これが夢ならば・・・。
久々にアップいたします。
坂本流です。新規読者開拓精神から、カクヨムにも載せていますが、小説家になろう並びにカクヨムスタッフ様なにかございましたら、ご連絡下さい。
読者様に関係ないですね。SF(少し不思議)です。
どうか、SF(少し不思議)を楽しんで下さい。お願いいたします。
―――何だこれ?一体全体どうなっているんだ?―――
首を下げてみる。白、けむくじゃら、
―――ううん?!俺は意味が分からなかった。足を上げてみよう。
あ、足・・・・・四つん這い。思考が混濁する。意味分からない。耳、前足で顔の側面を撫でる。 ―――無い・・・。こねくり回して、頭を掻く。あった。ここは頭上。
・・・・・・・
「ワン!」
―――犬、犬になってしまったのか俺は―――
それにしてもここはどこだ?!
「あのぬいぐるみ、お腹、時計になってるんで時々、鳴るんですよ。」
そう言って、前にいる医者は腕時計を確認する。
「あれ?おかしいな、こんな時間には鳴らないはずなんだが・・・・。ところで。」
デスクチェアを回転させ、山崎先生は私達の方を向いた。
「あれから、お変わりないですか?」「・・・・・・。」
何も答えられない。怖いのだ。人が。
「娘の、対人恐怖症は治りますか?先生。」
山崎先生は渋い顔をして、少し考え込む。
「すぐには、すぐにはという訳にはいかないでしょう。」「そんな、早く、早く、娘を社会復帰させないと!!」
お母さんは身をのりだし、迫るように先生に言葉を投げている。
「・・・・・。」
また沈黙が起こる。私も怖くて何も口に出せない。
お母さんは、私の今の現状に対して何も理解していないように思えた。
・・・気持ちの問題・・・
そんなこととばかり思われている。対人恐怖症と診断された、私の今の現状、それは、気持ちの問題で、自分の精神力が弱いからだ、勇気が足りない。そんな言葉でおそらく、お母さんは片付けてしまっているのだろう。
しかし、本当に気持ちの問題だけでこんな風になるものか・・・・。私はそう思っている。私は一流企業のOLだった。親の期待に沿って生きてきた。
しかし、突如、人が怖くなった。男性恐怖症とか、また同性なら女性恐怖症とか色々あるが、私の場合、全ての人を対象とする対人恐怖症だった。
特に職場でパワハラやいじめがあった訳ではなく、突然・・・・・。
あえて言うならミスか・・・・。
私は思考の中で答えを見つけようとしていた。私は完璧主義なのかもしれない。職場でささいなミスを犯した。それによって、他人の目がひどく気になり、誰かの話声も私に向けられていると感じるようになり、そして、それが突如溢れだし、家から出れなくなったのかもしれない・・・。
「抗鬱薬を処方しましょうか?」
そう山崎先生は言った。それを受け、すぐさまお母さんは反応する。
「うちの娘が鬱になったと言うんですか?!」
診察室の中だと言うのに、声を張り上がる。これ以上、病名を増やしたくないのだろう。
「いや、抗鬱薬を投薬することによって、少しは改善を図れると言ってるんですよ・・・・。」
山崎先生は母の声に少しひるみながら言った。
「・・・・・。」
また沈黙が起こる。その沈黙の中、私はさっき吠えたぬいぐるみを指差した。
「・・・・・どうしました?」
かわいいものは好きだが、別にそれが理由ではない。私は『人』でない、話し相手を探していたのかもしれない。震える声で勇気を振り絞って言った。
「あれ、くださいませんか?」
―――なんだこれ、俺は、江利沢さんに抱えられている―――
触感はある。江利沢さんの胸があたって気持ちいい。いや、そんなことはどうでもいい。
首を振ろうとしたが、できない。ぬいぐるみになったらしいので。
ぬいぐるみ・・・・。ぬいぐるみとしての、体面なんてどうだっていいが、大騒ぎになる。
そんなことを考えながら、俺は江利沢さんの自分の部屋だと思われるベッドの枕の横に置かれた。
すると、江利沢さんが突然着替え始めた。
見てはいけない。そっぽを向いていようか?いや、ダメだ。それを見られたら、動けるのがばれてしまう。
江利沢さんは下着姿になった。生唾なんて出ないが、出そうだ。ダメだ。そんなことを考えていてはダメだ。また首を振ろうしたが、自制した。
・・・・・・
江利沢さんは着替え終わると、部屋から出て、夕食をとっているらしい。その間に、頭を整理しよう。何だこの状況は?
