17:碧炎の残り火
*変更点*
今更ながら、刃の苗字を『大槻』に直しました。
17:碧炎の残り火
----時間は十五分前にさかのぼる
「オウップ! うぶォエェェ……」
睦月の居所を掴んだ正光だったが、体を動かした途端に吐き気をもよおし、汚い汚物を足元にゲロッてしまった。隣にいた香奈子は彼の体調を案じたが、彼は片手をあげて『大丈夫だ』とサインを出す。
「わりぃこれ後で掃除する……でも今は、報告が先だ--」
彼は椅子に座りなおしてコンソールに向き直ると、レイの通信機に繋いだ。
「こちらシルバー6だ、レイ! 睦月の居場所が特定できた!」
〔なにィ本当か!〕
「今から座標を送る! 急いで誰かをそっちによこしてくれ!」
レイは乗っていた車の中央にある液晶ディスプレイをいじくると、正光から送られてきた座標が表示された。だがそれを見て顔をしかめる。
「なんだとぉっ、おい正光、これは確かなのか! ここはもう探索済みだ!」〔間違いねぇ、さっきこの目ではっきりと見た! 睦月は絶対ここヌッ! オボゴボゴボゴォォォ!--〕「…………」
正光がゲロッた声をまともに聞いてしまい、レイは画面を見た時とは違うしかめっ面をする。しばらくしないうちに、通信機からは香奈子の声が聞こえてきた。
〔正光君の言ってることは本当だと思います。信じてあげて下さい〕「泉、お前はそこにいたんだよな。正光は本当にアカシックリードを試したのか?」〔はい。でも、そのせいでかなり消耗してしまったみたいで〕「ふむ……よーしわかった。やっと見つけた唯一の手がかりだ。当たってみる」〔お願いします!〕
通信を終えたレイは、早速美咲に繋いだ。
「レイだ、美咲! ここにきて手がかりが見つかったぞ!」
桜桃県の外周を探っていた美咲は、自分と反対側から探りを入れていたマッキーと合流していたところだった。「なんですって! こちらは今、マッキーと合流したところよ」
〔そうか、聞いてくれ。どうやら正光が一発当てたらしい。たった今そっちに座標を送った。その付近で一番近い誰かを大至急向かわせてくれ〕
通信機がくっついた耳に片手を当てながら、美咲はレイがしていたように車のディスプレイをいじくる。
「なにか見つけたのか」
その動きをかぎつけて、マッキーが車の窓から中を覗いた。
「えぇ。睦月君の居場所を示す手がかりがあったそうなの。今現場の人員を参照中よ--」
画面にはレイが見ていたのと同じ座標が中央に映し出されている。そして美咲の操作によって、周囲を捜索しているメンバーのマーカーが表れた。だがタイミングが悪かったようで、どのマーカーも位置が悪い。
「ダメだわレイ。位置が悪い。それにこの座標によると、かなり山の中なんじゃないの? 一番近い人員を動かしたとしても、車で移動できないんじゃー三十分はかかるわ」
〔なんだと、クソッ、それじゃー遅すぎる! タイムリミットはあと十五分もないんだぞ!〕「それは分かってるけど!--」〔とにかく移動を指示してくれ、その場所には確実に何かあるはずなんだ〕「了解しました」
通信を終えた美咲はため息をついてしまった。そしてレイの指示通りに動こうとした時、マッキーがまた口を挟んだ。
「どういう状況になった?」
「簡単よ。見て--」美咲は画面の中央を指差す。「ここが『手がかり』らしいんだけど、猶予はあと十五分もない。そして、この周りにあるマーカーが人員の位置。どう考えても、時間内になんて移動できっこないわ」「ふむ……」
マッキーは画面をじっと眺めて、何か考えているようなそぶりを見せる。そしてハッとすると、前かがみになって車の窓にもたれかかった。
「いや、ある方法を使えばいけるかもしれんぞ」「え? どうやって!」美咲は思いもよらない彼の言葉に驚きを隠せない。「いや、でも、コイツはかなりの荒ワザだが--」「どうするのよ、ねぇ!」
「式姫だよ、美咲。彼女のAOFは短距離間を一瞬にして移動するほどの瞬発力がある。それを連続してやれば、もしかしたら間に合うかもしれん」
「なんですって! 言われてみれば、確かにそうかもしれない……だけど、それっていうのは--」
「そうだ美咲。こんな日中に、『最大出力のAOFを維持し続けながら長距離移動しなきゃーならん』、ということだ」
「そんなことしたら、街中のインビュードハンターから追っかけられちゃうわよ!」
「まったくその通りだな。だから言ったんだろう? 荒ワザだって」
「…………」
黙りこくってしまった美咲だったが、耳の通信機をくっつけ治す仕草をして、またディスプレイをいじくりだした。
「お、おい美咲。まさか!--」
出来根市内にある公園の近くに、一台の車が停車していた。ちょっとだけ窓が下げられていて、運転席には座席を倒して目を閉じる式姫の姿があった。集中して霊視をしているのだろうか? 長くてクリンとしたまつげと淡いルージュをつけた唇は彼女の美しさをこの上なく引き出して、『大人しくしている時』と『口を開いていない時』の式姫は、誰が見ても美人だと思えただろう。しかし残念なことに、その美貌の一つである可愛い小鼻から、半透明の風船みたいなものがプクプクと形成されていく。
〔こちら美咲。式姫、新情報よ〕
いきなり耳元で美咲の声が聞こえたおかげで、鼻ちょうちんが爆発した。
「ほわわ~っ! こちらドメスト2異常なしッ!」そして美咲の声よりもむしろ爆発音に驚いた彼女は、迂闊にも今は使っていない本来のコードネームで応答してしまった。〔そのはずよ。どうやら睦月君は、貴方とはかなり遠い位置にいるみたいなの〕
「なんですって? 一体どうしてそれが、まさか、何か掴んだの?」
どうやら美咲には居眠りしていた事がばれていないようだ。式姫は焦った表情になりながらも、素晴らしく真面目なトーンで返答した。
〔えぇ。今そっちに座標を送ったわ、確認して〕「了解……オーケー確認した。でもこんな場所? もうここは既に--」〔えぇそうなの。でも正光君がここだと言った。彼はアカシックリードを試して、掴んだ情報なのよ〕「えぇ! どうやってそんな大それた事を……いえ、それよりも。これを見る限りじゃ、時間内にはたどり着けないんじゃないの?」
「そうなの。『だから、あなたに頼みたい事があるの』」
「…………」
なんとなく、美咲の言いたいことが式姫には理解できてしまった。
「む、無理よ。美咲さん--」〔式姫お願い! バックアップは抜かりなくするわ、それに可能性が少しでもあるなら!--〕「ち、違うの。『可能性なんて無いのよ』」〔えっ--〕
「言いたいことはなんとなく、分かるわ……でも、もし私がパワーフォール全開でAOFを湯水の如く使ったとしても、今の場所からここまでいくのに、たぶん、三十分以上はかかる……美咲さんが思っているよりも、私の移動速度は短いのよ」
〔そんなっ、そう、なの?〕「えぇ……私のAOFは瞬間的な加速は確かに出るわ。でもそれを、移動に使うことはできないの。思いっきり動いたらその分、私の体に負荷がかかる。近距離の位置取りくらいなら気にならない程度なんだけど--」「そうだったの……」
残念そうな美咲の声を聞いたせいで、式姫はなんだか胸が痛んだ。(でも、無理なものは無理よ……)
「一応、こちらでもなにか、策がないか考えてみる」
いたたまれない気持ちになった式姫は、とりあえずそんなことを言った。〔了解。こっちはとにかく、この座標に人を向かわせるわ〕「了解--」
〔式姫!〕
通信が終わるのかと思いきや、最後に美咲が言葉を続けた。
〔ごめんなさい、無理言っちゃって……〕
「い、いいのよそんなこと」
そうしてやっと、式姫は通信を終えた。窓の外に目を向けると、ちょっと広めの公園が広がっている。そこの水のみ場にはレイルの姿があった。「きゃはははッ! うふふ!--」そして楽しげな笑い声が聞こえてくる。レイルは服についたジュースを洗うんだと言って、水道の蛇口を上向きにして水を最大まで出し、降り注いでくる水をシャワー代わりにしていた。『非情に迷惑極まりない行為である』。そして本人は水遊び程度にしか思っていないようだが、『頭が悪いために』、ズブ濡れになったその後のことなど何一つ考えてはいない。
式姫は左の薬指に通された結婚指輪をくるくる回しながらそれを眺めた。それは結婚後についた彼女の癖みたいなもので、暇があればそれをしてしまうのだ。純銀製というだけで特に装飾がされているわけでもないが、ツルツルの表面を触っていると、彼女は不思議な落ち着きが得られるのだった。
(私の強襲ダッシュはせいぜい十メートル、がんばっても十五メートルくらいしか移動できない。しかも、何呼吸かおかないと使えない。どう考えても移動には使えないのよ--)
「えへへっ、アハハハ!---」
別に暑い訳でもないのに、レイルは冷水に打たれて何が面白いのだろうか? 遊びに来ていた子供連れの主婦達は、怪訝な表情でその様子を見つめ、遠巻きにひそひそ話をしていた。
(あなたは、どう思う?--)式姫は指輪に、ひいてはそれをはめてくれた最愛の人に問う。何気なく彼女は、莫迦をやっているレイルを見た。(あの子?--)そしてそちらを見たことを、まるでソレがさせたかのように聞く。少しばかり式姫はその外道行為を眺めていたが、何かを思いつくと、指輪を強くつまんだ。
(そ、そうか。確かに。『あなたの言うとおり』、レイルは他人の能力を強化させる力がある。それなら確かに、私は素晴らしく長い距離を移動できるでしょう……でも、そんなことしたら、インビュードハンターの格好の的になってしまうわ。そんなことッ、そんなことが、あなたにできる? もしあなただったら--)そこまで考えた式姫はうつむくと、ちょっぴり笑ってしまった。(そうね、あなたならやるわね、絶対に……こういう危ないコト好きだもん。まったく、心配する私の気持ちも考えてよね、もう--)そうして指輪に何度か光を反射させる。銀の指輪は鈍い光を放った。
倒していた座席を元に戻した式姫は、耳の通信機を触った。
「こちら式姫です、美咲さん」そして繋いだ先は美咲だった。〔こちら美咲〕
「策があったわ。ギリギリになるでしょうけど、今から全速力で行けば、いけるかもしれない」〔本当! どんなものなの?〕「美咲さんが考えていたのと同じよ。ちゃんとバックアップしてくれるんでしょうね」〔もちろんよ、あなたの位置から目標までの延長線上に隊員を配置するから、そこまでは大丈夫だと思うわ。問題は森林地帯よ。そこから先は、こちらとしてもどうしょうもないわ。がんばっては見るけど、私もね〕「市街地を抜けたところからが勝負か。オーケー了解したわ」
喋りながら車を降りていた式姫は、車の後部トランクを開いた。
「それじゃ、装備がすんだらまた連絡するわ」〔了解〕
後部トランクには幾つかの戸棚があり、その中には各種装備が収納されている。
(必要なのは、バリアシールド。霊石英弾。SAB。エッセンスシンセサイザー。WFコート--)
その中から彼女は、必要なものを素早く取り出した。バリアシールドとはメリケンサックのような形をしているが、アクティベート(起動)されると、前方に七十センチほどのアストラル体の盾を形成する装置だ。霊石英弾は、次に取り出したSAB(西木式アストラルバッシュ)というハンドガンタイプのCSGで発射できる。SPSなどとは違い、実体弾を使用することで、モリエイターにはもちろん、インビュードハンターにもある程度の効果が得られるのだ。エッセンスシンセサイザーは一見してガンホルダーで、両肩を通して着用する。これにはモリエイターが干渉しやすい繊維が使われていて、周囲のアストラル体をソウク、チェンジしやすくするのだ。WFコートも同様に、AOFの整波性を強化するほか、変換効率や出力調整の手助けをする。外見は百五十センチほどある真っ黒いロングコートだ。
そのほかにもSVAやらキューブEMPやらが置いてあったものの、必要ないと判断した式姫は漁るのを止めた。彼女は上着を脱いで、腰にある自分のSRBを置く。両腕からエッセンスシンセサイザーを通し、そこにある右のホルダーへSRBを押し込んだ。その上からWFコートを着て、左ポケットに霊石英弾のマガジンを全部押し込む。隣のポケットにはSABを入れる。そしてバリアシールドへ左手の指を突っ込んで握ると、トランクを閉めて、レイルが莫迦をやっている公園に向かった。
「あっ、式姫だぁ! くらえぇ~い!」
何も分かっちゃーいないレイルは水道に指を当てて、式姫に対して水の散弾を喰らわせた。幸運なことに、足元まであるWFコートのおかげで被害は最小限にとどめられたのだが、式姫の綺麗な顔は完璧に濡れてしまった。
「パトスバトン!」
式姫は右手に自分のAO『パトスバトン』をモリエイト。「『喰らう』のは『テメェ』だ! ファッカアアアーーー!」それを大きく振りかぶり、石造りの水道自体を豪快にぶっ壊した。「ガンダルフ!」ゴツゴツした破片がレイルに降り注ぎ、その小さな体を吹っ飛ばした。ちなみに『ガンダルフ』とはレイルのダメージボイスである。
「なによなによォもぉ~! どうせ見つかりっこないとか言って、居眠りしてたのは式姫でしょお!」
明らかに致命打を喰らったように思えるレイルだったが、別にそんなでもなかったようで、式姫に対してぷりぷりしながら抗議した。
「確かに、私は余裕ぶっこいて居眠りをこいていたわ。でも、状況が変わった。彼が見つかったのよ」「えぇ~? 見つかっちゃったのぉ~? つまんなぁい」
式姫はレイルにGPSを投げてよこす。そこには睦月の座標が記されていて、今いる場所とラインで繋がれていた。「えぇ? こんなトコロなのぉ? 無理じゃん」それを見たレイルはキッパリといい捨てる。
「無理じゃないわ。私とレイル、二人の能力を使えばね」「え?--」
式姫は再度、今度は左手のバリアシールドを投げつける。「わ。ちょ、ちょっとちょっと--」慌ててキャッチしたレイルは動揺してしまった。「早くAOを消しなさいよ!」そして全く正論を言う。「その必要はないわ」式姫は否定した。
「その逆よ? レイル? 早くあなたもAOFを張りなさい。じゃないと、こわぁい『無敵鬼』がゾロゾロ集まってきちゃうわよ?」そう言うと式姫はAOFを展開して出力をあげる。そのおかげでアストラルストームが発生してしまい、周囲にいた主婦や子供達が次々に倒れてしまった。
「な、なにしてんのさ! 莫迦じゃないの!--」
