのだろう。
彼が天才と言われる所以も理解できる。
「何も他に手ぇ無いし、待ってても死ぬだけなんやったらええと思うけどなぁ。」
「そんな簡単な話しではありません。まだ国から認可されてない方法な上、本人の合意もなく、おまけに戻す手段もない。これは殺人なんです。」
「後悔してるんか?」
そう言うと、彼は僕を一瞬見つめ、再び下を向く。
「…してません。」
「ならええやんか。少しでも長く両親に生きてて欲しい、なんてよう出来た息子やんけ。僕なんか口煩い親から離れるためにこっち来たんやで?まったく、耳が痛い話や。」
「兄さん…。」
「難しい事はよーわからんけど、一つ答えてくれ。あの時のお前は…僕と会った時のお前は…化学者の三浦 吉平じゃなくて、単にマジックが大好きなヤツやったんやろ?」
「はい!」
「そこは偽りないんやな?」
「はい。あなたがあそこで演奏してる所、何度か見てました。音楽を聞いてたら、もう頭の中でパフォーマンスのイメージが湧いて、居ても立っても居られなくなって…。」
「毎晩、マジック楽しかったやろ?なぁ、お前がマジックしたない言うなら、僕はお前がしたなるような音楽作ったる。どうや?これからも一緒にパフォーマンスせぇへんか?」
「…なんで、そんな。」
「そんなん決まってるやろ。僕が吉平の一番の客やからや。ファンなんや。」
雨がゆっくりと止んでいく。そんな空を見上げながら、彼はポツリポツリと言葉を紡いだ。
「…何も分からなくなっていく両親にマジックを見せました。ひたすら驚いてくれて、子どもみたいに手を叩いて笑って…。」
呼吸を整えるように、吉平はため息をついた。声が震えている。
「俺の事なんてもうとっくに忘れてしまったけど、あの笑顔のために…。化学で成功するよりも、必要な事があるように感じたんです…。」
最後の方は泣いているのだろうか、絞り出すように声を放った。
雨だか涙だか、ぐちょぐちょになった彼の顔を見て、僕は何故かようやく本当の三浦 吉平に出会う事が出来た気がした。
「ほな、一緒に…やろう?」
「…はい。」
化学者、三浦 吉平はこうして死んだ。