俺は江利沢さんのことが好きだった。自分の会社は大企業だから、同期や若者が沢山いて、その中で一緒にお昼や、遊びにいくことが多かった。そこに男女の垣根は無かった。女性の中でも江利沢さんは特別だった。自分の失態で会社に迷惑がかかりそうになったときも、彼女は率先してフォローしてくれて、夜遅くまで仕事を手伝ってもらったこともある。そんな彼女に自然と憧れてしまっていたのだ。
江利沢さんにそう言った意味でアプローチをして、何度かデートも行ってもらったこともある。しかし、江利沢さんに自分の思いを打ち明け、答えを待って欲しいと言われてから、しばらくすると江利沢さんは会社に来なくなってしまった。
まさか、江利沢さんが対人恐怖症になってるなんて・・・・・・。
そう言えば、江利沢さんが会社に来ないので、今年の正月か、初詣でお願いしにいったこともある。
―――江利沢さんが会社に戻ってくるように―――
そうお願いした。そんな思考を巡らせていると、俺は頭を振った。
関係あるか?今の状況に。ぬいぐるみだぞ?ぬいぐるみになっているんだぞ?
この思考は全く答えを導きだしていない。
そうこうしている間に、江利沢さんは部屋に戻ってきた。夕食を終え、お風呂あがりらしく、上下ピンクのパジャマから、熱気がその身を包んでいて、正直エロい。
そんなこと考えている場合じゃない。どうしよう。
いや、よく考えてみろ、突然人間がぬいぐるみになることなんて非現実的なこと起こりえるのか?有り得ない。そうだろ?夢だ。なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。寝よう。もうちょっとこの甘い夢に浸っていたいが、早く寝よう。
あれ?!瞼がない。寝れない。
江利沢さんは何か机の前に座って何か書いている。日記か?
そして俺の傍まで来た。
「お母さんも、お父さんも、何も理解してくれない。気持ちの問題だとか?そんなんじゃないのに・・・・。私こんなに怖いのに。」
江利沢さんは泣いている。そして俺の眼を見つめずっと、話しかけている。
「ヒック、ヒック、ごめんね、お話し聞いてもらって。また明日ね。白太郎。」
そう言って、部屋の電気をリモコンで消して、豆電球だけにして布団の中に潜りこみ寝息をたてている。
・・・・・・
―――俺も寝よう。早く、この夢から覚めた方がいい―――
俺は江利沢さんの涙を手で拭いて、無心になった。
二三日、経過した。江利沢さんは相変わらずで、俺も相変らず、ぬいぐるみである。俺はもう諦めた。信じ難いことだが、これはきっと現実だ。現実にぬいぐるみになってしまったのだ。
江利沢さんはいつも寝る前に日記をつけて、そして、俺に話かけて寝る。俺はぬいぐるみだから言葉を発することできない。一回、話しかけてみようと、何かを言ったが『ワン』と変換された。江利沢さんはそれに驚いたが、もともと吠える仕様だったので、その驚きは一瞬だった。
そして、今日も俺の横で寝息をたてている。もうよこしまな感情は消えうせた。着替えようが、抱きしめられようが、もうドキドキしない。そんなことしても無駄だからだ。だからと言って、外に出ても、意味が無い。ぬいぐるみはぬいぐるみの人生しか無いだろう。人として、いや動物として扱ってもらえない。外に出る意味も見出せない。