レイルは慌てふためいたが、それは当然だった。そんなことをしたら確実にインビュードハンターが集まってくるからだ。式姫は真剣な顔をして、パトスバトンで自分の肩をトントン叩く。パトスバトンは、五十センチ程伸びた棒の先に黄色い星マークのついた鈍器だった。星マークは光の円で囲まれていて、彼女が気持ちを込めれば、なんと思い通りにクルクル回るのだ。棒の部分には、太い白とピンクのラインがらせん状に入っている。……なんというか、『素晴らしく大変なAO』だが、これは彼女の精神が具現化した結果なので、しょうがないことだった。
「わ……わっ、私ッ! 知らない! 知らないから! 勝手に死んじゃえばァ!」
きびすを返してレイルは逃げ出したが--
「ドミネ・クォ・ヴァディス(どこへ行かれるのですか)? おまえは『磔刑』だァーーーーー!」
一瞬にして距離を詰めた式姫はレイルの襟首を掴み、上空へ飛び上がってしまった。「やべべ(やめて)ぇぇエエエエエ!」
「いい? レイル。これは私達にしかできないことなの。これは『幸運』なのよ! だって偶然にも、私とあなたがこの作戦に呼ばれた。そして、『そうじゃなければこの危機は乗り越えられない』! 『だから私達は決して、その幸運を逃してはならない』!」
「無理よ式姫! むりむりむりーーー!」
そのまま式姫は鳥よりも高く跳躍して限界高度に達すると、AOFの瞬発力を最大に引き出して前進、その後滑空しながら着地する。
「レイル! AOFを張りなさい! そろそろ--」インテュイントが警告を発した。彼女が再度ジャンプすると、遠めのどこかでも何かが飛び上がった。「来たッ」上空でそちらを確認したら、その正体はやはりインビュードハンターであった。
「あぶにゃい!」
空中でインビュードハンターが何かを飛ばしてきたので、レイルは仕方なくAOFを展開、即座にバリアシールドをアクティベートした。すると厚さ四センチ程の透き通る青色をした八角形の盾が形成される。飛んで来たのは花壇の仕切りに使われるみたいな茶色いブロックだった。空気の影響を全く受けずにまっすぐ突っ込んでくる。「ふんにゅ!」それに対し、戦場で育ったレイルの判断力はさすがといったところで、盾をまっすぐ構えて防ぎきろうなどとは一切考えず、斜めに向けることによって綺麗に受け流した。そこで受け止めなどしたら、式姫の体制が崩れて地面に落下してしまっていただろう。
「わっ、『わかった』! 『わかった』から! 姫ちゃん! 『支援』するから! だからお願い! はっ、はやく! はやく逃げてェェェエエエ!」
土壇場に追い詰められたレイルがそう言うと、式姫は自分のAOF以外にも、自分が自由に使えるリソースの存在を感じた。そのリソースをソウクして自分のAOFに混入させると、恐ろしいことにAOF自体が爆発的な肥大化を始める。「オーケー、とばしましょう!」それを式姫は利用して、AOFを噴射して移動する際にリソースを吹きかけてやった。すると、僅かばかりの噴射にも関わらず、とてつもない加速を得た。例えるなら、その仕組みは戦闘機のアフターバーナーに良く似ているだろう。
レイルの支援を受けた式姫の空中制御は素晴らしく快適なものとなった。空中にも長時間滞空できるようになり、直線移動も通常の数十倍は伸びている。
「姫っちゃん! キタよキタよキタよオオオーー!」
だがそれはもっぱら移動用にAOFを消費しているためであり、攻撃する事を考えていないためだ。「いっぱいキタよォォーーー!」通常よりも高出力のAOFを展開したことにより、インビュードハンターが次々に押し寄せてくる。
「ねぇい! レイル、私の上着にSABが入ってる。応戦して!」「ドコドコドコドコ--」「レフト、ポォケッツ!--」式姫の背中にしがみついたレイルは腕を回してポケットをまさぐった。「はっ!--」その時、式姫の前方をふさぐように、インビュードハンターが一人突っ込んで来た。それに少し遅れて、レイルの右手はSABを掴んだ。素早く引き抜き、セーフティレバーを親指で弾くと、サイト越しにそれを見据える。
「ジュマンジイイイーー!」
刹那、叫びながらレイルはトリガーを二度引いた。発射されたのは六発。片手撃ちのおかげで弾道はメチャクチャだったが、青白い尾を引いた霊石英弾には強力な誘導がかかり、六発全てが標的に吸い込まれていった。それを喰らったインビュードハンターは衝撃を受けた程度だったが、その動きを止めた。
「ウォラア!」
続けざまに式姫はパトスバトンで殴りつける。彼女のような鈍器系のAOは、睦月の剣のような切れ味がないかわり、一撃に重みがある。しかもパトスバトンの先端には可愛らしい星マークがついているわけだが、その角が直撃しようものなら、斬撃では成しえない驚異的な貫通力が期待できるだろう。
案の定インビュードハンターのどてっぱらに星マークがめり込んで、モリエイターに対する特効があるにもかかわらず、星マークの角はその皮膚を貫き、痛々しくも引き裂いた。そのまま振り下ろすと、インビュードハンターは地面に向かって落下する。
「莫迦野郎ーーセミ(単発)で撃てぇッ!」
「違うの違うのっ! さ、さいしょから、最初からこうだったんですぅ~!」
なんだかんだいいながら着地して、跳躍、前進を繰り返していると、式姫の通信機から美咲の声が聞こえてきた。
〔ちょっと何してんの! 行動する前に一言いってよ!〕「美咲さんごめんッ、成り行きでこうなっちゃって……でもこのぶんなら行けそう!--」「にゃぶにゃい!」後方からまたしても何かを投げつけられて、レイルが盾で防いだ。「にゅんみゅ!」「ぐあっく! ……インビュードハンターから撃ち落されなきゃーね!」その衝撃で溜まらず声を上げた式姫は一言付け足した。盾を消したレイルはそちらに向かって早速迎撃を行なう。今度はちゃんと一発ずつ丁寧な射撃を行なった。
〔了解。そこから八キロ先の地点からはこちらの射程圏内よ。それまで持ちこたえて〕「了解っ」
式姫は瞬間的に二百キロを越す突っ込み速度を出すので、追ってくるインビュードハンターは次第に距離を離していった。だからなのか連中は作戦を変え、追撃するのではなく、彼女の向かう直線状に現れ始めた。三人編成が二組ずつ斜めに並び、さらに後続にも控えており、波状攻撃を仕掛けるつもりだ。
「式姫! リ、ロードゥ!」「なにぃ!--」「リ、ロードゥ!」「ライッポォケ、たまには自分で探したらどうだ!」
タイミングの悪い事に、接敵するというのにレイルは弾切れを起こしていた。仕方なしに式姫が自前のSRBで応戦する。距離もあるのだろうが、実体弾以外の飛び道具はインビュードハンターに対して効果が薄いようで、それらを喰らったところでよろめきもしなかった。(効かない!--)式姫は焦った。前方の六人はレイルのリロードが終わる前に格闘射程に入る。「ッ!」一人、二人と、素晴らしい身のこなしで式姫は攻撃を避ける。次いで、三人、四人、五人--
「ガブッ!--」
式姫が攻撃を回避する最中、リロードの済んだレイルは応戦しようと頭を上げたのだが、そこを通りすがりに喰らった。レイルの顔面に五人目の蹴りが直撃したのだ。「しまった!--」その衝撃によってレイルは式姫から手を離してしまい、地面へ落下していく。最後の六人目はここぞとばかりに式姫へ手を伸ばしたが、彼女はその手を掴み、レイルを追って降下した五人目めがけて投げ飛ばした。五人目はそれをまともに喰らって吹っ飛んでいく。
「レイィィィィーーーール!」
叫びながら式姫は勢いよく降下した。それと同じく、投げられた六人目も式姫の背中を狙う。レイルは蹴りを喰らった瞬間意識を失いかけたが、落下の最中に自分を取り戻した。すぐさまSABを後方から追ってくるインビュードハンターへ向ける。だがその射線上に式姫が割り込んでしまった。二人は互いの目を見る。レイルはバーストに切り替えてトリガーを引いた。飛び出した三発の霊石英弾はぐにゃりとありえない弧を描いて式姫を迂回、後方の敵に吸い込まれた。
「ナイス」降下しながら式姫はレイルを両手でしっかりと抱いた。「プアー(下手)なのは式姫よ。痛ってぇ……」
普通に考えれば、百キロ以上あるスピードの時にインビュードハンターの蹴りを喰らおうものなら、深刻なダメージはまぬがれないはずである。しかしレイルは実に特殊な、いわゆる非人道的な経路を経て造られた人材なので、AOF、強いてはアストラル体を取り扱うモリエイターとしての素質が十二分に備わっており、今のような一撃即死のシーンでも耐えることができた(もっともそのおかげで、式姫からサンドバッグのような扱いを受けているのも事実だが)。攻撃に対する盾の使用法や霊石英弾の曲げ撃ちなどを見れば分かるように、各種武装を実に効率よく運用する技術も持ちえているようだ。
地表スレスレまで降下した式姫はがんばって勢いを殺して着地、その後数十メートルほど浮いて、市街地を進みだした。
「ちょっと式姫! 上昇しなきゃ!」
「いいえレイル、インビュードハンターに見つかった時点でその必要性は無くなったわ。飛んでも地走しても同じ。それなら建物があったほうが移動はしやすいわ。『それに今の私達は、一般人にはいない事になってる』」
インビュードハンターがモリエイターと戦闘を行なう場合、一般人にそれは『ない事』にされる。式姫の言うことは確かだった。走行する車両の上を彼女達が追い越しても、人々はなんの関心も持ちえない。様々な商業ビルや住宅地を横切り、追い越し、飛び越えながら、二人はインビュードハンターとのデスレースを続けた。
「姫ちゃん! 弾がない!」「まずいわね、了解!」
式姫は通信機に手を添えると美咲に繋いだ。
「美咲さん、もうちょっとでつくわ! できればSABの予備弾が欲しいんだけど!」
「了解しました。バックアップ圏内に入ったら、とにかく更に進んで。その間に準備させる」
「私達の位置は掴めてる!」「GPSで確認できています。恐ろしく速いわね、式姫」「バックアップの手段は!」「ガンナーとアタッカーを配置したわ。そっちから敵を引き剥がしたら、『あとはなんとかする』。移動に集中して」会話の最中、出会い頭にインビュードハンターが現れたが、上手に身をこなしてパトスバトンを喰らわせた。「了解、補給ポイントができ次第知らせて!」「了解しました」
住宅地を抜けると、隣町まで続く広い田園地帯が広がっていた。(まずいな、見晴らしが良すぎる--)そこには一本だけ伸びる二車線道路があって、式姫はそこを通る一般車両の陰に隠れながら素早く移動を行なう。
「うっ!」一本道のなかばあたりに差し掛かった頃、前方の車が急にUターンしてこちらに突っ込んできた。「あれもか--」式姫はジャンプしてやり過ごそうとする。しかしその車は後続していた車両に正面衝突して、フロントガラスを突き破った運転手……インビュードハンターが飛び出してきた。
「ゴブッ!--」
彼女はそのタックルを避けきれず、辛うじて両手で持ったパトスバトンを突き出して防いだものの、衝撃力があまりにも強く、パトスバトンは彼女の胴体にめり込んだ。インビュードハンターはそのまま二人を押し込むようにしてアスファルトに突っ込もうとする。それに対して式姫は果敢にAOFを横へ噴射して軸をそらし、柔らかい田んぼの中にギリギリで突っ込むことができた。レイルは地面と式姫でサンドイッチになるのを避けるため、直前で離脱する。まるで砲弾が落ちてきたような衝突音がして、どろんこが大量に舞い上がった。
「ガハッ! ハッ! ハッ、ハッ--」
「式姫!」
エビぞりになって胸を抱え、もがき苦しむ式姫を見たレイルが叫ぶ。そこに先ほどのインビュードハンターが割って入った。「チッ!」レイルはすかさずSABを構えて発砲するも、急速に接近したインビュードハンターはその銃を足で蹴り飛ばし、更に素早い格闘を何発か放つ。レイルのインテュイントはそれらを見切り、自分も格闘によって反撃をする。「式姫!」レイルの格闘技術は並みの者では太刀打ちできないほどの腕前なのだが、インビュードハンター相手では分が悪い。式姫からのアシストを切望するレイルは彼女を叫ぶ。
息をもつかせぬインファイトが六秒経過したころ、レイルは足元をすくわれてしまった。起き上がる暇を与えず、インビュードハンターはズボンのぽっけから取り出したアーミーナイフを突き立てようと覆いかぶさる。「ぐおおぉぉッ--」レイルは両手でナイフの根元を押さえつけて必死に堪えた。両足はジタバタできないように、インビュードハンターからがっちりホールドされてしまっている。
「起きろッ! 式姫起きろォッ!」
激痛と衝撃によって体をぶるぶる震わせていた式姫は、やっと顔を動かした。しかしまだ体中の神経が微振動しているような感覚がして、思うように動く事ができない。「アアアアアア!--」そうしている間にも、心臓の真上から、徐々に、ナイフが、ゆっくりと、レイルの胸へ。めり込んでいく。一センチ、二センチ、三センチ--「レイル……」彼女の絶叫を聞いて、式姫はおもむろにSRBを抜き、ぼやけた視界の中で組み合いをする二人に向け、震える指でトリガーを引く。放たれたアストラル弾はインビュードハンターとレイルの間を通過、その中間にあるナイフを撃ち抜いた。
「グギイイイィィィ!」
直後、ブチギれたレイルがインビュードハンターの喉首を鷲掴んだ。五本の指は皮膚に食い込いこんで頚椎に達し、そのまま彼女は力任せに握ると、掴んだものを強引に引っ張り出す。すると当然、まさに凄惨とも言うべき血しぶきが飛び散った。それらはもちろんレイルにも吹きつけて、煙を上げながら彼女の皮膚を溶かし始める。レイルはショック死したインビュードハンターを蹴飛ばして束縛から逃れると、周りのどろんこを擦り付けて血を落とした。
「式姫!」
そうして彼女は式姫に駆け寄る。「あぁ、レイル、なんてこと--」式姫が起き上がろうとしたのを、彼女はとめた。「まって! まだダメ--」そして式姫の胸に手を当てる……その手はインビュードハンターの特効作用によって、指先の肉やらなにやらが溶けてしまい、骨がむき出しになっている……しかしレイルは平気な様子だ。これは『痛みを遮断できる特技』をもつ者特有の行為で、しかもそれはモリエイターにとって珍しくはない。でもやっぱり、できない側からしてみれば身の毛もよだつおこないだ。
レイルが骨むき出しの手を添えると、式姫のAOFがそこだけ緑色になった。それはいつぞや見たのと同じ光だ。しかしこれは奇跡ではなく、肉体強化の発展系にあたる治癒能力である。香奈子のような超回復は見込めないが、『場しのぎ』の応急処置ならできるだろう。
「や、ヤバイ、『周回遅れ共』が巻き返してきたぞ--」
式姫が目を向ければ、今まで追い越してきたインビュードハンター達がすぐそこまで押し寄せていた。体の痺れは若干とれてきたのだが、式姫はまだハッキリとしない様子だ。動けるようになるまでは、あと二十秒くらいかかるだろう。
