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桜色の涙  作者: 百音川 魔瑠琥
第三楽章
10/13

第十話 コンクール本選は終了した

「ハルちゃん、今日の本選はドビュッシーって言ってたわよね」

 母は修一と一緒で、僕が女装をしている時は『ハル』、そうでない時は『榛秀』と名前を使い分けて呼んでくれていた。しかしここ最近は、家では女装が基本なので、いつのまにか母は常に僕を『ハル』と呼ぶようになった。

「そうだよ。小組曲の『小舟』と『バレエ』を弾く。悪くないでしょ」

 僕は、母が得意な不敵な笑みを真似てみた。

「今日の本選会場、サラマンカホールって知っていてその選曲にしたの? だとしたらハルちゃんも策士ね」

 そう言う母は、僕に対抗するように不敵な笑みを浮かべた。きっと僕はいつまで経っても、母の懐の深さや母の抱える闇の深さには、敵わないのだろうなと思った。

「でもハルちゃん気を付けなさいよ。あのホール、響きは最高だけど、それが命取りになることもあるから」

「うん、分かってる。気を付けるよ」

 今回、僕たちはコンクールの本選を岐阜で受けることにした。本選会場が岐阜市のサラマンカホールだと分かっていたからだ。サラマンカホールは残響が二・一秒というとても響きの豊かなホールだ。ここでならドビュッシーが意図した美しい音色を十分に描き出すことが可能だ。

 しかし母の言う通り、残響時間の長いホールはそれが長所でもあり、場合によっては演奏の足枷となる場合もある。ホールに残る響きも計算して演奏しなければいけないからだ。

「ところでハルちゃん……。いえ、榛秀。本当にその格好で今日の舞台に立つの?」

 母のその言葉に、僕は一瞬だけ心が揺れた。母の母親らしいその表情を、僕は久しく見ていなかったからだ。母は僕と二人で暮らすようになって、母親でいることを止めてしまった。いや、母親を続けることが精神的に無理だったんだろうと思う。

「榛秀、あなたが私や、そして父さんを憎んでいるのはよく判っている。でも、その当てつけとしてそんな恰好をしているなら、そんな生き方を選択しているなら、それはあなたの人生を自分で台無しにしていることになるのよ」

 結局、母は何も判っていないのだなと思った。僕はそんな馬鹿で愚かなわけではない。僕だって僕自身が可愛いに決まっている。確かに僕は母のしたことを許せないし、父と姉さんのしたことも理解できない。でも、それとこれは別の問題だってちゃんと割り切っている。

「あなたは、あなたらしく生きればいいのだからね」

 母のその言葉は、珍しく母の本音をそのまま言葉にしたんだろうなと感じた。そして、そう感じたからこそ一層に悲しくなった。何故なら、今のこの僕こそが、本当の僕らしさを追い求める姿なのだから……。

それを、やはり母は判っていないのだ

「うん、分かってる。このコンクールが終わったら、もうピアノの舞台には立たないよ。ピアノは好きだけど、やっぱり僕には舞台は向いてないみたいだから」

「そうね。背伸びをせずに、あなたはあなたらしく、あなたの好きなことをすればいいと思うわ」

 母はそうやって静かに笑うと、朝食を作りにキッチンへと戻った。母の作った朝食を二人で食べるのは、すごく久し振りの事だったと思う。料理の下手な母が一生懸命に作った朝食を前にして、僕は朝日が射し込む庭のベンチを眺めていた。

 そうか、母から見ると僕が舞台でピアノを弾くのは背伸びをしていることなのか……。


 ホールのロビーに着くと、夏美ちゃんと言乃音ちゃんが既に居た。よくよく考えたら、二人が一緒に居るのを見るのはとても久しぶりの様な気がした。そのせいなのか二人の間に漂う空気が、いつもと違って感じられた。どこか他人行儀のような淡い緊張感を感じたのだ。

 しかし、そんな緊張感を言乃音ちゃんの一言がぶち壊した。

「あんた、その髪……」

 夏美ちゃんも少なからず驚いているようだった。

「榛秀くん、凄いイメチェン! 髪切っちゃったんですね」

「いいでしょ。髪切って寄付したんだ」

「えっ。寄付ですか?」

 夏美ちゃんの緊張した表情はほぐれ、僕のショートボブに目が釘付けとなっていた。

「うん、医療用のウィッグの製作に髪の毛を寄付することができるんだよ。小児癌とか白血病の子供たちとかにね。だから五十三センチ、しっかり寄付してきたよ」

 夏美ちゃんがいつもの笑顔を取り戻している横で、言乃音ちゃんの表情は凍り付いたままだった。まあ、言乃音ちゃんならしかたないか……。

「あんた、どういうつもりなの。その髪型、榛花さんの真似でしょ」

 そう、この髪型は姉さんが最後に好んでしていた髪型だった。

 言乃音ちゃんの言葉に、夏美ちゃんの表情がまた曇ってしまった。

「夏美ちゃん、大丈夫だよ。僕たち双子だから、ショートヘアにしたら似ちゃうのは当たり前だから。言乃音ちゃんの言うことを一々気にしなくていいからね」

 僕はそう夏美ちゃんに言った後に、言乃音ちゃんに向かって笑いながら軽く舌を出してみせた。言乃音ちゃんは、そんな僕の仕草にさらに腹を立てたようだったが、それ以上は何も言わなかった。

