11:薬師とカデンツァその弐
なんだか最初のほうにいらん事をだらだらと書いてしまっていますが、手直しする時間がありません。
御了承下さい、、、。
11:薬師とカデンツァその弐
目が覚めると、見た覚えのある天井が目の前にあった。ここは……バーわけありの二階だ。頭を横に向けると、机に座ってノートパソコンを操作しているレイがいた。俺はベッドの上に寝かされていたのだ。窓からは太陽の光が差し込んでいる。一体どれくらい寝ていたのだろうか?
「よお、起きたか」俺に気づいたレイがそっけなく言った。そしてため息をつく。机に置いてあったコーヒーカップを口に運ぶと、改めて俺を見た。
「……紫電から聞いてたよ。お前。DSPが陽性だったんだってな」「……」沈黙を続ける俺に対し、レイは「まいったな」と言った。
「予兆はいつからだ」
それから俺はレイの質問に答えていった。どれもこれも簡潔な質問であったが、俺にはそれを返答するのがとても心苦しかった。なにしろ、今まで黙っていたわけだからだ。
「睦月、お前に言ったよな。俺に隠し事をするなって」「……」「まぁ、こうなっちまっちゃ、今頃おせーけどよ……」
レイはノートパソコンを閉じると、椅子から立ち上がった。
「まぁ、ひとまず下に来いよ。会わせたい奴らがいる」
彼について下へ降りると、なにやらガヤガヤと騒がしい声が聞こえてきた。
「あぁーー!? 早い早いはやい! 待って待って!」
「フン! うおっ!? クソ、早く6出せ! 6! オイ! 式姫! テメェ!!」
「私はこのカードに賭ける! 出ろ! クローバ……出ねぇよ!!」
「あと三枚! あと三枚! ウヒヒ! おいホイットニー! 早く出せよオラァ!!」
やけにテンションが高い三人の女と一人の男がいた。丸いテーブルに向かい合って、トランプで遊んでいる。なにげに女三人の中の一人は美咲さんだった。手札は三枚のようだが、かなりニヤニヤしている。
「……おいお前ら。今年で一体何歳だと思ってんだ? ハァ……」レイはがっかりとうな垂れながら言った。「まぁレイ。……あら、もう起きちゃったんだ! うーん以外にソウクが早いのね……」セミロングの女が言った。
「何してんだ? そりゃ」「フフ、乙女は幾つになってもハートのエース」「……」その女はまるで正光みたいな返答をして、人差し指と中指にハートのエースをはさむ。レイは眉を潜めて睨んだ。「あはは、す、スピードよスピード。んもうやだなぁ〜レイっちゃん!」彼女は笑ってごまかし、手招きするような仕草をした。
……んまぁそれから、テーブルの上をさっさと片付けるとそれぞれが立ち上がった。顔つきを見る限り、男と女一人は三十を越すくらいの年齢だろう。もう片方の女は髪が真っ白で、顔つきが若い。俺はこのメンツに察しがついた。
「睦月。コイツらはアストラルガンナーズの精鋭共だ。そっちから、西木式鋭、西木式姫、ホイットニー・グレンジャー。名前は結構聞くと思うが」
「式鋭って……あ、アストラルガンナーズの、隊長」「おう。成り上がってやったぜ」
地毛なのか知らないが、彼の髪はかなり赤色をしている。左目が前髪で隠れるような髪型で、下手するとビジュアル系のにーちゃんだ。しかしビジュアル系なのは髪型だけで、服装は白のワイシャツにジーンズと普通である。あと背が高い。
隣の式姫ってのも結構聞く名前だ。確か式鋭と兄弟だったはず。パッと見では、栗色の髪を長く伸ばした活発なお姉さんだ。……お姉さんにしては、態度や口調が俺らと同レベルであるが。服装は意外にも男物の着こなしであるが、別に女が着ても違和感が無いものだ。それと、左手の薬指に銀色の指輪がはまっている。結婚しているのだろうか?
最後のホイットニーってのが曲者だ。ぶかぶかの帽子をかぶり、どうやら日本人じゃないようだが、肌は透き通るような白さ。上着とスカートも可愛らしいパステルカラーで、さらにその服に通された腕がなんとも細い事。真っ白な長い髪もあいまって、強い光に照らされたらそのまま消えてしまいそうだ。まるで妖精のような人である。
「さて、早速話を始めようぜ」
式鋭が場を仕切りなおし、広いテーブルに全員が座った。
「睦月君と言ったな」「ドゥフッ!?」式鋭が話を切り出した途端、式姫が笑った。
式鋭がむっつりしながら睨むと、彼女はあわてて両手で口を隠した。なんて時代遅れな仕草をしやがるんだ。両手によって隠された口は、確実に猫口になっているだろう。
「だ、だってだって! いきなりもうお兄ちゃん真面目になり腐っちゃってサ! ごめんね!? はいごめんなさぁい!? もういーモンモン! ぷんぴゅん!!」
「……」
全員が黙ると、三十代半ばであろう式姫はキョロキョロ辺りを見回した後、上着の襟を持って頭に覆いかぶせると机に突っ伏した。な、なんだってんだ。この女のテンション。レイを除く全員が、少しの間それを見て笑いをこらえている。
「……まぁんで、睦月君」
「はい」
「先に言っておくが、君のDSPが陽性であるという事はまだD3には通達していない」
「……はい」
「君の事を知ってるのも、俺たちだけだ」
レイはいつの間にやら煙草を吸っていたが、式鋭はそこで初めて煙草を取り出して火をつけた。だが俺に喋る時は灰皿に置いて、両手を組んで喋っている。一応態度はキチッとしているようだ。
「DSPってのはな。D3の連中にとっては排除するべき存在になってるんだが……俺ら前線で殺しあう奴らにとっちゃ、そりゃかなりの戦力になる。単体での能力はESPと同等だからだ。んでも、DSPで自我を保ってられる奴ってのは数少ない。大体はオブリヴィオンのせいで、実生活に支障をきたすほど性格が一転しちまうんだ。まぁ早い話二重人格になるわけだが、次第にそのもう片方に乗っ取られていって、最後には自我が消える。……俺は今まで何人も見てきた」
「……」
「私の友達も、そのせいで変わってしまったわ……」
式姫がしんみり言った。いつの間にやら普通の体制に戻っていたので一瞬ビビッた。くそぅ、なんなんだこの女は。なんていうか、すごい『いい位置』だ。
「学校の同級生でね? いつも一緒に遊んでたんだけど……。彼女も、モリエイターでね。私より早く穏健派に入ってたんだけど、彼氏が殺されて、それからだんだん、気性が荒くなってきてなって……。……それで、結局、私が殺した」
「……」
なにやら重たい話のようだが、式鋭が区切りをつけた。
「……まぁ、DSPになった奴ってのは、大体殺される。でもな。そこにいるホイットニーは、なんとかかんとかがんばって、どうやらソレを克服したみてーなんだ」全員がホイットニーを向く。
式姫も見たが、ホイットニーの視線が彼女を捕らえた途端、また亀が首を引っ込めるように服の中に隠れた。ホイットニーの周りには、縦の斜線が大量に引かれる錯覚が見えた。
「睦月君。あの女は外見はハタチくらいのいたいけな少女に見えるが、実際は三十過ぎた女が恥ずかしげも無く、あんな服を着てそこに座ってるんだ」「えぇ〜〜?」にっこり笑ったホイットニーが、透き通る綺麗な声で疑問系の発音をする。
「ジャイコフ!」
突然式鋭が座る椅子の足がボキンと折れて、式鋭は地面に尻をぶつけた。ジャイコフってのは式鋭のダメージボイスだ。「テメェ、ヒトんちの椅子を勝手に壊すんじゃねぇ」レイが言った。「まぁ。私じゃないですよ?」おっとりした口調でホイットニーが返す。表情は笑顔のままだが、明らかに彼女が何かしたに違いない。
「……まぁこんな風に、DSPになった今でも、元気ハツラツでいられるんだ。睦月君」
式鋭が俺を見て言う。彼はいつの間にやらパイプ椅子に座っていた。椅子と机の高さが違うため、首から上しか机の上に出ていないのが笑える。畜生、そういった細かな気配りにはホトホト感服しちまうぜ、アストラルガンナーズさんよ。
「それに、レイからの相談ってのもあるしな。君には是非とも、オブリヴィオンを自分のものにして欲しい所だ」俺がレイを見ると、彼はフンと息をした。「まぁ仲間を取っちめて殺さなきゃならなねーなんて、誰だって嫌なもんさ」式鋭はレイの仕草を見て薄く笑う。
「それと、異例ってか特例なんだが……。この式姫も、一応DSPなんだ」「うっ」
式姫はまたもや服をかぶろうとしていたが、隣に座る式鋭から肩を抱かれたので、襟を持った両手を上に上げた状態で止まった。……あれ!? いつの間にやら、式鋭の椅子が元に戻ってるよ!!