ため息がつきそうだ。ぬいぐるみは食べることも睡眠も必要ない。ただ、置物として生きるだけ、ぬいぐるみには意志が無いから存在しえるのだ。意志がある俺はそれとは違う。もう、死にたい・・・・。そんな風に帰結することも至極当然であろう。
部屋の明かりが豆電球だけだから、目を凝視して部屋を見渡す。江利沢さんの部屋は何もかも整理整頓されていて、クローゼットと、本棚、机とイス、そして今、江利沢さんが寝ているベッド、それ以外、何もない。机の上を見てみた。江利沢さんは今日は珍しく、日記を開いたまま寝ていた。
俺はそんな状態だから、何もせず、ただ無心になることを連日していたが、何かをした方が良い、または江利沢さんのことが心配で事を為した訳では無い。
ただ、自然と、机の上に立っていた。
デスクライトをつけてみる。すぐにベッドの方を振りかえる。
―――大丈夫だ。江利沢さんは眠りは深い方らしい―――
日記。何何?・・・・・。
正直、内容は俺に話かけている内容とほぼ同じ。しかし、文字にしたら、すごく切実に伝わってくる。俺はその日記を読みながら涙が出そうになった。
そして、どんどんページをめくり、昨日、一昨日と日にちを遡っていく。
手で、目の下を拭った。意味ないことだが、俺は心の中では本当に泣いている。
ずっと、ずっと、そうしていた。日記を読み終える前に、太陽が顔を出して、光が部屋に差しこむ。
俺はようやくハッとなって、ベッドの上の定位置に戻る。
―――何かしよう、何かしてあげられることは無いのか?―――
俺はようやく、ぬいぐるみとして、何かしてあげられること、生きる目的を見つけられた気がしていた。
白太郎を持ちかえって、数日が経過した。
私にとって、この日常に変化は無い。人を恐れ、おののき、関わりたくない、話したくない。それは何も変わらない。
結局は、外に出ても、二月の寒空の下、お母さんと車で病院に行き、寄り道もせず、ただ帰る。怖いのはなによりも、病院の中だった。私が待合室で誰かに視認、認知されている。それがとてつもなく怖いのだ。
結局、食後に抗鬱薬を飲むことになった。しかし、何も変わらない。私は鬱ではないのだから・・・・・。
そんなことを考えながら、今日も寝る前に日記をつける。あれ?昨日?日記帳、変なところで折れ曲がっている。
そういえば、最近、位置が変わっていたり・・・・・。
少し、奇妙に思った。ポルターガイスト現象・・・・・。しかし、そんなことある訳ないし、怖くもない、私が怖いのは『人』だ。
新しいページをめくって、シャーペンを持つ。そして、自分の気持ちをそこに吐きだす。
日記をつける習慣は学生時代からだが、今、こうやって気持ちを吐きだせるのは、この日記とベッドの上に乗っている白太郎だけだ。
何か、この二つのどちらかが、消えてしまったら、私は私でいられなくなってしまう気がする。きっと、気を失ってしまって動けないような、そんな恐怖感に駆られるだろう。
いいや、書こう。昨日、何書いたっけ?
前のページを確認するため、一ページめくる。
『泣かないで!皆、心配してるよ。』
見たこともない筆跡がそこには存在した。そして私を励ますようなメッセージ。
誰だ?お母さん、お父さん・・・・。いいや、そんなハズはない。二人の性格なら直接話すはずだし、実際に話されている。では誰?
