09:オブリヴィオン
09:オブリヴィオン
翌早朝、まだ窓の外が薄暗い頃だ。激しい吐き気に耐え切れず目が覚めてしまった。横になってるのが辛くて仕方が無く、瑞穂をどかして上半身を起こした。
「ん……あにさま?」
眠そうな声で聞いてきたが、俺は瑞穂の頭を撫でてやった。しかし……これはやばい。次に自分の腹を撫でたが、限界だ。便所に行ってかがみこむと、いきなり胃の中に入ってたモノがせり上がって来る。そのまま勢いで便器の中に嘔吐した。
「兄様、大丈夫ですか!?」
俺のゲロった声が聞こえたのか、瑞穂が足早に駆けつけて背中をさすってくれた。う、第二波がき……。
「おウエェェェ」
「あにさま……」
それから三度、四度と吐いたが、最後には胃液も出ずに、胃が無駄な躍動を繰り返すだけだった。
「……」
瑞穂は何も言わず、ずっと背中をさすってくれていた。……クソ、最悪だ。かっこわりぃな俺……。
「……瑞穂、すまん」「い、いいえ、そんな」「だ……大丈夫だ……」
俺が片手を上げて「もうさすらなくていい」という合図をしたのだが、瑞穂はそれでも止めなかった。それからしばらくしてだいぶ腹も落ち着くと、俺はゆっくり立ち上がる。
「……はぁ。すまんな」
「兄様、絶対具合悪いですよ……。明日は、お医者さんに行ったほうが……」
「……かもな」
水道で口をゆすぐと幾分気持ちが安らいだ。時計を見ると短い針は四時を指している。微妙な時間だな……。しかし起きているにはあまりにも長すぎる。絶対寝覚めが悪いだろうと思うが、ひとまず布団に戻る事にした。
やはり眠れなかった。うとうとしながら時間だけが過ぎ、窓の外が明るくなって行く。とうとういつもの起きる時間になってしまったが、やはり同じだ。体がだるい。
「兄様、どうですか?」
瑞穂が起きて俺に聞いてきた。
「……駄目だ。ねれねぇ」
「おわ、兄様、すごいクマできてますよ……」
「うーむ……」
結局今日は休む事にした。正光に携帯でメールを打ち、また布団に潜り込む。腹は減ったが、さすがに飯を喰う気分になれなかった。瑞穂が気にしていたが、今回ばかりは真面目に喰う気がしない。
「兄様? 昼になったらまた来ます。それまでゆっくりしてて下さい」
「あぁ」
一通り家の仕事をし終えると、瑞穂はバーわけありへと向かった。
それから俺はようやく眠る事が出来た。全く怠慢な事であるが、八時、九時頃になると何故か眠気が押し寄せてくる。その後、瑞穂から起こされるまで熟睡していた。
「どうです? 眠れましたか?」
「んむ……」
寝ぼけまなこで時計を見ると、午後一時だった。うーむ、気分的には数十分くらいしか寝てない感じだ。
「あ、寝れるようであれば、まだ寝ててください。ご飯はどうします?」
「ん……くう」「うん。わかりました」
吐き気は引いていた。体のだるさもかなり治っている。しだいに台所から美味そうな匂いがしてきたので、俺はリビングへ出てきた。まるでエサに釣られてやってきた動物のようだ。
昼飯はうどんであった。小さなのどんぶりで喰っていたが、意外に食欲が湧いてきて何度かおかわりした。しかしまた吐く事を考えると、あまり喰わない方がよかったのかしら……。
「いや、助かるな……瑞穂」
「いぃえ〜。とんでもない」
そう言うと、なんでもないように笑う。
「動けそうですか?」「あぁ。今なら大丈夫だ」「よかった。それじゃ、お医者さんの所に連絡していいですか?」「頼む」
それから俺は出かける準備をして、予約した時間まで撮り溜めした番組を見ていた。そしてその時間になり、マンションの外へ出ると、何故かチャコが車で待っていた。
「(いよう)」
「(あ、すみません。待たせちゃいましたか……?)」
「(いんや、あちきも今来たばっかだ。一服つけようと思ってたんだが、オミャーが早すぎんだよ)」
「(ありゃば)」
全く英語で意味が分からん会話だ。っつーか瑞穂、ありゃばって英語でも日本語でもありゃばだろうが、なんでかっこ書きされてんだよ。わざわざ英語口調で言いやがって。
「なんだよ、別に迎えなんていらねーだろうが」
「そんなぁ。朝方のあんな様子を見たら、兄様を歩かせるわけにはいきませんよ。それに、チャコも暇だったみたいで、丁度よかったんです」
「暇ってかよ。うーむ」
「(ほら、早く乗んなよ。出すぜ)」
車に乗り込み、いっこうはD3センターを目指した。
普通の病院でも問題はないのだが、D3センターのほうが行きなれているし、なにより俺たちモリエイターは予約待ち無しで診察を受けれるのだ。そして近場のD3センターというのが、おとといまで俺が寝ていた耶馬雌病院である。ここは一般的に言えばD3センターではないが、裏ではその系列店なのだ。
「(しっかし睦月よー、なんだっていきなり具合悪くなったんだお前? だらしねーなぁ)」「あぁ? 何言ってっかわかんねーっつーの。逆にチャコ、テメェはなんで暇なんだよ? 仕事しろっつーんだよクソ」「(あぁ? 何言ってっかわかんねーよ莫迦が)」
「あ、あうあう……」
道中、煙草をくわえたチャコが俺の名を呼んでなにやら言っていたが、結局言い返しても二人して意味が通じていなかった。瑞穂だけが二つの会話を聞き分けて、難しい顔をしていた。
「兄様、えっとですね。なんでいきなり具合悪くなったんだ、ですって」
「なんで具合悪くなったんだですって? クソ、俺もそれが知りてーっつーんだ」
「うーむむ……。(チャコ、えっと、兄様も分からないんですって)」
「(分からねーですって? ったく、シケてやがんな……)」
半分だけ下げた窓の外に、フゥーと紫煙を吹く。道路は混雑しており、少し進んでは止まってを繰り返していた。
しかし、自分でも何故こんな体調になってしまったのか本当に分からなかった。昨日の殺しの現場を見てからか?いや、それより前に、確か朝からおかしかったはずだ。
「……」
考えられるとすれば、イーブルアイとの戦闘でだ。その後のオーガ戦でくたばりかけたが、まさか泉さんから治してもらったのが悪いなんて事はありえないはず。多分、奴との戦闘がきっかけであろう。奴は……やつは、俺が元からDSPであるという事を知っていた。
それは本当の事だった。確かに俺は、自分の中に違う何かがあるという事を自覚していた。それは俺がモリエイトするGHが完璧に物語っている。俺のGHは透明な緑色なのだが、別に色を意識した事は一度もなかった。俺の中の『何か』が、GHを着色しているのだ。自分がモリエイトするのだから無論の事、色や形は自由自在に変形できるのだが、俺には何故かこれだけは変える事ができない。それこそ、まるで自分の意思に反するもう一つの意思があるように。
俺はそれ(色を変える事が出来ない事)が、オブリヴィオンのせいではないのかと今まで気がかりであった。だが今回の件で、どうやらそれが本当らしいというのを今頃になって悟り始めていた。それにDSPであったとするならば、今までの俺の異常なまでの殺しの衝動や、物事に対する無関心さの説明が付くのだ。
オブリヴィオンには陰性、陽性がある。それは専門のモリエイターが検査しなければ分からない事なのだが、実際のところオブリヴィオン感染者というのは少なくない。
陰性の場合、魂の分裂化や肉体の変化は起きず、本人の思考や性格にも影響は無い。しかし『爆弾』を抱えている状態であると言える。
陽性の場合、イーブルアイのようになってしまう。次第に己を忘れ、破壊の限りを尽くす。
俺は入隊当初に検査を受けたが、オブリヴィオン反応は陰性であった。どうやら生まれながらにして感染していたらしく、すっかり全身が犯されていたようであった。だが先天性であったのが幸いし、免疫というか調和というか、俺の魂には適応力が備わっており、上手く共存しているらしかった。
だが今回。ちくしょう、俺がGHを折られて自信喪失したところに付け込んで、潜んでいたオブリヴィオンがここぞとばかりに動き出したのか。イーブルアイは「目覚めさせてやる」と言った。同じ感染者同士、共鳴したとでも言うのか。笑えない冗談だ。
流れる窓の景色は耶馬雌病院に近づいていたが、考えるうちにだんだんと恐ろしくなってきた。もし陽性と診断された場合、俺はどうなってしまうのだろうか? D3センターへ送り込まれ、拘束され、進行する過程を観察されるだけの実験素材にされてしまうのだろうか? それとも殺される?
「…………」
嫌な動揺が体を覆っていた。戦闘により殺されるのとは違う、もっと嫌な動揺だ。まるで死刑判決を受けた犯罪者が、処刑場へ行く気分のようだ。車の進む速度はゆっくりで、それがじれったく思えた。しかし逆に、このまま病院へ着かないで欲しいとも思える。とにかく病院に着けば、俺は必ず嫌な思いをするだろうと何故か思えた。
「(うっしゃ、到着だ。ベイビー)」
だだっ広い駐車場へ車は到着してしまった。「あぁ……」俺は何ともないような返事をしたが、どうなってしまうのかと気が気ではなかった。だがもはやこうなってしまった以上仕方が無い。それに思い過ごしという事も考えられるのだから。しかし俺の同様は収まらなかった。
緊張したまま正面玄関をくぐったのだったが、病院内の雰囲気がいつもと違っていた。何と言ったらよいか分からないが、空気が違うとでも言うのだろうか?