「レイル、ダメだ。アンタだけ行くのよ--」「えぇっ! どうして! なんでそんなコト言うの!--」レイルは喋りながら、押し寄せる敵と、目的地を見る。「式姫、見て! 誰か来るよ!」そして目的地方向からAOFを展開しつつ接近する二人組みを発見した。しかし距離は遠く、この地点では間に合わない。
「姫ちゃん行こう!」
レイルは吹っ飛ばされたSABを拾って式姫に持たせ、AOFを再展開、鋭角の跳躍を繰り返しながら移動を始めた。レイルは肉体強化型インテュインターであるのだが、持ち前のAOFは支援タイプであり、しかも他人にしかその恩恵が受けられない。式姫も射撃で牽制するのだが、撃ち込んだ場所以外の敵が前進するだけの話で、大した役にはなれていないようだ。
「急げ! 急ぐんだァァレイィィィィーーール!」
ぐんぐんと風を切って飛び続けるレイルだが、追跡者達の足は速く、二十メートル、十メートルと、いつのまにか二人は追いつかれそうになっていた。そしてとうとう、式姫の射撃をかいくぐり、一人のインビュードハンターが格闘圏内に入った。「きゃぴーーーー!」たまらずレイルが絶叫する。だがどうしたものか、インビュードハンターは謎の衝撃を喰らって吹っ飛んでいった。
更に発射音がして、九発の霊石英弾が視界の両端で尾を引いた。
「急いで! こっちへ!」
次いで向かう先から肉声が聞こえた。到着間近の仲間が援護射撃をしてくれたのだ。レイルはそれが嬉しくて、急いで向かったのはよかったのだが、いよいよ到着といった時に足を滑らせてしまい、どろんこの中に突っ込んでしまった。「ジャヌイヤ!」レイルは無様に顔面からタッチダウンして、勢いの余り裏側へひっくり返った。「スクトゥム!」背中から滑り落ちた式姫は四十五度の見事な入射角度でどろんこに突き刺さり、何故か直立体制を維持したままビヨヨ~ンと揺れた。ちなみに『ジャヌイヤ』、『スクトゥム』とはそれぞれのダメージボイスである。
ヘマをやらかした二人を、救助に来た一人は追い越して行ってしまった。もう一人はちゃんとそこで止まり、即座に口を開いた。
「自分は騎兵隊『AKOYA』の指揮官、『妃千歳』です。状況が悪い、早く離脱しましょう」
胸まで埋まっている式姫に対し、妃は特になんの関心も持たずに淡々と言う。しかし、表情や仕草に現れてはいないが、実のところ、『こんな』局面で『こんな』ヘマをやらかし『こんな』醜態をさらす二人を前にした彼女は、若干の『やりづらさ』と、それでいて不覚にも『親近感』を感じてしまった。
式姫はズボッと泥の中から頭を引っこ抜いた。そこで初めて、声しか聞こえていなかった妃の姿が見えた。彼女はすらりと背が長く、一見細身なのだが、その肉体は鍛えられているように思える。髪型はショートカットで、恐ろしく鋭い視線を式姫に向けている。
「あぁ! 助かったわ、私は--」「詳細は存じております、とにかく、西木さん、パッカードさん。急ぎましょう」妃は言葉をさえぎってせかせかと喋る。「ねぇあの人は?」レイルが指を刺した方向には、有象無象のインビュードハンターに単身突っ込んでいった一人の人物がいた。「パッカードさんが早く私に支援を与えてくだされば、あの人は死なずに済む」今度はレイルに対して皮肉を言う。
妃は知る由もないだろうが、レイルのご機嫌を損ねてはそれを得る事はできない。「レイル」式姫は一応自分からもレイルにひとこと言う。「むぅー」レイルはタコくちをしてほっぺを膨らませたが、式姫の一声があったおかげで、自分の感情よりも指示を優先させたようだった。
「支援感謝します」妃はリソースの存在を感じると、短く言う。「昭一さん、行けますっ」そして通信機に手をやり、向こうにいる人物の名を呼んだ。〔オッケェ! 離脱するぞ!〕
自分のAOFをリソースと同調させる妃の元へ体格の良い青年が戻ってくると、妃は一気に跳躍、加速して離脱を図る。彼女の左手には後ろを向いた昭一が、右手には式姫をおんぶしたレイルの手が握られている。式姫のような加速力を持たない妃の移動速度は遅く、四人を連れているというのも相まって、インビュードハンターの方が速い。もっとも、レイルよりはマシな速度であるのは言うまでもない。
「西木さんこいつを!」昭一が叫ぶと、式姫にSABのマガジンを一個手渡した。「助かるわ!」受け取った式姫はそれを早速装填、スライドを下げ、昭一と一緒にSABによる迎撃を行なう。しかしそれでも敵の進行を止められない。
「追いつかれちゃうよ!」レイルが言った。「もう少し進めば『私の射程距離内』に入る。それまで持ちこたえて」妃が答える。しかし彼女の両手はふさがっており、なおかつAOFは移動のみに使わなければ速度不足になってしまうだろう。
「よし、『射程圏内にはいれた』」
次に妃はそう言う。『はいれた』とは、どういう意味なのだろうか? レイルはその意図を探るべく、左右、前方、後方と目を配った。どうにも気になる点は見当たらない。「AOFを攻撃に回すつもりじゃないでしょうね! 追いつかれちゃうじゃないの!」不安に駆られたレイルが怒鳴る。それを聞いた妃は、右腕を前によこしてレイルの顔を自分に近づけ、彼女を睨んだ。「ひぎっ!」その眼光があまりにも凶悪だったため、さすがのレイルもビビってしまった。
「土には水分が染み込んでいる。特にこの辺りは田んぼばかりで、近くには水路だってあるわ。それに水分は土だけじゃなく、大気中にも存在している--」淡々と妃は語るのだが、レイルにはさっぱり意味が分からない。「気づいていないのかしら? 確かに『あなた達』は長距離移動したせいで汗をかいているわ。でも、言われてみればなんとなく、分からないかしら? さっきの場所より、ちょっぴりだと思うけど、湿気が多くなっていることに」
彼女の言うとおり、そういえば、レイルはそれを感じた。
「私は来る途中、その辺にある水分を空気中に『固定』させておいた。そしてさっき、私達はその中に『はいれた』。今現在は、インビュードハンターの半分はその中に突入した所よ--」「千歳! そろそろいいんじゃないのか! 限界だ!」レイルに意味ありげな説明をしていた妃に、昭一が叫んだ。「了解ッ、発動します!」その声を聞いてハッとした妃は、レイルには見せない律儀な返答を返す。「ブチ込め!」
「グラシカルスパイク!」
その途端、全員はパキパキという音がそこらじゅうで鳴り出したのを聞いた。まるで割り箸をへし折ったみたいな音だ。同時に自分達が通過した箇所がキラキラ輝き出すのを目撃する。その正体は『つらら』だった。水分が急速に密集、固体化することで音を発し、それらが光を反射させたため輝いたのだ。つららはインビュードハンターの倍以上の数が形成されて、それらは一斉に、妃が敵とみなした対象めがけて全方向から飛来した。
もし対象がモリエイターだったのなら、今発動されたグラシカルスパイクは致命的な打撃をもたらしていただろうが、インビュードハンターにはAOが効きづらく、貫くことはできてもすぐに回復されてしまう。しかし今の発動は殺傷目的ではなく、あくまで足を遅らせるための手段にすぎない。そしてグラシカルスパイクは致命傷にはなりかねないものの、直撃を無視して突っ込むには無理がある威力だ。妃の読みどおり、雨あられと降り注いだグラシカルスパイクを回避しようと、後続するインビュードハンターは足を止めたようだった。
「よし、『効いている』。よくやった千歳」
昭一はマガジンをリロードしながら妃を褒めた。
「昭一さんが言うから、私はしたのよ。私はもともと反対だった」
妃はそれを喜んでいないような口ぶりだ。
「でもちゃんとしてくれたし、実際うまくいった。そうだろ?」「そうだけど--」「ならいいじゃねーか、千歳?」「そうだけど……」
どうにも式姫とレイルには、妃は昭一に対して頭が上がらない様子であるように思えた。昭一は後方に目を配りつつ、通信機で連絡を入れる。「こちらレッド1、二人の救出に成功した! 現在インビュードハンターを足止めしながら後退中!--」そして今度は右側にぶら下がる二人に顔を向けた。
「紹介が遅れて申し訳ない。俺は桜桃県城壁第十三兵団隊長、『佐藤昭一』だ。『特務』と聞いていたもんで、てっきりこちらのバックアップは余計なお世話かと思っていたが、どうやら状況が変わったようだな?」
式姫はSABを持ったまま腹を押さえて答える。
「『そのようね』、申し訳ないわ」
「いやまー、こちらとしては朗報だったがよ。『シャーペン』走らせて『消しゴム』使いながら『超難題』に立ち向かうより、AOF噴かしてCSG使いながら敵に突っ込むほうが断然いい!--」そこで彼は妃をチラリと見た。「まぁ、そうじゃない奴もいるみたいだが……」
そんなことを言われた式姫は改めて確認をしたが、どうやら二人は正光や睦月と同じくらいの年齢らしかった。それもそのはずだ。式姫は彼の言葉からヒントを得て、すぐに思い出すことができた。
「桜桃県の第十三兵団。確かそれって、槍杉アカデミィから出た人たちが入る所じゃなかったかしら?」
「その通り。俺はいわゆる三年生。こっちの彼女は二年生」「昭一さん! 敵はもう動き出してるんですよ」妃は余計な事を言うなと突っかかる。
(ふぅん……)
昭一の話を聞いて、式姫はなんとなく思うところがあった。モリエイターという奴は、それになってしまった瞬間から、人としての人生が終わる。二人の人であった時期は、十数年か、それとも生まれてからすぐなのか……とにかく少ないだろう。何を言おう式姫自身、モリエイターとなった時期は二人と似たような年頃だった。ということはこの二人も、自分と似たような体験をして、過酷な訓練や心理的な重圧を克服し、今に至るのだろう。式姫はなんだか、二人が昔の自分とかぶって見えた。また自分と二人の立場の相違から、『自分の次の世代』という存在を実感したように思えた。
同時に、その次世代のニューエイジャーというのは教育もより良いものになっているのか、二人の技術は高品質なものに思えた。ほんの数秒とはいえ、五人以上のインビュードハンターに対して至近距離で対等した昭一。そしてAOFを移動に使うのを前提として、自分のAOにあれほどの量と威力、指向性を持たせた妃。この若さでアレだけのことができるというのは、末恐ろしいとも思える。
(それにAKOYAって、桜桃県が初めて世に送り出した騎兵隊とか言って、実際は形だけで、地元以外には顔を出さない『名ばかりの騎兵隊』だと思っていたけど……どうやら精鋭を集めただけあって、実力はあるようね)
インビュードハンターは妃のグラシカルスパイクを突破して、再度接近しつつあった。
「敵が近づいている。迎撃を開始するわ」式姫がSABを向ける。「あーいや、もうちょい待ってくれ。あと少しで味方の射程に入るはず。残りの弾倉も今やったので最後だ。ギリギリまで粘ってから、必中を狙う」昭一は部隊のカバー範囲を把握していたので、違う策を提案をする。「了解、『隊長』」それに式姫は従うことにした。もっとも牽制を開始したのは、それから数十秒後のことだった。
二箇所から吐き出される霊石英弾は確実に先頭のインビュードハンターを撃ち落とす。だがそれでも数で圧倒する敵に対処など出来るわけもなく、またもや状況は不利なものとなってしまった。
「まだつかないの!」レイルがわめく。「少し黙ってなさい!」さすがの妃も焦り始めた。
前方には田園地帯の終わりが見えて、道路を境界線としたその先には大きめの工場が建っていた。更にその先には、また住宅地が並んでいる。
「よォしッ! 迎撃を始めてくれェ!」
昭一が叫ぶと、工場付近から一斉に霊石英弾による掃射が開始された。それはがんばった四人への祝砲であると共に、インビュードハンターへの手厚い歓迎だ。青色に輝く無数の矢は次々に押し寄せて、後続するインビュードハンターに降り注いだ。
工場に着いた四人が地面に降り立つのと入れ替わり、前衛を勤めるアタッカーが飛び出してゆく。その誰も彼もが皆若く、式姫とレイルはそれを横目で見ながら、昭一の案内により付近に止めてあるトラックへ向かう。そこでやっと二人は、桜桃県城壁の救護班から手当を受けることができた。
「イエーイお疲れッす昭一隊長殿ォ!」
トラックの後部扉は開かれていて、昭一の部下らしき青年が立っていた。
「あぁ。鳥水、西木さんにSABの弾倉を何個か分けてやってくれ」
昭一は挨拶と同時に指示する。それを聞いた鳥水は、明らかにわざとらしく驚いた。
「な、なんですってぇえ! だってこいつァ俺達の物資ですぜ!」そう言って式姫に指を向ける。「やいやいアストラルガンナーズの小隊長さんよォ、こいつぁーロハ(無料)じゃねぇ、分かってるだろうな! きっちり払ってもらうぜー」
「鳥水、余計な口を叩くな」
鳥水は昭一から釘を刺された途端、またしてもわざとらしくぷりぷりした態度になる。「『ないだて』! わかってますよぉ昭一さん」そしてトラックの貨物室に入っていく。「そういえば、私、さっき通信機を落としたみたいなの」式姫はそこで試しにそんなことを言ってみた。「だそうだ、鳥水!」昭一が叫ぶ。「うひー! そいつぁ丁度いいや! ここにゃー耳にプニッってするタイプのイヤフォンが腐るほどあるぜ! 持ってけ持ってけェ!」すると何故か嬉しそうな鳥水の声が聞こえた。
トラックから出てきた鳥水は式姫にマガジン五つと新しい通信機をよこす。「どうぞ、コイツを使ってください。でも霊石英弾はどうしても数が少ない。やれるのはこれくらいです」彼からは先ほどのふざけた態度は消えていた。「十分よ。ありがとう」どうにもつかめない奴だと思いつつ、彼女は礼を言った。
それから式姫は、貰ったマガジンをSABと一緒にレイルへ渡した。胸の痛みもすっかり治まり、AOFも安定している。弾薬は心もとないが、桜桃県城壁がカバーしてくれるので、さっきよりは比較的安全な移動が見込めるだろう。
「よっしゃあ! レイル、行くわよ!」そして意気込むように叫んでレイルに振り返った。「もう寝ましょ……明日たくさん、飛ばなきゃ……」だがレイルは城壁隊員の行き交うど真ん中で、猫みたく丸まっていた。式姫はおもむろに近づくと、レイルの首を両手で握る。
「まぁ、キツネリス! あとでチコの実をあげるわ? 長靴いっぱいにしてなアアアアアアア!」
「ディベデーバダゲブゲブ(姫姉様ギブギブ)ッ! ゲベベベッ! ゲブビューーー!」
その状態で前後に揺られたレイルは、両手で必死にTの字を作りながらギブアップを宣言した。その直後、素直にAOFを展開、リソースを式姫へ注ぐ。
