02:二つの指令
02:二つの指令
俺が家に帰り、夜食のカップラーメンのお湯を注いだ途端に携帯が鳴った。机の上に置いていたのでガタガタうるさかったが、携帯から流れるメロディーが『エルベレス』からの電話だと教えてくれた。俺は急いでお湯を注ぐとふたをして、電話に出る。
[Hey,ムツキ?]
携帯を耳に当てた途端外人の声がしたので一瞬間違い電話かと思ったが、電話先を考えればそれはない。外人の声というのは区別が付けづらかったが、この声は聞き覚えがある。
[ah……command? A2? シュウゴウ? office? イマスグコイ、バカタレ]
どうやらチャコが珍しく美咲さんの手伝いをしているらしい。
「チャコか?あーっと……えー……」
[whay?]
しかし面倒なものだ。英語しか喋れないチャコが、英語を喋れない俺に電話で指令を伝えるとは。しかも今更だが、最後の奴のセリフがムカツク。この野郎なめやがって……。
「あー……アイム、ゴートゥーザ、バーわけあーり。ナウ。オッケー?」
[Oh Yher〜! イマスグコイ、マヌケ]
「クソこんやろ……ヘイ!ヘイヘイヘイ、ちゃこちゃこうぇいてぃん!」
[ahh?]
「チェンジ! あー……ユー、チェンジ、コール、みさーき!」
[ah? yesyes,wait]
チャコが俺の適当英語を無難に聞き分けると、すぐに電話は美咲さんに代わった。
[代わりました。ごめんね〜やっぱり無理だった?]
「あぁ〜いや、まぁ俺も英語が駄目なのがいけないんだと思うんですけど…」
[う〜ん。まぁしょうがないか。で、内容は分かった?]
「なんか……つか、大体この電話なるって事は本部集合って事ですよね。A2(エーツー)で集合、オフィスに今すぐ来いバカタレって言われました」
『A2』とは『警戒態勢ランク中』という俺たちの部隊用語である。A1は急ぐ必要のない指令。A2は今後動きがあるが、今の時点では知るだけでよい事。A3は緊急のエマージェンシー。と、本当はもっと難しく分けられるのであろうが、俺は単純にそう解釈している。
[あ〜……、まぁ、彼女口が悪いから……。まぁでも、そういう事。指令内容は、いい事と悪い事の二つよ。A2くらいならチャコでも大丈夫かと思ったんだけど]
「ふむ。分かりました」
[あと。正光君は外にいたみたいだから、そのまま行くらしいわよ]
「どおりで向かいの部屋が暗いわけだ。了解です。すぐ移動します」
[じゃ、よろしく]
電話を切った後すぐ俺の目に入ったのは、作りたてのカップラーメンだった。
それから数十分後、俺は出来根駅を取り囲む繁華街の裏路地をチャリで移動していた。周りはいやらしいピンクバーや風俗店がびっしりと並んでいる。こんな時間に十七歳の俺がこの辺に来るというのはアレな気もするが、場所が場所なのだから仕方がないのだ。
そんな如何わしい店の隙間に『バーわけあり』はある。扉にはクローズの看板が店内から下げられていて、ガラス越しに見える店内も真っ暗だ。
チャリから降りて建物の隙間を縫って裏側へ行くと、正面の入り口とは正反対に小汚い裏口がある。既にそこには二台のチャリが止めてあったが、二台あるのが不思議と気になった。一台は見覚えのある正光のであるが、もう一台がわからん。もしかすると? という予感がしたが、まぁ中に入ればわかるはず。
正面の入り口からでは分からないが、裏口からは中の光が見えた。俺は鍵を使ってドアを開け中に入ると、やはり俺の予感は的中していた。オレンジのランプが光る店内には、俺の戦友『染井正光』がバーのカウンターに座っていた。そしてその隣に、この場所ではまだ見慣れない『泉香奈子』も座っていた。彼女はひょんな事から、モリエイター同士の殺し合いに巻き込まれてしまった可哀相な女の子である。先ほどの予感というのも、もしや彼女がここに来ているのではないかというものであった。