「(……なんだ? なんか変じゃねーか?)」チャコが受付周りを見回して何か言った。「(病人しかいねぇ場所にしちゃ、空気がやけに活気づいてるな……)」言い方やそぶりからして、彼女も妙な感じを察したのだろうか? 病院特有の薬品と老人の匂いはするものの、しかし妙な事に、まるで運動場にでもいるかのように、何故かハツラツとした気分になってくるのだ。
瑞穂がチャコの言葉を翻訳してくれたが、俺もまさにそんな感じの事を思っていた。
受付で瑞穂は予約を確認した。っつーか別にそこまでしてくれなくてもいいんだが……まぁ楽だからいいや。
俺とチャコは瑞穂の後ろで待っていた。何気なく周りをぐるりと見回していると、突き抜けになっている二階の通路に着物姿の女が目に入った。まるで瑞穂みたいな印象だったが、その女は瑞穂より遥かに身長が高い。どうやらソイツもこっちをチラリと見たようであったのだが、何故かソイツがエスカレーターを駆け下りてきた。な、なんだよ。またこのパターンかよ。俺は知らんぞ。
「み、瑞穂」「ん?」俺は瑞穂を呼んだ。「なんか来たぞ」
「え? ……あぁ!?」
「みずほ〜〜!」
「翔子!」
向こうから走ってきた俺より身長の高い女……いや少女は、瑞穂の知り合いであるようだった。瑞穂も相手の名を呼び、二人駆け寄って可愛らしくぴょんぴょんと跳ね合った。
「うわ、うわ、なんで!? なんでここいんの!?」翔子と呼ばれた少女……いや、なんだ? いいや女で。まぁソイツが嬉しそうに言った。「それはコッチのセリフよぉ〜んもう!なんで!?」瑞穂も返している。
「(なんだぁ?)」「……なんだこれは」俺とチャコは似たような事を日本語と英語で言った。
瑞穂の知り合い。という事はつまり…………。……なんで戦花が、ここにいる。
「あの、兄様? えっとですね、この人は戦花の、翔子ちゃんって言います」
「始めまして。戦花所属の、菊池山翔子と申します」
「あ、あぁ……」
「おわ、もしかしてねぇ瑞穂、この人がアンタの言ってた、お兄ちゃん?」
「お、お兄ちゃんだなんて……んもーここでそういう事言っちゃ駄目なの!」
俺は他人の年齢を判別するのが苦手ではあるが、一応瑞穂よりもこっちの女のほうが年上のように感じられる。俺より上か下かはわからん。しかしチャコとどっこいの身長は驚きだ。何喰ったらこんなでかくなるんだ? ……いや、そうじゃないだろ。菊池山は英語でチャコにも挨拶していたが、俺はそこに横槍を入れた。
「なんで戦花がここにいる。お前らは里から出てこねぇはずじゃねーのか」
さっきまで瑞穂と和気藹々(わきあいあい)話をしていた所申し訳ないが、俺は少々ツンツンした口調で言った。菊池山は俺を見ると、真面目な顔になった。それこそいつぞやの瑞穂みたいく、上の者に対する凛然とした態度だ。まぁ俺は上でもねぇけど。
「はい。通常、戦花は里を守護する任に当たっています。しかしこのたび、二十五代目紫電様がこの地区に不穏な空気があると察知され、その事で訪問に参りました」
「……」
二十五代目……なんでだ!?
「無論、普段であるなら、地方の分隊に全て任せておくはずです。ですが今回は、調べによるとイーブルアイ、我剣流の継承者である不動豪による騒ぎ。我剣流にまさるすべは、飛影剣のほかにありません」
「……あぁ!? なんだとテメェ!」
口と同時に体が動き、菊池山のむなぐらをグイと掴んだ。戦花ってだけでもムカツクのに、その言い草ってか!?
「(ヘイヘイ睦月ヤメロよ! かっこわりぃぜ)」
後ろからチャコが俺を無理やり引っ張り、奴から引き剥がした。「くっ……」俺はもっと毒を吐きたかったのだが、たかが一般兵にぼやいた所で仕方が無い。腰の辺りで右手にこぶしを作り、指先に力を入れながら開いて閉じる。
「す、すみません……。私の口からは、こんな事しか言えなくて……」
菊池山は表情を崩し、申し訳なさそうな顔をした。我剣流と聞いた途端、ついカッとなっちまった。畜生ミスったな。俺が悪役だ、クソ。「……いいや、いい。すまん、ムキになっちまった」「……」俺が謝ると、またもや困った顔をした。
「んじゃまぁ、瑞穂。この際だ。お前は紫電のクソにでも会って来たらどうだ?」
「え!?」
「俺は普通に診療受けにいくからよ。今のうち行っとけよ」
「で、でも……。……」
「む……」
瑞穂のほうを向いていたら、いつのまにやら誰かが近づいてきていたようだった。俺と瑞穂は同時にそっちを向く。そこには菊池山と似たような着物姿の女が立っていた。こいつは……。
「ここは病院だぞ、貴様……場をわきまえるという事を知らんのか」
俺が菊池山にやったのと同じく、その女は俺のむなぐらを凄い力で掴むと、顔を近づけてそう言って来た。
「んだと……っ」
バシンッ。
今の俺は何故か気性が荒い。コイツの腕を片腕で弾くと、逆に同じ事をし返してやる。
「テメェ、戦花ってだけでその態度か。あぁ? そんだけの事でデケーツラしてんじゃねえぞ、このクソ野郎……」
「あ、兄様! 止めてください!」瑞穂が俺の服を引っ張った。だがチャコの時のようにはならない。「その方は次期紫電となられる方なのですよ!」
「次期紫電……?」俺から嘲笑が沸き起こった。「ッハハ、だろうと思った。お前か、皐月」「……」コイツの名を呼ぶが、皐月は俺を睨んだまま目を離さない。「どうしてこうも『おてんば』に育ったもんかね……? ったく、親の顔が見てぇってもんだ! あぁ?」
いきなり俺のみぞおちを皐月が殴った。
「オルソン!」
たまらず皐月を突き飛ばして腹を抱えたが、奴は何事も無かったかのように襟袖を直す仕草をしただけだった。ちなみにオルソンとは俺のダメージボイスだ。
「お前のその『げせん』な態度も変わってないようだな、睦月。二度も言わせるな。場所をわきまえろと言っている」
お前……わきまえろとか言っときながら、問答無用で突っかかってくる奴があるかよ…………。クソ、腹がイテェ。息苦しい。
「(おい、クソガキ)」
チャコがプリズムシューターを抜いた。十四ミリの銃口が皐月に向けられている。
「(ウチの仲間に手ェ出しやがったな、テメェ)」「(あら、失礼。あなたにも言うのを忘れていました。場をわきまえて下さい)」「(あー?)」チャコの目が引きつった。皐月の莫迦が……、この女は俺と違って、『マジでやる』んだぞ……。
「(銃は剣よりも強しと言うぜ)」「(ではどうぞ? 試してご覧なさい。その代わりあなたの右の人差し指が、三つに分かれる事になります)」「(上等じゃねーか、カス野郎)」まずいな、一触触発だ。
その時、モリエイターにしか分からないこの場所のアストラル体がいきなり質量を増した。グンと体が重く感じ、地球の重力が突然強くなったような錯覚を覚える。
これだけのアストラル干渉をしてやれるのはエルベレスにもいない。ひときわ質量をもった位置を全員が見ると、そこに長い髪をして、豪華な振袖を纏う三十代そこらの女が立っていた。みやびな色彩が鮮やかな、綺麗な着物である。こいつは。
「二十五代目……」
思わず口からその名が出た。奴は『二十五代目紫電』……俺は奴と目が合ってしまい、ゾクゾクと背筋が凍りついた。
ゆっくりと二十五代目は俺たちに近づいてきた。だがアストラル体の質量は依然として変わらない。なんでそんな風に自然体でいられるのかが不思議であった。チャコもたまらずプリズムシューターをおろした。
「……あなた方は、エルベレスの方ですね? 部下の不手際を、わたくしに免じて許して頂きたい」
二十五代目は全員に目を流すと、ゆっくり頭を下げた。皐月の野郎はあわてて二十五代目に近づく。「紫電様! 違います!」だが二十五代目は実にゆったりした動きで皐月を見る。
「管轄が違えば立場も変わります。皐月。あなたは何をしているのです?」「……っ!!」奴は何も言い返せない。ヘン、ざまいいぜ。「し、しかし、向こうから先に……!」「まさか、やられたからやり返したとでも?」的を射た彼女の言葉に、皐月はまたしても言い返すことが出来ずにいた。うひひ、いい気味だぜ、ったく。
「二十五代目。いいんだ、俺が先に手ェだしたんだ。あんたが頭を下げる事はねぇ。こっちがわりぃ。すまん」
俺はここぞとばかりにでしゃばった。凄い形相で皐月が睨んできたが、しらんぷりする。俺がチャコにも謝るように腕で仕草をすると、チャコは舌打ちしながらもコクリと頭を下げた。ナイスだー。
アストラル体の質量が元に戻ってゆくのを感じる。二十五代目が俺のほうを向いた。長い髪がゆらりとなびいて、ただ振り向いただけの仕草にもかかわらず、その姿はとても美しかった。
「……睦月……。久しぶりですね」
なぜかは判らなかったが、二十五代目が少しだけ笑ったような気がした。「あぁ」俺は恥ずかしくなり、適当に返事してすぐ横を向いた。
「しかし、どうしてあなた方がここへ来たのですか?」「それは……」二十五代目の言葉に瑞穂が反応したが、何故か彼女は瑞穂に手のひらを向けた。言わずともよいという感じの仕草だ。
「病院へこなければならない理由があったのですね?」「……見舞いだよ、友達のな」適当な事を言って、探りを入れただけかもしれない。俺はうそをついた。
「……睦月、あなたの事で、ですね?」二十五代目が俺を見た。……なんで、知ってんだ。「はぁ? 何聞いてんだよ……。田舎暮らしで耳が遠くなったんじゃねーのか? ミミカスの掃除ぐらいしろよ」俺はごまかしたが、二十五代目は俺から目を離さない。
「あなたの炎を見ればわかります」
真剣な顔で、二十五代目が俺を見る。……コイツには、見えているのか……? 不思議な威圧感により、さすがの俺も言葉が出てこなかった。
「……大丈夫です、睦月。私に任せなさい」しばらく紫電は俺を見ていたが、ゆっくりと言った。「来なさい。私が見てあげます」そして体を横に向け、俺についてくるようなそぶりをする。……どうやら、全部お見通しのようだ。ムカつく話だがな。
「紫電様?」
皐月の野郎はわけがわからないといった様子だ。
「皐月、翔子。二人は持ち場に戻りなさい」
フン。いい気味だね。莫迦め。
「瑞穂と、……」「チャコだ」二十五代目がチャコを見ていたので、俺が教えてやった。「あぁ、ありがとう。(瑞穂とチャコさん、申し訳ありませんが、睦月をしばらくお借りします)」二十五代目は流暢な英語でなにやら言った。クソ、どいつもこいつもなんで英語を喋れるんだ。
「(まぁ何やんのかはしらねーが、どんくらい時間かかるんだい?)」チャコが聞いてきた。「(そうですね、数十分程度だと思います)」「(ふむ。早いトコ済ましちくれよ)」
「紫電様、あの……」今度は瑞穂だ。「あの、あにゅんみゅ……む、むつきさんは、その……」
「大丈夫です、瑞穂。大丈夫」「……はい」
しろどもどろの瑞穂に対し、二十五代目はやんわりと微笑んだ。そして紫電は受付で俺の予約についてなにやら手続きする。
「……さぁ、行きましょうか、睦月」
「あぁ」
どこへ行くのかは分からなかったが、俺はその後について歩いた。エスカレーターを上がり、二人きりで二階の廊下を進む。
「しかしよぉ、二十五代目殿」「ん?」俺が問うと、二十五代目が少しだけ顔を向けてた。その返答はさっきと違って、まるで同僚や友人と喋るようなトーンだ。
「なんでアンタみたいな人が、こんな辺境の地に来てんだ?戦花が来るなんて事、なんも知らされてないぞ」「辺境だなんて。ここは地理的にも重要な場所なのですよ?」「その辺はまぁスルーだ」
「六日前、この出来根市で起こったストラクチャー戦で、イーブルアイが姿を現したとの情報はこちらにも届いていました。そしてその後、まだこの出来根市に潜み続けているという事も。彼は我々の討伐対象ともなっています」「……」
たいした事でもない気がするが、俺は二十五代目がイーブルアイの事を『彼』と呼ぶ事が気になった。やはり知ってる人間であるからなのだろうか……?