 いや、きっと何も言えなかったのだろう。

 僕だって、何か言われたら困る……。


 ロビーは予想以上に多くの人で混みあっていた。通常なら本選会場として使われるようなホールではない。入賞者記念コンサートとかならともかく、わざわざ本選の会場として使うには贅沢過ぎるのだ。おそらく日程的に他のホールの都合がつかなかったのだろう。

 しかしその結果、本選会場をこの岐阜で申し込む人が多くなったのかもしれない。響きの良いホールで演奏したいと思うのは、演奏家なら誰しも望むことだ。

 「あんたって、本当に何考えているか分からない馬鹿よね。榛花さんと同じ髪型なんかにして。あんた、もうすでに噂になっているわよ。泉川榛花の弟がエントリーしてるって」

 ロビーをぐるりと偵察して帰って来た言乃音ちゃんが、そう囁いた。

 幼い頃からピアノを手習いとして嗜んでいる人は多いと思う。しかし、高校生になってコンクールの本選にまで残り、まして本気で全国を目指すほど熱心にピアノと向き合っている人の数は限られている。結果的にそこには閉鎖的で歪なコミュニティが自然発生的に幾つか形成されていくのだ。そうした中に、世間では無名だった天才少女……泉川榛花の名前を知っている人間が居ても少しもおかしくない。

 そしてその名前は、大抵は根拠の無いゴシップに彩られた逸話を携えているものだ。

「そんなの気にしなくていいよ。言乃音ちゃんって意外に神経質だよね」

 僕の言葉に言乃音ちゃんは、その美しい眉をぎゅっと眉間に寄せて怒った顔をした。

「大丈夫だよ。今日の僕は榛花姉さんのコピーじゃない。まして榛秀でもない。今日の僕はさ、誰でもない、ただの僕なんだよ」

 言乃音ちゃんは呆れた顔で僕をすごい剣幕で睨んでいたが、その顔は本当に憎めない顔だった。美人っていうのは、怒っていても絵になるんだなと僕は心の中で苦笑いをした。

「じゃ、言乃音ちゃん、そろそろ時間だから夏美ちゃんを借りていくね」

 言乃音ちゃんは何かを言おうとして口を小さく開きかけたが、唇を噛む様に開いた口を閉じた。そしてその瞳は、僕の瞳をしっかりと見据えていた。

「言乃音ちゃん、僕は夏美ちゃんが好きだよ。でもね、それは決して言乃音ちゃんが心配するような感情じゃない。だから安心して、もっと自信をもって」

「私は別に心配なんか……」

 言乃音ちゃんは僕の言葉が意外だったらしく、珍しく少しうろたえていた。

「僕はね、今、本気で恋をしているんだ。でもそれは先の無い恋だって分かっている。それでも、その人を本気で好きになってみようと決めたんだ。もちろん、夏美ちゃんのことじゃないからね」

 そう言って笑う僕に、言乃音ちゃんは戸惑いながらも、その瞳に薄っすらと涙が溜まるのが分かった。ほんと、美人さんは泣いても絵になるのかと、僕はまた苦笑いをした。

「だからさ、言乃音ちゃんはもっと自信を持てばいいと思うよ。夏美ちゃんのことを心配する気持ちは分かるけど、逆にそういう気持ちが夏美ちゃんに気を遣わせちゃってるんだと思う」

「なによ、急に私達の前に現れて、私達の間に入り込んで、何でも知ったような事を言わないでよ。私だってそれぐらい分かってるわよ。私だって……」

 言乃音ちゃんは自分の声が周りの目を引くほど大きくなっていることに気が付き、思わず言葉をつぐみ、そっと深呼吸をした。

「私だって夏美に気を遣わせないようにしているわよ」

「だったら夏美ちゃんのことを信じて、今は夏美ちゃんの好きなようにさせてやりなよ。大丈夫、夏美ちゃんは言乃音ちゃんが思っている以上に、言乃音ちゃんのことが好きだから。だからもっと自信をもって、夏美ちゃんを見守ってあげなよ」

 言乃音ちゃんは目を真っ赤にしながら、僕の顔を黙って睨みつけていた。そしてそこへ、控室で着替えてきた夏美ちゃんが戻ってきた。

「ごめんなさい、遅くなって。意外に人が多くて時間がかかっちゃって」

 夏美ちゃんのドレスは、春休みにサントリーホールで着ていたドレスと同じものだった。予選と同じく学校の制服でもいいかなと最初は思ったんだけど、せっかくだからと夏美ちゃん自身が希望したのだ。