「オッス」「あ、どうも」正光と泉さんは俺を見つけると軽く挨拶をした。「おう」俺も片手を上げる。
「なんだい……泉さん。アンタまで呼ばれるなんてな……」
前回の彼女の件で、学校で会うのなら話は別だが、やはりこういう場所で会うのは気がめいる。俺は申し訳なさそうに言ったが、彼女は「いいの」と言い返した。
「もう、私、迷わないから。だいじょぶ」
「……。そうか。そうならいいんだ。強い女だ、アンタは」
何も知らず、だがモリエイターとして強制的に覚醒させられてしまった彼女にとって、あの時から『いつもの毎日』は消えてしまったのだ。変わりに用意された彼女の世界は、インビュードハンターから逃げ惑う日々と、強行派との血生臭い殺し合い『だけ』の世界だ。ほんの一ヶ月前は普通の女子高生だった彼女にとって、その変化はあまりにも過酷で急すぎる。しかしそれでもそう言ってのけた彼女は、純粋に強く、たくましいと思える。
「役者が揃ったな。俺と泉さんとで、お前を待ってたんだぜ」
正光が丸い椅子に両手をついて仰け反りながら言った。「なに言ってんだ。本当はもっと遅れてきて欲しかったんだろうが」まぁいつもの予定調和だ。俺はすぐに言い返してやる。
「その方が二人っきりだしな。薄暗くて静かな部屋だ。ムフフ、です。とか言って、気安くタッチしてんじゃねぇぞ」
「するか莫迦!」
「あ、アハハ……」
カウンターの奥の部屋に行くと、二メートル程ある巨大な大型冷蔵庫がある。正光はその扉に向かってわざとらしく咳払いをすると、冷蔵庫が微妙に振動した。天井には隠しカメラが設置されており、侵入者を自動的にAIが感知して隠されたギミックを作動させるのだ。正光が扉を開くと、中は冷たくなった食品が並ぶ戸棚等は一切なく、人間が二人入れる位のスペースだけがあった。
「さ、さささ。泉さんどうぞ」
正光がまたもやわざとらしく手を中に向けて彼女をエスコートする。そして俺のほうを見向きもせずに、今度は自分が中に入ってしまった。
「あ」
「ムフフ、です」
「テメェこのやろ!」
ムカツク笑みを浮かべた正光の顔がゆっくりと下へ降りてゆく。入れ替わるようにして、今度は上から冷蔵庫の『中身の部分』が降りてくる。つまるところエレベーターだ。数十秒後、何も乗せてない部屋に俺一人だけ乗り込むと、勝手に部屋は下へ降り始める。
足元から徐々に下の部屋の光が上がってきた。エレベーターが止まると、鉄格子を横に引いて足を進めた。
地下の空間へ降り立った途端に世界が変わった。目の前に広がるのは、真っ暗な部屋に電子機器が放つグリーンやオレンジの蛍光色だけの世界。さしずめ空母の司令室のようだ。機材郡の奥は広いミーティングルームになっており、いつもそこで様々な作戦や命令が言い渡される。
奥には全員集合していた。
このエルベレスの司令官『レイ・シュレディンガー』。歳は三十台前半、イギリス人だ。髪の毛は何故か真っ白で背が高く、いつもビシッときまったスーツを着ている。
彼の副官であり、先ほど電話を変わった『銀美咲』。日本人で、歳は知らないがレイと似たような所らしい。ロングヘアーの大人びた女性で、特記としては胸がデカく、目のやり場に困るのが難点だ。
最近新しく加わった最初の電話の主『チャコ・シルペン』と、同時に加わったチャコ付きの翻訳係り『マッキー・ブラック』。どちらもアメリカ人である。長いブロンドの髪を後ろで束ねた女がチャコ。二十台後半といったところか。マッキーはまるでハリウッド映画俳優のような素敵な筋肉を持つ男だ。年はやはりレイくらいで、シュワルツネガーとかスタローンとか、そんな感じの分かりやすいマッチョ体系である。