「うぅ~んいい子ねテトっちゅわん」
「西木さん、エルベレスの銀さんから連絡が入ってます」
鳥水がやってきて、レイルの首を絞めている式姫にそれを伝えた。彼は口調こそ真面目であったが、二人のやりとりを見たせいで顎が梅干になっていた。
「そちらの通信機に回してあるんで、喋れば通じると思います」「美咲さんから? オーケー、ありがとう--」彼女は親指と人差し指をくっつけた手のひらを鳥水に向ける。「こちら式姫」そして何気なく空を見ながら喋った。
〔美咲です。よかった、心配したのよ。何言っても答えなくなっちゃうから〕「ごめん、でも状況は脱したわ。ちょっと待ってて、移動しながら話すから」〔了解。じゃあ安定速度になるまで、私が一方的に喋るわね--〕
「レイル、おいで」式姫はレイルの前にしゃがむ。「にゃーんっ!」レイルは意気揚々と背中に飛びついて、おんぶしてもらった。「いけいけいけいけいけぇー!」そして式姫は全速力で疾走、レイルの掛け声に答えるように段々とAOFを噴射して跳ねるように走り、前方の電信柱めがけて跳躍、そのてっぺんを踏み台にして、更なる空中へ飛び上がった。
式姫の高速移動が安定するまでの間、美咲の声が通信機から聞こえてくる。
〔タイムリミットまではあと九分。式姫がこれから全速力で移動すれば、三分前には到達できると思うわ。今式姫がいる地点から森林までは城壁がカバーしてるから、そこらへんは問題ないはず。それと目的地のことだけど、どうやら信憑性が高まってきたわ。それというのも、正光君は、睦月君がそこでイーブルアイと戦っていると証言していたから、その裏づけを取るために、レイがIBSの探知班に頼んで広域の霊視をしてもらったの。そしたら確かに、目的地付近でアストラルストームが発生しているというのが分かった。よってここには必ず、睦月君がいるはずよ〕
「IBSの探知班ですって?」移動に慣れてきた式姫は、そこでやっと喋ることができた。「そんなことをしてもらえるくらいだったら、もうタイムリミットも意味を成さなくなるんじゃないの?」〔いえ、式姫。その索敵班が行なった霊視は『非公式』なもので、残念ながらカウントダウンは今だ継続中〕「非公式ですって? ははーん、さては『元カノ』に土下座でもして頼み込んだのかしら? まぁ手段を選ばないレイなら、それくらい楽勝かしらね?」〔まぁ、それもあると思うんだけど--〕『IBSの元カノ』という部分が美咲にはすごく引っかかり、ちょっとだけ気分を害したのだが、彼女はすぐに考えるのをやめた。〔それ以外にも、もう一つのアプローチがあったの〕「なぁに?」〔刃が正光君の話を聞いて、直接、戦花の二十五代目紫電に状況報告をしたの〕「えーっ! し、紫電様に!--」〔えぇ。彼と紫電には深い繋がりがあるみたいでね。そうして状況を知った紫電が、通過儀礼無しでIBSへ探知班を向かわせた〕「だから『非公式』なわけね」〔そういうこと〕
「だけど、紫電様ともあろうお方が、一体全体、どうして騎兵隊員の捜索『ごとき』に手を貸すわけ?」〔それは……私もよくわからない〕「えぇえ?」〔だけど式姫、聞いて。これはどうやら、素晴らしく複雑な事情が絡んだ事態らしいの。だけど今は、絡んだ糸を流暢にほどいてる時間もないわ。私としても刃に聞いたりしたんだけど、あのお侍さん何聞いてもだんまり。仏像みたくなっちゃうの〕
「ふぅん。まぁなんとなく分かる気がするわ、あの性格じゃね。でもね美咲さん。今の事態が素晴らしく厄介だってのは、私にだって理解できるわ。『今の私がそうだもの』。パワーフォール全開でAOF張りながら、ストラクチャーでもなく、IBSが定めた戦闘区域でもない場所を横断してるのよ? しかも騎兵隊が三チームと、地元の城壁と、IBS、そして赫夜の紫電まで関与しちゃってる。どう考えたって、城壁参謀本部が黙っちゃいないわ。もちろん、私のハデな動きを見た強硬派の連中も動き出すかもしれない……話が膨らみすぎちゃったけど、私が言いたい事はつまり……大丈夫なの? こんな事をして」
〔大丈夫なわけないでしょうね〕美咲はきっぱりと言った。〔でも、どういうわけか、なんとかなってる〕次にそう付け加える。「……」式姫は何も言えなくなってしまった。
〔だけど--〕美咲はまた喋りだした。
〔これは私個人の勝手な想像なんだけど……どうにもこの事件に関して、紫電がすごく興味を示しているように思えるの〕「美咲さんだけじゃないわ。それは私もよ、普通考えられないもの!」式姫が賛成すると、通信機から美咲の声と混じってゴソゴソと音がした。どうやら美咲は場所を移動し始めたらしく、歩きながら喋っているように聞こえた。
〔実を言うとね、式姫。睦月君はエルベレスに来る前、赫夜の本堂いたの〕「えっ、えぇーっ! なんですって!」〔あそこで生まれて、育てられたらしいのよ〕「でっ、でもでもっ! 彼は男でしょ? えっえっ? 女だったってこと?」〔違うわよ式姫〕「ニンニーとミッチェアが両方ついてるの?」〔そうじゃない、彼は男だし、両性具有でもないわ。真面目な話してるのに、余計なこと言わないでよ〕「うぬ、ご、ごめん」
〔紫電は赫夜防衛をつかさどる戦花の指揮官よね。戦花は飛影剣という独自の剣術を使うわ。もちろん紫電も同様にね。だけど、その飛影剣を扱う紫電と、ウチの刃は仲がいい……おかしいと思わない?〕「なんで?」式姫はそれ関連の歴史に関してうといようで、さっぱり理解できない様子だ。〔知らないの? まぁ、でも、そうよね。私は刃っていう侍がいるから、事情をある程度知ってるの……それじゃ、我剣流って知ってる?〕「むーん、確か大槻さんが攻撃するとき、我剣なんたら! ってたまに叫ぶわよね。それのこと?」
〔そ。その我剣流が、昔、飛影剣と衝突した時期があったのよ。結末は、我剣流が負けて、存在自体が消された。そして、刃はその歴史から消された流派、我剣流の継承者。最後の生き残りなわけ〕「へぇーっ、そうだったの! なんかロマンチックねっ、んふふ」〔そして彼は、新たな後継者を育てている最中なの。その後継者ってのが、睦月君〕「んん? ちょっとまって、でも飛影剣から目を付けられた我剣流が、どうして今でも生かされてるわけ?」〔そこよ! 不思議だと思わない? だって歴史から消されるほどの流派が今でも息づいて、なおかつ敵であるはずの紫電と仲がいいのよ! 誰がどう考えたって、腑に落ちないわ〕
「でもそれが、今の状況となにか関係が?」〔んもー、ピーンと来てよ式姫ぇ! 『それ』よ!『それ』が『なんやかんやして』、式姫がAOF全開でインビュードハンターに追われたとしても、騎兵隊や、桜桃県城壁や、IBSまで巻き込む大騒動になったとしても、どうにかなっている訳じゃないって言いたいの!〕「うぬぬぬぅ……」
式姫はリラックスしながらそれらの会話をしているわけではないので、あまり頭を回転させることができないようだった(もっとも、リラックスしていたとしても、果たして彼女にそれらに対する思案と興味が得られたかは定かではないが)。
「『なんだかよく分からないけど』、とにかく今の状況と、事後処理は、紫電様がなんとかして下さる。……そう考えていいってことかしら?」式姫は自分なりの簡単な解釈をした。〔まぁ、大雑把だけど。そうなると思うわ。私も不安なのよ、言ったでしょう? 今のは私なりの意見よ。でも、ここまで大掛かりになったのは、全て紫電の恩恵に預かったからなのは確か。そしてその理由が(自分なりの)今の話……紫電だって、部隊を動かせばどうなるかなんて分かってるはずよ。でもそれでも動かした。ということはこんな事態になるって予想だってしていた。しないわけがない……でも後になって、全部の責任を私達に押し付けられたら最悪だわ〕
「そんなぁ! そんなことするハズないわ!」式姫は鋭く否定した。
「だってあの方は、すごく気立てのよい方ですもの! 優しくて、たおやかな、花の京都絶品美女なのよ! しかもそんなんで『ふわふわ系』だってんだから! そんな方が他人に責任を押し付けたりするなんて、見たことも聞いたこともないわ!」〔あら。意外なほど弁護するのね〕「当然よ! おっほん! 自慢話で恐縮だけど、『紫電様溺愛倶楽部』って知ってるかい? 何を言おうこのアタクシ、それのプラチナ会員ですのよ!」〔……〕「まさにあの方は女の鏡、理想像そのものよ! 私もいつか、あんなおしとやかで、慎ましくも、凛としたそのヴィオッティ!--」
式姫は紫電について熱弁するにあたり、瞳を閉じて、優しい表情になりながら、自分の胸にソッと手を添え紫電を想う。するとピンク色の銀河がなぜか式姫を包み込んで、目の前に神々しい輝きを放つ紫電が現れた。それを見た式姫は頬を朱に染めてしまうほどだ。だがそれがたたり、目を閉じた式姫はまさに盲目だったので、前方から迫り来る建物に気づける訳もなく、むしろ式姫にとって迫り来る壁は、彼女のおかしくなったイマジネートのせいで、紫電の姿が映りこむ巨大なピンク色のハート形をした幻覚に見えた。その巨大なハートを全身で受け止めた式姫は鼻血を出して深くめり込んだが、表情はとても穏やかである。ちなみに『ヴィオッティ』とは式姫のダメージボイスのことだ。
「ジョバンニ!」背中にくっついていたレイルは先ほどから前方に注意を促していたものの、結局聞いてもらえず、ダメージボイスを叫ぶと、壁にめり込んだ式姫からポトリと剥がれ落ちた。
〔し、式姫! どうしたの!〕美咲は何事かと叫ぶ。「むふ。むふふふ。むふふふふふ--」式姫は気持ち悪いゲスな薄笑いを浮かべながら壁から剥がれ落ち、背中から地面に落ちた。「バッティスタ!」運命の悪戯なわけもなく、真下には先客のレイルがおり、レイルは更なるダメージボイスを吐いて地面とサンドイッチになった。
「大丈夫よ美咲さん。それに、今の話。紫電様が関知しておられるなら、『美咲さんがそう思ってるなら』、事態はなんとかなるハズ」
それにしても式姫は、紫電のことをとても評価しているように美咲には思える。〔そうならいいんだけど〕しかし式姫が眉唾物の倶楽部会員だとするなら、それは仕方がないだろうと、彼女は検索するのをやめた。
「えぇそうなるわ。でもそうするには、私が。睦月君を助けなきゃならない。残り時間はどれくらい?」
〔残り五分〕
「よし。いい感じだわ。どうやら周辺の城壁がカバーしてくれてるみたいで、今のところ攻撃されていない。カバー圏外まではもうすぐ着く」
〔分かった。あ、あといい忘れてたけど。霊石英弾の補給ポイントは森林に面する主要道路に設置したわ。そこからまっすぐいったとこ。そこでチャコと刃が待機してる。二人も同行させて、追いかけてきたインビュードハンターを分散させるわ〕
「了解。到着したらまた連絡する。レイル、ほら立って!」式姫は倒れたままのレイルを摘み上げると、無理やりおんぶして跳躍した。「もうイヤこんな生活うううううーー!」その時レイルは悲痛な叫び声をあげたのだが、気の毒なことにAOFの噴射音によりさっぱり聞こえなかった。
それからインビュードハンターの攻撃が多少あったものの、二人は消耗なくして森林地帯の入り口へ到達することができた。
「あっ! あれじゃない?」そう言ってレイルは指をさす。そこには一台の車があり、見覚えのある男女が立っている。「そのようね」式姫はその付近に着地した。
「(ヘイヨー待ちくたびれたぜぇ)」ガードレールにもたれながら煙草をふかすチャコが英語で言った。「(この侍といてもさっぱり面白くねぇや。ヘイロリータ、あちきの話し相手になってくんねーか? そーしてくれんなら、袋いっぱいに詰まったチョコレートをやるぜ)」
チャコは足元に置いてあった小ぶりのリュックサックを拾い上げると、レイルに近づいて持たせてやる。「(『まぁ! 美味しそう』!)」レイルがその中身を見ると、なんと霊石英弾のマガジンでぎゅうぎゅうずめだった。「(『でもこれは、インビュードハンターに食べさせてあげることにするわ』)」そして流暢な英語でチャコに言う。「(『ワーオそいつぁー名案だな! きっと喜ぶ』!)」なかなか面白いことを言うレイルを気に入り、チャコもそれに乗っかった。「(『あまりに嬉しいもんで、ダンスを踊っちまうだろうよ』!)」
そんなやり取りをするそばで、式姫は刃と話をしていた。
「久しぶりです、大槻さん」
「うむ」
式姫はレイ繋がりで刃との面識がある。しかしそう突っ込んだ仲ではなく、あくまで仕事柄の知人程度であった。刃はいつも通り、腕組をしながら簡潔に言葉を綴った。
「俺とチャコを連れて、行ける所まで移動してくれ。多分において森林内部でも連中が現れるだろう。ある程度引き付けたら、我々を残してお前たちは行け」
「それは、そう、しますけど、でも……二人が敵に囲まれます」全く分かりやすい作戦なのだが、それでは二人が危険極まりない。「問題ない。『上手くやるさ』」刃はやはり短く喋る。
「(クソ面白くもねぇ作戦だよ、小隊長!--)」いつの間にかレイルと仲良くなってしまったチャコが、刃に代わって話し出した。「(まったくシンプルだぜ。お前さん方から切り離されたあちきらは、敵を排除しつつゴールを目指す。んでめでたく到着したら、城壁共が来るまでの間、四人仲良く籠城をキメるってわけさ)」チャコは喋りながら車のトランクを開ける。「(まったく侍らしい『前向きな』作戦だぜ。あちきだって『コイツ』を使わせねぇってんなら、特別報酬出されてもぜってーこんな話になんか乗らなかったわな)」そして、置かれていたイカツい銃を取り出した。
「うっ! そのCSGは!」
それを見た式姫はギョッとした。CSGといえば全長五十から六十センチほどのサイズが一般的なのに対し、それはあまりにも大きすぎる。全長は八十センチ程あり、ストックが折りたたまれていて、それを伸ばせば一メートルを超えるだろう。銃口付近にはバイポッド(銃座)が仕込まれており、その手前にフォアグリップがニョキッとはえている。そしてなにより、一番目に留まり、一番CSGらしからぬ箇所があった。それはベルト状に連なった霊石英弾がむき出しで本体に食い込んでいる所だ。それは本体中腹の低部に設置された、大きな四角い箱の中まで続いている。実銃で例えるなら『軽機関銃』クラスであることは、誰が見ても明らかだった。