「レイから言われたのは『オブリヴィオンを克服する方法』だからな。式姫のは当てはまらん。コイツは生まれながら、すでにオブリヴィオンを自分のものにしていたからだ。だから、侵食に勝つとかなんとか、そういう経験が無いみたいなんだな」
「へぇ」
俺は素直に関心した。なるほどそういう例もあるのか……。
「DSPの連中は、元々の人格とオブリヴィオンであった人格との二つを持っている。ホイットニーは、もう一人の人格を支配できたみたいだ」「なんとかね」式鋭が彼女を見ると、肩を上げて彼女が苦笑した。肩を上げるという所がいかにも外人っぽい仕草だ。
「んでこの『亀の子ブーブー』は……」さっきから頭に服をかぶったままの式姫を、式鋭が覗き込む。「ま、まさか、冗談でしょ?おにいちゃ……」
彼女が式鋭のほうに顔を向けると、にっこり笑った式鋭は彼女の鼻の頭に人差し指をチョイと置き、そして信じられない言葉を吐いた。
「この、お・ま・せ・さ・ん」
二人を除き、俺ら全員がすっぱい口をする。
「うあぁッくゥゥ!?」
だが言われた式姫は顔から耳の先までボッと真っ赤になった。というか、聞いてるこっちまで恥ずかしくなった。
しかしどうだ。彼女が恥ずかしがった途端、大気中のアストラル体が突然流動しだした。彼女を中心に渦を巻き、周りの椅子やガラスがガタガタ振動し始めた。
「あれ!? いやいや、まさかっ!? そっそんな、こんな事で!? 嘘でしょ!?」
ガタガタガタガタ!
ポルターガイストでも出たかように、部屋全体の家具が騒がしく踊り出す。
「いッ!? イヤハアァァーーーン!!」
ピカッ!
眩い光が式鋭を包む。その光が収まると、周りの家具も静まり返った。だが光の中から現れた式姫は、お姉さんではなくイケメンの男になっていた。
「うおっ!?」「くそぉーーーッ!!」俺が声を上げて驚くと、彼女……いや彼は、さっきみたいに服の中に隠れた。
「こんな感じに、式姫は別人格にソースシフトすると男になっちまう。まぁある意味、この現象がオブリヴィオンがもたらした肉体変化って所かな。ホイットニーの場合は、成長が止まっちまった」「な、なるほど……」
「この莫迦っツラ!絶対こうなるってのは薄々分かってたが、まさかあんな変身のさせ方ねえだろクソォ!!」「まぁまぁそう怒るな」莫迦っツラという部分だけエコーをかけて、式姫が両手でポカポカ式鋭を叩いた。「うえ〜ん旦那様にしか変身させて欲しくなかったのに〜〜……」彼は頭に服をかぶった状態で、目から滝のようなイメージの涙を流している。
「ちなみにコイツは、恥ずかしくなると男になっちまうんだ」「……」式鋭は余談を添えたが、俺はそれに対して何も言えなかった。
「式姫については色々と事情があってな。オブリヴィオンの『人格』の部分が構成されなかったんだ。だから侵食されたとしても、すぐに自分がそれを支配できた。……しかし、ホイットニーと睦月。二人のオブリヴィオンは明らかな人格を持っているようだ」
確かにそうだ。現に奴は俺と同じ、いやそれ以上の知性を備えているようだ。
「俺はDPSじゃないから分からんが、ホイットニーの場合かなり苦戦したみたいだ。俺達からは彼女には何もしてやれなかったが、とにかく最悪だ。最後のほうは、ホントに殺そうと思ったくらいだからな。だが彼女は、それを抑えた。どうやって抑えたのかとかは、後でゆっくり聞けるだろうよ」
「……」
俺はチラリとホイットニーを見る。彼女もこっちを見てニコッと笑った。まったく笑顔が似合う人だ。
「……っと、こんなもんか。まぁ結局は当事者にしかこの問題は解決できん。あとは若い者同士、二人で話し合ってくれよ」式鋭は俺とホイットニーを見比べた。「……まぁ、向こうの女は若くもないか」
ボキンッ!
「バミューダ!」またもや椅子の足が折れ、式鋭がいきなり視界から消えた。
「さてさて、まぁ睦月ちゃん?ゆっくりお話しましょ」
それから俺とホイットニーは、俺がさっきまで寝ていた部屋へ来た。彼女が窓を開けると柔らかな風が吹き抜けて、フワリとカーテンが揺れる。彼女の白い髪も流れてキラキラ光った。下ではまたやかましくトランプ何ぞで遊んでいる事だろう。しかし、睦月『ちゃん』ってのは恥ずかしいな。ある程度風を浴びると、彼女は窓をぱたりと閉じ、カーテンを閉めた。
それからすぐ近くの机の椅子に座るのかと思いきや、何故か彼女はベッドに腰掛けた。「はいはい、こっちきて」そして隣をポンポン叩いて、そこに座れと言う。な、なんだコイツは。俺は一応黙りながらもそこに座る。瑞穂とは違う女性の香りがして、正直な所ドキドキした。……い、いかんいかん。俺には薬師さんという人が……。くそぅ、若さって何だ。
「さて、何から話せばよいのやら……」
彼女は女の子らしく両膝をぴったり当てて、その上で指を絡める。そうだ。そうだコイツはもう三十超えてるんだ。仕草格好に騙されるな。視覚に惑わされるな。
「ホイットニーさんは……」「あん。『さん』はいらないの。睦月ちゃん」俺が喋りだすと、彼女が釘をさした。「……な、なら、『ちゃん』も……」「うみゅん。それは必要よ。睦月ちゃん」「……」
ホイットニーがズイズイと尻を動かしてコチラに寄ってきた。俺が同じようにして距離を置くと、また近寄ってくる。
「んふふ〜」
湿った息をしながら愛らしい笑みを浮かべて、上目遣いで俺を覗き込む。……こ、この展開は! やばい!? ぼ、僕! 襲われちゃうッ!?
突然バコンと扉が勢いよく開いた。
「あっ!? やっぱなぁーー!!」
現れたのは男になった式姫だった。いきなりの訪問者に驚いた二人の体は同時にビクンと震え、すかさずサッと距離を取った。
「やいやいテメェ! 色男と見たら見境なく喰い散らかしやがって!」胸元に人差し指を伸ばした手を置いてズイズイ歩を進め、ホイットニーに近寄る。「だから今回のはレイの部下なんだっつーの! アアァ!?」その人差し指をホイットニーの額にぐりぐり押し付けた。「あ、あははっ、じょ、冗談よ冗談……」ホイットニーは笑ってごまかしているものの真面目に焦ったのか、謙虚に謝っている。
喰い散らかすって……ま、まさか。式姫が様子を見に来なかったものなら、俺の貞操は危うい所だったのかもしれない。
「まったく……。お前さんも、もういい年なんだからよ。さすがに身なりをわきまえろっつーんだ」
フンと息をして、式姫が腕組をした。何気に、この人は男の状態の方がしょうに合っているのではないか? 元々が女だとは思えない男っぷりだ。
「式姫?」「んんー?」呼ばれた式姫は重低音な返答を返してホイットニーを見る。すると、式姫の視界から離れた窓が突然開いた。「あッ!?」彼はとっさに窓を見たが、遅かった。
「にゃッ!? にゃんびいいいいぃぃぃぃーーーーー………」
バタンッ
以前の正光のように、突如として式姫が窓の外に向けて背中から吹っ飛んでいった。そして声が遠ざかると、窓が勝手に閉じた。
「…………」「まぁ? 危ない子ねぇ」片手をほっぺに当ながらホイットニーがおっとりした口調で言う。……な、なんだ。この力は。彼女の能力はどんなものかさっぱり知らないが、これがAOの断片だとすれば、その力は計り知れない。
彼女が両手をうーんと伸ばした。「興がそがれちゃったわね。まったくもう……」ベッドから立ち上がると、机の椅子に座りなおす。……座ったというか、椅子の上にあぐらをかいた。帽子を取って机に置くと、絡めた両手を裏返す。ボキボキと骨がなった。