着物姿の渋い男『大槻刃』。日本人で、彼は俺の師匠だ。今年で四十五歳になる師匠だが、鍛え抜かれた肉体は着物越しでも分かる。短髪のオールバック、着物だけじゃなく革ジャンも似合いそうな風貌をしている。
そして正光と泉さん。正光は俺に泉さんの隣は座らせねぇぞと言わんばかりに、わざわざ泉さんを師匠と自分で挟むように座っていた。よって俺は端っこに座る事となる。ここは画面がみずれーんだよクソが。
俺も含めてエルベレスは総勢八人の少数部隊である。数は少ないが、今までその倍以上の強行派の部隊と何度も交戦し、それを撃破してきた。
「来たか。座ってくれ、始める」
レイが部屋の中央へ来ると照明が絞られ、部屋の壁には数々の写真が投影された。美咲さんが奥の機械でそれらを操作しているのだ。
「アラートレベル2|(A2)を発令したのは、今日の昼頃送られてきた伝令によるものだ」
レイが部屋の中央へ来ると、部屋の壁辺りに投影された数々の写真が映し出された。美咲さんがパネルでそれらを操作しているのだ。
写真は、今俺たちのいる出来根市を中心にした地形が映し出されている。そして赤と青の『凸』マークが散り散りに浮き出ていた。
「これを見る限り、ここ数週間に渡り敵の小隊が出来根市に徐々に集結しているのが分かる。もっともこんな事はいつもの事で、結局また『アストラルガンナーズ』の連中が勝手に処理するんだろうが…。今回は微妙だ。次を出してくれ」
今度の映像は地形ではなく、まるで監視カメラや望遠レンズから撮られた写真が数枚映された。それぞれ、危なげな銃器をもつ人物達を捕らえている。
「どうにもこいつらが動いているという情報が入った。部隊名は『MAGIC ARROW』」
「(気に喰わねぇスかした名前だ)」
説明の合間に、チャコが俺にわからない英語でぼやく。師匠は英語が分かるので、フンと鼻で笑った。英語の知識が無い俺が言うのもなんだが、チャコの喋り方はかなり訛っているらしい。
俺はその名前を敵部隊のリストで見た覚えがある程度であったが、リストに乗る位だ。厄介な相手なのだろう。
「数は八名。前衛六、中衛一、後衛一からなる、俺らと同じたぐいのヒット&ヒット|(押して押す)主体のやりづらい相手だ。大まかではあるが、一応の戦力詳細もある。前衛は一人イマジネーターと、ほか全てインテュインター。中衛はその後方から火器による支援。スタイルは不明。んで後衛は厄介なスナイパーだ。どうにもアーチェリーをモリエイトして千メートル先からぶっ放してくるらしい」
ヒュー、と、チャコは口笛を吹いた。「(オリンピックに出りゃ金メダルでオセロができらーにゃ)」
「だが、残念なことにモリエイトした矢は一般人には見えん。的だけぶっ壊して国中大騒ぎだ」
レイはチャコのジョークを軽く流す。その二人のやり取りは手馴れているように思える(もっとも、チャコのセリフが英語で『オリンピック』『オセロ』の二つの単語しか俺には理解できなかったが)。マッキーがチャコに先ほどからレイの日本語の説明を英訳してチャコに説明していたが、その返答を聞いてハハンと笑った。「(ちげーねぇ)」
「前衛は電撃戦法で瞬く間に前線を突破してくるらしい。どこの部隊もこいつらのせいで『喰われた』。スナイパーの腕もさながら、前衛の連中もかなりの精鋭だ。だが、俺らとて奴らと同じ戦法だ。それに奴らと違うところは、荒削りじゃない、精錬されたモリエイターの集団であるという所だ。上手く前衛の勢いを止めれば、勝機は十分ある」
そうして彼は大まかな作戦を話し終えると、映像は最初の地形をもう少し縮小した地図を映し出した。