「しかし、討伐対象ったって、ほかに腐るほどいるはずだ。普通に考えて、俺みてーな頭のわりぃ一般兵が考えても、紫電様じきじきにお出ましな事態では無いはずだが?」「まぁ、あなたが一般兵だなんて。それは大きな間違いだわ。私はそうは思っていませんよ? 睦月。あなたはエルベレスという精鋭ぞろいの部隊に所属している身だし……」「あぁ、うるせーな。違うだろ、そんな事聞いてんじゃねーよクソ」
イラつきながら喋る俺に対し、潤った笑みを浮かべながら見ていた。くそ、コイツは真面目に答える気がねーのか。だが二十五代目は言葉を紡いだ。
「そうですね、確かに私が自ら動くという事は通常、ありえない話のようですね。でも実際は、結構色々な所へ出向いているのですよ?」「……そうなのか?」「えぇ。まぁ、そういう情報はあまり、外には出さないようにしてるから……。と言っても、里を出るのは年に数回くらいしかないから、やっぱり、出てない事になるのかな」「ふむ……」
苦笑しながら紫電が笑った。こんなにおっとりした奴から、皐月みたいな奴が産まれてくるなんてな。人ってもんはわからんものだ。
俺と二十五代目はそんな風にして会話していたが、会ったのは実に数十年ぶりだ。俺にいたっては子供の頃に別れて以来である。しかし見事に違和感無く会話できていた。もうあの時見た夢の中の二十五代目は思い出せないが、ここにいる彼女はまさにあの頃のままであった。昔の俺には分からなかったが、実際の二十五代目はかなりの美人だったはずである。この美しさでさらにはエーテルドライブを使えると来たもんだ。やっぱ代々続く家系って奴には、かなわねぇもんだな。
「睦月、あなたは大きくなりましたね……」しんみりと言う。「クソ、うっせーな……」「うふふ。でもあなたは私にとって、家族のようなものですからね。女しか生まれない家系に、あの時あなたは、その中で唯一男の子で。私、とっても嬉しかったわ」「クソめが。うっせ」
コイツは二十五代目紫電というばかデカイ肩書きはあるものの、一応一人の娘を持つ母親でもある。しかし紫電である事を忘れると、すぐこれだ。
「っつーかよ、そうやって俺ばっか見てっから、皐月のアホがあぁもじゃじゃ馬に育っちまったんじゃねーのかよ」「あら」「あらじゃねっつーの。毎回このパターンだ。もし皐月のアホがここにいたら、ぜってー病院出たあたりで、なんか奇襲されんだ」「う、う〜むむ……」二十五代目が難しい顔をして唸る。というか、今の姿は紫電ではなく、子育てに悩む普通の母親のようだ。
「で、でも、皐月は、あの子はなんていうか、自分からなんでもする子だから……。なんて言えばいいのかしら、えっと……私が言うまでもなく、勝手にもうしてるっていうか……」
「……なんつーか。皐月のアホは二十五代目に、自分を見て欲しいからそうやってがんばってんじゃねーの? ホラ、俺ばっか相手してたからよ、昔」「そ、そうなのかな……?」「……誰でも見りゃわかったぞ。昔のあんたは」普通の母親っていうかなんつーか……駄目な母親だなオイ。
「う〜む、睦月は賢くなりましたね。えらいえらい」二十五代目が俺の頭を撫でてきた。「あぁんもう! やめろっつの! そういう事ばッかしてっからだっつーに!」俺はたまらず手を払い、怒鳴った。
「俺は確かにアンタに育てられたようだが、アンタの子供じゃねーって事だよ! そこだ! そこが俺も皐月も、かなり気にしてた所なんだよ!」「うっ」「いいか? さも由緒正しき紫電の家系であるアンタが、どこの馬の骨ともしらねー俺みてーなガキをかわいがってたら、その家系のモンはどう思うよ!? なおの事、アンタの子供である皐月は、どう思うよ!? えぇっ!? あァァー!?」
二十五代目は困った顔で小さくなった。ってか、なんで俺が紫電という凄い権力を持つ奴相手に、説教たれてんだ? 意味がわからん。二十五代目はしょんぼりしてうつむく。……紫電というよりは、やはり一人の人間として、俺と向き合っていたのだろうか。いや、それにしても年齢差がありすぎるぞ、二十五代目よ。
「だ、だって。睦月がかわいくて……」
「…………。まぁ、俺を慕ってくれるのは嬉しい事なんだけどよ。俺が皐月の立場だったら、かなりムカツクと思うぜ。だって自分の親がその子供よりも、あかの他人を見てるんだからな。そりゃブチ切れしてもおかしくねぇ」「でも、私はちゃんと皐月だって……」「……二十五代目の感覚はよくわからんが、なんつーのかな。やっぱまず俺よりも、自分の娘を先に見てやったほうがいいって事だ。それこそ、俺のほうをおろそかにするくらいが丁度良かったんだと思う。そうしてたら多分、あのアホにも仏心ってもんが芽吹いていたかもしれねーしな。今のあいつはただのアホだが」「うぬぬ……」
「まぁ今となってはどうしょうもない事なんだけどよ。今後、アイツの事をいっぱい褒めてやったらどうだ? あのアホ単細胞だから、たぶん超喜ぶと思うぞ」
「……睦月、あなたは本当に、立派に成長しましたね……」
「……」
またもやしんみりと言った。だめだこりゃ。
俺と二十五代目は狭い診療室のような部屋へ来た。医者が使う机の椅子に二十五代目がすわり、それに向かって俺も丸い椅子に座る。彼女はフゥと息を吐き、あらためて俺を見る。その表情は紫電としての顔つきに変わっていた。俺も気持ちを切り替え、気を引き締める。
「さて、睦月。……大槻さんから聞きました。イーブルアイから剣を折られたそうですね」
いきなり一発目からそれだ。クソ。しかしいつ師匠から聞いたのだ? まぁ俺の知らないネットワークが二十五代目には無数に存在しているのだろう。
「あなたの体は、どこも悪くありません。しかし、魂を包むエーテル体がとても不安定になっている……」
俺の耳のあたりを手のひらで包むと、そこから頬と首、肩へ手を添えていった。つがい石の同調測定の時みたいな感じだ。難しい顔をして紫電が俺を霊視している。
「…………」
またもや俺の頬に手を当てて、しばらくの間黙りこくった。
「……睦月……。あなたの中に、ちがう何かを見つけたことは、ありますか……?」
その言葉を聞いた時、意味を理解できなかった。しかし数秒間考えると、それがわかった。オブリヴィオンの事だ。そう、感染者であるからこそ、その意味が理解できたのだ。
「……オブリヴィオンの事か」
「そうです」
手を離した二十五代目は椅子に座りなおす。
「まずい事になりましたね、睦月……」「やばいのか」「……私とてこんな事言いたくありませんが、明らかにオブリヴィオンが侵食を始めています」
「マジかよ……」
体からサーッと血の気が引いていくのを感じた。いきなり回りの温度が下がり、軽い眩暈がする。
「既に、エーテル体は犯されてしまっています。魂は今の所なんとも無いようですが、このまま汚染されたエーテル体に触れ続ければ、必ず侵食されてしまうでしょう……」
「……ッ」
朝の胃のむかつきや、あの時の血の匂い。俺は頭を抱えた。なんてこったッ、くそ! 二十五代目は何ともいえない様子で俺を見ていた。
「睦月、睦月聞きなさい」手のひらで俺の頭から頬をゆっくり撫で下ろし、そして肩に置いた。「あなたは強い子です。だから、諦めてはいけません。絶対に」強いまなざしで俺を見る。だが俺は何も言えなかった。どうしろというのだ……。
「いいですか? 睦月。オブリヴィオンに侵食され、たとえDSPになったとしても、それに打ち勝った者は少なからずいるのです。例えば、あなたの近場の人間で言えば、アストラルガンナーズのホイットニー・グレンジャーがその一人です」
「……マジかよ」
「彼女は昔、オブリヴィオンに侵食されましたが、強い意志を持つ事でそれを跳ね除け、逆に自らの力に変えたのです。会った事はありませんか?」
「いや、ないな。名前はよく聞くけど……」
「……強い意志を持っていれば、必ず勝てるのです。だから、睦月。諦めてはなりません」
俺に触れている手に、一瞬だけ力が込められた。そして二十五代目は手を引き、自分の膝へ戻した。
「強い意志ったって、わかんねぇよ……」俺の正直な答えだ。「……」さすがに彼女も何もいえない様子だ。こればっかりは、俺がどうにかするしか無いらしい。クソ。
「……もし、このまま侵食が続けば、どうなる?」
「……次第に、自分が抑圧している衝動が抑えられなくなります。そして、それらをやらせようと、違うもう一人のあなたがささやきかけてくるはずです。最後には、そのもう一人が体を乗っ取り、それらをおこなうでしょう」
「…………クソ、最悪だ……」
「睦月。だから、だからです。聞きなさい」
やけに感情的になった二十五代目が俺の両肩を掴んだ。長い髪をサラリと揺らしながら、綺麗な顔を俺の間近に近づけた。
「意志を強く持つのです。睦月。あなたには、それができます。必ずできるはずです。だから、絶対に負けてはなりません。絶対に」
「できるったって……」「できますとも。あなたは……。……あなたは、強い子です」両肩を掴む手にグッと力が込められた。
……二十五代目は俺に、自信を持たせようとしてくれているのか……。クソ、ありがたい話ではあるが……。だが結局、オブリヴィオンの侵食は本人のそれ以外に食い止める方法が無いという事だ。紫電ほどの奴ですら、相手を励ます以外にしてやれる事が無いのだから。
「……わかったよ。二十五代目」「……」「なんとか、やってみるよ」自信は全く無いが、こう言うしかあるまい。
彼女は名残惜しそうに両手を離し、また椅子に座った。だが表情は難しい顔のままだ。
「二十五代目、そんな顔すんなよ」「……」