「(そうさね。幻の対インビュードハンター用CSG、西木式ミスティックイーター(SME)だ。毎分七百発の霊石英弾を『かませる』)」「(そんなっ! どっ、どうしてあなたはソレを持ってるの! それはっ、銃約規定でストップがかけられて、生産されなかったはずじゃ!)」「世の中にゃー物好きがいてよぉ小隊長さん。どっかの莫迦がこっそり作っちまったのさ。こいつぁーあちきがマーセナリー(傭兵)時代に自衛用として仕入れたもんだが、やれやれ。やーっとお日様の下で掲げることができたぜぇ)」
「(ダメよッ! それは!)」
フォアグリップを握り、銃口を空に向けるチャコに対して式姫が突っかる。しかしその手前に刃の腕が伸びた。「式姫。時間が惜しい」「大槻さん! あなた見損なったわ!」式姫は止めに入った刃を睨んだ。「まさかこんな兵器を持ち出すなんて! SABとは違うのよ! それは確実にっ、インビュードハンターを殺すわ!」
「(なんだよ小隊長。そんなに自分のおとっつぁんが作った銃が憎らしいのかぇ?)」
チャコが発したその一言によって、式姫がキレた。刃の腕を払いのけ、チャコの胸倉を掴んで--「(『あなたは、あなたは、あなたは、あなたはッ』!--)」怒鳴りながら車に勢いよく押し付け、物凄い形相をしながらチャコを睨んだ。「(『あなたは何もっ! わかっちゃーいないッ』)」
「(わかってるさ。あんたのオヤジは天才だ。愉快なオモチャを作るのが実に上手い)」チャコは面白そうに彼女を茶化す。「キイィッ!」式姫は更に胸倉を押し込んだ。「式姫!」刃が叫ぶ。式姫は力を弱めようとはしない。チャコは悪びれた様子もなく、また口を開いた。
「(おぉっとぉ? どうしたプリンセス(お姫様)? なかなかの剣幕じゃねーか、ブルッちまいそうだ……プリンセスの言い分はこうだろ? 生かさず、殺さず。必要最低限の殺傷を有する武器の使用のみを許可する。ハッ、お笑いだぜ。『同じ』じゃねーか。銃ってなぁ人を殺すための道具だ。それ以外の何者でもねぇ。それが本質ってぇもんだ。そうだろ? 違うか? あちき『な』言ってるこたーどっか間違ってるかぇ? あぁ? そうだろ? 違わんだろうが。莫迦らしい。何が必要最低限だ。『殺す』さ。SABでも。SRBでも。SPSでもな。どれもこれもがみな同じだ)」
「(違う!)」
「(どこが! どう違うんだい? プリンセス)」
「(違うわっ! だから! だから父は、それを作らなかったッ、放棄したのよ!)」
「(なんてこったい。莫迦なことをしたもんだ。オヤジさんが方針を変えやがったのはこのCSGがキッカケってわけかい。だからなのかな? このCSGが他のよりも一線を画す『輝き』を持ってやがんのは。こいつはなプリンセス。『キラキラに輝いてやがる』。そいつぁー本質が最高に引き出されてるからだ。銃の本質。殺しの極たぁまさしくそれさァ--」チャコは吐息が吹きかかるくらいに自分の顔を式姫の顔に近づけて、ニヤニヤしながら、強い口調で、だが声を潜めるように言った。「なぁ、見てみろよ? プリンセス。ダンスフロアのミラーボール代わりに飾ってやってもいいぐれーだ。イカスぜ。ガンスミスの娘であるアンタになら、イヤでも分かるだろうに? ケッヘヘヘヘヘ……)」
刃はたまらず式姫の肩をグイと掴む。
「式姫、耳を貸すな。ソイツに何を言っても無駄だ。聞くことも、同様にな」
「……くっ!」
胸倉を掴んだ腕を勢いよく下げると、式姫は二人に背を向けて距離をとった。
「作戦は聞いての通りだ。接敵したら、俺達を切り離す。後のことは--」「『上手くやるでしょうね』」式姫は刃の言葉を遮った。その言葉は氷のように冷たく、鋭い棘が浮き彫りになっている。
「お前にも分かるだろう。『だからこの作戦が成り立つ』。他に手はない」
心なしか寂しい背中をする式姫に、刃が言う。
チャコのセリフから察する通り、式姫の父親はCSGの権威であり、『西木式』と冠するCSGの設計者である。父親の開発したCSGがモリエイターの身を守り、また敵を殺すことは、娘である式姫にとって複雑な心境を抱かせるのであろうか? 彼女は少しの間だけ黙っていたが、背を向けたまま、WFコートの襟を治した。
「お二人の身を挺してまでの危険な作戦。感謝します」そして彼女が言う。刃はちょっとだけ笑顔を見せた。「感謝など。お前を行かせるためだ。どうとでもしてやるさ」
「睦月君を助けるため……とは言わないんですね?」
思わぬ反撃が式姫から飛び出したため、さすがの刃も表情を強張らせた。式姫は無言になった彼に対して『してやったり』と思い、やっと彼女は振り返った。
「それでは、移動を開始します。レイル!」
「おっけぇぷりんぷりぃん!」リュックを背負ったレイルはてこてこ駆け寄って来たが、そのセリフを聞いた式姫はなんだか無性に腹が立ち、レイルのどてっぱらに膝蹴りを喰らわせた。「ハボック!」それはレイルの足が地面から浮く程の威力だ。ちなみに『ハボック』とはレイルのダメージボイスである。
目を細めて目的地方面を眺めながら、式姫は通信機に手を添えた。
「こちら式姫。美咲さん。今補給を済ませたわ」
〔了解。こんなこと言うのもなんだけど、マガジン貰うだけにしては、ちょっとかかりすぎじゃない。どうかしたの?〕「いえ、別に」〔そう。後続する部隊は十分ほどで到着する予定です〕「了解。作戦を続行します」〔幸運を。式姫〕
左手にチャコ、右手に刃、背中にはレイルをおんぶして、式姫は森林に突入する。
「残り時間は」式姫が言う。「残り百九十二秒。三分弱といったところだ」刃が答えた。
「そう。全速力でいけたなら一分弱でつけるんだけど、二人がいるうえ、木に隠れながら進まなきゃ、すぐに見つかってしまう--」
そう式姫が言いかけた時、四人の真横から何かが飛んできた。それを察知したレイルは盾を構えようとしたが、チャコが体をスイングさせて射線を開き、それに向けて三発撃つ。真っ青なマズルフラッシュをX状に噴き上げるSMEからは、ギギギンッという独特な、金属をぶつけ合うような甲高い発射音がする。飛び出した霊石英弾は飛来物に直進して粉砕、貫通した。
「(はっはー。ヘイ嬢ちゃん見たかよ、今のクレー射撃。攻撃は最大の防御ってんだぜ)」「んにゅむ~!」チャコからしたり顔をされたレイルはムッとするも、その素早い早撃ちから実力の差を垣間見たような気がした。
「来たか、さすがに速いな」周囲に目を配りつつ刃が言った。「そのようね。どうするの大槻さん」式姫も同様に周囲を警戒する。「お前は今、全力でなら一分で着けると言ったな。確かなのか」「多分ね。経験からするとそれくらいで着くはず」「よし。では敵が複数目視できるようになったら、俺達を切り離せ。それまで--」
その瞬間、全員のインテュイントが警告を発した。『恐ろしく危険な何かが接近している』。
「これはっ--」今までにない警告を受け取った式姫は恐怖した。「(上だァ! 小隊長!)」チャコが叫んだ。「オオオッ! オオオォォォーーー!」レイルも叫ぶ。「チィッ!」刃はとっさに繋いだ手を放して得物をモリエイト。頭上に飛び上がると、眼前から迫り来る物体……自分が乗ってきた車を睨んだ。
「我剣滅龍葬牙」やいばを返した刃は対空斬り上げをぶち込む。刀身は防弾仕様の車体をやすやすと切り裂いた。「むっ!」その背後に、三人のインビュードハンターが潜んでいるのを見つけ、すかさず左の中段横薙ぎを放つ。不覚にもその一手は回避されてしまった。「(野郎!)」刃を突破したインビュードハンターに対し、チャコがSMEによる迎撃を試みる。しかし距離が近すぎてCSGの醍醐味である強力な誘導補正を生かせず、なおかつ前方には刃がおり、片手持ちという状況であるため、必要以上の弾幕を張る事ができない。
それゆえ、チャコは慎重な射撃を行なうほかなかった。腰溜めにSMEを構え、弾くようにトリガーを引く。一回、二回、三回、四回。二、三発刻みで飛び出す霊石英弾はインビュードハンターに直撃すると、貫通はしないものの、その肉体に深く食い込んで出血させる。SABとは比べ物にならない威力の高さだ。
「(クソ!)」
チャコの腕前は相当なもので、片手撃ちにも関わらず二人撃ち落として見せたが、三人目がとうとう格闘射程に到達、SMEを掴んで発砲を阻止しつつ殴りかかってきた。とっさにレイルはSABを抜き、インビュードハンターを撃つ。「くっ!」それによってチャコへの攻撃は阻止できたものの、変なふうに重心がかかったせいで式姫が大きくバランスを崩した。「(小隊長! ロールしろ! 『今だ』!)」チャコがとっさに叫ぶと、レイルと一緒に目を回した。『ナウ』と聞いた途端、すかさず式姫が体をグルリと一回転させ、インビュードハンターを地表に激突させたのだ。しかしまだその腕はSMEに喰らいついて放さない。レイルはサイトをその腕に合わせる。「いつまでくっついてんだ!」そして発砲、さらにチャコの蹴りを受けて、インビュードハンターはやっとその手を放した。
彼女達が接敵したのを皮切りに、どこからともなくインビュードハンターの群れが押し寄せてきた。
「(小隊長! 『ここが降下地点だ』! あとはアンタらだけで行け!)」
回転によってバランスを崩していた式姫にチャコが叫ぶ。「(えぇっ! でも!--)」式姫は勢いあまってずっこけてしまいそうで、それに反論する余裕が無い。「(右翼が軽すぎる! このままじゃ墜落するぞ!)」叫びながらチャコはレイルを見る。「(嬢ちゃん、おみゃーがナイトだ。プリンセスをしっかり守ってやれよッ)」そう言い残すと、彼女は高揚した笑みを浮かべながらその手を放した。「式姫!」どうしていいか分からないレイルは叫ぶ。「レイル! つかまって!」軽くなった式姫は平行を保つため、両側面の上下へ何度かAOFを噴射して強引に微調整しつつ、背中側のAOFが破裂するほど一気に加速、その場からの離脱をはかった。
一人残ったチャコは、次々にやってくるインビュードハンターをSMEで迎撃しながら、刃との合流を目指した。
(クソ、やけにブラストがキツイな!)
彼女のSMEは正式な製造過程を経てはおらず、とにかく威力とハデさが重視されているようで、サイト越しに射撃をしていると、銃口から発する炎が視界を遮ってしまう。
「(シルバー3ッ、どこだ!)」チャコは応戦しつつ刃を呼んだ。〔(こちらシルバー3、今こちらも向かっている。間違って撃つんじゃないぞ)〕「(へっへー、どーぅだか! しっかり目ん玉開けてな!)」チャコのインテュイントは既に、全方向からの危機を警告していた。普通であれば絶体絶命である。そうであるにも関わらず、チャコは焦るどころか、むしろ笑いが止まらなかった。
「(鬼さんこちらッ、てねェ!)」
SMEを構え、わざと上空に飛び上がると、インビュードハンターも周囲から姿を現した。まず移動方向の敵を排除した彼女は、そちらに進行しつつ後方に回した敵を蜂の巣にする。「(ヒャハー! 七面鳥撃ちだぜぇえええ!)」SMEの威力は凄まじく、インビュードハンターともあろう者が、まるでちょっと速くてちょっと硬い人間程度の存在になってしまうようであった。チャコは敵を寄せ付けることなく、ジャラジャラと薬莢を撒き散らしながら霊石英弾をばら撒く。彼女の辿った道のりには死体と薬莢だけが残っていた。
そんな彼女に、木の陰から腕が伸びた。「うおッ!--」その腕は射撃により高温になっているSMEを鷲掴むと、銃口を地面に向けさせた。
「(止めろシルバー4、殺しすぎだ)」
ハッとしてチャコが振り向くと、それは刃だった。
「(なんだよ3、アンタかよ。焦ったぜー居るなら教えてくれよぉ。あ、そこ持つと熱いぜ? 気ぃつきちくりよ)」
SMEから手を放した刃は、周囲を見渡すような仕草をする。「(弾帯交換するぜ。七秒以内に終わしてやらーにゃ)」チャコは足元にしゃがむと、腰にぶら下げていた予備の四角い箱を取り出して装填を開始した。警戒しながら刃はその様子を横目で見る。「(殺しすぎるなよ)」そしてまたそんなことを言った。
「(なんだい刃、珍しく突っかかってくんなぁ。『まさかあんたも人間博愛主義者だったのかぇ』?)」
それを聞いた刃は、ちょっと間を空けてニヤリと笑う。
「(あーっ! オイオイなんだよ! ちっくしょう笑いやがって! いいかね? あちきゃーアンタだからこんなこと言うんだぜぇ?)」「(何の事だかわからんな)」「(まーた! んなこと言っちゃってよォ! 確かに小隊長には言い過ぎたかもしれねーが、考えても見ろよ。『世界の環境問題』と同じだ。なんで一向に良くならねーかっつーと、効率悪い方法でしか生きていけねぇクソが山ほどいるからだろ。『それと同じだ』、今の状況はよォ。環境を一気に改善する方法は一つだけさ。そのクソ共を全員拘束して、プラズマ溶鉱炉ん中にでもくべちまえゃいい。そーすりゃ、一握りの『人間博愛主義者』だけで、素晴らしいクソも面白くねぇ世界が作れる。でもそれができねぇから、『あちき』みてーなんがいやがる)」
「(全く持って、極論しか言えん奴だなお前は)」「(だってそーだろうがよぉ?)」「(『まぁ、そうだな』)」
周囲のアストラル体が揺らいだことで、二人は新手の存在を察した。チャコは装填を終えたSMEを両手で持ち上げ、刃は得物を振って刀身を下に向ける。
「(移動するぞ)」刃は喋りながら足を進める。「(こちらシルバー4。りょーかい)」チャコもそれに答えて刃を追う。敵は待つまでもなくやって来て、先頭を走る刃に二人組みが突っ込んでくる。チャコはサイトを覗いたが、わざとらしく刃がその射線をふさいだ。
「(おっ!--)」
邪魔だ、とチャコは言いかけたのだが、刃は瞬く間に二人のインビュードハンターを仕留めてしまった。彼らはDSによって酸欠状態に陥り、地面に倒れた。SMEを構えたままあっけに取られたチャコは刃の背中を見る。その背中ごしに、彼の声が聞こえてきた。
「(俺はお前の言う『人間博愛主義者』ではないが、『快楽殺人者』でもない。かと言って、上の命令に従うだけの『忠犬』でも、『駄犬』でも、『反社会性人格者』でもでもない……)」
「(アンタは『人』だよ、大将)」チャコがSMEを下ろして言う。「(しかもおっかねー侍だ)」
「(……フン。カルチャーショックが聞いて呆れるな)」
「(あっ! テメェおいまァた笑いやがったな!)」
刃はチャコの言葉を聞かず、一人だけ進行を始めてしまった。「(なんつった! えぇ! なんつった! もっぺん言ってみやがれ! オイコラ! 侍!)」それに対し、チャコはやかましく怒鳴りながら追行していった。
二人を切り離し、森林を縫うように移動していた式姫だったが、インビュードハンターの追撃はなおも続いていた。
(こうなったら空中を一気に移動して、目的地に到達してしまったほうがいい。そこに何があるのかは知らないけど、着地して迎撃しなければ、こっちがやられる!)