「次はこのマジックアローとの大まかな交戦時刻の予想だ」
更に地図の上に青い矢印が四方からいくつも伸び、都市を中心として渦を作る画像が重なる。レイの話が進むにつれ、それの中心が徐々に赤いグラデーションの円で濃くなっていった。
「……一応、泉はほとんど素人だからな。いちから説明しておく。この青い矢印は自然のアストラル体の流れを表している。アストラル体は地球の空気みたいに常に流動していて、やはりそれと同じく、流れが速かったり遅かったり、澱んだり澄んだりする。それらの変化の影響で、この映像みたいにある一定の場所に大量に流れ込む現象が発生する。これを我々モリエイターは『アストラル乱流』と呼び、インビュードハンターは『ストラクチャー』と呼んでいる。ちなみに俺たちもストラクチャーって呼んでる。『洒落てる』からな」
泉さんはストラクチャーの意味を知らない様子だったので、正光は片腕で釣竿を持ってルアーを飛ばしてやるような仕草をした。
「『釣り用語』で、桟橋とか岩とか、そういう所の事をストラクチャーっていうんだ。大体そういう所には魚がいるからね」
「釣り用語……」
「インビュードハンターってのは、どうにも自分達のほうが立場が上だと思ってやがってな。そういう色んな言葉を使って、俺たちを獲物と見立ててるんだ。まったく、笑っちまうよな。俺達が魚だなんてよ」
「……」
正光に続いたレイの言葉は泉さんにとってシュールだったのだろうか?彼女は困った表情をして少しうつむいた。
彼は話を戻す。
「ストラクチャーという状態は、四方から大量に流れ込んだアストラル体が濃度を増して、更に入り乱れた時に発生する。この状態は俺たち人間にとって害のないモノなのだが、インビュードハンター側からしてみれば厄介な状態らしい。と言うのもストラクチャーとなった場所では、奴らは『発生』する事が出来ないらしいのだ。だからこそ俺達はこのストラクチャーでの交戦を主とする。もっとも、『だからこそ』、このゾーンが奴らから『ストラクチャー』等と皮肉られる訳だが……。それと、都合がいいのか悪いのか知らないが、ストラクチャーでAOFを展開すると、この範囲全体を一気にアストラルストームでかき乱す事ができる。つまり一般人を全員眠らせることが出来るんだ。そういう事もあり、俺たちが大掛かりな事をやらかす時は、この誘発を上手く利用している」
次に、赤いグラデーションの外側ぎりぎりの地点に赤枠の凸マークが数箇所表示された。
「この出来根市が占領可能な程ストラクチャーが広がるのは、大体四日から五日後だ。これが最大で、後はしぼんで行くという通知が入っている。奴らが攻めてくるとしたら、このポイントのどれかだ。今の段階ではこの程度しか予測できないが、のちのち敵の動きで把握できるだろう」
それからレイの話が終盤に差し掛かると、彼は質問はないかと聞いてきたので俺は片手を上げた。即座にレイはうなづいて、俺の目を見る。
「交戦中、スナイパーから狙われた時の対処と、殺す方法は」
『殺す』などという言葉を俺は日ごろよく使うが、こういう場所で聞くと印象が違うのだろうか?泉さんは何気に少しばかり俺のほうを振り向いたような気がした。レイはまた頷く。彼の姿勢は、疑問に思う事があればどんなつまらない質問でもしろ、というものだ。現に俺のようなひよっこにも真面目な返答を返してくれるので、俺は彼に厚い信頼をおいていた。
「基本的に狙われたらこっちから手の出しようがない。結果、尻尾を巻いて逃げ惑う羽目になるんだが、逆に狙われている状態でなければ分からない事がある。敵の居場所だ。どの方向から、どの距離で、どんな間隔で撃って来るかを的確に捉えろ。狙撃についてだが、それを回避する手立ては遮蔽物を盾にするくらいしかない。あとは常に動き回って狙いを絞らせないことだ。だが、睦月。お前に限ってはカウンターシールドを使えば防げるかもしれん。状況に応じて対応しろ」