「もし俺が完璧に汚染された場合、俺はどうなるんだ?」「……それを、私に言わせるのですか……?」「……」
聞くまでも無い。奴と同じだ。それかもしくは、事前にD3の連中が俺を連行し、その後一生、生き地獄を味わう。
「まぁ、俺がいなくなれば、皐月も安心するだろうよ」「睦月っ」椅子を寄せて紫電が俺の手を両手で握った。「そんな事を言ってはいけません」「……でも、そうだろ」
「違います、そういう事ではありません。自暴自棄になるという事は、すなわち己を忘れるという事です。それこそ、オブリヴィオンの進行を早める事に繋がるのですよ」
「……」
「まさか、こんな事になるなんて……」
俺の手をギュウッと強く握り締めた。二十五代目は本当に俺のことを心配してくれているようだ。……だが、畜生。こんな立場にいる奴すらも、悲しませる結果になるってのかよ……。そんな事ちっとも望んじゃいないが、しかしながら現実は、かなり最悪な方向へ向かいつつある。
「D3の連中には、オブリヴィオンの反応が陽性だって事、言うのかよ」「……あなたは、どうして欲しいですか?」「……」
黙ってしまった俺を見て、彼女は笑った。といっても、やはり辛そうな笑みであったが。
「安心しなさい、睦月。私に、全て任せなさい。あなたは、侵食に勝つ事。それだけを考えなさい」
さとすようにしてそう言うと、また俺の頭をゆっくりと何度も撫でた。俺にはそれを振り払う気力すら沸き起こらなかった。
それから俺と二十五代目は部屋を出た。最初にいた場所まで戻る途中に、談笑する瑞穂と菊池山の姿があった。
「あばっ!? し、紫電様!?」「ありゃ!?」二十五代目の存在に気づき、二人は同時に驚いた。何気に驚き方も似ているので、どっちがどっちだか文字媒体では分かりづらいが、最初の方が菊池山だ。
「あ、あの、違うんですこれはっ! 一通りお仕事は完了したので、それで、今、話し出したばっかりだったのでっ、あのぉーーッ!」「うふふ。いいのよ翔子。瑞穂とはこれから、滅多に会えなくなる訳ですからね。構いません」「は、ハハァーー!」ふかぶかと菊池山はお辞儀をしたが、返事は殿様にするみたいなやつだった。
「あのあの、紫電様。あにさみゃあじゃば。ゲフン! ……むちゅきさんは、どうだったのでしょうか?」何も知らない瑞穂が二十五代目を見上げた。しかも俺を名前で言いなれていないのか、野郎、咬みやがった。「大丈夫。言ったでしょう? 何ともありません」二十五代目はにっこり笑ったが、心なしか元気の無い笑顔であった。
「……今の所はな」
俺がそう付け加えると、二十五代目が俺を向いた。俺はそれを無視するように、体を菊池山の方へ向けた。
「あーあの、さっきはマジですまん。手ェ出しちまって……」「えっ! あぁ!? いえそんな、滅相も無い!」菊池山は両の手のひらを俺に向け、左右に超振動させた。「いや一応、謝っておかねーと気がすまねえんだ。わりー事した。すまん」「うーむむ、は、はいぃ……」
あの時の俺はどうかしていた。しかもコイツは瑞穂の友達みたいだし、そんな奴に手を出してよいものか。俺が頭を下げると、困ったような感じではあったが、菊池山が返事をした。うし、これでスッキリしたぞ。
しかし戦花の連中ってのは、性格が極端じゃねーのか? 瑞穂や菊池山みたいな奴もいれば、皐月みてーな『あばずれ』もいやがる。まぁコミュニティーってのは、どこもこんな感じか。
……っと、皐月の名を出した途端、向こうから取り巻き二人を引き連れてあのアホが現れやがった。鋭いつり目で俺を睨みながら、ツカツカと歩いてきやがる。クソ、どこのツンデレだお前は。ツンデレでもねぇ、ただのツンだお前なんか。このツン野郎。ツンケン野郎。
「紫電様。丁度よい所に。ただいま全ての工程が終了しました」機械的な口調で皐月が言った。「そう。ありがとう」「……紫電様が途中で作業を中断なされたので、若干時間をロスしましたが」「あら、ごめんなさい。でも、皐月が済ませてくれたのでしょう?」「無論です」「ありがとう、皐月」「……」
普段からこうなのか、さっき俺が二十五代目にアドバイスしたからこうなのかは分からないが、皐月は少しだけ困った様子だった。てれてんの? お前てれてんの? え? マジ? 莫迦くせ。
「それと、紫電様。実は一つお願いがあるのですが」「なんです?」「ここにいる睦月。コイツと久しぶりに、手合わせをしたいと思いまして」
皐月が俺を見た。
「あぁ?」「もっとも、コイツにやる気があればの話ですが」なんかムカツク言い方だな。
「何を言うのですか皐月。なりません」「コイツは『友達の見舞い』に来たのでしょう? そしてそれも『どうやら終わった』ようだ。私どもの手も空いている。それに、こんなものはちょっとした余興ですよ」二十五代目は即座に否定したが、皐月のクソは俺を見たまま喋り続けた。しかも最後のほう、挑発するように笑いやがった。
「駄目です」紫電は拒んだ。「いや、二十五代目、駄目じゃねぇ。逆だ」だが俺はそれを制した。「上等だコラ。やってやろうじゃねーか」俺は両手の骨を一斉にボキボキ鳴らす。奴の挑発にまんまと乗ってやったのだ。
皐月のクソはニヤリと笑った。小悪魔っていうよりは、ずる賢い悪代官だな。俺が了承すれば、紫電は何も言えなくなる事を知っていての事だったのだろう。こざかしい女だ。
「お前のその小奇麗なツラをギタギタに潰して、二度と人前に出られなくしてやる」「ハイハイ。まったく、弱い犬ほどよく吼えるコト」「アァァッ!? んだとコラァ!!」俺はボロクソに言ってやったつもりだが、野郎はそれを『俺レベル』で数える所の数十倍で返してきやがった。
俺が野郎に突っかかりそうになると、そこへ二十五代目がわってはいった。
「睦月!」「二十五代目! アンタはスッこんでろ!! このクソ雌ブタ野郎、マジで半殺しにされねーとわかんねーみてぇだ」
「皐月も……!」「大丈夫です紫電様。あなた様から教わった飛影剣。負ける事はありません」「そ、そういう問題ではありません!!」
「紫電様、『余興』です」「まぁアンタは隣でジュースでも飲みながらけんぶつしてろよ。このクソが血ヘドを吐きながら、のた打ち回る所をよ」「そんな……」
もはや二十五代目の権威は通用しなかった。すでに俺と皐月のクソ。この二人だけの問題である。
「では裏の……」「あっ!?」俺は突然叫んだ。そういえば、GHが……ちくしょう!? また忘れてたーー!!
「なんだ?」「……いや、なんでもねぇ。裏のなんだ」「……裏の空き地へ移動するぞ」「おう、いいぜ。瑞穂! チャコを連れて来てくれ。立会人は多いほうがいいだろ?」俺が野郎を見ながら言うと、あのアホはプイとどこかを向きやがった。クソが、野郎の全動作がムカツク。
俺達は病院の裏にある誰もいない駐車場へ来た。チャコは意気揚々とこの話に喰い付いて来た。
「(ほほ〜! あのマセガキがホエヅラかくとこが見れるってのか? ビデオキャメラでも持ってくりゃよかったぜ!)」
その言葉に瑞穂が困った顔を向けた。二十五代目は何も言わず、ただ成り行きを見守るようだった。
皐月はチャコの言葉を無視するように、取り巻き数人に指示を出した。そいつらが広い円形に広がる。
「AIB、展開」
取り巻き達がAIBを展開した。これにより周囲一体、俺たちがAOFを展開しても、インビュードハンターからは察知されなくなる。
「飛影剣、陽炎、展開」
続いてもう数人が、飛影剣の技、陽炎というのを展開した。コイツは人間の視覚を錯乱させる技で、この範囲内にいる対象を、任意で『見えにくく』させる技である。今の場合は俺たちを回りから見えにくくしている。つまりはハデに暴れてもよいという事だ。
「瑞穂、チャコに通訳してくれ」「えっ……」遠めにいる瑞穂にそういうと、いきなり呼ばれたので瑞穂は驚いた。「チャコ、お前のSPSを一丁貸してくれねーか? 俺持ってきてねーんだ」
「(なに? いやしかしオメェ、こりゃーあちき専用銃だぜ?)」「なんもねーよりゃマシだ」「(まぁいーならいーけどよ。ほらよ、投げるぜ)」チャコがプリズムシューターを投げてよこすと、俺は両手でキャッチした。「サンキュースィー」
「……何をしている」
成り行きを見ていた皐月が俺を睨んだ。だが俺はわざとらしく無視する。
「瑞穂! それとお前の剣も貸してくれねーか?」「ふざけるな! 睦月!!」奴はまたしても俺のむなぐらを掴んできた。
「ふざけんなだと? あぁ? 上等じゃねーかコラ」
俺も同じく、野郎のむなぐらをグイと掴み上げた。身長差からして、野郎の体が少しばかり上を向いた。
「それはコッチのセリフなんだよ、このクソアホが。久しぶりに会ったと思いきや、早々に邪険にしてきやがって……」ドスを聞かせた声で静かに言ったが、皐月は表情一つ変えない。「お前はいっつもそうだ。他人の状況なんざちっとも考えねぇで、自分のやりたい様に勝手に何でもしやがる。だから俺も、お前とやり方をさせてもらう。やりたいように、させてもらうぜ……ッ」
最後のほうをゆっくり言うと、俺は皐月の腹を思いきり蹴り飛ばした。女だからって力を緩めたりはしていない。「ふぐッ!?」容赦の無い不意の一撃をモロに喰らい、野郎は無様に吹っ飛んで折角の綺麗な着物を砂で汚した。
「……きっさまあァァァ!!」
皐月がブチ切れしていきなりAOFを展開した。周囲にアストラルストームが吹き荒れ、右腕には瑞穂と似たような両刃刀がモリエイトされる。
「大佐(オルソン)の礼だ! これでびったりイーブンって奴だよなぁ! ザマねーぜ! ソイツが開幕のゴングだ!!」
ドンドンドンッ!
