01:薬師とカデンツァ
01:薬師とカデンツァ
我が槍杉学園の第二体育館は、部活の時間帯になると剣道部が使うことになっている。
部活終了は午後七時。現在の時刻は終了十分前だ。
こんな時間帯は本来なら部員達が「やれやれ今日も終わりだ」といった感じで空気が軽くなるはずだが、今日は違った。真剣勝負とまではいかないが、張り詰めた緊張感がこの空間を覆っている。
外野から四角に取り囲まれるようにして、防具を着込んだ男二人が中央に立っていた。片方は俺。二年の『斉藤睦月』である。
向かい合う相手は剣道部の部長である三年の『スミス織田』さん。剣道の腕は確かなもので、既に中学校の頃から県大会では名の知れた賞状ゲッターである。しかも彼の身長は、百六十四センチの俺を見下ろせる百九十センチ。やたらとでかい人だ。
数歩足を進めながら抜刀し、織田さんの前でしゃがむ。そして立ち上がると、やはり頭一つ分くらい違うのがはっきり分かる。竹刀の長さは同じではあるが、腕の長さと高所からの攻撃という面から考えると、やはり不利だ。
「始め」
ジャッジを勤める顧問の一声で二人は同時に動き出す。織田さんはどうやら攻勢に出るらしく、牽制の数手を布石として瞬く間に距離を縮めにかかってきた。
竹刀同士がぶつかる音がするたびに外野の緊張感は高まっていく。後方へ押しやられ気味の俺は、外野から見れば追い詰められているように見えるだろう。
だが違った。俺はあえて手を出さずに後退し、織田さんに強引な一手を出させようと企んでいるのだ。
相手の動きが変わった。集中している俺には彼が動き出す瞬間を捉えることが出来た。それは先ほどとは違う、牽制ではない本気でしとめにかかる動きだ。
しかし俺は『それ』を待っていた。
動きから推測すると、俺の持つ竹刀の先っぽを揺さぶって不安定にさせ、すかさず胴体にぶち込もうというこんたんだったのだろう。
だがあいにく動きはバッチリ見えており、なおかつ『そうくるだろう』という予想も出来ていたのでソレは起こらなかった。
俺は動作に合わせてバックステップする。すると織田さんの一手は踏み込み不足になり、見事に一手を空振りしてしまう事となった。ということは両腕を伸ばした状態で、しかも一瞬だけ下のほうを向く結果となる。『ここ』だ。
「篭手ェェェーー!」
バシーーンッ
こぎみ良い音と共にこだました俺の一声。「おぉ!?」外野もワンテンポ遅れて声を上げる。
するとジャッジがすかさず手を上げ、俺の勝利を確定した。
双方は互いの陣地に戻り、竹刀を納めて一礼する。俺はそれが終わるとハァとため息を付いた。
「くそ〜部長がまた負けたぁ……」
回りからどんよりと重い空気が漂ってくる。クソ、『これ』だ。これが嫌だったんだ。
「うーむ。斉藤君、やっぱり勝てないなぁ」
頭上から声がしたのでそちらを向くと、まるで外国の映画俳優のような男前外人が立っていた……それは今の相手である織田さんだった。
彼は日本人の父親とアメリカ人の母親を持つハーフである。名前は織田であるが、なにげにスミスと織田はどちらも苗字のような気がする。金髪でブルーの瞳、身長が高くて外人特有の顔立ち。これでは女子の人気者にならない訳がない。
「これじゃ逆に僕が練習相手かな?ハハハ」
そんなことを言われて、俺は急いで面を外した。
「あー、いやいやっ! んな事ないっスよ十分強いっスよォ!」
「でも毎回負けてるよな俺」
「あーだからそのー……」
県大会の常連とも言うべき織田さんを、俺は毎度の如く蹴散らしていた。その状況は部員や顧問が良く思うはずはない。
だが寛大な日本の心を持つ織田さんは俺を良きライバルとして見てくれるようで、こうしてたまに試合を申し込まれるのだった。周りの連中も『織田さんがよしとするならばよし」といった感じになり、俺に対する邪険の眼差しはほとんどなくなった。
「織田くーん腕大丈夫!? もう、『相手』もあんなに強く打つ必要なんてないのにねぇ〜〜」