俺は深くうなづく事で相槌を打つ。
「そのクソ野郎をブチ殺す方法だが……、やはり距離が遠いと逃げられる。それに『獲物』をモリエイト出来る訳だから、多分において移動しまくるだろうと思われる。やるとすれば、奴の視界に入ってない誰かが逆に狙撃してやるか、もしくは一気に接近してケリを付けるかだ」
なるほど。俺は言葉を返した。
「さっきの作戦でも言ったが、このエルベレスは一人一人の戦闘レベルが高い。よって開幕時、早々に敵を撃破した誰かはスナイパーの方へ移動、その間奴の目をそらし、残りは前衛の殲滅。敵の数が少なくなったら包囲するように陣形を取る。そこからは『ダルマさんが転んだ』だ。野郎が見てない奴が距離を詰め、撃破する……というのが理想だな」
「(前衛にてこずったらどうすんのさ)」
俺の返答をするレイに、チャコが割って入った。相変わらず英語で喋るので内容は理解できない。
「前衛にてこずった場合?(愚問だな。お前の銃にはBB弾でも詰まってんのか?)」
「(ホホ〜言ってくれるじゃにーか)」彼女は左のホルダーからプリズムシューターを抜いてレイに向ける。「(試してみるか? 新しいケツの穴をこさえてやんよ!)」すぐキレる奴だぜ。
「(フン、それでいい。敵が見えた瞬間ソイツをどたまにぶち込んでやれ。『てこずらせない』事だ。チャコ)」だが銃口を向けられているレイは表情を変えない。「……」チャコは反論する言葉が見つからないのか、プリズムシューターをくるくる回してホルダーに収めた。
「もしてこずった場合の対処は極めて難しい。そうなるという事はつまり前線が膠着するという事だからな。状況は秒単位で悪くなるばかりだろう。だから開幕が大事だ。最初のタッチダウンを上手くやるしかない。お前らの腕の見せ所だ。他の連中とは違うって所をクソ野郎共に見せつけて、震え上げさせてやれ。……ほかに何か質問は?」
レイは全員に目をやったが、誰も答える者はいない。
「ではこの件は以上だ。敵が動き次第、アラートレベルを2から3へ移行する。各自、気を引き締めておけ。以上だ」
そこでミーティングは終了した。投影されていた映像が消えると一瞬真っ暗闇になったが、すぐに蛍光灯の白い光が部屋を満たした。全員がホッと息をつく瞬間だ。体を動かして緊張をほぐしていると、またレイが口を開いた。
「あと、もう一つの指令の事だが……。エルベレスに、またまた隊員が一人加わることになった」
その言葉にそれぞれが声を上げる。
「急なことに、明日の昼到着予定だそうだ。まったくこういうのは普通、数ヶ月前とか、せめて一週間前とかに言うもんだが……クソ。なに考えてやがるんだか」
さっきの真剣な口調とは違い、レイはぼやく様に言った。
「その新しい奴ってのが、これまた誰かさんみたいにいわく付きの奴でな。しかしまぁ、戦力としては申し分ない奴みたいだ」
「(アァン? 誰の事だって〜?)」
翻訳されたソレを聞いて、チャコがレイを笑顔でにらみつける。彼はしらをきった。
「おっと。まぁ、そういう事だ。んで。ソイツの出迎えなんだが、睦月。お前に行って欲しい」
突然俺の名前が出て、驚いた。まったく予想もしていなかったからだ。
「え……、俺!? なんで……」
「お前が一番適任なんだよ。行けばわかる。明日の学校の事は心配するな。こちらから休暇を申し立ててやるからよ」
学校を休むことは休暇とは言わないのだが、いや、そんな細かいところはどうでも良かった。何で俺なんだ!?