少しばかり混乱した。訳が分からない。
しかし、動悸を抑えて、冷静になってみると。お母さんだろうが、お父さんだろうが、私を励ましてくれていることに変わりは無い。今日の日記の末尾に返事しておこう。
『ありがとう。でも、誰が心配しているの?』
大変だった。俺は日記を読み終えた。犬の手でページをめくるだけでも大変なのに、文字を書くなんて・・・・。文字を書くときは全神経を集中しなければならない。このときはもし、江利沢さんが起きられても、対応しようがない。
リスクを承知でメッセージを送る。読むだけでは、自分は江利沢さんに何の手助けもしてあげられない。ならば、何かをしなければならないだろう。
そう思い。暗闇の中、文字を書いていた。
右前足でペンの上の方を持ち、左前足でペンの下の方を持ち支える。そして、中腰の状態でゆっくり、丁寧に書くことを心掛けた。まるで、身の丈以上ある、大きな筆で書道をしているようだ。
しかし、自分が思っていたよりも存外うまく書けた。よかった。
そして今夜。俺は見ていたが、どうやら江利沢さんは俺のメッセージを発見したようだ。
そう、白太郎としての俺にも語りかけていたし、怖がっていない。むしろ、前向きにことは進んだようだ。
『ありがとう。でも、誰が心配しているの?』
正直、返事に悩んだ。確かに、突然来なくなった江利沢さんに会社の皆は心配している。しかし、会社の皆が心配していると書けば、会社の誰かが不法侵入して、勝手に江利沢さんの日記に書き足していると思われる・・・・。弱いが・・・・。
『少なくとも、僕はいつも心配してる。』
そう書き足した。これでさっきのような心配もないだろう。しかし、僕と書いたことはうかつだったかもしれない。消しゴムをつかうのは無理だ。性別が分かるぐらい大丈夫だろう。
そう、とても、難しい体勢で書き足した後、デスクライトを消して、すぐにベッドの上の定位置に戻った。
クスっと笑みが浮かんだ。少なくとも、僕はいつも心配しているって、これは一体どういうことだろう。お父さんが第三者に演じてこんな訳の分からないことをしているのか、それは無いだろうが、僕って誰なんだろう?私はこう書き足した。
『あなたってどんな人?』
そして、ベッドに横たわり、白太郎にこう言った。
「誰なんだろうね?僕って。」
良かった。江利沢さんに笑顔が戻った。
そう思った。ちょっとのことだが、あんな無理な体勢で書いたことが実を結んだのだろう。
微笑みながら俺に話かけて、寝床についてくれた。
そして、今日も日記を見る。
『あなたってどんな人?』
これも返事の仕方を誤れば・・・・。難しい。もちろん、俺自身のことだが、俺が心配していると書けば、俺が不法侵入して書いているように思われる。別にもう、ぬいぐるみだから、何だっていいが、警察沙汰になれば、俺が指名手配犯になってしまう。考えたあげく、趣味でも書こうか、という気になった。
『クラシックと自転車が好きです。』
小学校の自己紹介の作文みたいだが、これでいいだろう。
クラシックと自転車が好き・・・・。フフフ、面白いよ、この人。私は自然と笑みを浮かべていた。そして、ペンを持つ。
『私もクラシックは好きですよ。毎日、聞くぐらい。自転車は私はちょっと遠出するときだけかな?でも周りの景色とか見渡せて、乗ること自体は好きですよ。私の趣味はそうだね、クラシックと小説を読むことかな。特にミステリー小説が好きで、気付いたら一日が過ぎていることが結構多いです。』
『クラシックが好きなんですか?気が合いそうで良かったです。主に何を聞いてらっしゃいますか?僕は自転車が好きだと言っても、本当のレースの自転車が好きなんですよ。家にレース用の自転車を置いてます。それがまた高くて、40万程したんですよ。ミステリー小説、僕も小説は好きです。仕事に追われてから中々、読む時間が無くて。』
『ご多忙なんですね。自転車にそんな高いものがあるなんてビックリ、40万円もする自転車があるんですか?クラシックはモーツァルトが大好きです。学生の頃から魅了され続けています。私も最近まで、小説読む時間が無くて、でも、ミステリーってすごく面白くて、誰かにこの面白さを伝えたいなんて思っちゃうんです。良かったら、機会があれば聞いてくれますか?・・・・・・・・・』
日記はいつしか、その誰か分からない人とのやりとりに変わっていた。
しかし、クラシックと自転車が好き・・・・。過去に、そんな人と深く関わりがあったかもしれない。過去の記憶を思いだすことは私にとって痛みを伴う。私は頭の片隅にそれを置き、放っておくことにした。
そして、数週間が過ぎ去った。
「弘美、最近、表情変わってきたね。」
そう、お母さんに言われた。私は毎日が楽しみで仕方がなかった。それは日記を見るときにしか表れないが、それが漏れてきたのだろうか?リビングでミステリー小説を読んでいるときでも、クラシックを聞いているときでも、自然と笑みが増えている。感受性が豊かになったのだろうか?