「織田君お疲れ様! はいタオル!」
「織田君? 向こうで防具はずしましょー」
その時、突如として出現した女子剣道部達が織田さん目掛けて一斉に集まってきた。そして織田さんを取り囲むと、ドカドカと砂煙を上げながら向こうへ連れ去ってしまった。「うおおォッ!?」俺はその大移動に巻き込まれて体育館の端っこまで吹っ飛ばされた。クソ、なんて奴らだ。どうやら女子剣道部に俺の評判は良くないらしい。
防具を外していると、遠めの女子部員達に紛れて『俺からしてみれば』ひときわ可愛らしい女性が目に留まる。彼女も俺を見つけるたのか、ヒョイヒョイと体を小さく上下させた。
それから部員達は後片付けを始めていた。俺も皆にならって防具を片付ける。ちなみにこれは織田さんの防具である。
あとは体育館の掃除だ。これは普通当番が決まっているものだ。しかし俺は部員でないにも関わらず一緒にさせてもらっていると言う事で、俺が来た時は必ず俺もすることにしている。
「あーはいはい。斉藤君来てるから、今日は薬師。あたしの変わりにやってねー」
「えぇ!?」
向こうでなにやら驚く声がした。どうやら黄色いモップをもった三年の女子と、さっきの女子が話しているようだ。
「イヤならいいけど〜?」
「あっ、いえ、そ、掃除させていただきますぅ〜〜!」
「……」
なんか俺がダシに使われてるようにしか思えないが……。
「えへへ。斉藤センパ〜イ」
三年と話を終えると、彼女はモップ片手に俺のそばへ小走りに近づいてきた。……まぁ、当人が良けりゃいいか。
この人は薬師美歌と言う。短髪でつり目ぎみの凛とした顔立ち。しかしそれでいて優しげな、とても綺麗な女性だった。
とある事がきっかけで知り合った訳だが、今では普通に談笑できるくらいの仲になってしまった。それに話せば話すほど素敵な人だと思うし、もしこの関係が発展して恋人同士なんぞになれるのならば、それは願ってもない話である。
だが……。俺にはこんな関係が『両手をあげて喜べない』ような状況であった。
俺達は話しながらモップ掛けしていたが、掃除当番の連中も雑談しながら広い体育館を巡回しているので問題はなかった。
「また勝ちましたねぇ織田さんに! これで何連勝ですか?」薬師さんが嬉しそうに言う。「くうぅぅ〜そういう事を言うなよ薬師さん!」俺はモップの柄を杖にして脱力した。
「だってよぉ全国大会にも出場するほどの相手を、俺みたいなどこぞの馬の骨が蹴散らしてみろ。織田さんすげーげんなりするだろうが!」
「う、う〜ん」
「かと言ってわざと負けるとあの人そういう所だけは見逃さないのか、すかさず『手を抜いたな』って指摘してくるしよーー! どーしろってんだ!」
俺がわざとらしく「くふふぅ〜」と泣き真似すると、薬師さんは苦笑した。
「で、でもまぁ。一応本人が毎回けしかけてくる事だし……」
薬師さんと織田さんは昔からの知り合いで、俺の事を彼に話したら一度勝負したいと言って来た。そしてそれで勝ってしまったがために、それ以来たまに織田さんと練習試合をすることになったのだ。今ではすっかり名物みたいなものである。
「それに、織田さん別に気にしてないみたいだし。大会で試合する相手より斉藤先輩は強いって言って、実際結構練習にもなってるみたいだし……」そして彼女はにっこりと笑った。「いいんじゃないかな?」
「うーむ……」
つり目ぎみの薬師さんだが、にっこり笑うととても可愛らしい。俺はつい恥ずかしくなって視線をそらしてしまった。でもそうすると彼女の汗なのかなんなのかは知らないが、女性特有の甘酸っぱいような香りが……い、いかんいかん。俺はなんて破廉恥な……。
「フフ、それとも睦月。相手が弱すぎて不満か」
だが次のセリフで、俺の体が強張った。薬師さんの喋り方が変わったからだ。
「……」
ゆっくり視線を戻すと、薬師さんは確かにそこにいる。