「いや、いやいや、レイ、ちょっと待ってくれ、俺は……」
「はい、解散かいさん。オラとっとと上へあがれ。狭いんだここは」
穏やかではない俺を尻目に、彼は全員に催促した。無論、他の連中は俺の事などお構いなしでエレベーターに群がっていった。くそぅ、ひどい奴らだ。
「まったく訳がわからん事だな」
正光は帰り際、俺のほうに寄ってきた。
「まったくだ。俺の穏健派の知り合いなんていねぇぞ」
「うーむ。しかし、レイが言ってんだ。睦月が知らなくても、向こうは知っているのかもしれん」
「ぬーむむ……」
俺は様々な人物を想像してみたものの、やはりそれといって心当たりはない。
正光と一緒に上へあがろうとすると、レイは俺を呼び止めた。「睦月、ちょっと待て」
「明日の予定だが、十二時二十四分の電車でソイツは来るらしい。出来根駅の改札あたりで待ってるといい」
「待ってるって……。顔とか、あっちは俺の事知ってるんですか?」
「あぁ。そういう事らしい。……まぁ、なんだ、睦月。ちょっとしたサプライズだよ。楽しめよ」
俺の肩を叩くと、レイがエレベーターに乗り、俺も乗れという風に手で合図したので俺もそれに続いた。だがサプライズとは言うが、本当に俺には身に覚えのない話なのだ。それに、俺はそういうドッキリ的な奴が嫌いなタチである。正直なところ、不愉快であった。
それから全員はバーわけありを去り、俺と正光は泉さんを家まで送ってから自分達のマンションへ向かった。
「よお、正光」
「なんだ?」
「明日よぉ……」
俺はその次の言葉をなんと言おうか迷ったが、彼はすぐに察しがついたようだった。
「……俺にも一緒に来いってか?んだってオメェ命令は睦月って事になってんだぜ?」
「命令も何も、あんなミーティングの終わり際にちょこっと言われたくらいの話だぜ?その程度の事なんだから、別に深く考えなくてもいいんじゃねーのかよ」
「うーんまぁその通りなんだが、しかしなぁ……学校に行かねぇと泉さんと会えねぇしなぁ……」
「クソ、友達よりも女をとりやがってこの野郎」
「フン! 睦月とは長いからな。……まぁ、なんだ、まったく。別にいいぜ。明日」
「マジか」
「あぁ。泉さんと会えないのは辛いが……ほら。こういうのって結構一人じゃ心細いだろ?しかたねぇな、俺も付き合ってやるぜ」
「おぉマジか! サンキュ〜助かる」
「まぁそん代わりと言っちゃなんだが、泉さんに俺を無理やり連れて行く事にしたってメールしといてくんねーか? なんかしづらくてよ俺……」
「あぁあぁ、問題ねぇ。そんくらい俺に任せとけ。いやー助かった。マジでテンパッてた俺」
俺の心境を察してくれてか、正光は笑って一緒に来てくれることを承諾してくれた。こういう時に助けになってくれる友人というのはとてもありがたいものだ。俺と正光は明日の予定を簡単に決めるとそれぞれの部屋に戻った。俺は部屋の電気をつけると、早速泉さんに正光を連れて行く事の謝罪メールを携帯で送る。返答はパジャマに着替える間に帰ってきて、返事は了承であった。
これで明日はなんとかやれそうだ。そう安心したからだろうか、体にドッと疲れが押し寄せてくる感覚が俺を襲った。机の上には冷たくなったカップラーメンが置き去りにされている。結局喰わずにバーわけありへと出向いたのだが、まだそのままだった。実際、とても腹が減っている。しかし今の俺はすでに寝る姿勢をとってしまっていた。俺は食べる事が面倒くさくなるタイプである。部屋の電気を消して布団にもぐると一気に眠気が遅い、俺はすぐに眠りにつく事ができた。