「言乃音ちゃん目が真っ赤だけど、どうしたの?」

「大丈夫だよ。僕たちの演奏が待ち遠しくって興奮してるんだよ」

 僕の冗談に夏美ちゃんは愛想笑いを浮かべた。そして言乃音ちゃんは黙ったまま何も言えないでいた。だから仕方なく、僕は少し真面目に返事をした。

「言乃音ちゃんと二人で話す機会って今まであまりなかったからさ、だから、僕と夏美ちゃんは言乃音ちゃんが心配するような仲じゃないよって、ちゃんと説明してたんだよ」

「ちょっと、だから私は何も心配なんてしてないって言ってるでしょ」

 言乃音ちゃんは僕の言葉にすぐさま反論をした。そして、そんな僕と言乃音ちゃんの様子をみて夏美ちゃんは、穏やかな笑い顔を浮かべた。

「言乃音ちゃん、本当に大丈夫だよ。私達、本当に何でもないんだから」

 穏やかで、しかし決して揺らぐことのない夏美ちゃんの笑顔に、言乃音ちゃんはまた黙ってしまった。

「さて、僕も着替えてこようかな」

「えっ! あんた、着替えるの?」

「榛秀くん、着替えるの??」

 僕の一言に、重苦しく黙っていた言乃音ちゃんも、そして揺らぐことは無いと思われた夏美ちゃんの笑顔も、一瞬に驚きの表情に変わった。

「いや、大丈夫だよ。今日はハルの格好はしないから」

 僕は苦笑いをする二人を残し、男性用の控室へ着替えをしに向かった。


 舞台と舞台袖は扉で隔てられている。僕は夏美ちゃんと一緒にその舞台袖で出番を待っていた。練習は十分にしたし、僕も夏美ちゃんも変な緊張はしていなかった。むしろ、夏美ちゃんは今の状況を楽しんでいるようだった。

「ねえ、榛秀くん。さっき言乃音ちゃんから聞いたんだけど、榛秀くん彼女ができたんですって。おめでとう」

「ありがとう。でも彼女じゃなくて、正確には彼氏になるかもだけどね」

 僕の言葉に、夏美ちゃんは戸惑い一瞬に顔が曇ってしまった。

「大丈夫だよ、心配しないで。その子、本当にすごくいい子だから本気で大切にしようと思っている。けど……、でもこれは恋だからさ。先の無い恋愛だってちゃんと心得ているから。夏美ちゃんと言乃音ちゃんの二人の関係とは違ってね」

 僕は夏美ちゃんの曇った顔に少しでもいつもの笑顔を取り戻してほしいと、優しく笑いかけた。

「榛秀くん……」

「だからさ、先の無い今だけの恋愛関係だって分かっているから、逆に悔いのないように、ちゃんとその子のことを本気で好きになろうと思ってね。だからさ、この舞台で僕は僕を取り戻そうと思っている」

 夏美ちゃんは、それでも僕の顔を心配そうに見つめていた。

「だから、今日はハルちゃんの格好をしなかったの」

「この衣装はね、榛花姉さんが舞台で最後に着た衣装なんだ」

 僕の今日の舞台衣装は襟の無いノーカラーの黒のジャケットに黒のパンツという全身黒の衣装だった。しかし、袖に刺繡された白の百合の花が黒いシルエットに可憐に浮かび上がっている。姉さんが大好きだった百合の花……。

「夏美ちゃん、お願いがあるんだ」

 僕は夏美ちゃんの瞳をしっかりと見詰めて囁くように、しかし確実に僕の意思を伝えるようにハッキリと力強く言葉を発した。

「このサラマンカホールは思っている以上に残響時間が長く感じるはずだから、いつも以上に耳をよく使って。そして、僕に合わせようなんて少しも思わなくていいから」

 その最後の言葉に、夏美ちゃんは少し困惑をした様子だった。

「僕のことは少しも考えなくていい。いや、むしろ考えたらだめだ。自分の音と、ホールに響く音、それだけに集中して欲しいんだ。自分の耳を信じてね」

「榛秀くん……」

「夏美ちゃん、夏美ちゃんの音楽は言乃音ちゃんの音楽そのものだよ。だから、夏美ちゃんが自分自身をちゃんと信じれば、自然に夏美ちゃんの中の言乃音ちゃんが助けてくれる。変に僕に合わせようと考えない方がいいんだよ」

「…………」

 夏美ちゃんは言葉を何も返すことが出来ない様子だったけれど、それでも、その表情に自信が戻ってくるのが手に取るように分かった。勇気と愛に満ちた、夏美ちゃんらしい凛とした表情だ。