「アストラル体の予備動作を見れば、人間が次にどう動くなどという事は手に取るように分かるからな。力を込める場所に、それは流れていく」
「……テメェ」
俺は手に持ったモップの柄を勢い良く投げ捨てた。それはスコーンとうるさい音を立てて床に叩きつけられたが、周りで掃除している連中は全く見向きもしていない。この野郎が『発生』した瞬間。その時から俺と野郎がしでかす一切の事は『無かった事』にされてしまうのだ。
『両手をあげて喜べない』理由。『それ』が『これ』だ。
「普通の人間は、お前は凄い動体視力の持ち主に思えるのだろうな」
「……」
「まぁ、人間相手とは言え、睦月。どうやらお前は日々成長しているようだな。関心、関心」
まるで自分が常に上の立場であるような物言い。オペラの舞台女優であるかのようなトーンの喋り方。……しかも、俺を『こばか』にしたセリフ。もっとも『インビュードハンター』という奴は、どいつもこいつもこんな奴らばっかりなのだが。
言葉なくして俺の左足が野郎の頭部を襲った。その蹴りヒラリと避けられたが、回し蹴りの要領で軸足を変え、次は回転をかけた右手に『GH』をモリエイトしてなぎ払う。
フォンと風を斬る音がして、野郎は後方に小さくステップしてそれを回避した。
「おやおや、お構いなしだな。睦月?」
右手には透明な緑色をした刀身七十センチの剣、GH。アストラル体を『こねて生成』した、俺のメインウェポンだ。
「だが、フフ。そうだな。お前には人間如きが相手ではもったいない」
「野郎ッ!」
言葉を無視するように間髪いれず素早く間合いを詰める。そして右上から左下、中段の左から右へとGHの二手を繰り出す。さっきの試合とは比にならない素早い斬撃だ。
一手目は避けられた。だが二手目は避けきれず、野郎が直角に立てたモップの柄でGHを防いだ。インビュードハンターが手にするモノ全てが、俺達に対して無慈悲な程に高質化、または軟化する。
GHがそれにぶち当たり、緑色の火花が激しく散った。クソッ。SAGを持ってりゃぶち込めるんだが……!
グイとモップを傾けて俺の剣を脇へ押しやると、野郎が顔を近づけてきた。
「違う、違う。野郎ではない。私の名はカデンツァだ。いい加減名前で呼ぶようになれ、睦月」
「我剣崩!」
俺が叫ぶと、GHに接しているモップのみが勢い良くはじかれた。
その隙に左、右、左と三手繰り出す。しかし左手にもたれただけのモップに全ていなされた。
野郎は俺の斬撃をいなすと同時に蹴りを入れようとしたが、左の掌底でそれを防ぐ。指先から肘の根元までかなりの衝撃が走ったものの、こんなもんどうって事ねぇ。
防がれたと分かった途端、野郎……カデンツァは後方に跳躍して距離を取った。そのすぐ後ろに掃除しながら雑談する二人の女子生徒がいたのだったが、やはり全く気づいていない様子だった。
その跳躍に対して俺も奴を追った。足元に斜めの『クリスタライズ』をモリエイトし、GHを肩に置くように構えて野郎よりも鋭角に飛ぶ。
その間にGHを変形させた。イメージするのは長く、肉厚のツーハンドソード。GHは即座に光り輝いてその姿を変えてゆく。野郎の一メートル手前地点で着地する頃には、七十センチだったGHは長さが二メートルを超え、幅も三十センチ程になっていた。
「ST!」
同時に両手で柄を持ち、豪快にGHSTを横なぎにブン回した。
無論、後方にいる女子二人の事も頭に入っている。ソレを踏まえた上でコイツをモリエイトしたのだ。
横なぎの一手は低くしゃがまれて回避された。問題は後方の女子だが、俺のイマジネート能力は二人の炎を的確に把握していたため、全く干渉せずにGHSTは何事も無かったかのように二人の体を素通りする。なおかつモップの柄すらも素通りした。クソめが、俺を試したつもりか、野郎は。
「ほぉ!」
一瞬だけそちら(後方の女子)に視線を向けて、ムカつく程になめ腐った驚きの声を野郎は上げやがった。莫迦が、関心する暇があったらコイツを……!
