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03:睦月の妹 前

なんだか日常がだらだらと続きすぎていますので、ある程度飛ばして読んでもOKです。

03:睦月の妹


 次の日の朝、俺は失敗してしまった。いつもの時間に起きたのは良かったが、今日は昼まで寝ててもいいんだと思って二度寝した。そしたらいつまでも寝てしまっていたようで、正光のモーニングコールによって叩き起こされたのだ。

[ヘイ! ベイビィィーー!てんめぇええ俺に一緒に来いって言っときながら、自分が遅刻しやがってェェーー!!]

「くそォォォーー! すぐ行くから待ってろ!」

 着替えをしながら電話を切ると、俺は凄い勢いで玄関のドアを開いた。ドアの外にはお出かけ用のこじゃれた服を着た正光が立っている。

「ジャスト一分だ。いい夢見れたかよ」

「お前がな」

 俺は親指を立てて格好いいポーズを決めたが、奴は冷静にそれをいなした。

 目的の人物が乗ってくる電車は十二時二十四分。家を出たのは十二時十分過ぎ。俺たちに残された時間は残り十分少々しかなかった。

「急げ!急ぐんだジョルノ!」

 俺たちはその状況下、一般人にはとても不可解なセリフを吐きながらチャリで爆走していった。その調子でなんとか二十分には駅ついた。チャリをコンビニあたりに止めて、約束の場所である駅の改札前へとついたのが一分前。電車は遅れることはあるが早く来るという事がないので、余裕で間に合った事になる。

 この出来根駅は出来根市で一番大きな駅なので、比較的規模が大きい。改札の手前には定期的に変わる出店が数多く出展しており、様々な人種の人達で賑わっていた。地下にはメトロも通ってるし、飲食店やお土産屋なんぞがズラリと並んでいる。

 しかし俺を知っている奴らしいが、この人ごみで俺を見つけられるのだろうか?一応分かりやすい位置には立ってはいるものの、何かと不安だ。心臓の鼓動が無駄に早くなるのが嫌だった。

 そんな俺の不安をよそに、正光は何故か辺りをキョロキョロ見渡して、切羽詰った顔をしている。そして今度は足をガクガク震わせて、腕を腹の辺りで組む。

「ぼ……ボキ。うんこチたい」

「……」

 まさか、こんなタイミングでさすがにそれは予想外だ。

「だってよー! 久々に早起きしたから朝飯喰ったんだぜ!? んで睦月拾って即行ここ着て、時間に余裕を持たせた上で射出しようと思ったのに、くっそぉー! 超動きまくったからなおの事、腹の駆動がはげCィィィーー!!」

「ぬーむ……もうちょいで時間だ。我慢できねぇか?」

「俺もそう思ったが、実は結構ピンチだ。ケツに力入れてないと、下手すりゃフライング者が出る」

「ぬーむむ……」

「大丈夫だ。朝のクソはパッ! と脱いでスッ! と出る。バボッブボッバッボッビュボッ! って感じだ」

「汚ぇ話をすんじゃねぇ。うーむちくしょう、だがフライングはヤバイな。行け、スチームボーイ」

「僕は便座を諦めない」

 正光は背中にジェットを付けた勢いでW&Cへ飛んでいった。俺は朝飯を喰っていないため、急いだせいで奴とは違うタイプの腹痛を感じていた。

 天井の壁にある大きな時計を見上げたら、既に時間は過ぎていた。電車は到着したのだろうか?改札の向こうからは人が一定の間隔でなだれ込んでいるが、誰がそれなのか俺にはわからないため、ただ待つしか道はない。

 一応改札へ向かう人達を見渡していたが、その中に目を止めてしまうような人物がいた。それは一般的な服装の人にまぎれて一人だけ、薄ピンクと赤の桜柄をした振袖を着た少女がいたからだった。中学生くらいだろうか?しかし俺好みの和服のチョイスであったので、少しばかり彼女を観察した。

 振袖に旅行用のボストンバッグという何とも不釣合いな姿で、良く見れば靴は専門店に行かなければ置いてなさそうな、凝ったデザインの革靴を履いていた。着こなしも申し分なく、着物そのものを着慣れている感じもする。まるで雛壇ひなだんに飾ってある雛人形のような、無垢さと清らかさみたいなものを感じた。まぁ率直に言えば、『かわいらしい』だ。そろった前髪を揺らして、大きなボストンバッグを引きずる姿はなんとも愛嬌あいきょうがあった。

 あんまり見すぎると気づかれるので俺は視線をそらす。しかし、今度は逆に俺がさっきまで見ていた少女が俺のほうを向いた。そうするやいなや「あっ」と驚くような顔をして、改札へ走り寄ってきた。……いや、俺を見たのは気のせいだろう。こんな女は知らない。

 少女は何か言いたげに俺のほうをきょろきょろと見る。俺はそっぽを向いていた。いやいや。俺じゃない。人違いだ。見ろ。俺の周りにだって何人も人がいるんだ。

 彼女は改札まで来たのだったが、切符を改札に入れて通ろうとした途端扉が閉まり、×マークと同時に耳障りなブザーが鳴った。かわいそうに、よくある事ではないが、たまになる誤作動だ。それでまごつく少女に、後ろから迫り来る人波。それぞれ彼女をにらむようにして人波は両隣の改札へ向かい、駅員が早歩きで駆けつけた。駅員は哀れな被害者をまるで回りに晒し上げるかのように改札を分解しはじめ、切符を取り出す。そして今度は少女に見せ付けるかの如く、誇らしげに自分が切符を改札に入れた。ブザーが鳴ると同時に×マークの扉が閉る。

「莫迦くせ」

 ここからでは聞こえもしないので、俺は駅員に対してフフンと笑う。

 結局駅員は彼女を一番端っこにある手動改札に連れて行き、少々の手続きののちにとうとう少女は通過する事ができた。

 さすがにそこまでくると、俺との距離は結構近かったので見るのを止めた。そしてまた改札の向こう側を遠目で見ようとした、その時だ。

兄様あにさま!」

 途端に全身の毛が逆立ち、体の芯が急に熱を帯びる感覚がした。俺は声のしたほうを振り向く……いや、振り向こうとしたが、その時には既に先ほどの少女が俺に飛びついてしまっていた。

「兄様、嬉しいです! 迎えに来てくれてたんですね!」

 またもや体が熱を持った。顔を下に向けるとすぐ真下に少女のつむじがあったが、甘い香水のような香りがしてさらにドキリとする。これは、この状況は、いや、『コイツ』は。

「おまえ……」

瑞穂みずほです兄様!」

 急に少女が上を向いたので、視線が重なってしまった。俺はいきなり恥ずかしくなった。大声で『兄様』などと呼ばれて、抱きつかれて、見つめ合ってる。何してんだ俺は! 急に耳のあたりが熱くなってくるのを感じた。少女の肩に両手をついて引き離そうとしたが、一向に放れようとしない。

「瑞穂……お、お前か」

「ハイ! 来ました!」

 何で、なんでコイツが来る事になったんだ? 何で……、あ、いや。違う。今は、ここはどこだ。駅だ。違うだろ何してんだ。何でくっついてんだ瑞穂!

 俺の頭は数秒のあいだ空回りしていた。瑞穂は不思議そうな顔をして、だが抱きついたまま俺から目を離さない。

 それから俺の体感では数十秒くらい経った時、「オォォッ!?」と叫ぶような驚きの声が隣から聞こえてきた。俺はゆっくりとそちらを振り向く。瑞穂も俺の目線を追ってそちらを向くと、そこには普通に驚いている正光がいた。奴も何と言っていいのか分からないといった様子で大量の脂汗を流していたが、奴の口から『俺の意思も含めて』勢いよく簡潔で分かりやすいセリフが飛び出した。

「どういう状況!?」

 難しい顔をして固まった俺と滝のように汗を流す正光を、瑞穂だけがキョロキョロと何度も見ていた。



 それから俺達は駅の中にある適当な飲食店に入り、いきさつを聞くことにした。

「へぇ! にゃほど瑞穂ちゃんいみゃまで『さと』にてぃあのか〜もにゅんもにゅんも」

 朝飯を喰ったと言う正光だったが、俺と同じくらい大量に注文し、それをむさぼりながら喋った。瑞穂も少しばかり頼んだものの、俺達とは違ってとても行儀良く箸を進めている。

 『里』とは穏健派の総本山を指す。場所的には奈良県吉野地区のどこかにあるという、モリエイター永住の地である。正式名称は『赫夜かがや』というらしいが、俺達はもっぱら里とかビレッジとか呼んでいた。

「はい。今年で十五を迎えるので、前線に出る事を志願したら紫電様が許可してくれたんです」

「にゃんと、じゅうごちゃい!!」

「はい……。でも、ほとんど追い出されたみたいな感じですけど……」

「んーみゅ。あっちはきゃなり上下がきびふぃいって聞ふが、やっぱ大変みてーだなんみゅんにゅん」

「オイてめーまさみちゅ。喰いながりゃくっちゅばってんじゃねーにょむんにょむんにょ」

 女は食事をしながら話をするのが自然と出来るらしいが、男は苦手らしい。どうやら俺と正光はまさにそれらしく、『食べる』と『話す』を区分けする事が出来なかった。結果、口の中を食べ物でいっぱいにしながら喋るので、今のように何とも聞き取りづらい発音になってしまう。