「だから、今日の舞台で僕の演奏がいつもの練習と違ってしまっても、少しも慌てないでね。夏美ちゃんなら、いや、夏美ちゃんと言乃音ちゃんなら、きっと大丈夫だから」

「うん、分かった」

 夏美ちゃんはそう答えると、自分の胸にそっと右手を当てた。それはまるで、自分の中に宿る言乃音ちゃんの存在を確かめるような仕草に感じられた。

舞台では僕らの直前の組が演奏をしていた。ブラームスのハンガリー舞曲第一番。それはとても技巧的で聴き映えのするコンクール向きの選曲だった。

「凄い。あの人達、本当に凄いね」

 思わず夏美ちゃんも、思っていることが言葉に出てしまったらしい。

「確かに、凄いね……」

 確かに凄い演奏だ。練習量はその人にある種の凄みを与えてくれる。でもそれで人を感動させられる訳じゃない。驚嘆は感動とは違う。練習を積み重ねれば、その練習によって得られた技術によって人を驚かせたり感心させたりすることはできる。

 でも、人を心から感動させるにはただ練習を積み重ねるだけじゃだめなんだ……。ただの練習ではなく特別な練習を積み重ねなきゃ。さらに、その特別な練習を積み重ねるには特別な指導者がいる。

 例えば、その違いは父さんと母さんの様に……。

 でも、特別な指導者に師事した生徒全てが必ずしも特別になれるとは限らない。特別な指導者から特別な練習を課せられても、本人自身が自らそこに特別な何か見出さなければ、結局、特別にはなれない。

例えば、その違いは榛花姉さんと僕の様に……。

 姉さんは特別な存在になって、母さんから父さんを奪っていった。そして僕たち家族の幸せを……。

でもね、榛花姉さん。僕も姉さんみたいに特別になりたかったんだよ。姉さんに憧れ、姉さんの後をずっと追いかけていたかったんだ。なのに……。

 気が付くと舞台の演奏は終了していた。

 そして、僕と夏美ちゃんの出番がアナウンスされた。


 僕達が選曲したのはドビュッシーの小組曲一「小舟にて」、四「バレエ」だ。ベートーヴェンなどの古典を得意とする夏美ちゃんに近代フランスのこの選曲はある意味では賭けだ。いっそ前の組が弾いたブラームスのハンガリー舞曲の方が合っていたのかもしれない。それでも、耳の良い夏美ちゃんなら大丈夫だと思っていた。

 何より夏美ちゃんには言乃音ちゃんが心血を注いで育て上げた、抜群の音楽センスがある。そして、夏美ちゃんの音楽に対する思いは、言乃音ちゃんに対する想いと同じ様に、苦悩しながらも確実に成長しようとしている。そうした内面の変化こそが、ドビュッシーの曲を演奏するには一番大切なんだ。

だから、夏美ちゃんなら大丈夫だという確信があった。

 問題はセコンドの僕だ……。

 一曲目の「小舟にて」の冒頭は、美しい分散和音とそこに奏でられる旋律で始まる。それはまるで静かに波打つ水面に浮かぶ小舟の様。すると一変して、動きのあるリズムでフレンチな上品でお洒落な雰囲気となる。そして幻想的な和音に導かれながら冒頭のシーンに戻っていく。

 この曲ではテクニックよりも、音自体の響きやハーモニーなどの音楽性が重視される。単純な旋律がゆえにフランス音楽らしい抑揚や柔らかく包み込むような優しい響きを作っていかなければ、この曲の魅力を引き出すことはできない。

 

僕にとってフランスとは祖母の故郷だ。そして父の故郷でもある。パリへ留学していた当時に母は父と知り合った。父はチェロを学び母はピアノを学んでいた。そして恋に落ちた二人の間に双子の姉さんと僕が産まれる。やがて日本人の祖父の仕事の都合で祖父と祖母は日本へ移住することになる。双子の育児に追われる母は、父と相談し祖父母の後を追う様に帰国。その後、僕ら家族六人は日本での生活をしばらく続けるのだけれども、フランス人の祖母は日本に馴染めず頻繁にフランスに帰国するようになる。そしてある時、祖母はそのままフランスから帰ってこなかった。そんな祖母を、祖父は一度たりともフランスへ迎えに行こうとはしなかった。

 一曲目の演奏が終わる。

 プリモの夏美ちゃんが一瞬、僕の顔を心配そうに覗いた。僕は夏美ちゃんを安心させるために、ゆっくりと微笑んだ。夏美ちゃんの不安気な顔の向こうには、客席やそこに座る審査員の先生の顔も見えたけど、今はそんなことどうでも良かった。

 次の曲は「バレエ」だ。本来ならこの小組曲は「小舟にて」「行列」「メヌエット」そして「バレエ」と続く。前曲の三曲全てが集約され「バレエ」にて帰結する。

 軽やかな連打音と裏打ちの軽快なリズムに始まり、短い中間部では優雅でゆったりとした旋律が奏でられる。そして徐々に動きを取り戻し冒頭の再現部へとつながり、最後の華やかなコーダで終わる。