「喰らいなッ!」
頭上でGHSTを一回転させ、更に必殺の二手目を野郎めがけて振り下ろす。今回は横なぎではなく、右上から左下への袈裟斬りだ。渾身の力を込めて……放つ!
ギャギギギィン!
まるで金属同士がぶつかり合うような音が響いた。GHSTは野郎のすぐ隣の床に突き刺さっている。
「鋭いな。私に『メビウス』を使わせるとは」
野郎の周りには点滅しながら光る『円』が出現していた。まるでフラフープが野郎を中心にして浮いている状態だ。
「……チッ!」
俺は反射的に舌打ちしていた。『ミスった』のだ。一センチ程度しかない輝く円が、GHSTの重い一撃をいなしたのだ。クソッ、GHSTでもダメか!?
「だが……」
硬直していた俺は、野郎の接近を許してしまった。右手ブローが俺の腹部へしたたかにめり込む。
「うっグ!」
「……やはり未熟だ。睦月」
次に俺の顎めがけ、今度は回し蹴りが直撃する。
その勢いで、俺の体は自分の身長よりも高く宙へ投げ出された。吹っ飛んだ拍子にGHSTを手放してしまったので、それはしばらくすると勝手に消滅した。
「がッ!」
背中から床に激突すると、俺は無様に身もだえする。腹部を強打されて肺に酸素がいかない。
だが野郎の攻撃はそれのみで、深く腕組をしてフンと深く長いため息をつく。俺の目はかすかに野郎の姿を捉えてはいるものの、軽い脳しんとうのため視界はぼやけていた。
「……い、たぶるのが趣味か……クソ、やろう……ッ」
「違う、違う。睦月? 『カデンツァ』だ。クソ野郎とは、ひどい言われようだな?」
「……ッ」
「それに、いたぶる等というのも心外だな。私も先ほどの人間にならい、お前と『試合』をしてやったんだぞ?」
野郎はまるで、俺と親しい仲であるような物言いをする。現に今だって、数秒前殺し合いをしていたにも関わらず丁寧な、ムカつく口調だ。
「それに私がした事はさっき、お前がしたものと全く同じだ。後退し、隙を狙う」
「……」
「騙すのは得意のようだが、騙されるのは苦手のようだな。睦月?」
「ざけんじゃねぇ……。何故殺さねぇ……いたぶってるだけじゃ、ねぇのか……」
俺がそういうと、野郎は『薬師さん』の顔で優しい笑みをゆっくりと浮かべた。
「ふふ、それはだな。睦月? 私はお前の事が、好きだからだ」
「……野郎」
「『カデンツァ』だ。お前は他の獲物とは違う。始めて会った時、この『体の持ち主』がお前の友人であったとしても、お前は私を殺しにかかった。今もそうだ。さっきまで楽しげに談笑していたにも関わらず、私が『発生』した途端、お前は目の色を変えて私を殺しにかかったな? その人間性と非情さの両方を持つお前に、私の心は熱くたぎるのだ」
「……うっせクソが。んじゃ殺す気がねぇなら、とっととうせやがれ」
「おや! ヒョウキンな奴だ。狩られる側であるというのに、狩人に命令するのか?」
「……なめやがって!」
激痛の走る体を無理やり持ち上げて俺は奴めがけ突進した。再度GHをモリエイトし、射程ぎりぎりで斬り付ける!