「まぁ、なんだ。んじゃ、睦月。余興は終わりにしようか」
手のひらをブンブン振りながら言う。さっきとは口調が明らかに違う。雰囲気や仕草も考えられないものだ。「さてさてぇ? どっから話せばよいのやら」さっきと同じセリフを言ったが、やはり喋り方や声のトーンが全然違う。これが素なのか、それともオブリヴィオンの別人格なのかは、俺には分からない。
「うーん。侵食に勝つ方法っつっても、結構曖昧だからな。それに勝つ負けるの問題でもないし……。睦月。君はそもそも、今どんな感じなんだい?」「俺っすか」「そう。レイの話だと、昨日の夜完璧に乗っ取られて大変だったって聞いたけど?」俺を指差して首を傾げる。クールな印象だった。
「うーむ……。なんつったらいいのか……。例えば、朝方吐き気がして、吐きまくって。夜になるとソイツの声がしたり……」「ふむ」
彼女は椅子を逆向きにして座りなおすと、背もたれに両腕を乗せた。
「オブリヴィオンってのは、体を乗っ取るためにまず本体をガオらせる事から始める。メシ喰う気にならなかったり、眠れなかったりして。そうしてるとだんだんガオッてくるだろ?」「えぇ」「そうすると必然的に、君の気力も落ちてくる。そこに付け込む訳だ。奴らは」
なんか話しやすいな。この口調でホイットニーが年齢層の体格であったなら、俺は相当ビビッていたかもしれない。この時ばかりは彼女が近い歳の外見でよかったと思った。
「ホイットニーも、同じ事が?」「あぁ。勿論あった。最悪さ。まるで年中生理みてーなもんだ。……っと、まぁ君には分かりようもない辛さだな。でもまぁ似たようなもんだ。体調わりぃわ、ゲェゲェ吐くわ、おまけに超寝不足。誰だって気が滅入るわな」「ふむ……」
「毎日イライラしてたよ。んで、だんだん周りの連中がウザくなってきた。こっちは少しでも落ち着かせていたいのに、やかましく騒ぐアホはいるわ、押し付けがましく声かけてくるクソはいるわでもう散々。……そういう時に、声がするんだ。ウゼェんなら殺しちまえってよ」「……」
「もちろん、それは悪魔の囁きだ。それに応じたら最後、もう戻れねぇ。『味を覚えちまう』からな。絶対にそれだけはしてはだめだ」
彼女はこぶしを作らずして俺を指さした。俺はうんうんと何度かうなづく。
「んで、あたしがどうやってこのクソッタレを逆に支配してやったのかと言うと……。まぁそれがこれまた微妙でよ。あるデカイ作戦があって、その時ピンチになってよ。式鋭も式姫も、あとレイルって小娘がいるんだが、そいつもくたばっちまって、どうしょーもねー! って時。あたしはそん時色々あって、激情しててさ。もうどうなってもいいって思ってた。仲間を助けるにはこれしかねぇッ!て。……AOFを展開してる時って、自分の『力』がどこにあるのか分かるもんだろ? 殴る時は力をこぶしに入れるし、着地の時は足に入れる。その全体の中で、オブリヴィオンの力も、そん時は何故か、どこにあるのかわかった。その力を、あたしは全身に巡らせていったのさ」
『AOFを展開している時の力の行方』という部分は、俺にはすぐ理解出来た。モリエイターでないとこの感覚は掴みづらいだろうと思うが、普段人が何気なくやってるのと同じ事だ。指を動かすのと同じで、周りに纏っているAOFを、体の動作に合わせて分配するのだ。
「オブリヴィオンが体を巡るにつれて、意識は段々と薄れていった。眠たくなってくる感覚か。でも、周りじゃ仲間がボロボロ倒れてるし、ムカついてたからな。やろう、負けるかって思ってたら、意外とすんなり体に馴染ませる事が出来たんだ。でもそん時は、今は大丈夫だろうけど、これが終わったらもうあたしはあたしじゃ無くなるんだろうなって思った。んだけど、敵をぶっ殺して、AOFを解除した時。なんともなかったんだ」
「……」
俺はホイットニーの話をすっかり聞き込んでしまっていた。
「それ以来声も聞こえなくなったし、生活を邪魔したりもしなくなった。でも一つ変わった事は、今のあたしみたいに、『元々オブリヴィオンだった人格』が、空になった事かな」
「カラ?」
「うん。あー……こりゃなんつえばいーんだぁ? まぁなってみねーと分からん事だけど、とにかく、『ある』んだよ。抜け殻ってか、空席ってか、そんな感じのが。空席! いいねぇ〜その表現」
彼女は自分の言葉に対し、指をパチンと鳴らした。
「まぁその空席。そこに意識を持っていくと、自分の性格が変わるみてーになるんだ。現に今のあたしは、さっきまでとはエライ違いだろ?」「た、確かに」「こんな感じになるのさ。俗に言う『ソースシフト』って奴だ。性格が変わればAOFの『こさえかた』も変わるわけで、結果的にモリエイトするAOも変わってくる」「おぉ」
「そのあと専門家に霊視してもらったら、あたしの炎とオブリヴィオンが一体化してるって言われたよ。つまりはDSPになっちまったって事さ。「きたねぇ炎だぁ〜」みてーな事言われたから、殺してやろうかと思ったけど。まぁ炎とオブリヴィオンが統合されて、なおかつあたしの意識がオブリヴィオンの意識に勝った事で、あいつが消えちまったんだろうな。もっともあいつが残した能力やら性格は残ってるから、そいつが丸々全部あたしのもんになったわけだ。しかし……。逆にあたしが消えてたらって思うと、ゾッとするな」
「うむ……」
たいした返答ができない俺だったが、ホイットニーは首を傾げて薄く笑った。彼女がゆっくり窓のほうを見ると、またもや窓が勝手に開いた。AOを使っているようなアストラル反応は感じない。だから、なんなんだ、この力は。
「ヘヘ。ついでだが、睦月には教えとくか。今みたいな力。これはAOじゃねーんだ。エスエーっつってな。人間の持つ特殊能力さ。あたしのは物体を押し込んだり引き戻したりできる能力、『エーマイナー』」「特殊能力……」「自分の体重より重たいのを吹っ飛ばしたりすると、余った分の反動が返ってくんのが困りどころだがよ。大型トラックになんぞ使ったら自分が『にゃんびー』さ。ちなみにエーマイナーって名前は、Aボタンを押しながら方向キーを逆に押すと引っ張るって意味なんだが……。……って、そんな話はどうでもいい」
彼女は帽子を人差し指でくるくる回した。
「ごめんな、勝手に一人でベラベラくっちゃべっちまって」「あーいえ、んな事ないっす」「そうだといーんだが」
「でもよ、睦月。オブリヴィオンってのは、人それぞれだ。あたしの場合そんな感じだったけど、それが君にも通用するなんて思わないほうがいい。こういう事例があった……、って事だ」「……はい」
極限の状況で自分からオブリヴィオンを開放して、それを『勢い』で取り込んだ……。って事か……。
「何か、聞きたい事は?」
口調は荒いものの、それでも優しげに話しているようだった。
「うーむむ。いや、なんつーか……分からない事だらけで、何を聞いたらいいのやら」「……そうだな。分かるよ、それ」
「あたしも安易な事は言いたくないんだ。まさかあたしと同じく、ピンチの時にやってみろだなんてな。うまくいけばいいさ。でも、相当の覚悟がいるぞ。それこそ、自分が消えてもいいって思えるくらいのな」「……」「下手な事はしないほうがいい。でも、なんもしないとそれこそ向こうの思う壺だ。……厄介だよな」「……」「……あー、くそ!」
俺が黙りすぎたのか、彼女は片手で頭をかきむしった。やっべ、怒らせちゃったか?