実際の演奏では裏拍のリズムをしっかりと感じ、休符を意識することでテンポが揺れないように心掛ける。リズム部分とメロディー部分の対比をしっかりとつけることが大事だ。

 

 父と母は、榛花姉さんと僕が幼い頃は二人で演奏活動をしていた。国内では室内楽の奏者としてそれなりの地位を得ていたようだ。しかし、僕らが小学生になる頃には母は音大の講師として教育者の道を歩み始め、父はチェリストとしての演奏の場を国外にも広めそのキャリアを確実に積み始めていた。

 榛花姉さんと僕は、小学校が夏休みなると毎年フランスのパリ郊外の祖母の家を父と三人で尋ねた。榛花姉さんは子供の頃から何をやっても器用で、いつのまにか片言のフランス語を話すようになっていた。地元の子供たちとも毎年夏の間だけの特別な日本の友達として歓迎されるようになり、僕はその特別な友達の双子の弟として位置づけられるようになる。

 そして夏のある日、フランスの田舎の小さな音楽祭で、榛花姉さんの音楽の才能が披露される事となる。地元のオケと一緒にコンチェルトを演奏したのだ。シューマンのピアノ協奏曲イ短調。それは決して日本では報じられることのないような小さな出来事だったけれども、それでも、僕とその会場に居た人たちは、音楽の神に愛された天才少女の登場を少なからずの衝撃と共に目撃したのだ。それは地元の新聞やニュースなどでも取り上げられ、特にフランスの音楽関係者の間ではちょっとした話題になった。祖母が残した当時の新聞の切り抜きや雑誌の特集記事などがその様子を詳細に物語っている。

 それが榛花姉さんと父の、ヨーロッパを拠点とした演奏活動の始まりだった。

 そしてその後、僕はフランスの祖母のもとへは行かなくなった。最後にフランスを訪れたのは、祖母が亡くなった時のことだ。祖母が眠るお墓の前で、僕はいつまでも泣いていた。そしてそんな僕の手を、榛花姉さんはいつまでも温かく握りしめていてくれたのだ。

 

 これが、僕のフランスの思い出。

 

 気が付くと、僕は演奏を終えていた。そして、コンクールなのに会場には割れんばかりの拍手が響いていた。隣では、夏美ちゃんがとても複雑な顔をしている。

 ああそうか、コンクールは失敗したんだなと、その時、僕は初めて気が付いた。

 でもコンクールは失敗したけど、ドビュッシー先生には申し訳ない演奏をしてしまったけど、それでも僕は、とても清々しい気持ちでいっぱいだった。

「夏美ちゃん、せっかくのコンクール、台無しにしてごめんね」

「ううん、気にしないで。凄いドビュッシーでビックリしたけど、でも、榛秀くんが演奏前に言ってくれたこと、あれがとっても役に立ったよ」

 舞台袖の扉が開き、僕と夏美ちゃんは舞台から退場した。

「それに、私も会場で拍手していた人達と同じ様に、すっごく感動したよ。なんか、あの演奏を本当に自分がしてたなんて信じられない感じ」

 夏美ちゃんは舞台袖の扉が閉まると、興奮が抑えきれない様子で早口で話し出した。

「きっとコンクール的には駄目な演奏なんだろうけど、私は感動した。それに、私も演奏しながらちゃんと気が付いたよ。私の中にちゃんと言乃音ちゃんが居るって。榛秀くんの言う通り、何も考えずに、ただ言乃音ちゃんのことだけを考えて、言乃音ちゃんを信じて弾いたよ」

 そう話す夏美ちゃんの大きな瞳には、大粒の涙が溢れんばかりに溜まっていた。

 そこへ、怒り心頭といった言乃音ちゃんがやってきた。


 僕らは他の奏者の迷惑にならないようにロビーの外に出た。きっと、言乃音ちゃんは凄い剣幕で僕を責め立てるだろうと思ったからだ。ホールのロビーから建物の共有スペースの吹き抜けのロビーへと移動し、そこから一旦、僕たちは建物の外へと出た。

「あんた本当に馬鹿なの?……っていうか本当に馬鹿ね! 何よあの演奏は? あんたどんだけシスコンなのよ! 女装では飽きたらず舞台の上でまでお姉さんの影を追いかけてるの?」

 言乃音ちゃんは真面目に怒っていた。確かにクラシック(西洋古典音楽)に真面目に取り組んでいる言乃音ちゃんには許しがたい演奏だったのだと思う。クラッシック音楽とは再現芸術なのだ。作曲家の意図を楽譜を通してより正確に理解し、それに対して奏者が自分なりの演奏で真摯に応える。それがクラシック音楽の作法でありルールなのだ。