 俺はある程度喰うと水を一気に飲み干し、プハーと大きく息を吐いた。うっし、これでまともに喋れるぞ。

「しかしよ、正光。コイツは俺のことを兄様なんぞと呼ぶが、実際血は繋がってねーんだからな。勘違いすんなよ」

「にょほ!」

「んで、誰だと思う? コイツの父親は」

「……? わからんもにゅな」

「師匠だ」

「ヒルドルヴ!!」

 正光は俺の答えを聞くと口の中に入れたものを全部吐き出した。

「うおッ!? きったね莫迦!」「おわっ!?」三角形に座っていたから良かったが、それでもショットガンのように拡散した中身は少なからず俺と瑞穂にかかっていた。

「ゲホッ! ゴホァッ! ドゥイエッ! ばっ莫迦! いきなりなに言うんだ! 冗談にも程があるぜ!」

「お前こそ冗談きついぞ! かなりがっついた後に全部ぶちまけやがって! きったね! うわきったね!」

「ま、ま、ま……」

 俺と正光が言い合っていると、瑞穂がまるでやり手のDJのような口調で突如「ま」を三回連呼した。

「まんじゅう」

「……」

「……」

 それから三人の時が止まったが……そうだった。コイツは昔から、何かしらあると「まんじゅう」と言う癖があるんだった。俺としてもまったく理解に苦しむ事ではあるが、ただ単に『露伴先生から瑞穂は何かアクションが起こった場合「まんじゅう」と言うと書かれた』と解釈していた。

「……いや、正光。うそではない。真面目な話だ。コイツの本名は『大槻瑞穂』。師匠も『大槻』だ。間違いなく、コイツは師匠の娘なんだ」

「信じられん。あ、あの屈強な侍から、こんないたいけな少女に派生するとは……」

 『まんじゅう』の事をとりあえずスルーした二人は瑞穂を見る。目を丸くして二人を交互に見る仕草はとてもかわいらしく、師匠の遺伝子情報など寸分も受け継いでないように思える。が、俺と奴は同じ事を考えていただろう。

「いや、だがあの親にこの子あり、とでも言うべきかな、この美しき振袖の君……」

 正光が言った。フン、どうやら答えが一致したらしいな。ズバリ服装だ。しかし一致したと言ってもやっぱ思いつく事なんてその程度か俺達は。

「ど、どうしたんですか? わ、私……へん、でしょうか?」

「あ、いや。変じゃねぇよ。グッド、ベター、ベストだ。大槻さんも瑞穂ちゃんを見習って、もう少しカジュアルな着物を着て欲しいところだぜ」

 奴は親指を立てて、ほめ言葉なのかどうか分からないセリフを言った。ついでにこれは言うべきかは分からないが、奴は親指のほかにベロを斜め下に出している。

「父上が、ですか……?」

「うむ。……まぁ、その話はまた後だ」

 俺は場を仕切りなおした。

「とにかく、正光。俺はお前と会う前は里にいたと言ったな。その時はコイツと一緒に住んで稽古してたんだ。コイツは『飛影剣ひえいけん』、俺は『我剣流がけんりゅう』のな。でもなんつーか、あそこは女しかいねーからよ。んで一番下がコイツで、その上が俺だったもんだから、そんな風に呼ばれるようになっちまったんだ。師匠はコイツの親父さんだし、なんつーかあれだ……まだ、子供だったからよ」

「あーなんか、分かるような気がする。ガキん時ってなぁそういう風になるもんだよな。はむ。もにゅもにゅ」

 しょうこにもなくまたもや正光は口に弾薬を装填し始めた。出来ればショットガン(くち)は誰もいない方へ向けて欲しいものだ。

「あ、あの……あに、さま? あの……呼び方を、変えたほうが、いい、ですか……?」

「何でだ?」

「あ、あの、変かも、って……」

「うーむ。いや別に俺は構わねーけど。お前が嫌なら話は別だがな」

「嫌だなんて! 私、ずっと兄様のこと……! あの……っ」

「……」

「まんじゅう……」

「………」

 俺は非常に難しい顔になったが、何故か正光も同じような顔になっていた。唯一の違いは、ハムスターのようにほっぺを大きく膨らませている所くらいか。

「ま、みゃあみゅあ、大体のはなふぃの内容はふかめひゃ。んぐん。んで、どうすんだ? これから。つっても別に寄り道する訳でもねぇし、早速わけありに行くか」

 食べ物を飲み込んだ途端、やけにかつぜつが良くなった正光は話をきりだした。確かに俺のほうも飯を喰ってすこぶる体調が良くなったし、迎えに行ったのになかなか戻ってこないというのもあれだ。

「だな。んじゃそろそろ行くか」

「分かりました。……ご馳走サマでした」

 俺と正光が立ち上がると、瑞穂は空になった食器に手を合わせてペコリとお辞儀をした。クソ、ムカツクほど礼儀正しい奴に育ったな……。

 しかし里での暮らしと言うのは、少し時代が離れすぎているのではないかと思ってしまう。もっとも俺達はモリエイターであるので、外見や態度、作法などはぶっちゃけ一般人とかけ離れていても一向に構わない。何故ならいつ死ぬか分からないし、ある意味違う世界で生き、普通の人間とは違うという気持ちに切り替わっているからだ。瑞穂は穏健派の総本山で生活していたわけだが、この行儀の良さと身なり。世界が違うと言えど、こうもギャップが出来てしまうものなのだろうかと思ってしまってならない。



 駅を出た俺達は自転車を手で引きながら、瑞穂にあわせた歩幅でバーわけありへ向かった。瑞穂は途中の街並みをキョロキョロしながら見回している。昼飯時を過ぎた時間帯だが、それでも駅周辺は人でごった返していた。

 出来根市できねしは人口八十万程の、田舎でもなく大都市でもない真ん中くらいの規模である。町の中心、つまり今俺達がいる場所が一番人口密度が高く、また様々な商業ビルや娯楽施設が多い場所だ。そこから離れるにつれて序所に過疎化してゆくのだが、場所によってはここから数十分程チャリで移動するだけで田んぼ道に出る事だってある。少々大雑把すぎる説明ではあるが、まぁ大体こんな感じの都市である。

 意外にも、瑞穂みたいなのがこの町を歩いていても違和感はそんなに感じなかった。行き交う人は他人には無関心だし、ドぎついファッションの若者は瑞穂よりも目立っている。そんな連中がいる場所にコイツみたいなのがいてもなんら変ではなく、むしろ正統派の服装をしている瑞穂は逆に、これはこれで『あり』と思えてしまう。

 日中に来るバーわけあり近辺はとても静かだった。いろんなものが捨てたり吐かれたりする道路は汚く、風が吹けばすえた匂いを撒き散らして最悪だ。うっとうしいキャッチがいないことが何よりだが、そんなのが出始めたとなれば、俺と正光はレイに場所移動の抗議を申し立てるであろう。

「ここだ」

 俺はバーわけありの正面玄関でそう言った。だが瑞穂は不思議そうに店の外側をぐるりと見回す。

「……? ここが、なんですか?」

「む。いやここが本拠地だ」

「えっ……で、でも、なんか恐い店ですよココ……」コイツは何の説明も受けずに来たのだろうか?正光は瑞穂に続いた。「この店はフェイクさ。まぁ中に入ればビックリ仰天」

「外見だけこうなんですか?」

「あーいや、一応この店自体はバーとして使えるんだけど、会員制みたいな制度って事になっててよ。一見さんは入っちゃ駄目っていう玄人くろうと向けのマニアックバーなんだ。もちろん客として入ってくる奴はみんな、穏健派の連中さ」

「へえぇ〜さすが都会の基地は、カッコいいです!」

 昨夜のように裏口から店内に入ると、ノートパソコンに向かうチャコがテーブルに座っていた。隣の灰皿は煙草の吸殻で山になっていた。いつもの髪型とは違い、長い後ろ髪をゴムで結ってポニーテールにしている。この格好だといつもの荒々しさはなく、勤勉で真面目そうな雰囲気がした。

「(あー? なんだ、オメェらか)」

 だが外見は変わっても彼女の態度はいつもの通りだ。俺は正直話しづらいのだが、正光は気にしない様子で、英語が喋れずとも身振り手振りでチャコに話しかける。

「ういっすチャコ。ほら、見ろよ。これが新しい新戦力だぜ!」

「(ったく、オメェはいっつもアチキにグダグダ言ってのけるが、全然意味わかんねーんだよこの莫迦タレ)」

 彼女も英語で言い返す。俺にはやはり意味不明であったが、何故だろう。正光とチャコはどちらも違う言語で話し合うのだが、不思議と意思の疎通が出来ているように思えた。それとも二人の身振り手振りは手話並みの域に達しているのだろうか?