背中ではレイルがせっせと弾幕を張っており、先ほどから何回もマガジンを突っ込んでは捨てている。
「レイル、聞いて! これから目的地まで一気に飛ぶわ。そこで騎兵隊の二人が到着するまでの間、持ち堪えるわよ!」顔を前に向けたまま式姫が喋る。レイルも同様にしながら口を開いた。「了解! でも、あんなにいっぱいいるけど大丈夫なの!」「私がソースシフトすれば、二人が来るまでもつはずっ」「今(男に)なっちゃいなさいよ!」「移動できないでしょうが莫迦ァ! 飛ぶぞ!」
式姫は助走をつけて地面を蹴りつけ、森林から飛び出した。後方のインビュードハンターも高度をとり、太陽の下にその姿を現す。
「このまま行くわよ、レイル! 撃ちまくれ!」「くたばりやがれ! DIOオオオオオオ!」
最高速度を出した式姫にインビュードハンターは追いつけない。このままだと数十秒で目的地に到達するであろうと彼女は思った。よって、作戦自体はなんとか成功できるだろう。(でも、その後はどうする? 睦月君がいたとして、その後は? いや……はたして、本当にいるのかしら?)式姫は少しでもそんなふうに思ったことを、後悔してしまった。(だめだだめだ、変な事を考えるな。弱気になっちゃいけない。くそ、あぁ……あぁ! 不安だ。やり過ごせるだろうか、インビュードハンターを。殺してしまうかもしれない、私が--)式姫が自らまいた不安の種は、彼女の中でいきなり大きくなるように思えた。(い、今の私では、無理かもしれない……そうよ、でも、だからっ、シフトするのよ。あっちなら、こんなふうには考えない。考えたとしてもっ、すぐにかき消してくれるはずよ--)
「式姫!」不安に駆られていた彼女に、レイルが突如叫んだ。「式姫敵が! いなくなっちゃった!」
「エッ、えぇえッ!」思わず彼女が振り返る。「ほら見てよ!」レイルの言葉どおり、確かにインビュードハンター達は背中を向けて、今来た道をとんぼ返りしていくように見えた。
「……なにかおかしい。レイル、気をつけて!」「んみゅ!」
レイルは式姫の背中に一度だけほっぺを押し付けると、頭をぐいぐい動かして周囲を見渡す。
(クソッ、どこだ、目的地は--)式姫はいよいよ焦った。GPSで位置を確認したが、画面だと既に目的地についているように見える。(もう見えてもいいはずでしょうっ--)風を切り、長い髪をなびかせて、注意深く前方を凝視していると、森林が切り開かれている場所を見つけた。(あそこか!)
式姫は背中を空に向けて一気に降下する。どうやらそこには潰れた建物があるようだ。彼女はそのふもとに着地して、素早く周囲を索敵した。AOFやその他の気配は今のところない。
「あっ!」
そして、レイルと同時にそれを発見した。
「睦月君!」
二人は素早くそちらへ駆け寄った。睦月は木の根元で仰向けに倒れている。「あれ--」しかしどういうことだろう? なぜかその隣には見知らぬ少女も同様にして倒れていたのだ。式姫が二人の首に手を添えると、トクントクンと躍動する脈を感じた。どうやら生存しているらしい。
「こちら式姫! 美咲さん!」式姫は叫んだ。「睦月君を確保した! 繰り返す! 睦月君をッきゃくほ!」その間にもレイルは周囲を警戒する。〔こちら美咲、了解!〕美咲が勢いよく応答した。「意識不明だけど生存している模様! あと和服を着た女の子も倒れてるわ!」〔な、なんですって!〕「こちらも生きてるッ、早く紫電様に伝えて!」〔了解! 式姫、よくやったわ!〕「褒めるのは『自分の足で帰ってきたとき』にして頂戴よ、美咲さんッ--」
式姫は最後のほうを皮肉って締めた。
「レイル!」
次に彼女はレイルを呼ぶ。レイルは駆け足で近づいてきた。「なに?」そう言って顔を上げたレイルの両肩に手を乗せる。「なっ、なによぉ--」
「レイル? あなたはホントにいい子」
式姫は何故かそんなことを言い出すと、レイルのおでこにキスをした。
「……」「……」
そして二人は沈黙する。
「……」「……」
一体式姫はなにをしているのか? なぜそんなことをしたのか? 無表情で見詰め合う二人だったが、式姫の口はマイナス(-)から徐々に全角のティルデ(~)に変化し、最終的には小文字のオメガ(ω)になった。口の変化に応じて、顔もだんだん赤くなっていく。「し、式姫、あ、あんたねぇ--」式姫の表情が変化するにあたり、レイルの顔も真っ赤になった。「くっひひひひ--」式姫は堪えきれず、にやけてしまった。だが彼女のAOFは謎の光を発し始める。
「なんてことすんのよォッ! この莫迦ァァァーーーーー!」
「イヤハアアアアアアアン!」
眩い閃光があたりを照らしたその直後、式姫は男になっていた。「うおっしゃアアーー!」彼は思わずガッツポーズをとる。「おっしゃーじゃないでしょオォオオーーー!」耳まで赤くしたレイルが叫んだ。「指輪指輪! なんのッ、なんのために持ってんのよ! それッ、それ使いなさいよォ! このバカバカバカー!」そして叫びながら、ハンカチで自分の額をぐいぐいこすった。「うるせエエエエエ! こんぐれーやんなきゃやってられっかっつーんだこんクソッタレがァアア!」式姫は腰に手を当てながらレイルを見下ろし、『腕をめいっぱい引いた状態で』指を差した。
「Eかガキんちょ聞きやがれッ! 敵の気配はしねーが、なんだかよくわからん! この場所だって意味わかんねーミステリーゾーンなんだ、十分に警戒しろ! いいな! アアァーッ!」そんなポーズをキメられたレイルはとても困った表情だ。「返事しろッ! タコ!」「わ、わかってるよぉ……」
大声を出した式姫は勢いよく振り返ると、腰にくっつけてあるサイドポケットから布状の輪ゴムを取り出して、自分の長い後ろ髪を束ねる。
(よし、いい感じだ。女の状態じゃあ不安でいっぱいだったが、男になったら全然ちげぇ。逆行になればなるほど笑いが止まらねぇぜ。敵が多くてヤバイだと? 『そんなもん知るか』。泣いても笑っても状況は変わらねぇんだ。だったらやるしかねぇだろうが。莫迦らしいぜ。考えるだけ無駄だ。敵が来たら返り討ちにしてやるさ。そして多すぎて手に負えなくなったら……あぁ、どうしようかなぁ? えーっと。ハハッ、『知らねぇやぁ』。まぁそんときにでも考えりゃーいいだろ。それに死ぬときってのはどうやっても死ぬ。まったく女の時ってなぁ、クドクドとよくもまぁ考えたもんだぜぇ--)
髪を束ね終えると再度通信機に手を添える。
「大槻さん応答願う! こちら式姫! ソースシフトしたから男の声だが、式姫だ!」
〔こちら大槻〕「斉藤睦月の生存を確認した! すでに美咲さんには連絡済み、作戦は完了だ!」〔了解〕「あと気づいてるかわからんが、インビュードハンターがふるまいを変えた。そちらの様子はどうだ」〔今さっき、俺達から距離をとり始めた。何かあったのか〕「それがこちらもわからねーんだ。しかし何かがおかしい、連中がこんなことしたためしがあるか?」〔ないな。ひとまず合流する〕「了解、急いでくれ」
通信を終えた式姫は、睦月の顔あたりにしゃがみこんだ。
「おい斉藤! 起きろ!」
そしてほっぺたをペタペタ叩く。睦月は起きるそぶりを見せない。
「チッ、寝てるわけじゃねぇのか。フム--」次に彼は睦月の全身を霊視した。(どうやら炎を見る限り、安定はしてるようだ。バイタル面にも異常は見当たらねぇし、酸欠って訳でもねぇらしいな。だが妙だ。なにか……『ロック』が掛けられているように思える……何故だ? 俺のインテュイントがそう表現している。まだ、起きないようにされているのか? ……だが一体どうやって)
式姫は隣の瑞穂にも霊視を試みる。
(こちらも同じだ。生きちゃーいるが、二人の炎は寝てやがる。どうなってんだ? クソ、まぁ考えるのはあとだ)そして顔を上げ、レイルを呼ぶ。「レイル! 二人をそっちまで運ぶぞ、手を貸してくれ!」「了解!」
式姫とレイルは、二人を崩壊した建物付近に運んだ。「む?」その途中で式姫は、丸く切り取られた鉄の扉を見つけた。「どうやらここで一発やらかしたのは確かなようだな」それを見ながら彼は言った。「でも一応この辺見て回ったけど、敵はいなかったよ」レイルが答える。「ふむ。死体がねぇなら逃げられた、いや撃退したのかもしれん。とにかく警戒だ。警戒警戒けいかい。ぜーんぶそのなんとも掴めねぇ言葉で『丸く収まる』。警戒だレイル」「ハイハイわかりましたよーぅだ」
二人は間隔を空けて並ぶと、レイルはSABを構え、式姫はパトスバトンをモリエイトした。その形は女の時と変わらず、先端についた可愛らしい星マークもそのままだった。
「さぁて! 来やがれインビュード共、相手になってやるぜ……!」
それから十数分後。意気込みよろしく式姫は臨戦態勢を維持し続けていたのだったが、結局インビュードハンターが現れることはなかった。周囲では到着した桜桃県城壁が現場を調査しており、刃とチャコも同様の作業を行なっているようだ。足場の開けた所にはビニールシートが敷かれて、その上には気になる物品が集められている。城壁隊員の一人がしゃがみながらその中の一つをいじくっていて、刃はその様子を眺めつつ、時折質問を投げかけてくる他の城壁への対応などを行なっていてた。レイルもてこてこ駆け寄ると、手短に用件を述べた。
「大槻さん、救護班から連絡で、倒れてた二人は輸送車に無事乗せられたそうです」「うむ。ご苦労」刃も簡単に答える。そして彼女がてこてこ走り去ると、今度は足元の城壁隊員が四角い箱を持ちながら口を開く。「大槻さん、どうやらコイツは相当厄介な代物らしいですよ」「ふむ」
「これを見てください」四角い箱はすでに分解されて、中の機械がむき出しになっている。城壁隊員はその中にある結晶にマイナスドライバーを向けた。「このオリハルコン結晶。これは『オーグ』なんかに使われるものと性質が似ています」『オーグ(O-GU)』とは、『Oreichalkon Gigantic Unit』という、モリエイターの手から離れて自立行動を取る兵器のことだ。それからドライバーの矛先は、周囲に複数ある小さな結晶に向けられた。「この周りにある小さい奴も同様に。さらにこいつらは、中央の結晶低部にある小型のエッセンスシンセサイザーと直結してあります。中央のオリハルコン結晶はソウク用。周りの小さい奴は、シンセサイザーからエーテル体をソウクさせるよう、中央の結晶に指向性を与える働きをする」
「エーテル体を吸い込む構造なわけか?」
「えぇ。つまりこいつはトラップですよ。しかもかなり凶悪だ。小型とはいえ、同じ箱が現時点で八個も見つかっています。どうやらアクティベートされたあとのようですが、これらが一斉に口を開いたとすれば、この周辺には小規模なアストラル乱流が発生したことになります。それもエーテル体をも飲み込むような、死の渦が出来上がったことでしょう」
「デスボルテックス(死の渦)か。まさにその名の通りだな」「まったくです。しかしこいつには自滅設定がされていたみたいで、オリハルコン結晶の消耗もあり、復元は無理でしょう」
城壁隊員とのやり取りの最中、刃はチャコが寄ってくるのを見つけた。
「なるほど。報告ご苦労、作業を続けてくれ」「了解です」刃は話を切り上げて、チャコに向き直った。
「(こんなのを見つけたぜ)」そう言った彼女は、持って来た物を刃に渡した。「(CSGか)」手渡された刃は、それが何なのかすぐにわかった。チャコは話を続ける。
「(あぁ。しっかし、こいつぁーどう見ても手作りだぜ。見てみろよ、そのどっかで見たことあるみてぇなフレーム。グリップもそうだろ。まだ分解してねーから何とも言えねーけど、形状からしてショットガンだぜ。そん中のカップリングストーンはオーグ用っぽい性質を持ってやがる)」「(ほう?)」「(霊視して中覗いてみなよ。それに実際、アストラル体を散弾状に発射させるにゃー普通のカップリングストーンじゃ無理だし、お手製って考えるなら、オーグ用のを使ったほうが手っ取り早い)」
刃はそのCSGを霊視した。すると、砲塔が三本あるにも関わらず、中のツガイ石は一対のみだった。それは明らかに通常のツガイ石とは性質が異なっており、直径が五センチほどの大型をしている。「(どこもかしこもオーグ用か。強硬派の物に間違いないな)」霊視を終えた刃は言った。
「(だろーな。しかし考えても見ろよ、刃。オーグ用だぜ? そんなでけぇ石ころぶっ叩いたら普通、AOFが根こそぎ持ってかれちまうぜ。そりゃーフル装備でもしてりゃなんとかなるだろうが、それでも一発撃つので精一杯だろうよ)」
「(普通ならな。だがDSPが使うとなれば、話は違ってくる)」
刃は先ほど話していた城壁隊員にそのCSGを渡した。「こいつもリストに加えてくれ」「了解しました」渡し終えると、背筋を伸ばして腕を組み、フーンと鼻から息を出して周りを見渡した。二人以外の全員が、忙しそうに走り回っている。
「(それにしても刃よぉ、なんでアンタがこんな仕事してんだぁ?)」そんな彼を見ながら、チャコは煙草に火をつけた。「(まるで背広組みてぇに物品調査なんぞをよー。確かに現場の責任者はアンタなんだろうが、そこまでやるこたねーだろ。そういやぁ、小隊長さんは一体どこいっちまったんだい? もしかして今の仕事を押し付けらたのかぇ?)」
「(彼女は--)」
刃は外周にある森林の一角を顎で指す。そこには背中を向けて体育座りしている式姫の姿があった。死を覚悟してインビュードハンター迎撃に挑んだが、結局誰一人現れず、式姫のやる気は行き場を失い、悪い方向にくすぶってしまったのだ。どうやら女に戻っているようで、指輪をいじりながら両膝で頭を隠して、微動だにしなかった。
「ねぇねぇ式姫ぇ。もう疲れたよ帰ろうよぉ~」
やることのなくなったレイルは、先ほどから式姫の周りをうろちょろしている。「ねぇ式姫ってばぁ~」やはり彼女は興味を示さない。
何度呼んでもさっぱり反応しない彼女に対して、うろちょろしていたレイルは彼女の背後にしゃがむと、背中をくっつけてグイと押し込んだ。
「おっしくーらまぁんじゅっ、おっされって泣っくな--」レイルとしてはどうしても自分に構って欲しいがための行為なのだが、体をゆすっても式姫はシカトをきめ続けている。「おっしくーらまぁんじゅ、おっされって泣っくな--」
そうして背中を押されていた式姫は、何故か横に倒れた。「おわっ」別にレイルは倒れるほど力を込めてなどいなかったのだが、背中を合わせていた彼女も一緒に横転してしまった。
「姫ちゃん。どうかしたの?」
レイルはなんだか可哀相になってしまい、式姫を覗き込む。体育座りのまま倒れている式姫の顔には横髪がかかっていて、うっすらと目を開けていた。「お父さんに会いたい……」そして静かに、ゆっくりと喋った。「お兄ちゃんにも……」