「あ、すんません、黙って……」「ん、いやちげーよ。黙って当然だ。君は何も悪くない。『あたし』さ! こんな時いつものあたしに戻れば、いー感じの言葉の一つでも、言ってやれるんだろうが……」「?」「いま元に戻ったりしたら、どうせまた「私が慰めてあげるわ」とか何とか言ったりして、君を無理やり押し倒してでも、騎乗位で子宮にガンガンぶち込みかねねぇ。こりゃやべーなクソ」彼女は腕を組んでうーむと悩んだ。ソースシフトした状態だとそういう欲求は沸いてこないのだろうか。しかしながら、最低な欲求だなオイ。「……あ、あの、一応、ライトノベルなんで……」「おっと失礼。まぁ、なんつえばいーんだ? 根性でなんとかするしかねぇ。もう一人の自分に勝つにはよ」
「フム……」
話し合いを終え、アストラルガンナーズの面々がバーわけありから帰ると、続くようにして俺も帰路についた。今の季節は相変わらず曇りになる日が多く、今日の空模様も分厚い雲が覆っている。時刻は五時過ぎ。今頃はバーわけありへメンバーが集合し、哨戒に向けての準備を進めている事だろう。俺は休みだった。
家でだらだら過ごしていると、いつの間にやら時間は過ぎて十時を回った。不意にドアが開く音が聞こえ、そっちを向く。
「あ、兄様、ただいま帰りました」
傘を傘立てに入れながら瑞穂が言った。
「ん」
俺は適当な相槌を打ったが……。正直、瑞穂には会いたくなかった。昨日の夜、あんな事をしてしまったからだ。レイの援護がなかったら、師匠の助けがなかったら、俺の手で瑞穂を殺して……。
「ご飯はもう食べましたか?」「あーいや、もう喰ったよ……」「うみゅん、すいません遅くなって」「……」
以前のような居心地の良さは感じなかった。よそよそしい返事を俺はしてしまっただろうか。しかし瑞穂は気にしない様子で、一人台所へ向かった。自分の飯を作るためだろう。
「…………」
テレビをつける事すらためらった。楽しげな音楽や声を聞く事で、真剣な今の心境を害したくはなかったのだ。
俺の中のオブリヴィオンは確実に拡大している。現に昨日。あぁも本格的に表面化したのだ。そして奴の力は、俺の比ではない。それは奴が純粋な殺戮のためだけに能力を使っているからなのだろうが、だがそのおかげで奴は強力で、凶悪で、残忍であった。
もし、またあの『音』が聞こえてしまったらどうすればよいのだろう。もしまた、自分の体を乗っ取られたら? ホイットニーとは話し合ったものの、そういった細かな問題は全く未解決のままである。
俺は自分が怖くなった。師匠の言葉により一度は体の制御を取り戻したものの、そうするまでにかなりの時間がかかったのだ。
カチャカチャと食器の音が聞こえてきた。
「あ、ここで食べていいですか?」
「……」
瑞穂が両手でお盆を持ち、隣に立っていた。「ん」俺が了承すると、少し離れて隣に座る。
「…………」「…………」
それから沈黙が辺りを覆った。テレビもつけていないので、聞こえるのは瑞穂が飯を喰う音だけだ。こいつと一緒の時間で、こんなにも窮屈な時間は始めてである。瑞穂も昨日の件を気にしていたのか、何も言わなかった。
「……瑞穂」「んぁっ、はい」
俺は決意を決めた。瑞穂を呼ぶと、箸を口に入れた状態で返事をした。
「今日の夜から、お前は自分の家で寝ろ」
「えっ……」
それを聞くと瑞穂が背筋をぴんと伸ばし、目を丸くした。
「何でかは、言わなくてもわかるだろ」「……っ」「……俺のそばにいるのは、もう危険だ」
「…………ッ!!」
何か言いたげな様子であったが、瑞穂は必死にそれを堪えているようだった。だが、何か言われた所でどうだというのだ? こいつがそばにいてもなんの意味もない。逆に俺も向こうもハラハラするだけだ。
「…………わかりました」
長い沈黙を経て、瑞穂はそれだけ言った。こいつもさすがに、これ以上俺に迷惑をかけたくないと思ったのだろう。
「でも、今日は、今日は……お風呂だけでも……」「……」ホントに分かってんのか?お前は。
俺はフンと大きく息を吐いたが、瑞穂の頭を撫でてやった。まぁそれくらいなら、最後だしいいかと思う。
風呂に入っている時、膝の上に乗る瑞穂が俺の両手を両脇で挟み、自分の手と見比べていた。
「おっきぃ手」濡れた後ろ髪を指先ですいてやると、そっちに頭を傾けた。「兄様は、優しい人です」俺の空いている腕を自分の胸で抱きしめる。小さな胴体なので、俺の腕がやけにでかく思える。
「……優しい『だけ』の男なんざ、クソもイイトコだ」
普通ならもっと柔らかな表現をするのだったが、今の俺はついつい毒入りのセリフを吐いてしまった。案の定瑞、穂がしょんぼりした顔をこちらに向ける。
「……優しい兄様」
そして顔やら首やらにほお擦りしてきた。俺への反論を態度で示しているのか? 優しいだけがとりえの男『でも』、みてーな。……莫迦らしい限りだ。んなのは、話にもならねぇぞ。瑞穂。
風呂から上がると、身なりを整えた瑞穂を玄関まで送った。つっても、家は隣なんだが……。
「では兄様……。おやすみなさい」深々とお辞儀をする。「あぁ」俺は頭をポリポリかいて適当に言う。
瑞穂が玄関を出ると、ガチャリと鍵が掛かった。これでやっと一人になったわけだ。久しぶりの一人のような気がした。
電気を消してベッドに潜り込む。今まで寝る時にあった、柔らかくてあったかい感触が微妙に懐かしく思えた。瑞穂も同じような感覚になっているだろうか? まぁんな事考えるのは、まったく未練がましい事なんだが。莫迦くせ。俺はすぐに考えるのを止めた。
俺は寝る時間をかなり早めに設定していた。就寝は十時。それは、どうせ四時頃気持ち悪くなるんだろうというのを想定した時間である。すでに便所までのルートは確保してある。来るならこいや。身構えながら俺は寝る事にした。
翌日。目が覚めると、時計は六時を指していた。さっぱり気持ち悪くない。
「……」
普通に睡眠を十分取った状態の、快調な目覚めであった。
その後は登校時間まで布団の中でゴロゴロして、ラーメンを喰って学校に行った。学校では正光に、アストラルガンナーズの面々と話をした事などを話した。
全く持って普通の日だった。哨戒は別にやらなくていいといわれているので、すぐ家に帰って寝た。
次の日。これも大丈夫であった。
そして次の日も大丈夫だった。
その次の日も。
…………。
そんな毎日が五日ほど続いた。日々の体調は対して変わらないものだったが、やはり徐々に変化が現れた。それは十分な程寝ているにもかかわらず、やけに眠気がしたのだ。五日目あたりから、俺の眠気はそれはひどいものになった。夜十時に寝ているにもかかわらず、起きた時はさっぱり体が回復していない。初日が嘘のようだった。
そしてそんな事が続き、一週間後。
「…………」
教室で、自分の座席に体育すわりをしながら、俺は目の下に極太のクマを作ってコーヒー牛乳とでかいメロンパンを貪っていた。クマはまるで油性マジックで書いたみたいにくっきりしていおり、不思議と俺の周りだけ背景が真っ黒になっていた。
「お、おいおい睦月……。やべーんじゃねーのか?周りの景色が真っ黒になってんぞ」
正光が寄ってきた。やばいな、確かに……。
「……しかし、どうにもならん……」「うーむむ」俺の口にぶっ刺さったストローが下から茶色くなっていくのを見ながら正光が唸る。長い説明文だが、臨場感は伝わってくる。
「でも、声は聞こえなくなったんだろ?」「うむ……今の所はな」「ぬーん。しかし、寝ているのに寝た気がしないか……」
「……まぁ一応、夜それがなるけど、日中寝る分には大丈夫なんだよな……。授業中とか、そういう時。何故か知らんが、家で寝ると駄目だ」
「なんだろうな、夜が悪いのかも知れねーな」「かもな……。侵食が進んでるのかもしれん。なんか、別の手を使い始めたのかもしれねぇ」「厄介だな。侵食を抑制する手立てもねぇし……」正光の言葉が止まった。その先に続くとしたら、結局は自分がなんとかするしかねー。という言葉だろう。
放課後になると、正光と泉さんはバーわけありへ行くので先に帰った。俺はもう少し寝たかったので、HR後も机に突っ伏したまま寝ていた。そんな風にして気づけば午後七時。やっべ、寝すぎた。まぁでも別に、急ぐ事もねぇしな……。
辺りは薄暗くなっていた。チャリをこいで暗くなった道を走る。今頃はエルベレスが哨戒してるんだろうな。学校近辺は、正光の管轄だったな、等と考えていた。
そして、ひとけの多い商店街を通っている時だった。
「イーブルアイが見ているぞ」
オブリヴィオンの声がした。
「ッ!?」
キュッとチャリのブレーキをかけ、辺りを見回した。回りには結構な人がうごめいているものの、奴の姿は見えない。
「…………」
俺は覚悟を決めて、『そいつ宛』に思考をめぐらす。……どこから、見てるってんだ。
フン。お前の霊視では精々、あの辺くらいまでしか見えないだろうが……。
あの辺と言われて、俺は遠目にそびえる高層ビルに目を向けた。だがその行為ははたして『俺』がやったのか『オブリヴィオン』がやったのかはわからなかった。
俺には見えるぞ。奴が。あそこにいる。
「……!」
首がぐるんと横を向き、また俺の目が動いた。視線はさっきのよりもっと遠くのビルに移る。さっきのより背の低いビルだったが……その屋上。目を凝らすと、そこに金色の光がかすかに見えた。奴か!?俺がソレをみつけた途端、それがピョンと飛んで何処かへ消えた。
ハハッ、狩りに出かけたな。
何だとぉ!?クソ、今からレイに連絡を……。
さぁさぁどうする?奴の動きは軽快だぞ?レイの奴にどう伝え、どう動かす?奴は今、どこに、どんな姿でそこにいる。ッハハハ。曖昧な言葉だけでは、お前が変に思われるだけだぞ?