「(んで? ほほぉ〜、なんとまぁまぁ今度はなんだ? この『へちゃむくれ』は。正光、オメェよりも年下のガキんちょじゃにーか)」

 チャコは正光を指差すと目線の前で手のひらを水平にして上下に揺らし、瑞穂にその手の親指を向けた。チャコは他人を必ず悪く言うが、それは彼女なりの試し方らしい。それでキレてしまう程度なら、器が小さい奴なのだと勝手な解釈を彼女はするのだ。まったく迷惑な話である。

 瑞穂はチャコと目が合うと、嫌な顔一つせずに姿勢を正し、深々とお辞儀をして喋った。

「えっと、(始めまして。この度配属される事となりました大槻瑞穂と申します)」

 「ま!?」「ぶ!?」全員は目を丸くした。ゆっくりではあるものの、間違いなく英語だ。俺と正光は同時に驚く。

「(へぇ! こりゃ驚いたぜ! なんだい嬢ちゃん英語喋れんのか?)」

「(一応は……。赫夜にいる外国の先生に指導されました。今後は他国の方と作戦を共にするのがつねとなるとの事でしたので)」

「(ふ〜ん。さすがに期待の新人ってだけあるな。この穏健派の根っこにいる連中も、かくれんぼが好きなだけじゃにぃって事か。なるほどな、気に入ったぜ! アチキはチャコ・シルペンだ。よろしくな嬢ちゃん)」

「(あ、はい! 未熟者ですが、どうぞよろしくお願いします)」

 文字媒体で読んでいる毒者どくしゃには英文が全てカッコ書きの日本語で表記されているからよいが、現場の俺には字幕すら出ない外国映画を見ているような気分だ。何がどうしたのか分からないまま、何故か二人は握手を交わした。

「すんげー。バイリンガルだ。いや、違う。言うなればロリータ・バイリン・ガールだ」正光が何か意味の分からん事をいったが、俺はそれにツッコむのを忘れていた。

「う〜むむ……睦月お兄ちゃんは、なんだか寂しいぞ」

「睦月お兄ちゃんと、正光あにチャマもな……」

 なんだか二人だけ仲間はずれになったような空気だ。チャコは椅子に深く座りなおすと、下にレイがいる事を教えてくれた。

 ボストンバッグを適当な場所に置いてエレベーターの部屋へ行くと、瑞穂はホッと胸を撫で下ろした。

「緊張しました……」

「緊張っておめぇ莫迦にしやがって。あんな英語できんの知らなかったっつーんだクソ。ハゲボケ。テンカス」

 俺はついつい正光に言うように瑞穂へ喋ってしまった。

「あっ、あの……。す、すみません……」

 案の定がっかりしたようだ。クソ、まずったな。

「あーいや、ちげーって。スマン今のは忘れてくれ」

 ごまかすように瑞穂の頭を手のひらでポンポン叩くと、今度は嬉しそうで恥ずかしいような顔をして、下を向いた。コロコロと表情が変わる野郎だ。

「ヘイ! 突然失礼。ここでマジックショーの始まりだぜ。瑞穂ちゃん、見てろよ〜?」

 正光は冷蔵庫の扉を開き、中にあるものを見るように手のひらを動かした。中には冷たい酒瓶や食品が並んでいる。瑞穂はこのシステムを知らないので、意味も分からぬままそれらを見ている。

「うおォォーー! デーッテーデッテレッテッテ」

 まるで正光がパワーを注ぎ込むかのように、今度は両手を向けて叫んだ。何故かビバリーヒルズコップのテーマを口ずさむが、しかし冷蔵庫の中身はその音楽と一緒に上へ昇ってゆく。

「あれ!? あっあ、あぁ、ああーー!? なにこれーー!?」

「デーッテーッデッテレッテッテ」やっべ面白そうだ。俺も正光に便乗した。「デッテッテッテレッテレッテッテー」二人のやかましい声が狭い部屋に響く。

「すごーーい!」

 完全に中身が上へあがりきると、瑞穂は嬉しそうに声を上げた。女の子らしく両手を胸の前で握っている。これ系のギャグでコイツのテンションが上がるという事は、正光や俺と同じような感性の持ち主だという事になる。嬉しいやら、悲しいやらだ。



 しかしテンション高めだったのはそこまでで、エレベーターで下に来ると俺達は騒ぐのを止めた。下の部屋はミーティングの時のような暗闇ではなかったが、蛍光灯は最小限しか灯っていない。多分仕事中なのだろう。部屋の奥ではレイと美咲さんが離れた場所で機材を操作していた。

 エレベーターが稼動した事で俺達のことをすでに悟ったのだろう。レイに近づくと椅子を回してコチラを向いた。

「おう、来たか。ご苦労」

「ウス」

 俺と正光は真面目な顔で、両手を背中に回して組む。さっきまでの莫迦っぷりは微塵も無い。

「君が大槻瑞穂……か」レイが一言ずつ確かめるようにゆっくりと言う。「はい。今日付けで配属することになりました」瑞穂はさっき緊張したと言ったが、それでもこういうのに慣れているのか、外見から緊張しているようには見えない。

「うむ。さすがは源流直属の部隊出身だな。誰かさんらとは覇気が違う」

「あっ……いえ、いくら『戦花はなびら』出身とは言え実戦経験は皆無かいむ、ゆえに私など、足元にもおよびません」

「……ほお。少しは知った口の利き方をする」

「……」

 驚いた。普通なら苦笑いして終わるような会話だ。だが何故か、瑞穂は言い返した。一瞬だが、チラリと瑞穂が俺に視線を向けたような気がした。……まさか、俺らに気を使ってんじゃねぇだろうなコイツは……。もしかして、俺がさっき余計な事を言ったからか?

「フム。うし、では、一応セオリーを通しておかないとな。睦月、正光。お前らはすこし向こうへ行っててくれ。面接するからよ」「了解」俺らは二人同時に発言する。

「しかし、正光? お前の休暇届けは出していないはずだが?」

「うおっ!? あー、いや、なんつーか……ドゥフフ」

 これが普段のレイと俺達の会話だ。「泉に嫌われるぞ?」レイも大して気にした様子もなく、それ以上とがめる事はなかった。

 俺と正光はくるりと振り返ると、美咲さんが手招きしているのが目に入った。彼女に近づくと、無言で両隣の椅子を指差す。俺達は互いの顔を見合ったが、指示通りに椅子へ座る。すると、今度は膝のところから耳にかぶせるタイプのヘッドフォンを二つ取り出して双方に渡した。そしてレイの方を指差して、機材に両肘をつき、身をかがめるように楽な姿勢をとった。なるほど、驚いた事にヘッドフォンを装着すると、向こうの会話が丸聞こえだ。

「俺はこのエルベレスのリーダーを勤めるレイ・シュレディンガーだ。以後よろしく」

「はい。私は大槻瑞穂と申します。よろしくお願いします」

「戦花出身らしいな。俺も昔あそこを覗いたことはあるが、かなり精錬された部隊だな。いや、部隊と言うよりもむしろ国家と言うべきかな。里全体がモリエイターである訳だからな。だが、俺には不思議でならない。なんであんな由緒正しい場所を抜けてまで、君がこの部隊へ志願したのか」

「……」

「志願理由は?」

「あっ、はい……。確かに、戦花は優秀な部隊です。しかしいくら局地防衛のかなめと言えど、実際に血を流して戦っている訳ではありません。確かに成人すれば出家して、各地へ出向く者もいます。しかし私は……なんというか、その……。恥ずかしながら、私はまだ十五を過ぎた身ですが、その、耐え切れずに志願しました」

「耐え切れずってのは?」

「えと……、私共のように、きちんとした知識を得ることすら許されないまま、いくさにおもむく人が大勢いると聞きます。そういった方々のためにも、力添えしたいと」

「ふむ。自分なりの使命感から……って事か」

「はい」

 俺は椅子の背もたれによりかかり、両腕を組んで聞いていた。盗聴してる事に対し負い目を感じるが、俺がそばにいない時の瑞穂は、年下とは思えない口調と態度であった。下手すりゃ俺より頼りがいがある。

「確かに、まともな知識もねぇ連中がドンパチやるのはこっちじゃ日常茶飯事だ。君をつれてきた二人だって、今やっと高校に通って一般的ながくを身に付け始めたばっかりだ」

「そ、そうなのですか?」

「あぁ。それに無理やりモリエイターとして覚醒させられた奴だっている。そういう奴のほうが可哀想だ。本当に何も知らないまま、強行派やインビュードハンターに殺されるんだからな。もっとも、里におらっしゃられる伝承家系でんしょうかけいの奴らは、自分達だけ生き残ってればいいって感じだけどな。それ以外の奴らが何をしようがお構いなしって考えてると、こっちのみんなは思っている」

「……」

「不思議なものだな。もともと一つだったモリエイター同士が、『穏健派』と『強行派』に分かれちまった。そしてその穏健派の内部でも、俺らみたいな『攻勢な奴ら』と伝承家系のような『保守的な奴ら』に分かれちまってるんだからな」

「……私には、大きな流れを変えることは出来ません。しかし、それを変えるために使われる『武器』にならなれます。私は、そのために育てられました」

「ふむ。『護国の戦花のやいば鋭きこと』という奴か。なるほど。殺しのために作られた部隊で、殺しをせずに一生を終えるのが嫌だったわけだな? お前さんは」

「……そうです」

 それを聞いて苛立ちを覚えた。レイの扇動的な言い回しも嫌だったが、同時にソレを肯定した瑞穂も瑞穂だ。思い出の中のアイツは、ただ無邪気な少女であった。それが成長して、殺しのためにこの部隊へやってきたと言うのだ。向こうでどういう教育を受けてきたのかは知らないが、人は変わってしまうものなのかと思った。

「だがしかし、前線はエルベレスだけではない。殺しがしたいのなら、ここよりもアストラルガンナーズやリベリオンカウンターの方が良かったはずだが?」

「私もそう思いました。しかし紫電様や上層の方々がここに私の父がいる事を知っていたので、その推薦もあり、エルベレスへ行くことに決めました」

「本人としては不本意だったと?」

「いえ! 私とて、一人でも知人がいてくれた方がありがたいですし、それが父であるならなおの事、気も引き締まり、安心できます」

「フム。なかなか素直なんだな……なるほど、わかった。……面接は合格だ。俺としても、リベリオンカウンターなんぞに戦花出身の奴を取られるのはしゃくだからな。今後存分に使わせてもらうぞ」

「はい。よろしくお願いします」

 瑞穂は深々と頭を下げる。レイはフゥと息を吐くと、両肩をまわして緊張をほぐした。

「……んで、ぶっちゃげた話、どうなんだ? 本当はじんじゃなくて、睦月がいたから奴を追っかけて、こっちへ出てきたんじゃねーのか?」

「えっ!?」

 ギャグィン!