 だからきっと、もし今日の演奏をドビュッシー先生が聴いたら、おそらくは笑って許してくれるだろうけど、それでも、『これは私の作品ではない』ときっぱり言うだろう。

「言乃音ちゃん……。榛秀くんは本当に凄い演奏だったよ。ただ、その、私がついていけなくて本当にごめんなさい」

 言乃音ちゃんの言葉に対して、夏美ちゃんがいつも通りフォローの言葉を入れてくれた。でも、夏美ちゃんの言葉は間違っていた。夏美ちゃんは精一杯に僕の暴走に付き合ってくれていたのだ。夏美ちゃんが悪いところなんて決して何もない。

 それに、言乃音ちゃんの言うことも正しかった。おそらく榛花姉さんなら、ドビュッシー先生が納得するような形で、誰にも真似できない様な素晴らしい演奏をしただろう。

「夏美、こんな奴に謝る必要なんてないから。こんな、死んだ人間の亡霊をいつまでも追い続けているような人間に……」

 僕は言乃音ちゃんのその言葉を聞いて、ふと、この二人なら本当の事を話してもいいかなという衝動に駆られた。それは僕自身のためなのか、榛花姉さんを敬愛してくれる言乃音ちゃんのためなのか、それとも、榛花姉さんのためなのか、僕にもよく判らなかった。

「姉さんは死んじゃいないんだ……」

「はぁ? なにそれ、僕の心の中にまだ生きている……とでも言うわけ」

 言乃音ちゃんはイライラした感情を少しも隠さず、僕に詰め寄った。

「違うんだ。姉さんは本当に生きているんだよ」

 そして僕はそんな言乃音ちゃんに対して冷静に、正確に、事実を伝えた。しかし言乃音ちゃんは、その事実を理解できないのか、理解したくないのか、放心状態となっていた。

代わりに夏美ちゃんが僕の言葉に答える。

「それって、どういうことなんです? お姉さんは自殺したんですよね……」

「自殺はしたよ、でも死んではいない。今もちゃんと生きているんだ」

 僕の言葉に、夏美ちゃんも返す言葉を失った。

「…………」

 そして長い沈黙の後に、言乃音ちゃんがようやく重い口を開いた。

「泉川榛花が、まだ生きているっていうの……」


 

それは、睡眠薬とアルコール、そして違法薬物の過剰摂取が原因だった。

 父が公演の直後に楽屋で倒れ亡くなった次の日、通夜からホテルに戻った榛花姉さんが、その翌日の父の葬儀直前になっても少しも顔を見せず、嫌な胸騒ぎを感じた僕がホテルの姉さんの部屋へ様子を見に行った。そこで僕が目にしたのは人形の様に静かにベッドで眠る榛花姉さんだった。

 それは文字通り永遠の眠りだった。

 薬物オーバードース(過剰摂取)の一通りの治療と検査を繰り返し、臓器の機能はなんとか回復したはずなのに意識だけが戻らない。長時間の昏睡状態で脳が致命的なダメージを負ってしまったのだ。

数週間の後、母は医者と今後の対応を話し合い、その結果を僕に伝えた。

 ある事実と共に……。

 その日の母は少しも慌てた様子がなく、恐ろしいまでに冷静で淡々としていた。

「秀くん、榛花ね、お腹に赤ちゃんがいるんだって……」

 僕は、母のその言葉を聞いたとき、何故か少しも驚かなかった。むしろ、あぁ、やっぱりそうだったのかと思った。母も僕も、何も言葉を交わさなかったが、榛花姉さんの子供の父親が誰なのか、お互いに検討がついていた。それは確信というよりも、目を背けていた現実が、ただ目の前に唐突に現れた……そんな感じだった。

 間違いない、赤ん坊の父親は父さんだ。

「どうするの、母さん」

 その言葉を母に投げ掛けた直後に、僕は絶望的な自己嫌悪に陥った。僕は結局、姉さんの最後の大切な場面でさえ、自分の意見を主張せず、いや、主張できるような強い意思は何も湧き起こらず、その判断を母親に放り投げてしまったのだ。

おそらく、こんな時、榛花姉さんなら決して判断を他人に委ねたりしない。それが僕と姉さんの決定的な差だ。だから姉さんは、どんどんと世界の向こう側に進み、僕はいつまでたっても、世界のこちら側に取り残されたままだったのだ。こうして、病室のベッドに横たわる姉さんを目の前で見ながら、僕は、姉さんとの間に、まるで永遠のような距離を感じていた。

「子供は堕させるわ。榛花の体を守るためよ……」

母は嘘をついているなと思った。母さんは姉さんの体よりも、姉さんのお腹の子供を、この世から完全に葬り去りたいんじゃないのかなって思った。

おそらく、姉さんと父さんは本当に愛し合っていたんじゃないかなと思う。親子として、音楽家として、そして、女と男として……。榛花姉さんは、そういう人だ。自分が愛したいものを徹底的に、そして完全に愛する。病的なまでに……。