「くっ……!」
俺は考えるのをやめ、ぽっけの中の携帯を引っつかんだ。ショートカットでレイに直通する。
〔どうした?〕レイが出た。「レイか!? イーブルアイだ! 奴が見えた!」〔なにぃ!? 場所は!?〕「えぇと……!」
場所を伝えたいが、やはり正確な場所が分からない。
「なんつったらいいのか……遠めに見えたんだ。今俺がいる所は……」辺りを見回す。「フォーカットモールのぉ……十時の方向。そうか、大体矢島さんのパチ屋二号店の近くだ。んで。その二号店から北を十二時として……」右手で携帯を耳に当てながら、左手を伸ばして角度を測る。「……大体、四時半って所か。距離は結構遠い。フォーカットモールを超えて、もうちょい行った所だ」
〔なにやら面倒だなオイ。何年ここに住んでんだ。そろそろ地名を覚えろよ。まーしかし、なるほど。わかった。フォーカットモールから南側の連中をその辺に向かわせてみる〕「頼む、すまん」
〔しかし……睦月、どうやってそっから見えたんだ? 距離的にも、美咲ですら見えねー位置じゃねーのか?〕「……」
レイの言葉で俺はハッとした。その通りだったのだ。あの時俺は確かに金色の光を見たが、今思えばズームしているような視覚であった。昨日レイを望遠した時のあれであったのだ。全く意識していなかった……。
「……いや、なんつーか、正光みたいな奴だ。インテュイント。いきなり、奴がそこにいるのが見えた」俺はとっさながらも、ソレらしい言い訳をした。〔ほぉ! そうだとすれば、どうやらマジらしいな。了解だ!〕なんとかごまかせたみたいだ。
〔しかし、今のお前は武装がない。こっちには近寄るんじゃーないぞ〕「了解。……しかし奴は素早い。もしかしたら移動してるかもしれんが……」〔無論承知の事よ。場所がわかっただけでもラッキーってもんだぜ。んじゃ、切るぞ。俺も移動する〕「了解。気をつけてくれよ」〔おう〕
通話を終えると、携帯を耳から離してパチンと折りたたんだ。イーブルアイが見えた場所をもう一度見る。だが、俺にはさっきのビルすら見えなかった。
……ったく、口だけは達者な奴だなお前は。
オブリヴィオンの声がした。
ま、いいさ。俺は一眠りさしてもらうぜ。夜が、楽しみだな。相棒。
「……ッ」
何の事だ……?そう考えたが、その返答は帰ってこなかった。ふざけやがって……。
俺は家に戻ったが、エルベレスのその後の経過が気になっていた。フォーカットモールから南側を哨戒するメンバーは、レイ、マッキー、チャコ、師匠の順だ。ギリギリ泉さんがフォーカットモールに突っ込んでいたのだが、彼女が呼ばれるかどうかは微妙である。……まぁ、別に動いた奴に聞かなくても、哨戒の状況なら誰にでも分かるのだが。
哨戒が終わる頃を待って、俺は正光に電話をかけた。
〔はいよぅ。どしたぁ〕正光が出た。周りの音がやけにうるさいが、どこにいんだお前は。カチャカチャ食器のなる音がする。飯か?
「おう。今日の哨戒はどうだった」〔あぁ、睦月が教えてくれた奴か。うむ一応そっち側の連中が動いたんだけど、さっぱり見つかんなくてよ。駄目だったみたいだ〕「そうか……」クソ、結局無駄骨か。
「いや、それだけ気になったんだ。すまんな」〔いやいやまーかまわん〕
「っつーか今何してんだ?周りがやかましーな」〔ん、あーいや、泉さんとディナーを……〕何故か申し訳ないような口ぶりで言われた。多分今頃正光は、チラチラと泉さんを交互に見ているだろう。「お〜っとっと。なるほど〜〜ぅわりぃな、茶を濁しちまったな」〔ドゥ!? いッいや別に、いいだろ電話くらい!〕「まー楽しめや。んじゃまた明日」〔うむおう。んじゃーまた。ばいびー〕
ふむ、正光も一応やる事はやってるって事か。イーブルアイの件はあれだったものの、二人の仲を見守る俺としてはまぁいい感じであった。
では、寝るか……。
パチン
電気を消して布団をかぶる。明日もまた、寝た感じがしないのだろうか?クソ、最悪だな……。
しばらくすると俺は眠りに落ちた。
だが、どうだ。突然パッと目が覚めた。違和感を感じる。なんだ?眠ってから少し立った様だが……。
寝た状態で数秒目を開けていたが、違和感の正体がわかった。部屋は真っ暗のはずなのに、やけに夜視が効いているのだ。周りの景色はまるで日の出前くらいの明るさである。窓の外の景色もそれっぽい明るさだが……。
時計を見ようと体を動かした時、部屋に置かれた机に腰掛ける何者かを見つけた。
「うおっ!?」
かなり驚いて、ビクンと体が震えてしまった。とっさにベッドから飛び起きる。
「電気はつけんなよ。……見えんだろ?」
そいつが言った。確かに見えるが……見たこと無い奴だった。体格からして俺よりガタイが良く、身長も高そうだ。そいつはパッと顔の横で手のひらを立て、首をかしげた。
「……んまぁ、お前にゃなんもしねぇよ……」言いずらそうな口調で俺に言った。「立ってねぇで、座れよ」そしてベッドを指差す。
「うるせぇ。誰だテメェは」俺は言葉を無視し、邪険にしながら言い放つ。「フフ、こんな時SAGを傍に置いときゃよかった、か? GHは折れてる」「……ッ」まるで俺の思考を読んだように、まったくその通りの事を言われた。
「俺はな。コイツだ」そいつが右腕を伸ばすと、その手にサイファーがモリエイトされた。「サイファー……ッ!?」「そう、サイファー。……そうだな。んじゃ俺の名前も、サイファーにするか」くるりと手首をひねると、回転しながら剣が消えた。
「……やっと御対面だな。相棒」
「……」
俺はサイファーをにらみ続けていたが、奴は薄い笑みを浮かべていた。
しかし、どういう事だ!? 奴は俺の中にいる、オブリヴィオンでは……。
「そうさ」奴が言った。やはり思考が読まれている。「俺はお前の中にいた。今までな」
「だがな。やっとこさ外に出れるようになったんだ。お前のおかげさ。といっても、決定的だったのはあの日の夜。ゴム野郎を喰った時だ。ありゃー美味かったなぁ? えぇ?」
「……ッ」
「っはは。まぁ、言い返せねーのは当たり前だ。お前の性格は俺が誰よりも知ってるぜ。反論が思い浮かばねーんだろ?……心配すんなって。俺ぁ別に揚げ足取りなんてしねぇからよ」
からかっているのかどうなのか、俺に対してサイファーは、まるで先輩気取りであった。
「テメェ、一体どうやって『外』へ出た」「あぁ、これか?」奴は両手を広げて周りを見回す。「……いや、別に?出たいから出た」「……」
「ハハ、しかし、俺が出たいと思ったら出られた……ってのは、お前に取っちゃまずい事なんだぜ、相棒よ。それがどういう意味か、わかるだろ」
それを聞くやいなや、俺はサイファーに殴りかかった。
「ぐっ!?」
だが手が届くギリギリの位置。そこで俺の体はビタッと動かなくなった。まさに掴みかかろうと右腕に力を入れて、グッと胸元あたりへ引いたポーズの状態だ。体は微妙に震えていたが、これは俺が無理やり動かそうとしているからだ。
「ふふ、いいね。俺はお前の、そういう血気盛んな所。そこがいいって思ってんだ」サイファーは座った姿勢のまま動かずに、顔だけ俺に向けて話した。「常に強気に、前に出る。そのスタイルは俺も共感するね」俺の体は動かないままだ。クソッ、どうなってる!?
「しかし、俺も腹が減ってる。お前さんとゆっくり話しでもしていたい気分なんだが……。そうもいかんな。どうも」
机から奴が立ち上がると両手を腰に当てて上半身を傾け、俺の顔を見た。
「……ッ」「そうカッカすんなって。なんもしねぇつってんだろ? 莫迦だな」クソ、俺みてーな喋り方だ。「まぁひとまず、お前は寝てろよ。な?」
腰に当てた右手を、俺の目の前に伸ばした。奴の手のひらが視界の上から降りてくる。手のひらからは、生々しい熱を感じる。
手のひらの真ん中が鼻あたりにくると、俺の意識は途絶えた。
「…………」
目が覚めると、夜が明けていた。夜に寝た時と同じ姿勢で、俺の体はベッドに収まっていた。布団もかぶさっている。だがやはり寝た気には慣れなかった。目覚めたにも関わらず、強烈な眠気がある。……いや、そうじゃない。夜中、サイファーが!?