 椅子の背もたれがうるさい音を立てた。俺が両手を機材について体を大きく前後させたのだ。顎は梅干のようにしわくちゃだ。この現象は以前もあったが、猪木の口真似といえば分かってもらえるだろうか。

「あの、そのような事は……」

「あぁ、もう真面目くさる必要はねぇぜ。さっきのは結局のところ、通過儀礼みたいなもんだ。俺はな、瑞穂『ちゃん』。誰がどんな理由でココに来ても、んな事はどうでもいいのさ。問題は、ソイツが『ここ』で上手くやっていけるかどうか、それだけだ」

「……」

「刃から聞いたぜ。睦月と昔、よく遊んでたんだってな。……そうなのか、えぇ!? 睦月よ!」

 レイはもうお構いなしという様子で、俺のほうを向いて声を上げた。

「……あぁ! その通りだよ、畜生め」

「うはぅ……」

 俺が返事を返すと瑞穂は困った顔をした。

「まぁなんだ。あっちじゃ礼儀や装飾美に重点を置かれていたらしいが、こっちじゃ逆だ。どんだけ実戦に耐えられるか。どんだけガッツがあるか。……こんなこと言うから、チャコみてぇな問題児を押し付けられるんだけどな」

 チャコの名前が出ると、美咲さんは苦笑した。

「簡単にここでのルールを教えておこう。ここじゃどんな生活をしようが、俺や仲間達は一切干渉しないし、逆に相手にも干渉しない。だが、『仕事は真面目にやる事』と、『俺の命令は聞く事』。それだけだ。それ以外の時間はどうしようと、お前さんの自由だ」

「……はい」

「実際、あの正光の莫迦が学校さぼった事に対しても、俺はとがめる気はさらさらねぇしよ」

 ギャグィン!

 今度は正光が先ほどの俺と同じ動作をした。やはり顎も梅干になってる。

「まぁそんなとこだ。うし、んじゃまぁ今日のところは終わり。全員への紹介は明日の集会でするから、そん時までなんかして暇つぶししててくれ。住居の事とかそういうのは、向こうにいる綺麗なお姉さんが懇切丁寧に教えてくれるはずだぜ」

「は、はぁ……」

 瑞穂はまだレイと初めて会ったから理解しづらいと思うが、結局は『オン・オフ付けろ』という事だ。作戦の話になるといきなり真面目になるレイだが、普段は今みたいな男である。俺達もそれに習い、日常は日常、仕事は仕事という風にメリハリを付けていた。

 瑞穂がこちらを振り向くと美咲さんが立ち上がった。それに俺と正光も続いて立ち上がる。美咲さんは瑞穂が到着する頃合を見計らって、右手を差し出した。

「始めまして。作戦行動中はAIB(アンチインビュードバリア)およびレコン(索敵偵察)を担当、通常勤務ではインテリジェンスオフィサー(情報課)を努める銀美咲です。よろしく」

「あっ! はい、こちらこそよろしくお願いします! 大槻瑞穂と申します」

 あわてて瑞穂も手を出して握手を交わす。

「ハイハイでは、んっとね。私達はそれぞれ住む場所を自由に選択できるんだけど、どう? ドコかご希望でも?」

「あーっと……いえ、その私まだ、この街に来たばっかりなので……」

「うん。それなら、とりあえずはココに行くといいわ。住所は……出来根市猪鹿町(いのしかちょう)一の二十六、ガンダーラマンションズ」

「なにィィィーーッ!?」

 俺と正光は大声を上げた。それは俺達のマンションと同じ住所、いや名前も同じだ。

「はは〜んご名答オニイサマがた。あんた達二人のマンションと一緒の部屋をチョイスしてあげたわよ」

「あ、ありがとう、ございます? ……??」

 瑞穂は汗だらけになった俺らの表情を伺いつつも、一応礼を言う。

「その方が何かと便利だからね。それにさ、ほら。お父様にも一応聞いたのよ? 住む場所どうするんだって。そしたらあのお侍さん酷くてねぇ。『任せる』って、四文字で済ませちゃうのよ? 変換すると、三文字よ!? まったく」

「父上が……」

「まぁ、そういう事だから」

 そう言うと美咲さんは小ぶりの四角いトランクを瑞穂に渡した。「これに一式入ってるから、一応上で確認してから外にでてね。ここでしてもいいけど、一応今は仕事中だから」

「は、はい」

「うし、んじゃおわり、おわりぃ〜。さ、オニイサマがた。お姫様をお城までエスコートしてさしあげなさい」

 なんか急いでる感じがした。「仕事中だから」などとは普通言わないだろう。何故なら新人の相手をするのだって仕事の一部ではないだろうか? この場所は様々な情報をキャッチし、分析する場所だ。それに今はこんな事をしているが、一応A2も発令されている。敵の動きがどうしても気になるのだろうか?まぁとにかく、そういう事も考えられるということで、俺達はいそいそとエレベーターで上へ昇った。



「あの、兄様? これは……」

「このトランクか」

 真っ黒なそのトランクには銀色の持つ部分だけがあるだけで、鍵穴のようなものは見当たらない。俺も最初ビビッたが、ネタを知ればなるほどと思うものだった。俺らはチャコがいる部屋の違うテーブルに集まり、そのトランクを中央に置いた。

「(嬢ちゃんソイツを知らねぇのかい? たまげるぜ〜、ビックリ箱だ)」

「(う〜むむ、そ、そうなのですか?)」

 チャコも面白そうに両手を腰に置き、事の成り行きを見つめる。

 俺はトランクの両脇に手を置くと、このトランク自体が持つ硬質化したアストラル体を『霊視れいし』した。すると、俺の視界でトランクは黒以外に青くもやもやとした色が浮かび上がる。俺は自分がしていることを瑞穂にもするように言った。「瑞穂、スタン……モリエイターの目でよく見てみろ」

 瑞穂もトランクをじっと見つめる。

「……あっ! ……なんか、手前の方に違う種類のアストラル体が見えます」

 銀色の持つ部分の両脇には、黒い材質とはまた違う種類の材質が紛れ込んでいるのを霊視により判別できる。それはアストラル体の色や形が微妙に違うためだ。

「見えたか。この材質のアストラル体は、俺達が干渉しやすい性質を持っていてな。ちょっとソウク(吸引)してやると……」

 俺が右手でアストラル体をソウクしてやると、中の材質が磁石に引き寄せられるように右へスライドし、カチャンと音がした。すると勝手にトランクは開く。

「まぁ!」

 瑞穂は胸の前で両手を合わせてかわいらしい声をあげた。これはモリエイターにしかあける事の出来ないトランクだった。俺はその場を瑞穂に譲ると、あとは自分で中身を確認させた。扉側は布地のポケットになっており、そこに中に入っている物のリストが書かれた紙がはさまれていた。

「えぇと……」

 リストを手に取りトランクの中を覗き込むが、一番上には無骨な銀色のリボルバー銃が置かれており、一瞬触るのを躊躇した。

「すっげ。ミドルサイズのプリズムシューターだ。しょっぱなこれを持てってか」

「へぇ。ローズブラスターじゃねーんだな。誰だろ、師匠かな? 選んだのは」

「(ハン。SRBローズブラスターなんざへっぴり腰な女が使う銃さ。ウチのサムライは頭がいいからな。やっぱ実用性を考えてこいつを選んだんだろうよ。ヘイ! 穣ちゃん。これでお前さんもいっぱしの騎兵隊だぜ!)」