◆アストラル体 & エーテル体 & 魂
アストラル/Astral エーテル/Ether Soul
人体を外側から見ると、アストラル体が肉体を包み、肉体がエーテル体を包み、エーテル体が『魂』を含んでいる。エーテル体が魂を含むというのはスポンジが水を含むのと同じで、エーテル体が無ければ魂は肉体から離れ、次第にアストラル体へと還元する。
浮遊霊と呼ばれる存在は、アストラル体と肉体が無くなり、魂を含んだエーテル体だけでなる不完全な『人間』である。
魂は人間特有の『パトス(感情)』というエネルギーを作り出す。エーテル体はそのパトスと連結し、魂とより強固な結合を図る。それにより魂はアストラルへ還元する事なく肉体へ留まることができる。
パトスを得られないエーテル体もしだいに大きさを縮小し、最後にはアストラルへ還元してしまう。
パトスを得たエーテル体はその質量を肥大化させる。その肥大化に伴い魂も肥大化する。だがエーテル体はどこまでも肥大化出来るのに対し、魂はそれぞれ『個性』を持ち、個々により肥大化の限度が決まっている。エーテル体と同じくらい無限に広がる魂も存在すれば、一定の大きさから肥大化を止める魂もある。
魂が肥大化する事で、作り出されるパトスもより複雑化する。それが人間でいう『成長』である。魂の肥大化、複雑化していくパトスにより『感情豊かな人間』になっていく。幼児から大人になるまでの内面的(感情面、思想面というような感覚的な部分の)成長過程が、魂とエーテル体の肥大化の過程であると言える。
魂とエーテル体は互いに共存しあい存在しているといえる。パトスを糧とするエーテル体と、そのエーテル体と連結する事で還元を防ぐ魂。エーテル体はパトスを糧とするので、その材料となるアストラル体と連結し、自分の周囲を取り巻くアストラルの泉を形成する。その泉によりエネルギーを得た魂は、パトスを練りだす事が可能となる。
大気中のアストラル体とは流れる大河のようなイメージであり、エーテル体と連結したアストラル体はいわばひとつの『泉』のような状態と言える。
魂がパトスを練りだすほど、その泉は鮮度を落としてゆく。そこで泉は大河と一体となり、泉をろ過して鮮度を戻す行動に出る。その最中は魂がパトスを練りだすのを中断しているので、肉体には感情が表れることが無い。それが人間でいう『睡眠』にあたる。
大河と泉が一体化を果たすという事はつまり、全世界と一体化した事と同じである。それにより世界中のありとあらゆる情報を収集した泉は『秩序』を形成し、エーテル体へと転写する。『秩序』とは、今後その人間がどう成長し、どう動き、そして世界にどう影響をおぼしていくかという『予定表』のようなものである。
『秩序』が転写されるということはすなわち、自分の『運命』が決まっているという事と同じであるように思える。しかし、エーテル体に転写された『秩序』どおりに『魂』が動かなければその限りではない(人間は誰しもが幸福を願う。だがもし『運命』が不幸な道に進んでいた場合、その『運命』から魂は抗おうとするはずだからだ)。
鮮度を戻した泉は、魂がパトスを練るエネルギーとしてまた鮮度を落とす事となる。それの繰り返しが人間が行う『生活』にあたる。
無論の事、肉体もアストラルの鮮度を使い新鮮さを保っている。もっともパトスを練り出すエネルギーより消費は少なく、パトスが練れないほどの鮮度でも肉体の鮮度は維持できる。しかしその状況が続けば、病気になったり、無気力になったりする。
アストラル体、エーテル体、魂の三つを総称し、モリエイターは『炎』と呼ぶ。