 でもそれが、榛花姉さんの強さでもあり、榛花姉さんの音楽家として才能だった。その事は、僕以上に母親である母さんの方が判っていたんだと思う。そして誰よりも姉さんのそんな気質を間近で見せつけられていたのが、父さんのはずだった……。

 だから父さんは、姉さんを受け入れたのか……。

「榛秀、いい、この事は絶対に秘密よ。世間に対しても、そして、榛花に対しても」

 母はたぶん、冷静な判断ができていないのではと思えた。何故なら、榛花姉さんに秘密にすることは構わないが、肝心の榛花姉さんが目を醒ますのは、医者の話では絶望的だということなのだから。

そして驚くべき言葉を続けた。

「榛花のお葬式の段取りをするから、榛秀はこのまま病院に残ってくれる」

「母さん、お葬式って、榛花姉さん、まだ生きてるんだよ」

 母は僕の言葉が聞こえなかったのか、聞こえない振りをしたのか、そのまま病室から立ち去ろうとしていた。

「榛花姉さんは…、榛花姉さんをこれからどうするつもりなの」

母は僕の言葉に振り向きもせず、一言だけ呟いた。

「どうもしないわ。もう全て終わったのよ」

 その言葉が、冷たく無機質な病室に、いつまでもこだましているように僕の耳に残った。



「榛花さん、本当に眠っているみたい」

 夏美ちゃんが囁くように沈黙を破った。たぶん、この異様な部屋の雰囲気に耐えられなくなったんだろう。

 僕達はコンクールの結果を確認すると、すぐに榛花姉さんの病室を訪れていた。

そして僕はといえば、あの時、母がどんな顔をしていたのか必死で思い出そうとしていた。

 だから、夏美ちゃんの言葉に応える言乃音ちゃんの声を、危うく聞き逃すところだった。

「夏美、榛花さんは本当に眠っているんだよ」

言乃音ちゃんはこう言いたかったに違いない。ただ「眠っている」のではなく、「永遠に眠っている」のだと。言乃音ちゃんは、そういうふうに、物事の真実を敏感に感じとる感性がある。それはたぶん、榛花姉さんと同様に、芸術を志す者にとって必要不可欠な能力なのだろう。

「ねぇ、こんな大事なこと、私達なんかに教えちゃってよかったの。これ、世間にばれたら凄い騒ぎになるわよ」

言乃音ちゃんが心配そうに言う。確かにちょっとしたニュースにはなるかも知れないけど、凄い騒ぎっていうほどの騒ぎになるのだろうか。

「大丈夫だよ。二人とも誰かに喋ったりしないでしょ」

 僕は、笑いながら言乃音ちゃんに言い返した。僕は、いったいいつから無意識に笑って誤魔化すようになったんだろうか。きっと、榛花姉さんのことを本気で好きだと自覚し始めた時からだったのだろうか……。

「もちろん、大丈夫だよ。誰にも言わないから。榛秀くん、心配しないで」

 夏美ちゃんが僕の言葉に慌てて応える。

 その時、病室の扉が開いた。

 修一と碧葉ちゃんの担当医の一人、永子先生がそこにいた。碧葉ちゃんの主治医はこの病院の教授でとても偉い先生らしく普段はあまり見かけたことがない。代わりに小児病棟の永子先生が碧葉ちゃんの病室をよく出入りしていた。

 修一は、僕と一緒に言乃音ちゃんと夏美ちゃんが榛花姉さんの病室にいることに一瞬驚いたが、僕の顔を見て状況を納得したようだった。

「ハル、約束通りに永子先生を連れてきたぞ。本当にいいんだな」

 修一は僕のことをハルと呼んだ。その潔い響きがとても修一らしいと、僕は心から感謝をしていた。

「ああ、ありがとう。修一……」

 修一は、とても神妙な顔をしていた。いつもの冷静で落ち着いた雰囲気とは別の、何かに怯えているような感じさえした。そしてその原因は、修一の隣にいる永子先生だということがすぐに分かった。

「永子先生、ご無沙汰しております。わざわざお時間を作っていただき、ありがとうございました」

「いや構わんよ。どうせ同じ病院に居るんだし。それより榛秀くん、だいぶ雰囲気が変わったね。髪を切ったせいもあるんだろうけど……」

 そう話す永子先生は、いつも以上に隙の無い張り詰めた空気を放っていた。その空気に修一は当てられているのだろう。

「ところで、大事な相談があると聞いたが……」

 永子先生はそう言いながら、言乃音ちゃんと夏美ちゃんの方を見た。これから相談する内容が二人に聞かれていい話なのか心配をしてくれたのだろう。

「大丈夫です。この二人は大丈夫です。修一、いいかな?」

 僕の言葉に修一は、ゆっくりと、力強く大きく頷いた。

「永子先生、修一と碧葉ちゃんの子供は、体外受精でそれも代理出産でなければ難しいと、修一から聞きました」

 言乃音ちゃんと夏美ちゃんは、僕の話に明らかに動揺していた。夏美ちゃんはきっと自分達が本当にこの場に居てもいいのだろうかと心配をしているのだろう。そして言乃音ちゃんは、体外受精と代理母出産という手段を用いてまで子供を作りたいという、修一と碧葉ちゃんの想いや覚悟に圧倒されている様子だった。