バホッと布団を吹っ飛ばして立ち上がったが、部屋はいつも通りだった。
「……」
俺はなんとも言えないわだかまりを覚えたものの、しかし奴の痕跡は何もなかった。だが逆に、それが恐ろしかった。
学校ではまたもや授業中に寝まくったが、昨日のサイファーの事は正光にもどう説明してよいか分からず、結局黙っていた。下手な事を言って心配をかけたくないしな……。
−−−−三日後。
俺は正直疲れ果てていた。眠っても寝た気になれないという状況もさながら、またサイファーが現れるのではないかという不安や、オブリヴィオンの侵食に対する恐怖。様々な要因が俺の心身を困憊させていたのだ。まるで起きているようで寝ているような、不思議な感覚。はたまた夢を見ているようで、だがしかし現実。
「…………」
俺は学生服に着替えるものの、朝食を取る事はなくなった。まぁそれは普通でもありえる事なのだが、朝食だけではない。昼、夜と、一切の栄養を取る事がなくなっていたのだ。何故か知らないが、食べ物を見ても食欲が湧かず、逆に吐き気や嫌悪感を抱くようになってしまっていた。拒食症に近い感じはするが……莫迦らしい。俺が、そんな。……だが確かに食い物に関しては、美味そうな匂いがしても腹いっぱいの時にそれを嗅ぐのと同じ感じである。しかし俺は毎度の事腹が減っている。しかし体が受け付けないのだ……。
着替えを終えて部屋を出ると、ソファーにくつろぐサイファーの姿があった。
「よお、登校かい」
「ウ……ッ!?」
お……お前は……また!?
「ハハ、お前大丈夫か? ひでぇツラしてやがるぜ」
奴は両手をパッと開いて俺に言った。だが何故奴がまた!?
「まぁ、いーじゃねーか、んな事」太陽が昇っている状態に見る奴の姿は初めてであった。やはり俺より体格がよく、そして正光よりも身長が高い。しかし、何故か奴の顔色はよく見える……。「顔色がいいですって? そりゃおめぇ、俺は毎日健康的に飯を喰ってるからだ。ホラ、見てみろよ。今日は快晴だぜ」
サイファーがバルコニーへ通じる大きなガラス戸のカーテンを勢い良く開いた。いきなり朝日が俺に照りつけ、一瞬だけ目が眩む。
薄目をしてその方を見ると、奴の姿はなかった。
「……」
なんだ、今のは……。俺の幻覚だというのならば一体、誰がカーテンを開いた。俺はここから一度も動いてはいないのだ。
「…………」
俺にはもはや何が本当なのか分からなかった。ここ最近、毎日のように軽い頭痛がする。空腹感と、しかしそれを解消するはずの食べ物を口に出来ない状況。胃のむかつき、そして今のような、なんだかよくわからない事態……。それらは俺を苛立たせ、集中力を乱し、『俺』という存在自体を揺るがしていた。
「…………斉藤、おい斉藤」
午前の授業中、教師が俺を呼んだ。ぶっちゃけ始めは気づかなかったのだが……しかし、寝てはいないぞ。
「なんでしょう」俺は冷静な口調で言った。「なんでしょうじゃねぇ。お前なに椅子に体育座りしてんだ」だが教師はすぐさま返してきた。確かに俺は椅子の上に体育座りをして親指をしゃぶっていた。
「普通に座ると推理能力が四十%低下するのです」俺はまた反論したが、教師は「探偵か」と突っ込みを入れるような口調で言い、出席簿で頭を叩いた。
授業が終わると、まだ体育座りをしていた俺に正光が寄ってきた。
「おいりゅう……げふんげふん!おい睦月、だ、大丈夫かよオイ……。目の下のクマが進化してるぞ」奴は俺に、長方形の毛玉取りに付いてる小さな鏡を向けた。俺の目の下には、まるで極太マジックペンで書いたようなくまが綺麗に出来上がっていたのだ。
「……」
俺はソレをだまって見ていたのだが……。正光の手がぶれたのか俺の頭が移動したのかは分からなかったが、少しだけ鏡が傾いて俺の背後を映した。サイファーが立っている。
「!?」
勢い良く後ろを振り向くが、そこに奴の姿などありはしなかった。
「うお!? どうした」いきなりの動作で、正光が驚いた。俺は無言で体育すわりをし直して、親指の爪を噛む。
「その癖も止めたほうがいいぜ?」「……連邦軍は僕達をおとりにしているんだ」俺が返答すると、正光がさっきの教師のような口調で「ユーホーマンか」と言って俺をどついた。
「あぁそういやよ睦月。まただ。また昨日の殺し方もあれだった」「……? あれって、なんだっけ」「お前……。言っただろ? 三日前あたりから、イーブルアイから喰われた連中が、前とちがって汚く喰い荒らされるようになったって」
思い出してみれば、確かにそうであった。
「今日のはまぁ昨日ほどスプラッタじゃないものの、ありゃ悲惨なもんだぜ。いろんな部分を喰いながら、まるで死体で遊んでるみたいな感じだ。クソ、えげつねぇ野郎だ」「ふむ」
「しかし、どうもなんか違うんだよな」「何がだ?」「『やり口』よ。なんか俺には……イーブルアイじゃなくて、違う奴がやってるように思えるんだよな。まーもっとも、ただ単にあのアホが暴れたいだけなのかもしれねーが」「……」
この数日間、イーブルアイはずっとこの街に潜伏したままだ。何をするという事もなく、ただ無駄な死人を出し続けている。穏健派の勢力圏内であるこの街に、一体何故留まる必要がある? その疑問は誰もが思う事だった。……だが、俺にはなんとなくわかる気がする。最低な、クソみてーな理由だ。
……俺を、待っているのか。奴は。
四時間目の授業は移動教室だったので、我がクラスメイト達は教室に戻る者とそうでない者に分かれた。俺は寝たかったので教室に戻ろうとしたのだったが、「斉藤先輩!」という聞き覚えのある声に呼び止められた。
「オオォッ!?」
振り向くと、そこには俺の顔にビビッた薬師さんがいた。今日は一人だ。
「ど、どうしたんですかぁ……?せんぱい……」「む、いやまぁ……ちょっと寝不足でよ」寝不足というのは本当の事なのだが、たかが寝不足程度でこんな顔にはたしてなるものだろうか。
「おっとごめんッちゃい」
ドンッ
「うおっ!?」「わっ!?」
正光の声と同時に俺の背中が押されて、薬師さんの顔が俺の胸に当たってしまった。だが二人はすぐさまパッと一歩離れた。……あの野郎!
「おいテメェ!」「愛のキューピットはこんな事しかしてやれねぇ」俺は真面目に怒鳴ったのだったが、正光はニヤケヅラで片目を閉じてベロを横に出し、中指と薬指を折り曲げた手を俺のほうに向けた。クソ、ムカツク喋り方だが……なんじゃそりゃ!?
「それ、この逃げ足の速さをみろ」
やる事やると、両手両足を大げさに左右に揺らす不安定な姿勢で走り去っていった。「クソ、なんて身軽な野郎だ」俺はソレを見てつい相応しいセリフを悔しそうに吐いてしまった。だが実際は普通に走るより明らかに遅いので、ヘタすると歩いたほうが速い。しかもとても恥ずかしい走り方である。
俺は俺で、右手を握り、グググと力強く胸元で唸らせている。
俺が振り返ると、いきなり薬師さんと目が合ってしまった。すっげ恥ずかしッ。というかこの一連のやり取りが非常に恥ずかしい。
たまらず互いに視線をそらしたが、彼女はすぐさま切り出してきた。
「あのッ先輩、どうですか!? えっとそのォ久々に会うし、お、お話しながら、ゴハンでも食べたいなぁって! なぁ〜ッて!!」「……」まぁ、断る理由などないのだが、それにしても元気のよい女の子である。
俺と薬師さんは校舎の外回りにあるベンチに腰掛けた。周りには綺麗な芝生が敷かれており、主に女子生徒達がランチを楽しむ場所である。こういう綺麗な所は、全く持って俺には不似合いな場所だ。
両サイドに二人が座り、真ん中に弁当のフタやら飲み物やらを置いている。長椅子の両端に二人が座っているので、真ん中は結構隙間が空いているのだが……だ、だって。恥ずかしいじゃないか。そんな、一応気になる女の子と、一緒のベンチって!!
こ、こんな時。どうすればいいのだろうか。いつ喋る、いや、いつ話しかけられるんだろう……ッ。
外見は何気ないフリをしている俺であったが、実は最高潮に臨戦態勢であった。まるで戦闘時のような心境だ。隙を見せず、敵の動きを把握して……。だが薬師さんは常に隙だらけだ。
いや、しかし、こちらから攻めるもなにも、一体何をすれば……。
「あの、先輩」「ハィィイイイーーーッ!!」「おわっ!?」俺が中国拳法の使い手が攻撃する時みたいな声で唐突に返事をしてしまったので、彼女は素でビックリしたのか一瞬体を振るわせた。くそ、ミスった。恥ずかしがりすぎた俺ッ!!