すかさず俺もAOFを展開し、チャコから借りたSPSを三発発射した。
しかし、うお! なんだこれ!? 俺のアストラル体が凄い勢いでSPSに吸収され、アストラル弾となって発射された。だが出てきた奴はあまりにも巨大で、しかも固形化されていない。直進と共に急速にしぼんでいき、野郎に到達するまでにはかなりショボイものになっていた。無論のこと簡単に両刃刀でぶった斬られてしまった。こりゃ……さっぱりアストラル体の変換効率がわりぃぞ!? ねぇい、さすがは専用銃ですってか!?
「瑞穂!」俺は瑞穂に叫んだ。「か、下弦!」瑞穂は自分の両刃刀をモリエイトし、俺に投げつけた。「兄様!」「おう!」空中でその両刃刀をキャッチすると、野郎も空中へ躍り出た。「こいよ!!」「ハアアッ!」
ガギィインッ!
最初の一手を防ぐ。
そしてまたしてもだが、なんじゃこりゃ!? 瑞穂の両刃刀は一見まともな形をしているが、やけに『薄い』……!? これじゃつばぜり合いが続けば、それこそブチ折れちまいそうじゃねーか!? こんなもんでやりあってんのかよお前は!
ガンガンガンガンガン!
両刃刀同士での斬り合いは手数が多い。左右の刃をたくみに操り、俺と皐月は空中で飛影剣の剣舞を舞う。
「チィィッ!?」
飛影剣では皐月のほうが明らかに上だ。他人の剣とはいえ、俺にだって両刃刀の心得はある。だがかなり押され気味だった。やはり皐月の土俵で戦うのは無理か……!?
「瑞穂! 飛影剣、龍のツガイ!」「え!? は、はい!」
バチンッ!
瑞穂の念により、持っていた両刃刀の真ん中が二つに割れた。これによって双方の刃を片手ずつに持つ事が出来る。飛影剣、龍のツガイは二刀流の構えだ。利き手で持てる分、俺はこちらのほうが得意なのだ。
「オラオラ行くぜェ!」二本の剣を駆使し、勢いを増した俺が皐月に迫る。「笑止千万!」奴も構えを変えた。同じく龍のツガイだ。野郎、ナメやがって!
「飛影!」「百花繚乱!」俺と皐月は同時に叫び、同じ技を繰り出した。龍のツガイ、両手に持つ二本の剣による疾風の如き斬撃技だ。
ガガガガガガガガガガ!
さっきとは比べ物にならないスピードで四本の剣がぶつかり合う。飛び散った火花があたりいっぱいに広がり、さながら爆竹を盛大に爆破しているようだ。だが俺達はそのど真ん中で、相手の体をぶった斬ろうと必死こいている。斬り、受け流し、弾き返す。そのシンプルな三つの動作が、目まぐるしく繰り返される。
これなら互角……と思われたが、やはり長期戦となれば皐月の方が上だ。ヤバイな!? 皐月は瑞穂とドッコイの年齢ではあるが、飛影剣の腕はおせじ抜きで超一流だ。俺の『なんちゃって飛影剣』は徐々に見切られてゆく。
しかもこの剣はやたらと『薄い』。下手に力を入れようものなら簡単にヒビが入ってしまうだろう。まさか他人の『遊び』で剣を折られたなんて、洒落にもならない。だがこの感覚……。この今にも壊れそうな瑞穂の剣が意味するものはつまり、瑞穂では皐月にはかなわないという事である。
「クッソ……ッ! 瑞穂!」俺は叫んだ。「瑞穂、リキ入れろ!」「で、でも!」「負けてもいいのか!!」「くぅ……っ!」
二つの剣に力が宿った。いきなり反発作用が強くなり、皐月の剣をやすやすと弾き返したのだ。
「ちっ!?」皐月がたまらず声を上げた。「ナイスッ」間髪入れず、二手目を放つ。弾かれた。やりやがるな、だがこれならいけるぞ!
……殺せ。
「……!?」「遅いっ」俺の動きが一瞬とまったところに、皐月の剣が襲った。「ぐあッ!?」
右腕を一刀両断され、いきなり右腕の感覚が無くなった。だが切断されたわけではない。右腕のアストラル体だけをDSで斬られたのだ。斬られた箇所のアストラル体は一気に放散され、またアストラル体が右腕に浸透するまで、感覚は失われたままとなる。
右手に持っていた剣はどこかに放り出され、次第に消滅すると、左手の剣が変形して通常の両刃刀へ姿を変えた。
っつーか、なんだよっ、今の声は!? 俺の考えだが、ちがう、俺はそんな事考えた覚えは無い……!
右腕を失った俺に追撃が襲いかかる。「ねぇい!」左の剣で何手か防ぎ、隙を見てバックステップを繰り返し距離を稼いだ。皐月の剣舞も恐ろしいが、俺の内側にいる『何か』も怖い。くそ、どうするよ!?
皐月が両刃刀を一瞬にしても元の形状へ戻し、それを大きく振りかぶり、回転させながら左と右へ振り回した。それにより発生した二つの円盤が俺めがけて飛来する。
これは飛影剣、円月という技だ。見た目はさながら、真っ白に光った直系二メートル級の円盤である。斜めに発射されたそれは、俺に近づくにつれて角度と進行方向を変え、最初とは逆向きの斜め四十五度に傾いて嫌な位置から突っ込んでくる。
「クッソ、避けづれぇっての!」
ギュィィィンッ!
一発目は跳躍して回避できたが、次弾は空中にいる俺へ誘導してくる。すかさずクリスタライズをモリエイトして真横に跳躍し、それを回避した。
そのかん皐月が距離を詰める。結局あれは牽制射撃だ。右腕をなんとか回復させようと意識を集中させつつも、俺は野郎を見据える……。
「(睦月後ろだ!)」チャコの声が響いた。バック、後ろという事か?「うお!?」なんとさっきの円盤が戻ってきたのだ。全然気づかなかった。
俺は戻ってきた円盤に向かって疾走し、小さくジャンプして体をひねり、そのスレスレを避けた。円盤に向かったのはのは何てこと無い、剣舞を避けるよりこっちのほうが断然避けやすいからだ。皐月が舌打ちするのが聞こえる。それから円盤は皐月に直撃して飛散したが、奴の体はなんともないようだ。放ったアストラル体が奴の体に還元されたのだろう。
右腕の感覚が徐々にだが回復してゆくのが分かる。あと数秒だ。逃げ回りながらプリズムシューターを乱射し、時間を稼ぐ。
「逃げるな!」「回復するほうが、戦いだ!」皐月はその行為に対し腹を立てたようだが、俺はチャチャを入れつつ無視した。
「(……チャコさん。これは真剣勝負です。余計な口出しはしないで頂きたい)」向こうで二十五代目がチャコに対し、なにやら冷たく言い放っている。「(お〜っとぉ? いけねぇいけねぇ。ついとっさに、口が開いちまったぜェ〜)」おどけた態度でチャコも何か言っているようだが、例によって英語なので全く意味がわからん。しかしチャコの態度は敵に回すとかなりムカツクが、味方だと心強いな。今回ばかりはさすがの二十五代目もチャコを睨んだ。まぁ、普通そりゃキレるわな。
射撃で皐月を無理やり跳躍させた。飛んだな、莫迦め!
俺は着地の隙を見逃さなかった。そのポイントへ十分な奇襲が可能な位置に移動する。「こーこだァッ!」「くっ」俺の右腕は完全復活したのだ。両刃刀を右手に持ち替えて剣舞を舞うが、途中でバキンと真ん中が折れた。気を利かせた瑞穂が、龍のツガイに構えを変えたのだ。ナイスだ!
「走ったら疲れちゃったのかよ! 皐月!」「うるさい!」強引に前へ出ながら皐月を挑発する。「ひ弱!」「黙れ!」「ひょろりんこ!」「黙れぇエエエ!!」まけじと皐月も龍のツガイに構えを変えた。きやがったな!
二刀流同士の剣舞がぶつかり合い、またしても大量の爆竹が炸裂するかの如く火花が散り舞う。だが今回はそう長くは続かせない。瑞穂の剣も幾分戦いに慣れてきたのか、最初とは見違えるような硬度を持ってきた。これなら俺が得意なごり押し戦法が通用する。
ガンッ!
右の一手。
ガンッ!
左の二手。
ガンッ!
右の三手っ!「我剣崩!」
ギィイインッ!
皐月が出した左の四手目を我剣崩で弾き飛ばした。慣れない動作によって強烈な衝撃が瑞穂の剣にもフィードバックしたが、どうやら何とかなったようだなッ!