……と思ったが、その『すんで』の所で急に奴が前進し、前に出るはずの足を奴の足でつつかれた。当然そうなると、俺は勢い余って前のめりで地面に激突するはめとなる。
「バンジョー!」
受身もろくに取れず、不運にもさっきけられた顎から地面に落ちて再度激痛が走った。ちなみにバンジョーとはダメージボイスのことだ。俺の体はそのままの姿勢で野郎の後方へ突っ込んでいく。
「せ、先輩!! 大丈夫ですか!?」
体育館を六メートルほどアゴでスケートする頃、聞きなれた声がした。俺に追いついてしゃがみこむと、綺麗な両手を差し伸べる。「あの……」だがはたして、俺の肩に触れていいものかと迷う薬師さんがそこにいた。結局触れず、しかし両手は前へ出してあたふたしている。
「いででで……くそ」
「ご、ごめんなさい。この体育館滑りやすいんです」
彼女には今まで『インビュードハンター』であった時の記憶はない。その時の記憶は捏造され、『何かしていた事』にされる。
今であれば、まぁ、適当な他愛のない話でもしていたと思っているのだろう。話をしていると、気がついたときには結構時間が経っていたなどという事はよくある。彼女にとって今までの数分はただ『その程度』の時間だったのだ。
周りの部員達は一度だけコチラを振り向いたものの、やはりそれぞれが視線をすぐ戻した。俺以外の全員が、今までの時間は何事もなかったのだから。
「うわ、せんぱ……あの、顎ひどいですよ」
今の俺の顎は、さしずめルパンのようにしゃくれている。脳裏には「お前さんの綺麗な足がこうしたんだよ」などというセリフが浮かんだが、さすがに口には出来ないだろう。
「うーむむ……まぁ大丈夫だ」
外見だと顎しか見えないが、多分服を脱ぐと腹の真ん中あたりがすごい勢いで腫れている事だろう。彼女でなく正光がそこにいたのだったら「やっべぇ、痛くて泣きそうだ」などと冗談で弱音を吐いていたに違いない。
俺は元気そうにウーンと背伸びをしてぐるりと辺りを見回した。くそ、腹がいてぇ。前かがみになってないと本当に痛くて泣きそうだった。
しかしカデンツァの野郎。AOFも展開してないのに何でいきなり発生しやがったんだ。そりゃモリエイターが近くにいれば、勝手に発生するんだろうが……。
それからひとまずして、俺と薬師さんは掃除を終えた。
「おーし(体育館を)一周したな。うっしゃ帰ろうぜ」
「うん。今日はお疲れ様でした」
更衣室で着替えを済ませると昇降口へ向かう。窓の外は薄暗く、少しだけ欠けた月が顔を出している。
「あの、せっ先輩!」その途中、薬師さんがやけにそわそわしながら俺に近寄ってきた。「えっと……その、この前の約束、覚えてますよね?」
「……」
その言葉を聞いて俺はすぐに思い出す事が出来た。
この前というのは一週間前なのだが、その時も今日みたく部活に付き合った時の話だ。その時に彼女から『放課後どっか行かないか』と誘われたのだった。
その時はうしろに仕事が控えていたので、残念ながら断ってしまった。だからこの次に行こうという事になったのだ。
そしてまさに今が、『この次』なのである。
「あー……」
クソ、まずッた。カデンツァのアホが腹なんぞをぶん殴らなけりゃ、即行オッケーしてたのに……。今の俺は腹が痛くて、とてもじゃないが楽しげに談笑するような気分ではなかった。
「あの、で、でも。今日はちょっと遅くなっちゃいましたから、この次にしましょう?」