そんなことを言い出す式姫を見て、レイルには投げかける言葉を見つけられなかった。
-----時間は今から十数分前、式姫が報告した時点にさかのぼる……
〔睦月君を確保した! 繰り返す! 睦月君をッきゃくほ!〕
式姫の連絡を受けた美咲は、サッと通信機に手を添えた。
「こちら美咲、了解!」
彼女はマッキーと合流した地点から動かず、そこを拠点として数々の指示を各部隊に送る仕事をしていた。車の中央にあるディスプレイを見ると、そこには分かりやすくカウントダウンが表示されており、数字は一分二十四秒と書かれている。式姫への対応を終えた彼女は通信機のマイク部分を片手で握ると、隣に座るマッキーを向いた。
「マッキー、睦月君を確保したわ!」「よしっ! やったぞ!」「各チームに作戦成功を伝えて、行動を次の段階に移らせて。私はIBSに連絡する」「了解!」
マイクから手を放した美咲はディスプレイをいじくると、送信先を変更してコールをかける。〔(こちらIBS、東北支部です)〕数秒もしないうちに、英語で喋るスルメスの声が聞こえた。
「スルメス、美咲です! 作戦成功! 睦月君を確保したわ!」〔ほんと! 良かった! すぐに城壁参謀本部に連絡するわ〕「あーっと、スルメス。参謀本部よりも先に、その、戦花へ連絡してもらえないかしら?」〔え? 戦花ですって? どうして--〕「そうよ。先に戦花へ連絡することで、『作戦の出ドコをそちらだと思わせる』。時間がないわ、お願い!」〔……あなた今、とうとう口を滑らせたわね?〕「あれっ! あぁんクソ! ねぇスルメスぅ!」〔ハァ……わかったわよ--〕「お願いっ、頼んだわよ!」
穏健派の最重要拠点ともいうべき『赫夜』は京都の山中にある。古き良き和の寺院が幾つか立ち並んでおり、そこにはインビュードハンターから逃げおおせたモリエイターが暮らしているのだ。一番奥には、一般的に『本堂』と呼ばれる白壁に囲まれた広大な敷地がある。その中には一部例外を除いて女しか入る事が許されない。本堂の中にも寺院は幾つかあり、それらは親元を離れた戦花の社宅や、各種訓練場や、学習場だったりする。一番大きな建物は伝承家系の暮らす寺院で、それより背の低いあるお寺の中に、紫電とその部下達の姿があった。外見は和風であるにも関わらず、彼女達がいる部屋はどうみても今風のオフィスだ。窓がなく、白い布地の壁に囲まれた室内には最新の情報処理設備がずらりと並べられており、その中で彼女達は綺麗な着物姿で仕事にいそしんでいる。紫電は部屋を一望できる場所にデスクを構え、数名の側近と共に状況を見守っていた。
「紫電様、IBSのティックから連絡が入っております」オペレーターが紫電に振り向いて言う。「分かりました--」紫電はすぐに答えると、自分の机にある電話の受話器をとらず、幾つもあるボタンのうち一つを押した。「ティックさん、進行状況はどうですか?」そして喋り出す。電話のスピーカーからはスルメスの声が聞こえた。
〔はい。たったいま、対象である斉藤睦月の確保に成功しました。作戦は成功です〕「なんですって! 本当ですか!」声を上げながら紫電はチラリと時計を見る。残り時間は一分を切っていた。〔はい、間違いありません。これから城壁参謀本部へも連絡せねばなりませんので、これで失礼します〕「待ってくださいティックさん。そちらには私から連絡します」〔えっ? ですが--〕「とにかくありがとう。いい働きでしたよ」〔それは、恐縮です。では失礼します〕
スルメスとの会話がオープンで成されていたことで、周囲の戦花達は紫電へ顔を向けていた。しかし紫電はそれらに目もくれず、素早く受話器を持ち上げて、また置くと、ボタンを押した。
〔こちら城壁参謀本部〕スピーカーからは男の声が聞こえた。「二十五代目紫電です。総司令官にお伝えください。対象を確保しました、作戦は成功ですと」〔了解しました〕
しばらくすると、最初とは違う男の声が聞こえてきた。
〔眞田です。残り時間十二秒。まったく白熱した『試合』でしたね、二十五代目殿〕
「そのようでしたね、総司令官」
その声を聞いて、紫電は口ぶりこそ変えなかったものの、表情をちょっとだけ強張らせた。
〔しかしやはり、『蚊帳の外』というのは居心地が悪いものですね。我々城壁参謀本部を差し置いて、二十五代目紫電ともあろうあなたが、独断で部隊を動かすというのは〕「それは--」二人の会話を自分のデスクで聞いていた皐月は、紫電が口を濁らせると足早にそちらへ近づき、強い口調で喋りだした。
「皐月です、総司令官。その話は先ほどから申し上げているでしょう。これは我々戦花にとって重大なことなのです。我剣流を扱う連中が面倒を起こした。だから私共が率先して行動を起こしている」
〔これはこれは、次期紫電殿。それは承知しているとも。だが、なんといいますか……飼い犬にはきちんと首輪をして、しつけねばなりませんな。こういった事件が今後も、起こらぬように〕「存じております。ですから--」
「皐月」
紫電は皐月の肩を掴み、その目を見た。皐月も振り向いて紫電を見ると、怪訝な顔をしながら身を引いた。次いで紫電が喋りだした。
「これより先も、我々が事態の収拾に努めます。それらに関しての報告は随時そちらに」〔もちろんそうしてくれ。だが、こちらも少々混乱していてね。正直困っているのだよ〕「と、申されますと」〔まぁそれに関してはこれから行なわれる会議で話そう。内容を噛み砕いて言うなら、あなた方戦花の抱えている、その、重大な事情について、ですか〕
「またそんなことを、総司令官!--」皐月が机に手を突いて怒鳴りかけたが--「皐月、よしなさい!」紫電はなんとか押さえ込む。「では総司令官、ひと段落したら会議室でお会いしましょう」〔そうだな。ではまたのちほど〕そして口論がスタートする前に、通信を終えた。
「何故ですか紫電様! あなたはもっと強い発言をするべきだ!」電話の受話器を置きなおした途端、さっそく皐月が紫電に向かって怒鳴り出す。紫電は彼女の様子を見て、自分の額に手を当てた。「皐月--」「言わなければ何も変わらない! 紫電様、伝わらないでしょう! 連中にとって戦花は、『あなた』は、目の上にできたこぶなのですよ! そして今回の一件を利用して連中は、これ幸いとあなたを叩きにかかり、その権威を脅かそうとしている!」「皐月--」「何故それを甘んじる必要があるのですか! あなたにはそれをさせない力があるというのに!」「皐月」「何故です!」
皐月は肩で息をしながらも睨んでいた。彼女の言葉は途切れることを知らず、紫電はハァとため息をつくばかりだ。
「あなたの言い分は分かります。でも、今。それを総司令官に言っても、仕方がないことでしょう」「仕方がないですって! そんなわけないでしょう紫電様! それはおかしい!」せかせかと早口で喋る皐月に対し、紫電はとてもゆっくりした口調だった。「いいえ、そうではありません、皐月。状況を--」「状況ですって! こんな状況だからこそ声を大にして言うべきなのではないのでしょうか! それができるのは紫電の座があるからこそ! そうじゃないですか紫電様!」「それはそうかもしれませんが……」
皐月はまだ十五歳であるため、世の中の全てを、自分の勢いのみで渡れるように思えている。そして紫電は、それでは無理な道があるというのを知っている。時々紫電は、自分の娘を図々(ずうずう)しいと思いつつも、羨ましいと思えた。しかし、その若さゆえの勢いという奴は、時におのれを盲目にするものだ。
「紫電様。あなたは優しすぎる……優しすぎるお人だ。この世の全ての人間が、あなたの真心をきちんと理解してやれたらいいのに。でも残念ですが、紫電様。そういう人間は決して多くありません。往々にしてほとんどの連中は、あなたの優しさを食い物にするでしょう。物乞いを装い、施しを受けたとしても、それを恩とも思わず、もしあなたが悲境に立った時は、あなたに指をさして笑い、さげすむでしょう。そんなふうに、卑怯で、卑屈で、下賎な者ばかりなのですよ……そう、そういった連中の巣窟というのが、まさにあの参謀本部ですよ……あなたは何も言わないから……連中は戦花を軽視するどころか、その地位すらも危うくしている。あんな寄せ集めの烏合の衆が! 伝承家系直属の部隊である、我々をですよ! 紫電様!」
辺りはやけに静まり返っていた。パソコンなどの駆動音がやけにうるさく聞こえるほどの緊張感だ。最初のうちは、また皐月がしゃしゃり出てきたのだと思っていた紫電であったが、後半のくだりを聞いていると、紫電の表情に陰りが覆い、彼女は恐怖と驚きの両方に襲われた。
「皐月--」そして紫電は戸惑いながら言う。「さつき、あなた……『いつからそんな風に、言うようになったのですか?』」皐月は紫電を睨んだままだ。「どうして、そんなことを……まさか、二十三代目から、なにか言われたのでは--」
紫電はそっと皐月に触れようと手を伸ばしたが、皐月はその手を払いのけた。
「紫電様。私は誰の話でも聞きますが、どれが正しい答えなのかは、自分で決めています。誰がどんな入れ知恵をしようとも、私には意味のないことです」
自分の娘から威嚇されるように見つめられた紫電は、返す言葉が見つからなかった。ムスッとした表情のまま皐月は振り返ると、司令室の出口へ歩き出した。
「私の言葉もっ、意味のないことなのですか!」
とっさに紫電が皐月の背中に叫んだ。「いいえ!」立ち止まった皐月は振り返りこそしなかったものの、それだけはキッパリと言い放った。「『母上様』。私にとってあなたのお声こそが何よりのご教授。あなたのためなら私は、この身を差し出してもいい……私は、『母上様』が、心配で堪らないのです……」
そう言い残すと、皐月は司令室を出た。二人のやりとりに聞き耳を立てていた戦花達だったが、それぞれがゆっくりと仕事に戻っていく。
取り残された紫電は一人立ち尽くしていた。緊張感がほぐれてくると、彼女は椅子に座ることを思いついた。(あぁ、皐月--)椅子に座り、膝に両手を乗せた彼女の心境は複雑であった。(初めて見たわ、皐月があんな事を言ってのけるのを……一体いつのまに、あんな、あんなことを言う子に育ってしまったのかしら? ……確かに私は、城壁参謀本部に対してあまりものを言わない。結果としてそれは、戦花の権力を弱めた。でも、そうするしかないのよ。『二十三代目の横暴を止めるには』……それが皐月、あなたにはまだ分からないの……いえ、本当は、こんなつまらない話、分かって欲しくはないわ……『あの人』はねぇ皐月。あなたが生まれる前の話だけど、なんて言ったと思う? 赫夜以外のモリエイターを、『削る』って言い出していたのよ。それがどういう意味か、分かるでしょう? ねぇ、皐月、そんなこと言われたら、あなたはどうする? それでなくても『あの人』は、自分が気に喰わないという理由だけで、我剣流を虐殺したのよ。やすやすと。味方である人たちを殺したのよ? 私はそれを、許せないのよ……皐月、ねぇ、あなたにはこんな話、できっこないわよね。面白くないものね、こんな話……それに私自身、あなたに面と向かって、話す勇気なんて無いわ……母親なのに、おかしいわよね。でも、なんだか、皐月。私はあなたが、なんだか怖いの。知らないうちに、あなたはいつのまにか成長して、今では私の仕事のほとんどを理解しちゃってるし。こんな話をしたら、皐月がどんな顔をするかなんて、想像したくないのよ……でもね……はぁ。できれば、私以外の誰かから、間接的に、私がこんな風に思って、悩んでいるんだよって。聞いたりして、悟って欲しいなぁ……)
「紫電様--」
様々な想いを巡らせていた紫電は、ハッとして顔を上げた。オペレーターが自分を呼んでいたのだ。
「なんですか?」
「雅輝様が、なにかお話があるようで、東通路でお待ちになられています」「雅輝様が? なんでしょうね……分かりました」
じっとしていると余計な事を考えてしまうため、紫電はその報告がちょっぴり嬉しかった。彼女は早速立ち上がると、側近へ一時的な引継ぎをして司令室の外に出た。そこは木造の廊下になっており、外側にはふすまが、司令室側には防音ガラスの扉がある。等間隔で設置されている花の入った壷がアクセントになって、高級感と優雅さをかもし出していた。
ガラス扉の近くにはふかふかの長い椅子が置いてあり、そこに小太りの男が座っている。
「まぁ、雅輝さん」
紫電は彼に向かって言った。雅輝は寸胴で短髪、顔は丸く、頬なんかはテカテカと脂ぎっており、いわゆる『ちょいデブ』体系だ。年齢は四十代後半の彼は誰の前でもニコニコしていて、その笑顔というのがなんとも彼によく似合い、好感が持てた。高そうな着物を着た雅輝は、紫電が来るまでの間も笑顔を絶やさないでいた。もしかしたら真顔の状態でも、笑顔に見えてしまうのかもしれない。
「あぁ睦月。すまないね呼び出してしまって--」
椅子から立ち上がりながら雅輝はそう言う。
彼の言った睦月とは、紫電の本来の名前である。紫電には生まれた月の名前が付けられる。二十五代目は一月。次期紫電となる皐月は五月。紫電を実名で呼べる人間というのは、その血族の者だけだ。雅輝という男は、二十五代目紫電の夫であった。
「私は次に行なわれる参謀本部との会議の調整のため、あちこち走り回っていたんだけれど、途中で皐月に会ってね。なんだか凄く不機嫌そうだったよ。まぁあの子は怒りっぽいから、また誰かとやりあったんだろうと思って話しかけたんだよ。そしたら、いつもと様子が違っていてね。なんか気にってさ」
「まぁ、あの子ったら」紫電はわざとらしくため息をついた。「ごめんなさい、あの子がそうなったのは、私のせいでしょう--」
そして紫電は先ほどのことを話した……二十三代目の部分も含めて。「ははぁ、まあしょうがない」雅輝は袖の中で腕を組みながら言った。「皐月は母親思いだ。睦月が眞田さんになじられる所を見て、カッとなったんだろう。でも、相手が悪かったな。眞田さんじゃーなぁ……」
「雅輝さんから、皐月に言ってあげられませんか? あんなこと言ってはいけないって。私が言っても、あの子聞かなくて……それに、体面の問題もあるでしょう」「確かにそれはある。参謀本部との関係はとても微妙だ。子供のわがままのせいで、そのバランスを崩すわけにはいかない……ふむ。なら皐月の件は、私がなんとかしよう」「よかった、助かります。雅輝さん」