 瑞穂はゆっくりとをれを手に取ると、シリンダーを出して中の雌結晶めすけっしょうを光で透かして見つめた。中では雌結晶が七色の光を乱反射させてる。

 それはSPS26(えすぴーえすにーろく、西木式プリズムシューター)と呼ばれるリボルバータイプの『CSG(カップリングストーンガン)』だった。宝玉口(シリンダーの穴)は五個の連射型らしい。宝玉口には雌結晶と呼ばれる特殊な鉱石が埋め込まれており、激鉄の部分に仕込まれた雄結晶おすけっしょうで叩くと、銃口からアストラル弾を発射するという仕組みだ。雄結晶と雌結晶をひとまとめにして『つがい石(カップリングストーン)』と呼び、その特性を生かした銃であるのでCSGと呼ばれる。モリエイターにしかアストラル弾は発射できず、一般人にとってみればただのオモチャにしかならない。俺達は実銃と区別するため、『銃』、『CSG・つがい銃』と呼び分けている。

「(嬢ちゃん、ちょっとソレ貸しちみな)」

「(え? あ、はい。どうぞ)」

 チャコは何気なくそれを借りると、あろう事か俺に向けてトリガーを引いた。だが出力をかなり抑えての射撃のようで発射音はせず、ただカチンと締まらない音を立てて激鉄は落ちた。しかし出てきたのは紛れもないアストラル弾だ。至近距離から放たれたそれは俺の額に直撃し、赤あざを作った。

「いって!」

 さらにチャコは正光にも銃口を向け、同じようにトリガーを引く。カチンッ。

「イテェ! おいテメェ! 遊ぶんじゃねぇこのトンチキ!」

「(ッハハハ! おっとごめんよ〜、一応動作確認をしてやんのも先輩の務めって奴だろ? う〜んどうやら〜、大丈夫のようだなぁ〜。ほらよ、返すぜ!)」

「(あ、ありがとうございます……)」

 それから瑞穂はリストを片手に中の物を確認した。

「えっと、部屋の鍵とスペアと、保険証と、通帳とカードと、携帯電話と……」

「(通帳の中身は幾ら入ってんだ?)」

「あ、そっか。えっと……いちじゅうひゃくせんまんじゅうまん……ご、五百万。です……す、すごい」

 そうなのだ。何気に俺達の給料というのは桁外れである。なんでそんなに多いのかは謎だが、まぁ常に死と隣り合わせのお仕事だから、と簡単に俺は解釈している。

「(初任給でそれだぜ? そこらでアクセク働くサラリーマンを見ろよ。笑いがとまんねーぜったく。一回ドンパチでもやりゃ、数字に丸がもう一個つくぜ)」

「う〜むむぅ……」

「まぁ最初はビビるけど、ぶっちゃけいつの間にやらなくなってんだこれが。なんでかっつーともうモリエイターの専用武器って奴がムカつくほど高いたかい!」

「全くだな。給料減らしていいから物価を下げて欲しいぜ」

 俺達の会話は瑞穂にはまだ分からないだろうが、実際にコイツも店に行って見ればわかることだろう。特に倉ハチとか。

 どうやらトランクの中身はリスト通り揃っているみたいだった。扉を閉じるとパチンと音がして勝手に鍵がかかる。

「おーし、んじゃ帰るか」

「うしゃ。ヘイチャコ、ほんじゃまー俺達そろそろおいとまさしてもらうわ」

 俺が言うと、正光はまたもやチャコに日本語でそんな事を言った。それに対し、瑞穂が正光のセリフを英訳してからチャコへ言う。マッキーと似たような立場になってしまっている。

「(おう。んじゃーな)」

「(今日は色々とありがとうございました。明日は正式に自己紹介をすると思うので、また、よろしくお願いします)」

「(あぁ……。って、オイ穣ちゃん。なんつーんだ? かたっくるしーんだな、オミャーは。もうちょいなんとかならねーのか?)」

「(え!? あっと……その、す、すみません)」

「(ったく、てんっけーてきな日本人だな。まぁいいや。オーケー、また明日な)」

「(あッ、ハイ! オーケー牧場!)」

 意外なことにチャコは瑞穂に対して『毒』を吐かないようだ。それは瑞穂が天然で真面目すぎるからなのだろうか? 英語の意味は分からなくても、口調が少し困った様子のチャコを見てそんな事を考えていた。



 猪鹿町は、昔田園地帯だった場所を埋め立てて新しく住宅地にした場所だ。もっとも埋め立てられたのはかなり前の話で、今では町並みも駅前と比べてかなり古臭いものとなっている。開発自体は現在も続いており、足を伸ばせば新しい店や近代的な住宅が顔を見せる。

 ガンダーラマンションズはその開発の際に建てられた一つである。近代的な外見をした八階建ての高層マンションで、底辺がない台形を横にしたようなビルが二軒向かい合うようにして建っている。入り口中央には漫画家の寺沢武一がガンダーラをイメージして作った巨大な銅像が鎮座し、入居者を暖かく出迎えてくれる。銅像から向かって右の建物が右心房と呼ばれており、パステルカラーの青色をしている。向かいの建物は左心房で、やはりパステルカラーのピンク色だった。

 瑞穂はあっけに取られた様子でぽかんと口を開いたまま、銅像とその後ろにそびえ経つ建物を見上げた。

「これかっけーよな。いつ見ても新鮮だ」正光が言う。俺も同感であった。「うむ。なんつーか、その日のテンションでこれの見方が変わるな。なんか失敗した時とか、すっげーテンション高いときとか。励まされたり、逆に冷静にさせられたりする」

「えぇと……、な、なんか少し恐いです、私には……」

 一糸纏わぬスキンヘッドの女性が座禅を組み、まるで全てを見透かすような表情の銅像は、絶賛する者と毛嫌いする者とはっきり別れる。背中には全身から湧き出すオーラをイメージした輪があり、トゲトゲした棒が何本も飛び出している。

「あっと。そういえば部屋番号まで確認してなかったです」

 瑞穂はトランクから詳細の紙を取り出すと、それらしき箇所を読んだ。「んと、一ニ三号室ってかいてます」

「なんだとぉぉ!?」それを聞いて俺と正光は同時に叫んだ。

「Heyベイビーシュガーラァブ!? そッこ〜はなぁんとッ、睦月の隣の部屋だYoh,YOH!」

「そ、そうなのですか?」

「そうだYOベイビッ! Hey Youチェケ! ワオ! ガッデムファッキンYOU!」

「いでででっ! てめぇ何しやがる!? 知るか! 俺じゃねっ! ちげっ!」

 正光が偽ラッパーの口調で俺を両肩を掴む。俺はガクガク揺さぶられて前後に分身を作った。

 二人は互いに違うビルの同じ場所に住んでいる。俺の部屋は左心房の三階、左端の部屋だった。

 やかましくほえる正光をなんとかやり過ごすと、俺と瑞穂は銅像から向かって左側の建物へ入った。エレベーターで上がりドアの前まで来ると、ここだと教える。

「多分中に一式、生活するための家具は入ってると思う。あとはなんかわかんねー事あったら聞きにこいや」「はい」「んじゃな」「はいです」



 そうして俺達は互いの部屋へ入った。自室に戻って真っ先に目に付いたのが、もはや食べ物の部類に属さないであろう、伸びまくったカップラーメンだ。なんかもうソレを処理するのが面倒になってしまったので、俺はソレを放置し、パジャマに着替えてテレビをつけた。『いつも貴方の傍に、D3』電源を入れた途端にいつものCMが流れる。

 それから時刻は五時を過ぎようとしていた頃だった。俺はマンガ片手にだらだらと暇をもてあましていた。

「まぁ、要領のいいコト」

 突然部屋に女性の声が響き渡った。ちなみにそれはインターホンの音だが、左心房ではそれがデフォルトである。瑞穂かなと思いドアの魚眼レンズを覗き込むと、やはりレンズの向こうにはおでこが広がった瑞穂が立っていた。「おう、なんだ?」俺はドアを開く。

 瑞穂は先ほどの振袖ではなく、紺色の着物姿に変わっていた。普段着か? これが。

「あの、その……、なんか、部屋が広すぎて……。一人だと、寂しいもので……」

「……? あぁ、まぁんじゃ、入れよ」

「はい……すみません。おじゃまします……」

 戦花の英才教育を受けたとはいえ、一応まだコイツは十五歳だ。中学生でいう所の三年生。都会にも初めて来たわけで、何かと寂しいのだろう。俺は部屋へ招き入れることにした。

「おわ」

 玄関から入ってまっすぐのリビングに来た途端、瑞穂は歩みを止めた。そこらじゅうに散らばる通販のダンボールとペットボトル。山済みのマンガ。CD。コンビニやデパートの袋。そしてそれらの一番最下層には、数年の間に積もったホコリが埋まっている。無論、一番上層部にも同様のホコリが散りばめられている。

 俺はそれらを足でどけながら、大きなソファーに腰を下ろした。これは結構高級なもので、数十万くらいした奴だ。目の前にあるガラステーブルだって高かった。これもうんじゅうまんだ。

「まぁ適当にくつろいでくれよ」

「は、はぁ……」

 このリビングは一応、来客用の部屋として使っていた。もっとも来る奴なんてのは正光とレイくらいしかいないのだが。女でこの家に入るのは、瑞穂が始めてである。

 ガンダーラマンションズの間取りは数種類あるようだが、俺の部屋は長方形に伸びる間取りであった。玄関の左右に洋間があり、その先に便所と風呂と台所。突き当たりはリビングルームで、その左右に和室とまた洋間がある。リビングの奥はバルコニーになっていて、今は夕暮れ時の真っ赤に染まった空がそこから見える。ずっとカーテン引きっぱなしだけど。一人暮らしには贅沢すぎるスペースである。