「うっ!?」皐月が目を丸くした。ここに来てやっと出てきた、お前の嫌いな我剣流だ。クソ。
「莫迦がッ!」体制を崩した皐月の右手を左足で蹴り上げると、持たれていた奴の剣が空を舞った。間髪いれず左の剣にも渾身の一手を放ち、それも手から無理やり引き剥がす。
それから流れる動作で俺は一回転し、右手の剣を皐月の喉首に突きつけた。剣と奴は触れてはいない。しかし、これで勝負が決まったのだ。
皐月が俺を見上げた。まるで今起こっている事が理解出来ていないような表情だ。「……皐月。テメェの敗因はたった一つの、シンプルな答えだ」空を舞っていた奴の剣がアスファルトに突き刺さる。
「テメェは俺を怒らせた」
バーーンッ
決まった……。ちなみにバーンというのは俺が勝手に想像した効果音である。
俺は剣を一振りすると、左の剣とくっつけ、鞘に収めるような仕草をした。本来ならここで消えるはずなのだが瑞穂がモリエイトしたAOなので、アイツが消すまで具現化されたままだった。
そうすると皐月の両足が突然ガクンと力なく折り曲がり、地面にひざまずく格好になった。負けを認めたのだろう。AOFは消失し、モリエイトされていた二つの剣も消えた。
「(ワーオ、決まったぜ〜〜! ど〜〜ぅだ、見たか! このマセガキめーー!!)」チャコが向こうで嬉しそうに騒いでいる。「か、勝っちゃったぁ……」瑞穂は皐月と同じような、信じられないといった様子だ。
「…………」
二十五代目は何も言わなかった。
AIBと陽炎を展開していた取り巻きたちからも動揺が沸き起こっていた。まさかそんな、みたいな感じの声がそれぞれから発せられる。皐月はいまだに地面にひざまずき、うなだれたままだ。
俺はフンと息を吐くと、腕組して皐月を見下ろした。さげすむ眼差しではなく、穏やかな目線を送る。
「皐月。まぁ、そうげんなりすんなよ」「……」勝負に勝った俺はとても機嫌がよい。「勝負にゃ俺が勝ったが、お前の腕は超一流だ。それはマジな事だぜ」
しばらくするとゆっくり皐月が立ち上がり、俺をじっと見た。その時の奴の顔といったらもうないぜ。すんげー困った顔をしている。俺は内心『してやったり』と思った。
「お前、俺からゴチャゴチャ言わた時、剣先鈍らせたろ? それが隙になったんだよ。莫迦だな……。あん時シカトこいてりゃ、お前が勝ってかもしれねーんだぜ?」
黙って俺を見ていた皐月の目から、ポロリと涙の粒が頬を伝い流れた。げげっ!? 俺はそれを見てさすがにビックリした。お、オイオイ、なに泣いてんだよ! 俺はさっき一瞬でも、『してやったり』と思った事を後悔してしまった。なっ、泣かせちゃったッ!!!!
「お前は……お前はいつもそうだ! お前はァー!!」皐月の奴が俺の服を両手で掴み、前後にぐいぐい振った。まるで正光の劣化版みたいな感じだ。「なんで!?」泣きじゃくりながら皐月がわめいた。
「なんでお前は『そんな事』が言えるんだ!? 私に勝っておきながら! 私の事をいっつも悪く言うくせに!なんで、なんで最後は、そんな風にしていつも、優しく、するんだ……」
両手の掴む力が徐々に無くなって、嗚咽交じりに皐月は下へずり落ちていった。
「う、うむむ……」
く、くそぅっ、なんてこった。どうすりゃいーんだよこりゃあ。いや確かに皐月はクソムカツク野郎ではあるが、別にここまでおとしめる気は無かったぞ。いつもの調子で、「ぐぬぬ」と言わせるだけで十分だったんだ……。それが、オイ! へこみすぎだッ!! 皐月ィィーーー!!!
困り果てた俺は紫電にアイコンタクトをとった。し、紫電様、助けて! 彼女と目が合うと、俺の想いが通じたのかコチラへ近寄ってきた。
「どうやら。勝負はついたようですね」
少し疲れた感じで二十五代目は言った。「睦月、お見事です」「あぁ」やれやれといった様子だ。俺の適当な相槌を聞くと、皐月を見下ろした。
「皐月、立ちなさい」「……」泣くのを我慢しながら、皐月が立ち上がる。
「私は薄々、この勝負の行く末を予知していました。……皐月。あなたの腕ではまず、この睦月にかなう事はないという事も」お、おい! なんて事言うんだ!? 嬉しいっちゃー嬉しいが、んな事言ったら皐月の野郎がますますへこんじまうだろうが!
「彼はあなたと違って数年前から騎兵隊へ所属して、今も第一線を渡り歩いている精鋭のモリエイターなのですよ? そんな彼相手に腕比べなどと。冗談ではありません」「……」案の定皐月はだんまりした。俺までだんまりだ。
「い、いやいや、二十五代目よぉ……」「動きもよくありません。薙ぎ、返し、突き。異能力者との戦闘において、模範通りの飛影剣など通用するはずがありません。それに彼を見なさい。牽制によりあなたを浮かせ、その後の隙を狙うなど、剣術ではあなたの方が上のようですが、立ち回りの点では二枚も三枚も、あなたより遥かにうわてです」
「二十五代目。違うんだって」彼女がグチグチ言い終わった隙をみて、俺が割って入った。「コイツぁ真っ向勝負したかったんだよ。誰だって見りゃわかる。そうだろ。立ち回りもクソもねぇ。ただ単にガチ勝負したかっただけなんだよ」「……」二十五代目は黙った。「んでも、それだとヒャクパー俺が負けてたからな。だから逃げた。んだってこんだけフィールドが広いんだし、負けたくもねぇし……」えぇーと、くそ、あとなんて言えばいいんだ? くそぅ、言い訳できねぇ。
「とにかくだ! ガチ勝負で言うならば皐月の勝ち。動き回ったら俺が勝った。ただそれだけだ。皐月はあれだ。なんつーか真面目に正面から行こうとしすぎて、負けちまったにすぎねーんだ。こいつだって、それを前提に立ちまわりゃ……」
「……睦月、もういい」
赤い顔をした皐月が制した。目をこすって涙をぬぐう。
「『納得』いきましたか?」「……はい」二十五代目はその返事を聞くと、やっと表情に笑みを浮かべてくれた。「まったく……」片腕を伸ばし、皐月の頭をやんわりと撫でてやっている。……なるほど、アメとムチか。やるな母上様。
「さぁ、彼に謝りなさい」次にそんな事を言った。いや違うだろ、莫迦! 別に、いーっつーに!「……すみませんでした」皐月も皐月で素直に謝ってきやがった。だから、なにそれ!? 違うだろっ! 莫迦が!
「へ、へーんだ! べ、別にたいした事じゃ、ないんだから!!」つい俺は恥ずかしくなって、正光みたいな返答を返してしまった。皐月はしょんぼりした顔のままだ。
「……だがまぁ、面白かったぜ。俺も何気に、結構勉強になった。やっぱ飛影剣は速いな。次やる時も、よろしく頼むぜ」
補足を入れると、皐月は何も言わなかったが幾分顔つきは良くなった。
それから俺は瑞穂とチャコの所に戻った。
「YHERーーー!」
チャコが両手の中指と薬指を折り曲げて、顔の前に出して叫んだ。まるでストリートヒップホッパーみたいな低音だ。日本人じゃないだけに、その発音はやけに貫禄がある。
「(いやーまったく愉快痛快だぜ〜ったく! ギャハハハハハ!)」俺の背中をバシバシ叩いてゲラゲラ笑った。「オウオウ、さんきゅさんきゅっ」チャコが何を言っているのか分からなかったので、俺は妥当な事を言ってプリズムシューターを返した。
「あ、あにさま……」「よ、瑞穂」瑞穂はまだ動揺したままのようだ。胸の前で両手をぎゅっと握り、体はかすかに震えていた。「勝ったぜ。お前の剣がな」「わ、私の……」未だにモリエイトされた状態の両刃刀を渡すと、瑞穂は震える両手でそれを受け取った。
「…………」
自分の両刃刀を両手で握り締め、それをじっと見つめている。
「いいか? お前はやる気さえ出せば、アイツにも上等に対峙できんだよ」「……」「実際お前の剣で勝てたんだしよ」「わ、私は、私が勝った訳じゃないです、兄様が……」「お前が勝ったんだよ。瑞穂」「う……」謙虚な瑞穂だったが、俺から褒めまくられて何も言えなくなった。
「あ、兄様の打撃が、あの、強すぎて……。私、それに耐えるのだけで精一杯で……。皐月様に攻撃してるのか、防いでるのか、さっぱり分かりませんでした……」
「うーむ……」
確かに飛影剣うんぬんで言うなれば、瑞穂が負けても仕方なかっただろう。冗談抜きで皐月の飛影剣は強い。だが、まぁ、剣だけなら。瑞穂は皐月と対等であるという事だ。やる気を出せばな。
この『余興』が終わると、紫電は俺に少し待つように言った。三人はさっきの受付あたりの椅子に座って待っていた。チャコは携帯ゲームをしている。本体にイヤフォンをしているので音は聞こえない。さっきも待つ間、どうやらコイツをしていたようだった。
瑞穂はまだ震えが収まらないようで、人目を気にせず俺の片腕を抱きながら座っていた。