俺が言葉に詰まっていると、察してくれたのか薬師さんがそんな事を言ってくれた。
「マジで? う、うーむ。わりぃな……」
畜生、また俺は彼女のアプローチを断ってしまった。自分が好きな女の子が向こうから『仕掛けてくる』なんて状況は、きわめてまれな事だろうに。
別に自信過剰って訳でもないが、薬師さんは俺に対して好印象、いやもしかしたら、恋心なんて奴をいだいてくれているのかもしれない。
そんな彼女の気持ちを俺は毎回踏みにじっているのか。こんなに綺麗で、しかも内面的にも綺麗な人を……。
でも、畜生。俺には、そんな純粋な彼女の気持ちを裏切らなくてはならない理由があるのだ。
「あの、ほらアレだ。なんか毎回断ってばっかだから、次に俺の予定空いてるときにでも、コッチから薬師さんに言うよ」
「えっ!? で、でも」
「だからアレだ。メールアドレスを、教えて欲しいなあああァァァァーーー!!」
薬師さんは……彼女は、俺たちモリエイターの天敵。『インビュードハンター』である。
そんな奴と二人きりともなれば、それこそいつ殺されるかわかったもんじゃない。前回だって殺されかけたんだ。
「メールッ、ですかっ!? あっはい! 教えます!」
俺がテンション高めにメルアドを教えろと言った途端、薬師さんの顔が少しだけ赤くなったのが分かった。動揺したのか、焦った口調になりながら携帯電話を取り出した。
「わはははははははははーーーーーーー!!」
携帯のメールを赤外線で受信しあいながら、俺は二人の関係が段々狭まっていくのを感じていた。しかしそれと同時に、自分の危機が増える予感も。だが彼女のご機嫌を治すには、これしか方法が思い浮かばなかった。俺の場違いな高笑いが静かな廊下にけたたましく響き渡る。
まぁいいさ。もしさっきみたく薬師さんがカデンツァになった時は、そん時こそ野郎をブチ殺せばいい。もちろん野郎を殺せば、宿主である彼女も死んでしまう事になるが……。
「んじゃ、暇な時メールするからよ」
「うん」
コロコロとよく笑ってくれる薬師さんはとても素敵だった。正光じゃないが、俺には彼女の周りだけが不思議と輝いて見える。
こんな素敵な人が死んでしまうのはとても悲しい事だ。でも仕方がない。インビュードハンターなら、殺すか、逃げるしかない。逃げるのが無理なら、やはり殺すべきだろう。その事に対しては別に何の罪悪感も沸かなかった。俺は残酷か? なら素直に殺されろと言うのか。笑えない冗談だ。
「それじゃーまたね、先輩!」
「おう」
槍杉学園の生徒は大概自転車通学である。一年と二年のチャリ置き場は別になるので、二人はそこで別れを交し合った。そしてそれぞれの帰路へ向けてチャリを飛ばした。
−−普通の人間とは関わらないほうがいい。
決まりでもないのだが、それがモリエイターの掟みたいなものだった。まったくその言葉は今の俺にひどく突き刺さる。
意外な程に俺は女子共から人気があるようだったが、俺としては全く関心はなかった。だが薬師さんにだけは、何故か惹かれる所がある。ぶっちゃけ『俺好み』と言ってしまえばまさにその通りだったろう。
でもそんな品の無い一言で済ませるにはもったいない『何か』が彼女にはあるのだ。他人から見ればいたってごく普通の女子高生な薬師さんだが、彼女は確かに、俺を惹きつける何かをもっているのだ。それに俺にとって初めてトキメいた女性が薬師さんである。そんな彼女の好意を、年頃の年齢であるこの俺がどうやってふいにできただろうか?