「しかし、部屋が広すぎるってのは俺もおんなじだな。俺も結局ここ(リビング)とそこの部屋しか使ってねぇ」

 俺は和室と反対側のドアを指差した。

「あっそうか。別に全部の部屋を使わなくても、いいのか……」

「使おうとしてたのかよ」

「……まんじゅう」

「…………」

「あの、向こうの部屋、見てもいいですか?」

「ん? あぁ、別にいいが」

 俺が寝るときに使う部屋のドアを開ける。するとリビングよりも汚い部屋が現れた。

「おわっ……」

 またもや瑞穂は声を漏らしてしまったが、そうするのも無理はない。最悪だ。俺が自分で言うのもなんだが、最悪だ。綿ボコリとマンガとゴミでいっぱいだった。一応、制服とかそういうのは鉄パイプを縦に突き刺したような感じの服かけにぶら下がっている。

 歩く場所だけ何もなく、その両脇には何かが山積みになっているこの部屋は、まるで険しい山に一本しかない山道を連想させた。そして一番奥にはベッドがあるが、上にしかれる布団は年末年始に一度だけ洗浄される。

「うるせぇな。別に誰か来るってわけでもねぇしいいだろ」

「う〜むむむ……。あっ!? あぁ〜! これ、これこれこれ〜」

 何を見つけたのか瑞穂はつま先歩きで部屋の中に入ると、机の上にある昨日の夜のカップラーメンに近寄った。

「兄様? これってカップラーメンですよね!」

「あ、あぁ。その通りだが……?」

「おわぁ〜、初めて見ます!」

「……う、うそだろ?」

 それを片手で持ち上げ、くるくる回したりなんかして観察する姿はなんともおかしげだ。しかし、いよいよ瑞穂の今までの生活とのギャップが出てきたのか。いくらド田舎の連中でも、これくらい知ってるだろうに。

「お前マジで言ってんのか?」俺がそう聞くと、瑞穂は真面目に答えた。

「はい。私共は自給自足なので……。もちろん、ケーキとかお菓子は食べた事ありますよ? でもこういうのは、手を出した事ないです……。テレビで見たりするけど、そのー、なんていうか、規律みたいなものがあったので」

「ふむ。いいぞ、喰ってみろ」

「え? あの、でもこれ……冷めております……」

「おっと。どうやら喰い方くらいは知ってるみてーだな」

「むぅ〜! もー、莫迦にしてぇ! ……でも、なんでこんなもったいないコトしちゃったんですか?」

「あぁ? あぁ。いやな。本当はそれ昨日の夜喰おうと思って作ったんだけどよ。部隊からの急な呼び出し来たもんで、結局そのまんまだったんだ」

「お夕飯、ですか?」

「うむ。ちなみにその前からの歴代の夜メシはそっちのゴミ箱に入ってるぜ」

 瑞穂の足元にあるゴミ袋を指差すと、そこに空のカップが大量に入っていた。もっともタレまで全部飲んだ奴なのでそんなに多くないが。タレを残した場合、流しのゴミ箱へ入れられる。

「……ずっと、こんなのが、お夕食なのですか?」

「うむ。だって外でて喰うなんてめんどくせぇしよ」

「えっ? では、自分で作ったりなんかは……」

「やるわけねーだろ?第一イロハも知らねぇし、めんどくせ。なにより作るのに時間かかるクセ喰うのは数分で終わるってのが一番きにくわねぇ」

「うぬ〜む……」

「んだけど、今日はちょっとリッチなんだな。ホレ、来てみろよ」

 俺は瑞穂を流しまで連れてくると、そこに置いてある大きなビニール袋を開いて見せた。中には大量のカップラーメンが入っている。

「見ろ! 瑞穂。これが真のライダーの収穫だ」

 俺は不敵に笑ったが、瑞穂はあっけに取られた表情になっていた。

「月に何回か正光と買出しに行くんだけどよ。そん時に美味そうな奴とか面白そうな奴を片っ端から買ってくるんだ。んで今回俺が喰おうとしてたのは、ででーん、これだ。『スパ欧・ミソ味』」

「あ、あにさまぁ〜! もぅ駄目ですよ! こんなのばっかり食べちゃ〜!!」胸の前でこぶしを作った瑞穂がピョンピョン小さく跳ねた。「病気になってしまいますよ!」

「あぁ? クソめがうるせーな。大丈夫だ。もう俺の成長期は過ぎたんだ。あとは枯れていくだけなんだ」

「そういう事じゃないですっ! んもぉ〜! せっかくこんなにいい器材が揃ってるのに……」

 俺の流し……いや、キッチンにも一応の道具は揃っていた。フライパンやら圧力鍋やら、無駄な気もするが、なにかと最初から完備されていたのだ。

「兄様? 私がご飯作りますから、だからもう食べちゃ駄目です!」

「えっ!?」

「こんなのが毎日だから、ほら〜目の下にだってクマできちゃうんですよ?」

「ぐぬぬぬ……」

 俺は人差し指で両目の下あたりをグイグイこすった。

「ちなみに、今日の朝は何を食べたんですか?」

「……いや、なんも喰ってねぇ」

「じゃあ、その前の日は?」

「……喰ってねぇ」

「じゃ、じゃあ、その前は?」

「……覚えてねぇ」

「うむむ……こりゃまずいです」

 最悪だ。なんでこんな奴に俺の食生活を見直されなけりゃならんのだ。

「いいですか? 兄様。食事は一日三食です。朝と、昼と夜。できれば夜は少なめに」

「あ〜ぁ〜もう。わかったから、瑞穂。お前は一体なにしにココへきたんだ? ヒトんちに上がりこんで説教たれやがって。レイだっていってたろ? 他人の生活には干渉しねぇってよ」

「はう、確かに……」

「喰いたいものは喰う。作らんものは作らん。それだけだ。それだけが満足感よ」

「……」

「……まぁでも、飯作ってくれるってんなら嬉しい限りだけどな」

「あ……はい!」

「そんかわり材料ねえけど。つー事はやっぱ今日はスパ欧ミソ味だ」

「まッ!? ……まんじゅう」

 そんなことで、試しに瑞穂にもカップラーメンを喰わせて見ることにした。

「なんでもいいぞ。好きなのを選べおや」

「えぇっと……うむ。では、これを下さい」

「うお! かなり俺が喰おうとしてた奴をチョイスしやがって」

 和服の袖から少しだけ顔を出す指先に挟まれたそれには『丸がらし』と書いてあった。ソレはまさしく、俺が楽しみにしていたラーメンの一つである。

「えぇー!? あっあのわたし、そんなつもりじゃ……」

「大丈夫だ。ぶっちゃけまた買ってくればいいだけだしよ。お前がな」

「……まんじゅう」

「……。んで、あとはお湯を沸かす。瑞穂、俺はな。料理はできないが、お湯を沸かす事くらいなら出来る」

「そんな事誰でも出来ますよ!もぉ〜」

 瑞穂はふくれっつらでラーメンの透明な袋を破き、ふたを剥がした。……全部だ。

「全部だ」

「え? ……??」

 本当にカップラーメンに触れたことすらないのだろうか?俺は少し恐ろしくなった。

「瑞穂。お前の剥がしたふたの説明書きを、スタンドの目で……クソ全部言っちゃった。よく見てみろ!」

「これのですか?ふむ……。……ま」

「……」

「兄様〜! んも〜先に言って下さいよぉ! 全部剥がしちゃったじゃないですか!」

「うおっ!? あ、いやすまん」

 尾言に『ま』がついたので例のアレが飛び出すかと思いきや普通で、俺は肩透かしを喰らったようだった。

「……まんじゅう」

「……」

 時間差で瑞穂はボソリと『まんじゅう』と言い、中の袋の説明書きを熟読し始めた。まんじゅうの後にも何かぼやいたようだが、残念ながら俺には『まんじゅうみゅんみゅん』としか聞こえなかった。

「ミソはお召し上がり直前に入れて下さい。だそうです」

「ふむ。んじゃそれはストックしておけ。お湯いれた後にそれをふたの上に乗っけて、あっためるのだ」

「なるほど。後はこのかやくだけですが、これは入れてもいいのでしょうか?」

「うむ。ぶち込むがよい」

 しかし、かなり昔の記憶しかない瑞穂であったが、今こうして一緒にいても居心地の悪さをまったく感じることはなかった。その逆に不思議な安心感のようなものを感じた。コイツはかやくの袋を開けたり入れたりする時に「むんっ」とか「えいっ」とかわざわざ効果音を口に出すが、その動作一つ一つに愛嬌あいきょうがあり、俺としてはよかった。