「なんだおめぇ、まだブルッてんのかよ」「う……。だ、だって。怖かったんだもん……」「剣がブチ折られそうでか?」「そ、それもあるけど……」「ふむ」「……んむむ! い、いっぱい、いっぱいあるの!」何がいっぱいあるのか知らないが、俺の腕を強く抱いた。
しばらくすると、二十五代目が遠くからやってきた。だが近づかず、俺に向かって小さく手招きをする。俺は立ち上がり、そちらへ小走りした。
「D3にはあなたの事を、前と変わらず陰性であると、言っておきました。よって、あなたに監視や制限などがつく事は絶対にありません」「……」
言葉も無かった。
「しかし、睦月」二十五代目が俺を見つめる。「言わずともわかるはずです。あなたは、明らかに陽性なのです」「……」「忘れてはなりませんよ、睦月。……あなたの意志を、強く持つのですよ」
「……あぁ。わかった」
俺はしっかりと返事をして頷く。「いい子ね……」二十五代目はまたもや俺の頭を撫でてきた。さすがに手で払ったが、彼女も少し驚いたような顔をしていた。
「あっと、ご、ごめんなさい」「……アンタは」俺がフンと息を吐くと、二十五代目はうろたえながら謝った。人目のある所で紫電ともあるお方が、俺なんぞを可愛がる姿を見せてはいけないだろう。何してんだか、まったく……。
「それと、これを。渡しておきます」
二十五代目は自分の付けていた木製の数珠を俺によこした。「なにこれ」やけに年季の入ったそれは黒く変色していて、なんだか汚い。そしてなにより、俺はこんなもんを付けて歩くような趣味を持っていなかった。
「お守りです。私より、あなたが持っていたほうがいいと思いましてね」
二十五代目が言う。お守りねぇ。こんなもんで守ってもらえんなら、そりゃー大事にしとくんだが。「こんなきたねぇもんいらねーよ! しかも自分のアイテムを他人によこすなっつーんだこのボケ野郎め」「あら。いいえ睦月? お守りとかそういうのっていうのは、人から人へ渡り歩くものなんですよ?」「まぁ、わからんでもねーがよぉ」「ほら、いいから。持っておきなさい」
俺は二十五代目から数珠を強引に握らせられた。「毎日持ち歩くのよ? いいですね?」「はいはいわーったよ。ったく」まぁ往々(おうおう)にして、昔の人間ってなぁこういうもんが好きなもんだ。
「……皐月が、さっきはごめんなさいね。ちゃんと後で言っておくから」「あー……、まぁ、そうだな。上手く手なずけといてくれよ」「うん」「……」「……あ、あとね。睦月が具合悪かった理由。あれは、剣が折られた事を気にしすぎて、急性胃潰瘍になったって事にしておいたから。みんなに理由聞かれた時は、そう言ってね」「いかいようってか? まぁ、妥当だな。わかった言っとく」「うん」
なんかそわそわしている二十五代目は、まだ『話し足りない』といった様子であった。俺としても数十年ぶりの会話で、しかも結構普通に喋れたので、まだ適当にだべってもいいような気はした。だが互いに仕事があり、なおかつ二十五代目とは立場が違いすぎる。ファミレスでも行けば五、六時間くらい余裕で喋れそうな勢いではあったが、そこで会話を止め、二十五代目と別れた。
病院を出た俺達はチャコの運転する車にまた乗り込んだ。
「(急性胃潰瘍だぁー? なんだかねぇ。日本人ってなーホンット胃がよえーんだな)」
運転しながらチャコが英語でなにやらぼやいた。通訳した瑞穂はえへへと苦笑している。
「日本人は胃が弱いんだな、ですって」「あぁ? 胃が弱いですって? クソ、うっせ。お前みたいな能天気と違って、色々悩む事が多い年頃なんだよボケが」別に瑞穂に文句を言ったわけではないが、隣の瑞穂はちぢこまった。
「いやーしかし瑞穂。こうも簡単にお前の敵討ちが出来るとはな」「えっ」「まったく、口だけ達者な犬畜生はどっちだっつーんだクソ」「う、う〜むむ……」
「まさに『してやったり』って感じだな。おっしゃ、瑞穂。今日の飯は盛大に頼むぜ」「おわ。……あれ? いやでも、胃の調子が悪いのでは……?」げげっ! し、しまった。「あ……、い、いやまぁ、その辺は大丈夫なのだ」「?」俺は無理やりその辺をごまかした。
「いいんだ瑞穂。余は肉料理が食べたい。ヘイ、チャコ! ゴーゥ、ショッピン!」「Ahh?」「ゴー、ショッピンナァウ!」「(買い物行けってオメェ、アチキャーお前の運転手じゃねーんだぞ莫迦たれが。一人で行って来いトンチキ)」「ワーオ!」「(……意味分かってねーだろ、お前……)」
無駄にハイテンションになってしまったが、結局チャコは観念して買い物に付き合うことになった。といっても、食材を買うだけだからすぐ終わったのだが。
「(あーあ、まったく! 今日はお前らのせいで一日丸つぶれだぜ。クソったれめ)」
ガンダーラマンションズの前で俺たちを降ろしたチャコは、運転席でうーんと背伸びをした。
「(すみません、付き合ってもらっちゃって……)」瑞穂は深々とお辞儀をした。「(まぁだが? デスクワークよりゃ遥かにマシさ。ホントはドンパチやりてー所だが、通常勤務ってなーこんなもんか)」「(ぬーむむ)」「(まぁんじゃ、アチキャー帰るわ。また明日な)」「(はい、お疲れ様でした)」「(オウ、お疲れぃ)」
クソ、毎度の事ながら英語で全然意味わかんねぇ……。あのアホ、なんかまた俺の事をグチグチ言ってたんじゃねーだろうな。瑞穂と俺は互いにスーパーの袋を持ちながら家に帰ってきた。やはり自分の家というのは落ち着くものだ。
俺はソファーに深く座り、フゥと息を吐いた。
「すぐ作りまーす」「うむ」台所で瑞穂の声が聞こえた。肉料理とは言っても、そんな大層な物は買ってきてはいなかった。やはり体調を気にしてなのだろうか。
……瑞穂には、オブリヴィオン反応が陽性だったという事を、教えたほうがいいのかな……。
「……」
ソファーの角に肘をつき、そんな事を考えていた。今後俺に、一体どんな変化が訪れるのかさっぱり検討がつかない。だが現に、自分の考えに割り込んでくるもう一つの自分というのを俺は自覚してしまった。あの考え。あれが今後、さらに酷くなるって言うのか……。
「あ〜らこ〜んな〜とっころ〜にぎゅ〜ぅにっくが」謎の歌声が台所のほうから響いてきた。……あんな上機嫌な瑞穂を、俺はまたげんなりさせようというのか?「た〜まね〜ぎ〜た〜まね〜ぎあった〜わね」「……」
だが……。明日の朝。また今朝のようになったら。もしそれが、さらに酷かったらどうする? 二十五代目は意志を強く持てと言ったが、一体どう持てというのだろう。まったく具体性の無いその言葉は、俺にとってかなりの難題であった。
「ハッシュドビィィィーーフ!!」「……」
瑞穂の叫び声がいきなりこだました。まるで俺や正光が一撃貰った時のような感じではあったが、まさか台所でダメージを受けるはずがない。やれやれ、一体なにしてんだ?
「どうした」「ひゃう、あにひゃみゃ〜」俺がそこへ行くと、瑞穂が水道で左の人差し指を流していた。「うぅ。トゥルンてなって。切っちゃいましたぁ。あの、ばんそこ取ってくれますか……?」「何してんだお前は……」かなり深く切ってしまったらしく、肉が乗っているまな板から水道に向かい、ボタボタと血痕が続いていた。
「どれ、みしてみろ」「うん……」指を水から出した途端、ぱっくりと割れた指の割れ目から血が盛り上がり、ポタリと流れ出た。俺はその手を掴み、自分の口の中へ入れる。「あ……」傷口を舌先でなぞり、絶え間なく溢れ出る血液を吸う。細くて華奢な指だ。関節や指の腹を噛むと、やんわりと柔らかな感触で……。「あ、あの、兄様……」
この女は美味そうだ。
「……う!?」
とっさに指を離して身を引いた。俺は自分のしている行為に『まったく気づいていなかったのだ』。
「えへへ」
瑞穂は何を勘違いしたのか、恥ずかしそうにしながらも今度は自分でその指をくわえている。い、いやいや。違う、違うぞ!
「瑞穂、違う」俺は動揺してしまい、考えが上手くまとまらない。「違うぞ、瑞穂」「?」「すまん、違うんだ」そ、そうか。ばんそこだ。「ほ、ほら。これ使え。あぁ、いや、張ってやる。指出せよ」ばんそこを張る俺の指先は震えていた。
「……兄様?」
さすがに異変に気づいたのか、心配そうに俺を覗き込んできた。駄目だ、今お前を見れねぇ。見るんじゃねぇっ。俺はすかさずどこかを向いて、コイツの頭を撫でる。そしてそのまま台所を逃げ出した。
ソファーにドスンと座ると、俺は両手で頭を抱えた。
なんだよ、今のはよぉ……!? まるで俺じゃない誰かが、俺が知らない間にやらかしたような感じだ。それらがおこなわれている間、俺はばんそこの場所どこだっけ、などというような適当な事を考えていたのだ。そのかんに、してやられた。こ、これが、二十五代目が、『意志を強く持て』と言った意味なのか……?