「なぁに。家族の平穏を守るのも仕事のうちさ。いや、いま言った仕事っていうのは、業務的な意味じゃーもちろんないよ……おや? 睦月、その髪留めは新しい奴かい?」雅輝はいきなり話を変えて、紫電が頭にくっつけてる綺麗な髪留めに目をやった。「え? あぁ、うん」「凄く似合ってる。君にぴったりだ」「ほんと? うれしいな……」
こんなたぐいの話になると、紫電は恥ずかしくなって口数が少なくなってしまう。雅輝はそれを知っていて、あからさまに照れる紫電を見るのが好きだった。更に彼は一歩踏み込んで、紫電と顔を近づけ、耳元でささやく。
「それと、今日なんだけど……この一件が終わったら、明日の昼まで時間が空きそうなんだ」
「えっ--」
「睦月の方はどうかな? 久しぶりに二人の時間が、取れればいいのだけれど」
「え、えぇと、それは……」
緊張した紫電は直立不動になってしまった。雅輝はそんな彼女の手を優しく握る。
「わ、わ、私としてもっ、それは、うん……時間、取りたい……」
握られた手を、紫電も握り返す。
「よかった。でも無理しちゃいけないよ」微笑みながら雅輝は優しく言った。「うん……」紫電は瞳を閉じてコクリとうなづく。彼女の心臓はバクバクと揺れ動いていた。
「……すみませんが、そろそろよろしいでしょうか?」
いきなり誰かの声がして、びっくりした二人はパッと距離をとった。紫電は目を閉じていたので、前方に誰かが立っていることに気づけなかったのだ。そこにいたのは皐月だった。
「これは会議で行なわれる主な概要とのことです。時間までにお二人とも目を通しておいて下さい」皐月は手に持っていたクリアファイルから印刷用紙を取り出して、二人に渡した。「それと、雅輝様がなかなか戻らないと、向こうの方々が言っておいででしたので、私が変わりに段取りを済ませておきました」「なんだって?--」雅輝が何か言おうとしたが、皐月はそれをさえぎる。「それと雅輝様。ここは神聖な場所なのです。いくら紫電の夫だからといえど、男子がいるべき場所ではありません。用事が済んだのなら、早々にご退室をされたほうがよろしいかと存じますが」
全く隙のない皐月にさすがの雅輝も困り果て、紫電を見た。彼女は苦笑しながら雅輝の肩に手を置いて、優しく揺すってやった。
「それじゃ、そうするとしますか。後のことは頼むよ、『皐月』」「承知しております」雅輝は出口のほうを向いて皐月に言う。彼女は相変わらずムスッとした表情のままだった。
数時間後、城壁参謀本部との会議が始まった。室内には赤い絨毯が敷かれていて、天井にぶら下がっているきらびやかなシャンデリアは煌々と輝いている。中央には視力検査の標的みたいな『C』状の円卓が設置されており、上座には二十三代目紫電が、丸みを帯びた工芸品のような木製の高級椅子に座っていた。二十三代目紫電はよぼよぼの老婆で、二十五代目の祖母にあたる。顔面の皮が垂れ下がるくらいにしわくちゃで、白髪を綺麗にまとめて髪留めで止めている。目は細く、老眼鏡をしなければ何も見えないだろう。一見すれば小さな老婆なのだが、しかしその腹のうちは極めて冷酷だ。側近二人に囲まれながら二十三代目は座り、その隣から二十五代目紫電、雅輝と続き、各官僚達が席を埋めている。それぞれの手元には何枚もの紙が置かれ、そばにコップと水差しが添えられている。「それでは、全員集まったところで、始めましょうか--」二十三代目は外見に似合わぬハキハキとした口調で会議を執りおこなった。
要約して話そう。表面上この会議の議題は、二十五代目紫電は何故部隊を勝手に動かしたのか、といったものである。もちろんそれだけで話が終わるわけもなく、内容はそれぞれの思惑が交差する議論に発展していった。城壁参謀本部側としては、権力を弱めた紫電に対して釘を打つべく、その行動を非難しにかかる。戦花側としては、弱みに付け込み、寝首をかこうとする参謀本部へ抗議し、本来の立場というものを誇示する。
厳粛かつ重く厳しい意見が飛び交いあう中、二十五代目は上手く立ち回らねばならなかった。結論から言えば、二十五代目が部隊を動かした理由は、睦月を助けるがためである。彼女は今の状況を逆手に取ることで、それを可能とした。戦花が勝手な行動を取れば、城壁参謀本部がとやかく言ってくるのは明白だ。だが二十三代目は現在の戦花の地位をよく思っていないため、彼女の思惑通り、それをきっかけにして大きく前に出てきたのである。今なおも発言力が強い二十三代目の存在は、二十五代目にとって非情に心強いものだった。しかし、あまり彼女を前に出したくはない。何故なら二十三代目が力をつければ、『とんでもないこと』を言い出しかねないからだ。その『とんでもないこと』という奴は参謀本部も恐れているものであり、その点に関しては二十五代目と同意見であると言えよう。
「全く。我々戦花が、以前のように実権を握っていれば、あなた方の出る幕などなかったでしょうにねぇ」二十三代目は、くぼんだ頭蓋骨の隙間からギラギラした両目を覗かせて言う。
「二十三代目様、話を飛躍しすぎでしょう。彼らの働きが、どれほど我々を円滑にしていることか」それに対して二十五代目が口を挟んだ。
「まぁ二十三代目殿は、二十五代目殿ほど我々と連携をとられていないから。そうお考えになるのも無理はない。ましてや世間から目を逸らして、寺院に篭りきりとなれば」二十五代目の助言を借りて、眞田は遠回しな嫌味を言う。
「眞田さん、あなたも言い過ぎです。二十三代目様はすでに一線を引いている身。それに代わり、この私が戦花の指揮を執っているのですから、二十三代目様がお座敷で執務を行なうのは当然でしょう」余計な事を言う眞田に、二十五代目はまた口を挟む。
「おやまぁ、二十五代目殿。あなたはどちらに対しても、いい顔を向けるのですねぇ?」
だが二十三代目からそんなことを言われてしまい、彼女は言葉をなくしてしまった。
「そうですかね、二十三代目殿。私共からすれば、二十五代目殿がいなかったら、とんでもないことになっていたと思えますが?」「とんでもないことですって? 何を言い出すかと思えば--」
二十五代目の仲介無しでは、この場は混沌とするばかりだ。雅輝は釘を打たれて小さくなってしまった二十五代目をみかねて、慎重にタイミングを計りつつ、発言した。
「議論の途中に申し訳ないですが、どうでしょう? いったん休憩をとられては? かれこれ三十分近く話し込んでいるし、本題の主な内容は双方とも、ご理解頂けたでしょう」
その言葉を聞いた眞田と二十三代目は怪訝な顔をする。だが一部の官僚達は先ほどから一言も発言しないでおり、こんな『茶番』を続けても無駄だと分かりきっていたため、その場の空気は雅輝の意見に同意する方向へと進んでいった。
「休憩など必要ない」しかし二十三代目は空気を読まずに言う。「いや、しかし--」雅輝はそんな老婆に困った顔を向ける。彼女は続けた。「休憩以前に、この会議はこれで終わりでしょう。話にもなりませんもの……」
二十三代目が立ち上がろうとするのを見て、周りの側近がそっと彼女の体を支える。そうして彼女が円卓を迂回しながら出口に向かうのを全員が見ていた。彼女が扉から出て行くと、部屋の空気はいきなり軽くなった。全員がそれぞれ話し合いながら、帰り支度を始める。
「大丈夫かい、睦月?」雅輝は、天敵がいなくなったことでホゥと肩の力を抜いていた紫電に話しかけた。「えぇ--」紫電は疲れた笑みを彼に向けた。「ありがとう、助け舟を出してくれて。雅輝さんがいなかったら、私……」「なぁに、睦月のがんばりは誰が見たってあきらかだ。最後の最後、逆にイイトコだけをとっちゃったのが、私なわけさ」「またそんなこと……」
手元の資料を机に立てて整頓しつつ、雅輝は壁際にある縦長の大きなノッポの古時計を眺める。
「もうこんな時間か。とりあえず私は一旦オフィスに戻って、残った仕事を片付けるよ。そしたら部屋で待ってる。睦月も来れるなら、来てほしいな」
「あ--」そう言われた紫電も時計を見つめた。「う、うん。行けたら行く……」しかし相当疲れが溜まったようで、座ったままため息をついてしまった。彼はそんな紫電の背中に立つと、両肩を揉んでやった。「無理しなくていいよ。だいぶ疲れてるみたいだ。それに、今の会議の件だけど、二十三代目のことは無理だけど、参謀本部のほうは、私がなんとかしておくよ。向こうの連中とは持ちつ持たれつだからさ。私の声も、ある程度は聞いてくれるはずだよ」「ほんと? うれしいな」彼女は肩に置かれた雅輝の手を触って感謝の言葉を言う。そうして会議は終了する事となった。
その夜。二人は夫婦の時間をとることができた。欠けた月の光が赫夜を照らし出していて、その光は二人がいる寺院の六階の部屋にも差し込んでいる。そこはたたみの敷かれた純和風の八畳間で、柔らかめな橙色を基準とする暖色系の空間が広がっていた。『かけじく』や花の入った壷が飾られていて、古びた化粧台が隅に置いてある。天井に吊るされた丸い蛍光灯は灯されていない。部屋の真ん中には布団が敷かれてあり、枕元にはいろんなものが置いてある。そこには帯を巻かぬまま、白い着物を着ただけの紫電が寝ていた。一緒に同じような格好で雅輝も寝ており、紫電に腕枕をしてやっている。だがどういうわけか、彼の体系は小太りなはずだったのに、今ではすっかりやせ細り、頬や腹はげっそりしていて、まるで干からびたミイラのような状態になっているではないか。対して紫電は実にご満悦といった様子で、雅輝に体をぴったりくっつけながら、ぐっすりぬくぬくと寝息を立てているようだ。
(『まただ、してやられた』!)
寝るに寝れない雅輝は汗をだらだらかきながら、タコ口をしてヒューヒューと荒い息をした。
(『この場所にい続けるのはまずい』!)
こっそり雅輝が布団から抜け出そうとすると、紫電が起きてしまった。
「なぁに? まだいいの?」
「ヒィ! あああーーっと! いやーちょっとあれだよっ。夜風にあたってこようかと」「ん……私も行く--」「いやいやァ! 睦月は寝てなさいっ、明日もあるんだから。ねっね!」「うみゅん」
その身一つで何ラウンドもこなしてきた雅輝だったが、紫電と話をしているとまさかのエクストララウンドが始まりそうで、彼は枕元にある幾つかの物を掴むと部屋を飛び出した。
部屋のふすまを閉めて少し廊下を歩くと、木造のベランダみたいな場所に着いた。毎日掃除されているようで泥や砂汚れは一切なく、素足でも平気だった。そこで雅輝は先ほど持ち出してきた飲み物をグイグイ口に流し込んで、体に水分を行き渡らせる。みるみるうちに彼の体はいつもの体系に戻っていった。
「さて……」
彼は一息つくと、今度は持ち出した自分の鞄からノートパソコンを取り出して起動する。だが多少いじくると、彼はちょっと眉をひそめる。次いで携帯電話を取り出して耳に当てた。
本日の作戦は一段落したと一応言えるのだが、まだ戦花の司令室には結構な人員が残っており、各自は仕事を続けている。その時、ある隊員の携帯電話が鳴った。隊員は着信者の名前を確認すると、素早く周りを見渡して部屋を出る。彼女は廊下でその電話を取った。
「もしもし」
〔私だ。データはまだ送信されていないようだが?〕
携帯から聞こえてきた声は雅輝の声だった。
「えぇと、それなのですが、今も桜桃県城壁とIBSとの連携が多少尾を引いておりまして--」〔つまり予定時間を過ぎても、あなたはまだ私の頼んだ仕事をしていないと--〕「いえっあの! しかし!--」〔すぐに済むことだろう? メールにデータを添付する。それだけだ。暗号化する必要もない〕「それはそうなのですが、紫電様の許可もとらぬまま、個人へ向けて情報を送ると言うのは--」〔そういった許可を下す権限は私にもあるよ。それともあなたは彼女から言い渡されなければ、気に喰わないのかな〕「そんな、そういうわけではありませんが--」〔とにかく、いますぐ。あのデータが見たいんだ。ちょっとぐらい仕事が遅れた所で、今の状況なら対して問題にもならない〕「わ、わかりました。それでは今すぐ、そちらに送信します」〔あぁ。よろしく頼むよ〕
電話を終えた彼女は司令室に戻っていく……その後、廊下の角から皐月が姿を表した。だがそれは偶然だった。皐月はただ単に、仕事の都合でそこを通らなくてはならなかっただけなのだ。深夜の廊下というのは不気味なほど静かで、ちょっとした物音でも聞こえてしまう。その場に居合わせていないにも関わらず、皐月には先ほどの隊員の声が嫌でも聞こえてしまっていたのだ。
(許可もとらぬまま?--)
別に皐月は重箱の隅を突付いて嫌味なキャラを演じたいわけではない。しかしその会話がちょっぴり不審だったので、彼女は司令室に入ると、先ほど電話をしていた隊員をチラリと横目で見つつ、自分のデスクに戻ってパソコンをいじくりだした。その真意を探るためだ。
皐月には個人がデータベースを参照した経歴などを探る権限を与えられていない。だが彼女はよく紫電の手伝いをしていたので、その『抜け道』を知っていた。それを使い、権限以上の情報を読み取ることにする。
(さっきの話だと、今から何かを送るらしいわね--)
眠そうにあくびをしながらもパソコンを操作して、データベース上に『網』を張る。すると、さっきの隊員がデータベースへアクセスする新しい履歴が表示された。
(さて、何を取り出したのかしら?……これは、今日の確保対象だった斉藤睦月の情報?)それを確認した彼女は、さらにログインした隊員の足取りを追う。どうやらそれは、メールに添付されて誰かへ送信されたようである。(送信先のアドレスは……えっ? これって、父上様? なんでこんなものを。こんなものなら直接貰いに、なんなら私に頼めばよかったものを。すぐにでも見せてあげたのに--)
彼女としては別になんてことない情報だったので、椅子に背も垂れて楽な姿勢をとった。しかしむすめである自分を差し置き、他人へ指示をした父親に対して腹を立てた皐月は、また体を起こして画面を見つめる。
(くそ、なんなのよ。このふざけた奴が、一体なんだって言うの……)
画面には睦月の憎たらしい顔写真と共に、所属部隊やこれまでの経歴、戦闘ポテンシャルの評価、個人情報などが具体的に細かく記載されている……はずなのだが、出身地や親族に関する欄は『不明』と記されていた。
*読み終わって思ったこと*
作者「姫ちゃん、『ひっつけ』よ!」
式姫「『ひっつく』? 『くっつく』の!……狙えないよぉ!」
「狙うこたない! 1--」「えっ--」「2、3! 『次回のASも!』」
「『お楽しみに』ーーーー!」
レイル「なッ、なに! このオーガニックウェーブはああああああああ!!!!」
次回最終章『18:剣のゆくえ』
来週の今頃coming soon...