 給湯器の熱湯をヤカンで熱したのですぐにお湯は出来た。それぞれにお湯をそそぐと、俺と瑞穂はそれをしのび足でリビングまで持って行く。

「んで、あとはこの表示の時間まで待つ」

「なるほど」

 俺はテーブルにスパ欧を置いてソファーに座る。同じように瑞穂も丸がらしを置き、その上にミソを置くと、俺の隣に座った。

「えへへ」

 近い。近い近い近いちかい。近いぞ〜瑞穂。

「兄様、たくましくなられましたね……」

 瑞穂はそういうと、俺の腕に寄りかかった。

「私も昔よりは身長伸びたけど、う〜むむです」

「ふむ……」

 俺としては結構意識しちゃう部分があるのだが、どうやらコイツにはそれがないらしい。もっとも『俺だから』というのが大前提だと思うのだが。血は繋がってないとは言え、兄弟のようにして昔は一緒に遊んだし、風呂にもはいったりした仲だ。そもそもコイツには『男』とか『女』とかいう概念がなく、ただ『頼れる兄』として見ているのだろうと思う。それに俺には一応、薬師さんという気になる女性もいることだし……。インビュードハンターだけど。畜生泣ける話だなぁまったく。くそぅ。

「今日はどうだったよ?」

「今日ですか? 今日は……すごく疲れました…。電車に乗るのも初めてでしたし、もうどうなるのかと……」

「だろうな。まぁよくやった」

 大胆にも俺は瑞穂の肩に腕を回して頭を撫でてやった。そうしてやると、うつむいて顔を赤くする。『大胆にも』などと自分でいうのもアレだが、またしてもやってしまった。悪い癖だ。

 俺は他人に対して恥ずかしいような身振りやセリフを良く言う事があるけど、なんでそうするのか分かってきたような気がした。それはこの瑞穂の成長っぷりを見れば分かる。『こういう世界』で俺は育てられてきたのだ。男も女もない。ただ、降りかかる火の粉を討ち断つための『武器』として。

「隊長との面接の時も……すごく緊張しました……」

「またんなこと言ってこのドテチン。かなりの饒舌じょうぜつっぷりだったじゃねーか」

「え!? あの、聞いてらしたのですか?」

「あっ!? あーいやその」

 俺は咳払いしながら瑞穂の頭をぐらぐら揺らしてごまかした。「それよりも」

「お前まだ十五になったばっかりって言ってたな。そんであんだけ英語も喋れるなんてよ。すっげぇな、真面目にビビッたぜ」

「そんなぁ……。あの、えと、なんていうか、環境の違いですよ。誰だって、きちんとした学習をすれば、できるようになるんですよ」

「ならいいんだがよ……」

「そうですよ」

 しばらく二人はくっついたまま沈黙した。しかしやはり居心地の悪さは感じない。とてもいい具合だ。

「そういやお前、飛影剣ひえいけんはどうしたんだ? 結構中途半端に抜けてきちまったんじゃねえのか?」

「えぇと、その事なんですが……。えへへ。その、自慢じゃないですけど、私けっこう剣術に向いてた見たいで……。大体の技は習得しました」

「ほお! んじゃあれか? 飛影操糸断ひえいそうしだんもか?」

「あれは……いちおう、型だけなら……」

「なーんだ畜生。それは俺もだ。型しか知らねぇ。本場のあれが見れると思ってちょっと期待したんだが……」

「うむむ……。す、すみません。……恥ずかしながら、実戦で鍛えて行こうなどと勝手に思っていたので……」

「なるほどな。でも実戦で練習するくらいになるには、まず実戦に慣れなきゃならんだろうな」

「……どう、ですか?実戦は……」

「あぁ?そうだな……。結構きついかも。最初はかなりビビると思うぜ。あ、でもお前は下地がいいからな。そうでもねぇかもしれんが……俺と正光は、最初すっげぇビビッてた」

「人を、斬る事をですか?」

「そうだな。まぁ基本的にDSディスティンクションスラッシュでアストラル体だけをぶった斬るんだが……それが出来るようになったのは本当に最近の話だ。最初はとにかく、わけもわからず体ごと真っ二つよ。覚悟はしてたけどやっぱ結構堪えるもんだな、最初は。……それと、あれだ。瑞穂。敵を殺すのよりもっと堪えるのが、仲間が死ぬ事だ」

「……」

 その話題になると瑞穂は黙ってしまったが、頭を撫でてやりながら話す。

「俺が入ってからエルベレスはかなりの数をこなして来たけど、その間に三人死んで、一人が片足を無くして、戦線離脱した。まぁ少ないほうだろうな、実際。でも、だからなのかな……? どうしたもんか、穴が開いたっつーか、ソイツがいきなりいなくなると、不思議と寂しくなるんだ」

「……」

 三人。そしてその中の一人はほかでもない、俺が始末してやった。仲間を裏切りやがったクソ野郎だったからな。その事を今言うべきか迷ったが、沈黙を続けているうちにいつの間にやらラーメンタイムがやってきた。

「おっと。まぁ飯だ飯。しょっぱい話は止めようぜ」

「……はいっ」

 俺達はカップラーメンに近寄る。瑞穂が丸がらしのふたを開けると、もわっと湯気だってプレーンな麺の香りがした。

「おわぁ、すごい。ホントにラーメンになってる」

「スタンドの手でミソを中に入れてみろ」

 いよいよぶっちゃげてしまった俺は、スパ欧を持って流しへ向かった。リビングから「どうしたんですか?」と声がしたが、「俺のはお湯を捨てねばならんのだ」と言い返す。

「お湯がはいってたらスパゲッPじゃねぇだろ。んで、お湯をきった後にこの特製ミソダレを……」

「へぇ、なんだかそっちのほうが美味しそうです。私のはなんか、辛そう……」

 スパゲティーのミソ味を美味そうという瑞穂の感覚はあれだと思うが、コイツのカップの中は真っ赤に染まっていた。確かに辛そうだ。いや俺にはそっちのほうが美味そうに見えるぞ。

「うーむむ。丸がらしの名は伊達じゃない。からいぞ〜?」

「うぬぬ……。がんばります、では、いざ。いただきます」

「ねればねるほど、色が変わって、こうやってつけて……うみゃぁ〜〜い!」

 瑞穂が両手を合わせてお辞儀するのを横目に、俺は勝手に喰いだしていた。

「あぁ!? あー! もー、ちゃんと挨拶しなきゃ駄目なんですー!」

「デレレレッテレー! ねって美味しい、スパ欧ミソ味」

 ほほ〜、スパにミソってのもなかなか美味いなこりゃ。考えたものだ。

「うひゃん! んん〜ッッ!」

 かわいい悲鳴がした。「どうした?」

「か、辛いですなぁこれ……」

「ドゥッ!? ハハハハ!」

 いつもの喋り方じゃない瑞穂のセリフが何故か面白く、いきなり俺は吹いてしまった。

「お前デカデカと『中辛』って書いてあんだろうが。なんでんじゃこれ選んだんだ?」

「だ、だって。まんなかくらいの辛さなら、大丈夫かなって……辛いの好きだし」

「おうおう。んじゃ美味そうに喰ってみろ」

「ま……まんじゅう」

 そして二人は黙々とカップラーメンを貪っていたものの、瑞穂は途中でやはり挫折してしまった。とてもじゃないが、辛くて喰いきれないらしい。

「ふえぇ〜、口の中がかりゃい〜〜。あにひゃみゃ〜……」

「なんだかなぁ。クチん中ゆすいでこいや。あと冷蔵庫ん中に適当な飲むやつはいってっから、なんか持って来い」

「ひゃいぃ〜〜」

 瑞穂はパタパタと流しへ向かった。しかし、このスパ欧ミソ……。最初の出だしこそ好調なものの、なんか中盤が微妙だ。完食するのは余裕だが、どうも単調すぎて飽きてくる味である。

「はぁ……。まさかこんなに激辛ラーメンだったとは……丸がらし恐るべしです」

 流しから戻って来た瑞穂の手には牛乳とコップ二つが器用にもたれていた。あれ?確か牛乳のほかにコーラが入ってたはずだが……。いや、まさかな。

「……瑞穂。これの隣にあった黒いペットボトルは、何だと思う?」

「え?えっと……こ、コカコーラボトラー製品じゃないですか?」

「さすがにわかったか」

「んも〜!」

「おっと。いや、すまんすまん、もうからかったりしねぇよ。でもぶっちゃけ、俺にはお前が、何を知ってて何がわからんか知らねーからな」

「う〜むむ」



 そうして、いつの間にやら時間は七時半を過ぎようとしていた。くっちゃべると結構時間がたつのは早いものだ。

「ふむ……。そろそろ瑞穂。部屋に戻っちゃどうだ? 一応そろそろプライベートな時間も差し迫ってきた感じだしよ」

「……。あ、あの、兄様」

「ん」

「その、……も、もうすこし、いちゃ駄目ですか?あの、寝る頃くらいまで……」

「寝る頃ってよお前……。……まぁ、別にいいけど、別になんもする事なんてねえぞ。俺はそろそろ風呂でも入ってゴロゴロしようかと思ってんだが……」

「あの、大丈夫です。ここにあるテレビ見てるだけで、私なら一ヶ月くらい過ごす自信があります」

「……それはそれですげぇな。まぁんじゃ、なんかしててくれ。その辺にある適当なソフトとかやっていいしよ。STGしかねぇけど」

「わぁ! 実は気になってたんですこれ〜!」

 瑞穂は子供のように(子供なのだが)家庭用ゲーム機に飛びついた。

風呂場に行くとタオルをセットして服を適当に脱ぎ、曇りガラス戸を押し開ける。そして湯気立つ浴槽に体を沈めると一気に気持ちが楽になった。両足をうんと伸ばして楽な姿勢をとり、ゆったりと上を見上げた。