「ん、なんかしたのか?」
改めて、俺は冷静さを保ちつつ聞き返す。彼女は俺の顔を少し見ると、何故か気まずそうに少しだけうつむいた。
「あの……最近、先輩全然部室に来ないし……。その、合う回数も減っちゃったから……どうしたのかな、って……」「……」「……え、えへへ。へ、変ですよね? だって私、その、せ、先輩の、あの……な、なんでも、ないのに……」
薬師さんは両手の中でジュースの紙パックをくるくると躍らせた。
……ん!? いやしかし今。確か、『先輩となんでもないのに』と……。
「あ……」「私じゃ、やっぱり、先輩の悩みなんかを、聞けない、ですよね……」「……」
彼女は俺のことを心配してくれているようだった。クソ、しかし……。なんと言えばいいんだ。こんな悩み、いや悩みの域を超えた事態を、薬師さんに言えるはずがない。だが……畜生ッ! 俺は何もいえないまま、黙ってしまった。
ヒョワァーッ
薬師さんの座る方から少し強い風が吹き抜けた。周りの砂やらゴミをつれて俺を通り過ぎ、向こうへ……その向こうにサイファーが立っていた。
「……ッ」
だが、良く見たらいなかった。……なんだってんだよ、これは……。
「……」
明らかに挙動不審な俺を見る彼女の視線が分かった。変に妄想する奴なら、麻薬でも使ってると思われてしまうだろう。だが、麻薬程度ならどれほど優しいものだったか。
しばらく沈黙が続いてしまった。彼女には申し訳ないと思うのだが、しかし会話が見つからない。辛い時間だ。ちくしょう、彼女はせっかく楽しい時間を作ろうと俺を誘ってくれたのに、そんな時に、俺は、……なんて事だよ……!
彼女の好意を無駄にしてはならない。俺が。俺が何とかしなくてはならなかった。
「は、はは。ご、ごめんな、薬師さん」俺は無理に笑ってでも、言葉を紡ごうとあがいた。「なんつーかちょっと最近、色々困った事はあるんだが……。こればっかりは、自分で何とかしたいと思っててよ……。その、別に! 別に薬師さんには言いたくないって訳じゃあないんだ、そうじゃなくて、えぇと、ほ、ほら。正光って、いるだろ?そいつにだって言っちゃいないさ。俺だけだ。俺だけの問題。……そういう感覚は、女の子にはちょっと、分かりづれぇかな……?」
「あ、い、いえ」薬師さんはまるで、俺の触れてはならないタブーに触れてしまったような、とても気まずい様子をしていた。クソッ! 違うんだ!! 困ってもらっては、困る!
「いやいやぁ! まぁなんだ、そのー、クソなんつえばいーんだ? あのー……」「……」薬師さんは寂しそうな顔をしていた。畜生、なんてツラさせてんだ俺! 「あのー……」だが俺の頭はいつもの働きをせず、むなしい程に同じ言葉を繰り返すだけだ。
「あのホラ、あれだ。えぇと……。そう!そういやどっか二人で行こうって前言ってただろ?その予定でも……」「先輩」
薬師さんが俺の言葉を止めた。「先輩っあ、あの……。わたし、ごめんなさいその、先輩の事考えないで、自分勝手に……」
「いや別にいいんだって!」
「あの、でも……。すみません、私そろそろ行きます」
彼女は弁当をサッと持ち上げると、小走りで走り去る。俺は立ち上がって引き止めることすら出来ない。
……最悪だ。最低な男だ俺は。何してんだ俺は……。あと俺のセリフも最悪だ。こんな薬中みてーなツラした男と、いったい誰が一緒に街をブラつこうってんだよ……。
しかし彼女は五、六歩進んだ所で立ち止まった。背中越しにだが、彼女がうつむいているのが分かる。一度だけコチラを振り返ったが……。それから彼女はずっと立ち止まったままだ。
クソッどうする。これはちょっと意味が分からん行動だな……。なんか忘れ物したのか?いやそれなら戻ってくるだろう。女の考える事はわからん。まさか、引き止めてくれ、とでも……?
「先輩」
彼女がうつむいたまま、小さな声で俺を呼んだ。
「!」「先輩……」な、なんだよなんだよ、オイ! 二回目はなんか涙声だしよ畜生!!
こうなってしまってはどうしようもない。俺は薬師さんに急いで駆け寄った。
だが。
バチャッ!
「うおッ!?」
突然くるりと振り返った薬師さんは、あろう事か手に持った紙パックを強く握り、俺にその中身をぶちまけたのだ。
まさかそんな事をされるとは思わなかったので、俺はまともに喰らってしまった。ポタポタとアゴからジュースが垂れて、胸元は濡れたワイシャツが肌にくっついて気持ち悪い。俺は混乱し、何を言ったらいいのか分からない。彼女はその姿勢のまま俺を見ていた。しかし一体何を……。……薬師さん?
……いや、違う。薬師さんはこんなアホな事はしねぇ。だったら、コイツは……!!
俺の両手はワナワナと震え始めた。勝手に眉間に力が入り、怒りがこみ上げてくる。
彼女の口がニヤリと笑った。
「カデンツァアアアーーー!!!」
叫び声よりも先に、俺の左フックが薬師さんのほっぺに食い込んだ。頬骨にこぶしが衝突する感覚と共に、彼女の体が右へ仰け反り、綺麗な髪が宙を舞う。間髪いれず、今度は右ストレートを顔面にぶち込む。並みの人間なら頬骨が折れる所じゃ済まない威力だ。彼女は勢い良く前方に吹っ飛んでいった。
が……。まるで彼女の骨は鉄で出来ているかのように、逆に顔面をぶん殴った俺のコブシがジンジン痛む。俺は一瞬薬師さんの内部が、ターミネーターみたいな機械が入っているような錯覚を覚えた。
「クソが!」
起き上がった彼女目掛け、助走をつけて再度右手のストレートを放つ。
パシンッ
片手で俺の右手が掴まれた。高揚した笑みを浮かべて俺を睨みつける。この顔。殺し合いの最中にこんな顔をする奴は大体、頭のネジが何本かぶっ飛んだイカレ野郎だ。やはり、カデンツァ……!!
グギリッ
掴んだ右手を外側に回され、俺の関節が悲鳴を上げた。「あがァ!?」次に体勢を崩した俺の右足を蹴る。対処できずに俺はその場に転んだ。カデンツァはさらに、仰向けに倒れた俺の首を踏みつけた。のど仏が潰れるギリギリの圧力だ。
「まずひとつ」
首に乗せた足の膝を曲げ、そこに肘を着いて奴は喋りだした。「お前は私の発生に気づかず、インビュードの放った液体をモロに浴びた。その時点でお前の上半身は溶解。お前は死んだ」いき、ぐるしい……ッ!
俺が左手で足首を掴むと、奴は更に力を入れた。「ガッア、ァ…ッ!?」「そしてふたつ。お前はAOすらモリエイトせず、何故か肉弾戦を仕掛けた。無論? インビュードハンターの反発作用に対抗できる訳もなく、今回もお前は死んだ」
ズブッ
「……」カデンツァが表情を変えた。俺がGHをモリエイトし、奴のアキレス腱にやいばをめり込ませたからだ。もちろん、先は折れている。だが根元はいつもの通りの切れ味を誇っていた。俺の首にカデンツァの……、薬師さんの血が、流れてくる。
「……みっつ。お前は莫迦か? またインビュードの液体を体に浴びた。またしてもお前の首はドロドロに溶解。三度お前は死んだ」
ズバンッ!
カデンツァの足首を切断した。ドロッと血が流れ出たが俺は構わず起き上がり、左手で胴体にブロー、右手で鼻と口の間にストレートを放つ。奴は足首から下がないものの、その上の部分だけでそれらの衝撃を難なくこらえた。だが結構揺さぶられている。
正面から首ねっこを引っつかむと、学校の壁まで走ってそこにぶつけた。次いで野郎の首に折れたGHの角を突きつける。
「やってみろよォ! なァ! カデンツァ!! 俺を殺してみろ」「……」カデンツァはうな垂れるようにして俺を見つめる。「できねぇのか!? アァー!?」俺が言うと今度はアゴを上げ、下目で俺を見る。「お前はやれるのか?」「あー、ハハ。そうだな」折れたGHを逆手に持ちなおし、俺は野郎のムカツク顔を真横から切り裂いてやろうとした。
ガシッ
しかし真横まで持ってきた俺の腕を、カデンツァが掴んだ。「……」「……」強引にでも切り裂こうとする俺と、ソレを阻止しようとするカデンツァ。二人は無言のまま、だが相手の目をにらみつけたまま動かなくなる。俺は動きたいのだが、奴がソレをさせない。力の入る右腕だけが無駄にブルブル震えた。
「……ツイン……ッ、ブレード……ッ」
カデンツァの首を掴んだ左手にももう一本GHをモリエイトして、二本目のGHで奴の首をぶった斬ろうとした。しかし今回は奴の空いた腕がGHのやいばもろともを掴み上げ、ソレをさせない。また二人は両腕を振るわせたまま、動かなくなる。
「……ハハ、カデンツァ。俺も、言ってやろうか?」「……」「ひとつ……、お前は最初、俺にジュースぶちまけた時、属性を変えなかった……。そこでお前の評価が一つ落ちた」「……」「ふたつ……お前はっ、俺の首を、へし折らなかった……。また評価が落ちたな。そして、みっつめは……ッ!」
グググッ!