「……これが……オブリヴィオンという奴なのか……?」
眉間にしわを寄せ、前髪の生え際あたりを両手で強く握った。
「兄様」「……」
しばらくそのままの姿勢を続けていたら、いつの間にやら瑞穂が隣に立っていた。俺は力なくそっちを振り向く。
「……飯は」「今、煮込みに入りました」「……そうか」「あにさま……」
俺がため息をつくのを見ると、瑞穂が隣へ座った。
「一体、どうしたんですか?」「……」横目で瑞穂を見る。一体俺はどんな風に見えているのだろうか。
「……二十五代目に、言われたよ。反応。陽性だってよ……」
「!?」
俺はとうとう言ってしまった。瑞穂は驚きを体で表現するように、ビクンと背筋を伸ばした。
「だ、だって! 紫電様は! なんともないって!」「嘘に決まってんだろ……」「そ、そんな……!」「……」
二人は黙ってしまった。……クソ、最悪だ……。なんて最悪なタイミングなんだよ……。せめて飯喰って、風呂でも入って、全部一通り終わったところでげんなりさしてやれば良かったのに……。
瑞穂はすっかり困り果ててしまった様子だ。可愛そうに、せっかく上機嫌だったのに、俺のせいで瑞穂はこんなにも悲しそうな顔になってしまった。クソ、何とか、してやんねーと……。
「瑞穂、まぁでも、もう大丈夫だ。すまん」無理やり笑って見せた。「もうなんとかなったよ」瑞穂の頭を撫でてやる。「兄様……」瑞穂はまだ悲しそうな顔のままだ。
「大丈夫だよ。もう大丈夫」俺は言うが、瑞穂はフルフルと頭を横に振り続ける。「あにさま」撫でていた俺の手を両手で掴み、胸の辺りで抱きかかえた。「あにさま……」何度も何度も頭を横に振り続ける。
フンと俺は息を吐いた。瑞穂はいつもの奴だった。俺の名を言うものの、何と言ってよいかわからない。そんな感じだ。
「さっきは変な事してすまん」「いいの、ちがうの、違うの、兄様」「瑞穂」「あにさまっ」感極まったのか、瑞穂が俺の胸めがけて突っ込んできた。俺はとっさに背筋を伸ばす。「兄様、なんで、なんでェ!? なんで兄様があァァ……ッ!」「……」「うえぇぇ〜ん」「……」
俺はどうしたものか分からなかった。瑞穂は抱きついたまま泣き出してしまった。俺から何と言われれば、コイツは落ち着きを取り戻すのだろう。言葉が、見つからない。
「瑞穂……」
「うえぇぇ〜ん」
結局俺は、瑞穂をずっと撫でてやるくらいしか出来なかった。そしてそのままでいると、瑞穂の腹の辺りからピピピという電子音が聞こえてきた。だが瑞穂は相変わらず動く様子は無い。
仕方なく俺がその音源を手探りで見つけると、それはタイマーのようなものだった。多分、料理で使っている奴だろう。そういえば、煮込みがどうたらと言っていたな。大きなボタンを適当に押すと、音は止まった。
「瑞穂、おい。みずほ。聞けよ」「うみゅん」涙で濡れた顔を俺に向けた。「大丈夫だ。な?」俺はやっと普段どおりに笑えるようになった。「ぐすん」瑞穂は鼻をすすって目をこする。「うみゅん」「な……?」出来る限り優しく撫でてやる。
「ほら、瑞穂。これなってたぞ。ホラ、行って来い」「でも……」「大丈夫だ」「……うん」
おずおずと俺から離れた瑞穂は、台所へ戻っていった。しかし……クソ。やっぱ最悪だ。俺だけの問題に、なんでアイツまで関わる必要があるんだ。そんな必要はねぇんだ。俺一人で……俺一人だけ、悩んでればいいんだ。
「おっしゃー」「う」俺がテンション高めで台所に来たので、瑞穂は驚いてこちらを向いた。コイツはまだ目を赤くしたままだ。「ほほー美味そうな匂いだな。って……うお、すっげ! うんまそ!? なにそれ!?」「あ、えと、ハッシュドビーフです」「ワーオハッシュドビィィイフ!?」正光までとはいかなかったが、俺だってあの野郎と何年も組んでるんだ。「ちなみに俺の剣はゴーストハァァアッシュ!? ドゥフフフフッ!? バフッ!?」無駄にテンションを上げるのは慣れている。というか、自分でそう言っておきながら、莫迦らしすぎてぶっちゃけ笑えた。
「あとは、盛り付けておしまいです」「マジクソ! ナイスだ〜〜」「えへへ……」
無理やりにでもテンションを上げていたら、意外に気分が良くなってきた。多分、瑞穂を何としても悲しませまいという気持ちがそうさせているのだろう。
「よいしょ。さぁ、出来ましたよぉ」「すんげ……」
料理はお盆に乗せられて、リビングのテーブルに置かれた。
大き目の皿に薄切りの肉と野菜が綺麗に盛り付けられ、となりにはご飯と味噌汁が並んでいる。俺は素直に関心してしまった。
「何でお前、こういうレシピ知ってんの……?」「えへへ。どうやらこういうのは、私、得意みたいで。でも覚えてるんじゃなくて、本とか見てやってるんですが……」「い、いやいや、本見ても出来ねーよこりゃ……」
俺の口調がいつもの調子に戻ったからか、瑞穂もどうやら気持ちを切り替えられたようだった。うむ。よかったよかった。
「よし喰おう。よ〜し喰おう」「あぁん駄目です! 兄様。ハイ、まずお箸を親指に持って。両手を合わせて」「む」「いただきます」「むお!? うみゃ〜〜い!」「あぁーー!? こんの〜畜生めが!!」
そんな感じで、なんとかかんとかいつもの雰囲気に戻った。といっても多分、瑞穂は無理して合わせているのだと思うが。
「兄様? 美味しいですか?」「マジシャンズレッドもにゅ」「まじしゃんずれっど?」「んぐん。マジ洒落になんねーくれぇうめぇ」「にへへ〜」
それから肉をたらふく平らげた俺は、瑞穂と一緒に風呂に入った。
「ほれ。今日は瑞穂がんばったからな。しっかり洗ってやるぞー」「やんっ、そんなぁ。がんばったのは兄様ですよ」「お前の剣が勝ったんだよ」「う〜むむ……」毎度の事ながらエレクチオンしてしまうが、もはや気にしないことにした。瑞穂もさっぱり気にしてはいなかった。
風呂から上がると、瑞穂を膝の上に乗せながらHDDに撮り溜めしたテレビ番組を見ていた。
「これこれ。この『ストップ・タイマーウォッチ』。これがいいんだ」「あっこれ。私も兄様が学校行ってる時、ちょっとだけ見ましたぁ」「これは俺が超好きな奴なのだ」「ホントですか!? 私もこれ凄い好きです〜!」瑞穂が膝の上でくねくねと体を揺らす。風呂上りのいい匂いがいっぱいした。
ゲラゲラ笑いながらテレビを見ていたら、あっという間に時間が過ぎた。目がしょぼしょぼする。
「そろそろ寝るか」「うん」
二人は布団の中に潜り込む。相変わらず瑞穂は体を纏わりつかせてくる。
「えへへ。あにさまっ」「ん」「あにさまっ」まるで撫でてくれというように、胸の辺りにほお擦りしてくる。撫でてやると、案の定嬉しそうに笑った。クソ、普通に可愛い奴だなお前は……。エレクチオンしてしまうではないか。
瑞穂のいい匂いをかいでいるうち、俺はいつのまにやら眠ってしまっていた。さっきまでの事などすっかり忘れて。
そしてどれくらい時間が立ったのだろう。突然パッと目が覚めた。胃がムカムカする。窓の外は薄っすら明るくなっている。いや、だが、これは。
「……」だ、だめだ。「……?あにさま?」瑞穂をどかしたら、起こしてしまった。クソ。だがもうもたねぇっ。
「おうえぇぇぇ……」
バチャバチャバチャ……。
数時間前にたらふく喰った肉が強制的に胃からせり上がり、俺は便器の中へそれらを全部戻してしまった。
「……」
瑞穂が黙ったまま、後ろで俺の背中を摩ってくれている。
「はぁ、はぁ……ッ。オウップ!」
ゆっくり深く息をすると、さらに嘔吐感が沸き起こる。何回も吐いた。
「兄様……兄様……」
しゃがんでいる俺の背中に、瑞穂が顔をくっつけたような感触がした。そうしながら、何度も何度も俺の背中を必死に摩る。
「はぁ……ッ」
便所の換気扇の音がやけにうるさかった。そして途切れ途切れではあるが、吐瀉物が汚い水面を叩く音。
最悪だった。確実に俺の体は、オブリヴィオンから侵食されていたのだ。
◆戦花
里を守る局地防衛の要。全員が女で構成され、影飛剣を使いこなす最強の部隊。代々『紫電』の名を受け継ぐ者が指揮を執る事になっている。
◆紫電
里を取り仕切り、戦花の長を務める最強の血族。紫電の血を受け継ぐ者はエーテルドライブを展開することが可能である。
紫電家には代々女しか生まれることがなく、政略結婚やモリエイターとして十分な素質のある男と結婚することで、一人だけ産み落とされる。子供には生まれた月の名前が付けられて、十分に成長し、代々の紫電から実力が認められた場合『紫電』の称号を寄与され、戦花の長を務める事となる。同じ名前の人間が連なる事から、それぞれを名前ではなく『一代目、二代目』というように呼ぶ。
作中、二十五代目紫電は『睦月』。その子供は『皐月』。
二十三代目紫電 霜月(しもつき 11月)
二十四代目紫電 文月(ふづき 7月)
二十五代目紫電 睦月(むつき 1月)
◆里
赫夜
グレイブタウン(Grave Town 墓の町)
古来からモリエイターのみが暮らす自給自足の小さな村。ここが戦花の拠点であり、モリエイターの最後の楽園である。その中心を取り巻くようにして、争いから逃げてきたモリエイターたちが細々と生涯を送っている。
強行派は里を、死んだ(生きる事、戦う事を捨てた)者が集う村『グレイブタウン』と称している。
場所は奈良県南部にある森林地帯、吉野地区の『どこか』。そこは『絶対不可侵結界』と呼ばれる結界に守られており、人の進む進路を無意識に変えさせて、また衛星写真にも写ることは無い。
『絶対不可侵結界』は、随所に設置された天然のオリハルコン結晶を戦花の面々が日替わりで術を施し続ける事で、日中夜問わず広域に展開されている。
◆都
碧炎郷
正光と睦月が幼少の頃に育った町。場所は京都で、当時ここにはモリエイターを取り仕切る重要人物が集まっていたが、インビュードハンターの襲撃によって陥落。現在は存在しない。
◆D3センター(でぃーすりーせんたー)
日本各地に点在するD3の活動拠点。ここにDDであると診断、または告知された人が連れて行かれ、検査を受ける事となる。以外と広い施設で、病院のように患者数百人を抱えられるスペースを持つ。DD患者を収納する事はもちろん、通常の病院としても機能する、市町村にとってはありがたい機関だ。
DDの検査というのは他言無用で、ここに来た者は第三者へここの検査内容等を言ってはならない事になっている。もっともそんなことを守る者など少ないのだが。まぁ言ったとしても、所詮は大掛かりな機械で体を調べられたり、血を採られたりした、などというふうな大雑把にしか言えないだろう。
本来医療機関というものは、そこの患者に対し現在どういう検査を行い、そして今後どういった治療を行っていくかという事を詳しく説明する必要がある。しかしDDに限り、その原因、治療法ともに今でも不明な点が多いので、それが不十分である事が多い。患者側からしてもそれは配慮不十分であるという考えもあるが、しかし患者も、医者側すらもDDの本質が見抜けていないため、そうも言えない状態が続いている。
裏の顔は、モリエイター予備軍を探索、保護する役割を持った機関である。モリエイターとして覚醒するかも知れない人間を見つけ、保護するのだ。保護された場合それらは穏健派に属すことになる。
一般人の視点からすると、D3センターの役員が突如として友人の前に現れ、DDの疑いがあるからセンターまで来いと告げられるわけである。無論DDなどではなくモリエイターとしてなのだが、周りの視線は良くないものであろう。
また、このセンターにDSPを収納する事もしている。それによりDSPの研究解明を行うのだ。そしてそれが反乱を起こしたとしてもDDの末期であるとすればよし。
正光達のような学徒兵はD3センターの検診だという事を理由に学校を休むことが出来る。
モリエイターには都合の良い、そして一般人には警察よりも厄介な機関である。