しかしそれが元で、今ではカデンツァとかいうクソ野郎から命を狙われる、いや弄ばれる毎日である。下手すれば明日にでも殺されてしまうかもしれない。そんな事されてたまるか。
カデンツァの言うとおり俺は非情なのかもしれない。日頃から殺戮の中に身を置いている俺には、戦友でも敵でもない『たかが女一人』がいなくなる事など、どうでも良い事だった。まぁ、好きな女の子だし、多少は『残念だな』なんては思うけど。
「だがまさか、GHSTが効かねぇとはな……」
俺の関心は薬師さんよりむしろ、その身に宿るインビュードハンターに向けられていた。野郎とは何度かやりあったが、いまだに活路を見出せてはいない。しかも野郎は明らかに手加減をしている。
「クソ。だが次は、必ず……」
サドルを握る手に力が入った。次会った時は必ず仕留める。
俺にはやはり、薬師さんの死よりもインビュードハンターを殺す事の方が重要であるようだった。
−−−−
『モリエイター』。
『インビュードハンター』。
そして『アストラル体』。
これらはこの『アストラルストーム』を物語る上で重要な要素となりうるものだ。
だがこれらを語るのはとてもとても長い時間が必要である。
なにより。これらは文章による説明のみではとても理解しがたいものでもある。
これらに関して理解を深めようとするならば、当事者であるモリエイター、またはインビュードハンターの行動を追うのがもっとも良い。
今回はモリエイターである斉藤睦月に着目する事にする。
彼の行動を追う事により、これらに対して更なる理解を深める事が出来るだろう。
−−−−
◆モリエイター & アストラル
モリエイト/Moliate アストラル/Astral
この世界中はアストラルで満ち溢れており、それは全てに対して成長を促す糧となっている。
モリエイターとは、草や木、水、火、土、そして空気や光すらからも、それのもつエッセンス(アストラル)をソウク(吸引)し、自らの力にチェンジ(変える)する異系の能力者の通称である。
生命(生命の定義は難しいが、ここではある程度の知性を持つ者とする)にはエーテル体があるため、エーテル体とアストラル体の結合が強い場合は吸収できないが、もしそれを何らかの方法で弱めるか、もしくはもともと弱い状態だったのであれば、生命からすらもエッセンスをソウクする事ができる。エーテル体との結合を弱める方法は、物理的に肉体かエーテル体にダメージを与えるか、その両方である。
なお、その生命体より遥かにモリエイターの知力ま勝っている場合、強引にでもアストラル体を吸収し、エッセンスをソウクする事が可能である。
モリエイトとは『こねる』の意味で、『アストラルをこねる者』という意味合いでモリエイターと呼ばれるようになった。
◆インビュードハンター
Imbued Hunter
光と影。0と1。モリエイターに相対する者。それがインビュードハンターだ。
インビュードハンターはモリエイターと同じ数だけ存在している。一人モリエイターが増えれば、インビュードハンターも一人増える。減少も同様である。
彼等の目的は、アストラルの調和を乱す者が存在しない『何事もない世界を作る事』。つまり調和を乱す者の抹殺だ。その中には自分も含まれており、モリエイターを抹殺することで、自分自身が消滅することを待ち続けている。
インビュードハンターはモリエイターに対してのみ、圧倒的なまでの特効、極めて強力な耐性作用を発現させる。
例えば彼等が水道の蛇口をひねって水をだせば、自然のコトワリによってその水は地面を伝い流れる。しかしひとたびモリエイターがその水溜りに足をつけようものなら、水は濃硫酸のようにモリエイターの足を溶かしてしまうだろう。
剣を振るえば見えない剣風により、モリエイターのAOFを容易く切り裂いて肉体を殺傷するだろう。
彼等のおこないは全て、モリエイターのみに対して非常に致命的な殺傷力を有する事となる。
また、インビュードハンターは『奇跡』と呼ばれる神秘的な現象を起こす事ができる。この『奇跡』はモリエイターの特効作用と併用はできず、モリエイターに対する直接的な影響を及ぼす事はできない。『奇跡』は一般人に対して施される現象だ。
街のど真ん中で繰り広げられる戦闘行為を一般人には『無いもの』と認識させたり、破壊された建物や生命体を再生させたりと、『奇跡』の程度は実に様々である。
彼等インビュードハンターは、地球意思そのものなのかもしれない。