 そして数分後、そろそろ体でも洗おうかと思っていた頃だ。

「あの〜、兄様?」

 曇りガラスの向こうに瑞穂のシルエットが現れた。

「なんだ? 便所の電気ならドアの隣だ」

「そんなの見れば分かりますよ! あの、私もついでにお風呂、ご一緒したいのですが」

「……」

 多分正光なら、『なにぃぃーーー!?』といつものセリフを言っていただろう。だがあまりにも突然すぎてタイミングを逃してしまった……しかし、やっべ。今更だがすっげぇそれを言いたい気分だ。

「いやまぁ、入りてーってんならかまわんのだが……」

「あっそうですか?よかった。じゃ、失礼します」

 そうすると、瑞穂のシルエットがもぞもぞ動き出し、和服を脱ぐ仕草をしだした。

「なにぃぃーーー!?」

「おわっ!? えっな、何かしました!?」

「えっ!? あーいや、なんでもね……」

 とうとう言ってしまった。いやだが、タイミングが遅すぎる。この状況なら『脱いでるぅーー!』だ。

 扉を押しのけて、瑞穂は一糸纏わぬ姿で登場した。

「えへへ〜」

「脱いでるぅーー!」

「あれっ!? いやだって、脱ぎますよ、ね? よね?」

「えっ!? あーいや、まぁそりゃそうだが……」

 またまた言ってしまった。いやだが、タイミングが遅すぎる。この状況なら『ジャグジイイイ!』とか『ストレンジャアアア!』とか、後半に余韻が残るタイプのダメージボイスが一番好ましかっただろう。

「にへへ〜。兄様とお風呂に入るのは、かなりお久しぶりです」

 コイツは無邪気に笑いながらなんの抵抗もなく浴槽へ入った。ザブンとお湯があふれて、俺は伸ばした脚をちぢこめた。

「……」

「あれ、なんか少しこっち狭いですね……そっちいっていいですか?」

「……あ、あぁ」

 俺の胸に瑞穂は背中をくっつける。すると俺の体は勝手に伸びて、先ほどのリラックス形態に戻った。その上に、同じように瑞穂も重なる。

「ひゃあ。今日は疲れましたぁ……」

 コイツはわざとやっているのだろうか?今度は俺の両腕を持つと、自分の腹の辺りを回すようにして配置した。莫迦、そんな事をされるとエレクチオンしてしまうではないか。というか、もう手遅れだ。なってる。畜生コイツめ何考えてんだ。

「……みずほ」

「?」

「……」

 瑞穂は何も考えていないようなそぶりだ。だがコイツは今日見てきた感じ、かなりのポーカーフェイスができる。……しかし、それは俺以外の奴らに対してだ。

「……一応言っておくが、俺とお前はなんとやら」

「?」

「あ、いやちげぇ今のNG」頭が混乱して来た。片手でお湯をすくって顔を何度かこする。

「あのな、瑞穂。おまえは一応女の子なんだぞ?それがお前、なに男と風呂はいってんだ。意味わかってんのか?」

「え!? あ、あの……。私と、兄様は、別にあの、そういうのじゃないから……」

 その瞬間俺の背景には『ガビーン』と書かれていただろう。確かにその通りだ。うむ。だが、実際言われるとかなりSHOCK! って、やばいな。だんだんと正光化してきた。クソ、冷静にならなくては……。

「ふむ! なるほど」

「それに、一人で入るよりは、みんなでお風呂に入ったほうが楽しいし……。あ、でもみんなって言っても、こっちじゃ私と兄様しかいないのですが……」

「確かに、複数で風呂に入ったほうがおもしれぇのは俺も同じだ。しかしだな? 瑞穂。それじゃ俺じゃなくて正光が中にいたとしたら、それでも入るのか?」

「そんなぁ、兄様がいないのであれば入りません」

「んじゃ俺がいたら入るのか?」

「さすがにタオルを巻きますけど……」

「Oh,MY GOODNESS!」

「おわぁ!?」

 俺は叫ぶのと同時に勢い良く立ち上がった。腹の上に乗っかっていた瑞穂は前のめりになり、顔面からお湯の中に突っ込んでしまった。

「やいやいそこのハニーベイビーラブシュガー! テメェ『羞恥心』ってのがなさ過ぎんじゃねーのか!? いいか! 戦花じゃ女しかいねぇし上下関係激しいからこういう事はねぇかもしれんが、下手すりゃお前、正光とかその辺の連中から喰われちまうかもしれねーんだぞ!?」

「そ、そんな事はさせませんよ! 私だってわきまえてます」

「んじゃなんで俺がいたら奴とも入るんだ! なんでだ!? えぇッ!?」

「それはっ、その、兄様のご友人は、そんな事しないと……」

「んもうまったくみずほっっちゅわん! お前はなんていい子なんだぁぁアーッ! ちげ! 逆だッ! E子ちゃん過ぎるゥゥゥーー!!」

 ザブンザブン! お湯が揺れてこぼれまくる。

「いいか伯爵よく聞け! ここの人間を向こうの奴らと一緒にすんじゃねぇぞ!?全員飢えたハイエナだと思え! きたねェよだれ垂らしながら喰い物を探す犬畜生と思えよあああああ!」

「……」

「現によ瑞穂! お前は今まさに、俺から喰われちまいそうなんだぞッ!? あぁ!? 喰われてもEってのかYOロリータバイリンガアァァーーール!?」

 俺が熱弁を振るい終わると、しばらく瑞穂は黙りこくっていた。だがそんな瑞穂は両腕を動かすと、俺の左手を自分の乳房に乗せ、顔を上に向けて俺を見上げる。

「……あの、兄様になら……私、別に食べられてもいいです……」

「………」

 最悪だ。アレだけ言えばビビるかキレるかすると思ったんだが、お前、何考えてやがる……。

「……ハァ」

 俺は一気に興冷めてしまった。莫迦らしい。

「瑞穂。俺がお前に、手ぇ出せる訳がねぇだろうが……」

「えへへ。兄様はそういうトコちゃんと分かってくれてるから、一緒に入れるのです。うふふっ」

 ハァとため息を付いた俺は、浴槽の中に沈んでいった。瑞穂も肩を沈め、結局またさっきの体勢に戻る。

「もっとおっぱい触りたいですか?」

「クソ、なめやがってこのガキが。お断りだねこんなカバーガラス」

「カバーガラスって……あっ!? 超薄いじゃないですか! それはあまりにもひどすぎですぅぅ〜〜!」

「日本の最先端技術は、薄型携帯とか超小型ICチップとか、何かと小型にするのに長けているみてーだが、お前もあれか? その余波か?」

「ふえぇ〜んカバーガラス……ひどいです〜……ドゥフッ! だはははは!」

 俺の発言がそんなにツボだったのか、瑞穂は足をバタつかせながら笑い出した。

「おわっ! テメェ銭湯じゃねぇんだぞ! 騒ぐな! お湯もったいね!」

「だって、カバー……ひゃふっ、おなかいた……はひっ……」

 俺の腹からずり落ちていく瑞穂の両脇をかかえ、俺はコイツを安定する位置まで持ってきた。

 ……なるほど。いや、だが不思議だ。この関係。『居心地がいい』とかそういう次元ではなく、もっと根底からの何かを感じた。コイツといると、なにかよい。性別を超えた不思議な関係とでも言えばいいのだろうか?

「えへへ〜」

 何気にコイツは俺の顔にほお擦りしてきた。しかしどうだ。いつのまにやら俺のエレクチオンは納まっていたのだ。

「……まったく」

 濡れた手で髪をいてやると、コロコロとよく笑った。熱気によって火照った顔がかわいらしい。フゥと俺は上を向いて息を吐き、瑞穂を沈めないようにして肩までつかった。俺の両腕を自分の腹でクロスさせて、瑞穂も同じようにリラックスする。……やっぱり、なんか良かった。

この後、さらにフロシーンが続く『睦月の妹 中』がございますが、正直飽きてしまった方のために『睦月の妹 後』を御用意いたしました。

 しかし本作品で唯一のほのぼのシーンであるので、興味のある方は中⇒後とお進み下さい。


ーーー


◆地名


出来根市できねし

 正光達の通う槍杉学園がある市で、舞台の中心となる。


バーわけあり

 エルベレスの基地。表向きは会員制のバーとなっている。


槍過学園やりすぎがくえん

 正光達が通う学校。小中高と一緒の学校である。


猪鹿町いのしかちょう

 正光のマンションがある町。耶馬芽の南に位置する地区。


ガンダーラマンションズ

 正光の住むマンションの名前。住所は『出来根市猪鹿町1−26』。


耶馬雌やばめ

 出来根市の北側に位置する地区。


耶馬雌病院やばめびょういん

 出来根市耶馬雌にある大きな総合病院。


多荷市たにし

 出来根市の隣、東側にある市。


中田市なかたし

 出来根市の隣、北側にある市。


徒歩湖市かちこし

 出来根市の隣、南側にある市。今はゴーストタウンとなっている。

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