両腕だけAOFを微少に展開させると、カデンツァが力負けして少しずつやいばが奴の顔と首に近づいてゆく。
「……お前が余裕こきすぎて、俺程度のモリエイターから殺されかかってる事だよ……!」
「……睦月、お前は一体、何を怯えているのだ……?」カデンツァが喋りだすと、途端に腕がまた動かなくなった。AOFを展開してるにもかかわらずだ。「死は救済ではないぞ?」「だ、ま、れ、ぇ、ぇぇ……ッ」「睦月。今のようなお前を、私は殺したくはない」「……ッ」「それに、お前のこの剣。……何か、あったのだな……?」
俺を諭すように喋りやがる。その時は本当に殺したいと思った。だが俺の腕は逆に、カデンツァの手によって引き剥がされてゆく。その間、俺と奴はにらみ合ったままだ。
ベギッ!
「あがアァァッ!?」
鈍い音がして俺の両手首が握りつぶされた。両手は変な風にして開き、モリエイトしていた二本のGHが地面に落ちて消滅する。痛みのあまり立っておられず、両手で体を支える事が出来ずに肩から地面に倒れてしまった。
「……そうか、オブリヴィオン。……まさか睦月お前が、こんなくだらんモノにかかってしまったとはな……」
カデンツァが握りつぶした俺の手首の感触を思い出しているのか、自分の手のひらを見ながら閉じて開く。
「しかしな、睦月。そのオブリヴィオンと呼ばれる侵食体。ソイツはお前たちモリエイターが自ら作ってしまった、なんとも厄介な代物だ。人間ごときが、突飛した力を手に入れたばかりに結局は制御しきれず、その力に自我を持たれて本体が喰われる。……皮肉というには莫迦らしいが、だが滑稽というには笑えない力だ」
「……ッ!!」
俺は相当腹が立っていた。みおろされ、みくだされながら余裕をこかれているのだ。だが学校でAOFをフルパワーで展開するわけにもいかず、しかしそうしない状態では痛みが激すぎて、腕どころか肩を持ち上げる事すら出来ない。
かろうじて首を曲げると、向こうから一人の女子生徒が歩いてきた。道にはカデンツァの足から出た血痕がある。普通は遠めからでも分かるようなものだが……ソイツは普通に歩いてきた。だがおかしい。歩き方が規則正しすぎる。
その女子生徒は落ちていたカデンツァの足を拾い上げる。そして、まるでファーストクラスのスチュワーデスがキャビアでも持ってくるかのように、カデンツァのところまで持ってきたのだ。それを足元に置くと、カデンツァが傷口同士をくっつけて治した。「フン」奴が鼻で笑う。すると向こうにあった血痕が霧状になり、空中へと放散した。
インビュードハンターが使う『奇跡』という奴だ。今の女子生徒もカデンツァによって操られているのだろう。彼女は足を置くと何処かへ行ってしまった。
「……さてぇ? どうしたものかね。睦月」
王を前にする騎士のように、カデンツァがひざまずく。何気にスカートなのでそのポーズだとぱんてぃえが見えてしまう。しかし奴の仕草はやけに貫禄があるのだが、くそう、薬師さん。真っ白けだ。
「お前がオブリヴィオンに侵食されるのは目に見えている。現在の状況。お前の精神状態。今後の予想などしなくても分かる」「……殺せよ、どうした。それともお前は、俺がお前を楽しませられないと思ったら、次はオブリヴィオンに侵食された後の俺と楽しもうってこんたんなのかよ……」「莫迦を言え。誰がけがれた魂の愚者を欲するものか」「……」「私はな、睦月。お前に賭けてみたいのだ。お前がオブリヴィオンなどというくだらんモノに果たして勝てるかどうか。勝てたものなら、睦月。その時初めて、私はお前と真面目に殺し合いをしてやってもよいと思える」
俺の頬に手を差し伸べてきやがった。
ガブッ
その手に噛み付くと、野郎の指を数本噛み切ってやった。骨が硬くて困ったが、首をひねって無理やり引きちぎる。
「……」
これは相当な苦痛のはずだが……カデンツァは無言だ。俺はプッとその指を吐き捨てた。
「くたばりやがれ」「……お前は私を挑発して、殺されようとしているのはとうに分かりきっている。フフ、可愛い奴だな。お前は」
言葉こそ『なんて事ない』というような口調であったが、カデンツァはスッと立ち上がると俺の頭をつま先でしたたかに蹴り上げた。無防備なだけに、俺の体は宙に投げ出されて吹っ飛んだ。頭をダイレクトに蹴られたので脳震盪でも起こしたのか、蹴られた瞬間に俺の意識がプッツリ途絶えた。
◆『SPS』(えすぴーえす)
正式名称西木式 Prism Shooter(さいきしき プリズムシューター)
リボルバータイプのハンドガンで、シリンダーに開いた宝玉口に雌結晶を装填。それを雄結晶が装着された撃鉄で叩く事でアストラル弾を撃ちだすCSGの処女作にして代表作。
結晶の呼吸は実際のリボルバーの装填のようにシリンダーを開放させるだけの簡単な方法だが、単純でわかりやすく整備も容易と、現在も絶大な人気を誇る。
初心者から熟練者まで扱える屈指の名銃となった。
開発上の話であるが、本来この銃は『西木式』の開発チーフ『西木博士』が自分の息子と娘にやるために作ったものであり、名前も身内に配る物という事で可愛らしい名前をつけたのだ。(西木ちゃん漫画でそれらのエピソードが語られる)
しかし今までに無い画期的なアイディアとその攻撃力の高さが極めて実用的という事で、改良を重ねて現在のSPSになる。ネーミングは博士の意志により、当時と同じ名前が採用されている。
(えすぴーえす いちはち にーろく よんろく)
名前[SPS 18][SPS 26][SPS 46]
全長185mm260mm457mm
経口12mm14mm16mm
宝玉口3/4/54/5/65/6
SPSのモデル。
『SPS』という名前の最後にある数字は単に全長の事で、名前で大きさがわかる親切設計となっている。
大型に伴い、射撃性能が上がってゆく。その分AOF消費も激しくなるなるため、おのずと使用者は限られてくる。
宝玉口『3/4/5』というのは、シリンダーの換装により変更可能という意味。数が少ないほど連射にかけるが、その分AOFのチャージ時間が増えて威力が増す仕組みとなっている。
[Lモデル]
(えすぴーえすえる いちはちえる にーろくえる よんろくえる)
名前[SPS 18L][SPS 26L][SPS 46L]
全長185mm260mm457mm
経口12mm12mm12mm
宝玉口3/4/53/4/53/4/5/6/7
数字の後に『L(Line)』がついたバージョン。
特殊な雌結晶の装填を前提としたSPSで、『Lモデル・ラインモデル』と言われる。Lモデル専用のシリンダーにより、ロングバレルの46も宝玉口の数が変更可能となった。
トリガーを引いてもシリンダーが回らない独特の作りになっており、宝玉口に様々な雌結晶を装填後、状況に応じて手動でシリンダーを回して使い分けることができる。
ラインモデルの由来は初めてこれを製作した時、撃ち間違えないようにシリンダーを色分けした事から付けられている。ちなみに色分けシリンダーも愛用者はいる。
[Tモデル]
数字の後に『T(Toy)』がついたバージョン。ノーマル・Lモデルの名称の最後にさらにTが添付される。
これについてはそれぞれの性能は変わらないが、外見をおもちゃににせた偽装が施されている。現代社会においてSPSはどこにでも持ち出せるお手軽殺人兵器であるが、外見が実際の材質そのものの色であるため無骨な印象がある。だがこちらはまるで子供の遊び道具のようなパステルカラーで、遊園地に持っていってもなんら違和感はない。もっとも、大人が持っていれば違和感はあるのだが。
モリエイター独特の文化によって派生(着色)した風変わりなタイプ。