「それで、相談というのは?」

 永子先生は僕の顔をとても厳しい目で見ていた。恐らく、僕がこれから話そうとする内容を永子先生はもう気づいているのかもしれない。いや、きっと気づいているのだろう。

 それでも僕は、それを心から望んでいるのだ。

「榛花姉さんを、榛花姉さんの体を、代理母出産の母体として使ってもらえませんか」

 病室に射しこむ夕日が部屋中をオレンジ色に染めていた。まるで、それは煉獄か彼岸の畔を思わせるような光景だった。その中で僕の言葉を耳にした言乃音ちゃんと夏美ちゃんは、あちらの世界とこちらの世界を垣間見たような、複雑な驚きの顔をしていた。

 そして、永子先生は眉一つ動かしていない。やはり永子先生には分かっていたのだろう。僕の思いも願いも、そして榛花姉さんに対する僕の望む結末も……。

 修一は僕と目を合わすことができず、黙って床を見詰めていた。そして、ゆっくりとその顔を上げると、目を赤く腫らしながらこう言った。

「ハル、それは倫理的に許されないよ」

「それは生命観の問題? 碧葉のお父さんに感化されたの?」

 僕は、修一と一緒に食事をした時の話を思い出していた。

「いや、そんな難しい問題じゃなく……。だって、榛花さんの意思はどうなるんだよ。たとえ榛花さんの意識が無いとしても、そんなこと勝手にできる訳ないだろ。それに、お前だって、いつかは榛花さんの意識が戻るかもしれないって、そう信じてずっと榛花さんの看護をしてきたんだろ。それなのに榛秀、お前は……」

 修一は力強く握った拳を震わせ、珍しく感情的になっていた。

「それはこの前も話しただろ。これは僕が心から望んでいることなんだ。俺自身と榛花姉さんのためなんだ」

「だから、どうしてそれがお前と榛花さんのためなんだよ!」

「それは……」

 僕が心の奥に仕舞い込んでいた想いをぶちまけようとしたその瞬間、永子先生の一言が病室にこだました。

「榛秀くん、そこまでにしておけ」

 永子先生は、昏睡状態の榛花姉さんから堕胎手術をして赤ん坊を墜ろした事実を知る数少ない一人だった。確かにその事実は、榛花姉さんのためにも決して公にするべきことではない。それは榛花姉さんの名誉を、榛花姉さんの人生を、全てを汚してしまうものだ。

 それでも、それでも僕は……。

 僕にはどうしても判らなかったのだ。どうして榛花姉さんは赤ん坊を身籠りながら自殺を選んだのか。その赤ん坊は姉さんが愛した父さんとの証じゃなかったのか。姉さんほどの人がどうしてそれを、そんな尊い命を道ずれに……。

「永子先生、僕は……」

 永子先生は僕に近づくと、何も言わずに僕を抱きしめた。

 きっと、そんな永子先生を見て修一は驚いていただろう。言乃音ちゃんと夏美ちゃんは何が起きているのか、きっと理解できなかっただろう。

 僕は永子先生の中で思いっきり泣いた。たぶん、そんなに泣いたのは何年振りかだったと思う。父さんが死んだ時も、榛花姉さんが昏睡状態になってしまった時も、本気では泣けなかった。

 姉さんのリハビリをしている時に、何度も泣きそうになったことはある。独りでピアノに向かっている時も、姉さんの部屋で姉さんの残した服に袖を通している時も、何度も何度も泣きそうになった。それでも、本気では泣けなかった。

 だって、姉さんがどうして自ら死を選んだのか、僕には分からなかったから。


 僕は、僕の拠り所を無くしたまま、僕自身を見失い続けてしまっていたのだ。だから僕は答えが欲しかった、榛花姉さんが死を選んだことに対する答えを。だから、姉さんにいつまでも生きていて欲しかった。僕が答えを見つけ、僕が僕自身を取り戻すまで。

 でもそれができないなら、その答えを修一と碧葉ちゃんの子供に託せると思ったのだ……。

 もちろん、そこには正当な理由も根拠も無い。

 ただ、ただ、僕は姉さんの子供を一目でいいから見たかったのだ。そして、その子の成長を見届けたいと思った。

僕が愛した姉さんの代わりに……。


 こうして、僕と夏美ちゃんのコンクール本選は終了した。


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