お母さんは、会社を休んで、数ヶ月経過した今、ようやく、私が置かれている現状、症状に理解を示すようになった。表情が豊かになったとはいえ、私は一歩も家の外に出ようとしない。それが、お母さんに私の病気の理解とともに、半ば諦めたような感情を持たれているようだ。
でも、そんなこと関係ない。私は家に出なくたって、毎日が楽しいのだ。
日記で誰か分からないが、やりとりをしてくれている人。その人が私を支えてくれて、励ましてくれる。それがこの上なく嬉しい。
現実を逃避している訳ではないが、そんな気にもさせられている。
しかし、今日もハミングしながら、机の前に座り、日記を見ると。思っても見なかったことが書かれていた。
『江利沢さん、会社に戻りませんか?皆心配してますよ。横田さんや、山岸さん、東野さん・・・。』
私は思わず、日記を勢いよく閉じ。とても憤りを感じ立ち上がった。
―――何よ!何よ、これ!?アナタだけは私のこと理解してくれてると思っていたのに―――
腸が煮えくりかえる思いをして、日記を部屋のドアに向かって投げた。
会社に戻れって、戻れるわけないじゃない、やっぱりこの人も何も分かってない・・・。
私は日記をそれ以上見ず、ベッドに潜り込んだ。視界に白太郎が映った。
「白太郎?!やっぱり、誰も何も分かってない!」
そう言葉を白太郎にぶつけて、私は寝ようとした。私はこの人も理解してくれていないことに苛立ちと同時に深い悲しみを覚えた。涙がそれを物語っている。
眠りにつく前、誰かが、涙を拭ってくれている気が・・・・。
俺は勇気を振り絞っていた。江利沢さんの状態は誰よりも分かっている。もちろん、あれを書いたら、反感と悲しみを覚えることも分かっていた。
―――でも、このままではいけない、本当の江利沢さん、俺が好きな江利沢さんは今のままでは幸せになれない。だから・・・。たとえ俺が幸せにしなくていい・・・・だから・・・・。―――
俺は家の外に出ることを決意した。自分の家から持ってこなければならないものがあるのだ。
江利沢さんの家の玄関の傘立ての陰に隠れて、開いた瞬間、一瞬で家の外に出る。そしてすぐに、ドアの陰に隠れる。
心の中でドキドキしながら、周りを見渡す。騒ぎになってない。どうやら見つからなかったようだ。これから、少し離れた自分の家に向かう。幸い、江利沢さんの家は俺の家の隣の町だった。だから、そんなに遠くない。
しかし、俺はぬいぐるみの白太郎だ。動くぬいぐるみなんて、誰かに、少しでも人の目につこうものなら、大変な騒ぎになる。慎重に、慎重に辺りを見渡しながら、なるべく人気の無い道を使って、電柱の陰に身を潜めては、一旦、全速力で走って、また電柱の陰に隠れて道を歩いていく。
人が通りかかった。俺は見つからないように、電柱の陰に隠れながら、せめて必死に動くことだけは耐えた。
・・・・・
バレなかったようだ。汗はかかないが、びっしょりになった気にさせられる。
途中、幾度もそれを遭遇して、どうにか、自分の家にたどり着いた。俺は、自分の家のドアが開くのを息をひそめて待っていた。
しばらくして、ドアが開いた。その刹那に家の中に侵入する。
胸の鼓動が高鳴る気がする。親に見つからないように・・・・・。
バレなかったようだ。母はそのまま外出していった。俺はそれを確認すると、忍び足で廊下を歩いて、静かに一歩ずつ階段を登り、自分の部屋に向かう。
幸いにも部屋のドアは開いていた。
部屋に入った俺は、CDラックから、あるCDを探していた。
―――あった―――
すぐにそれを口でくわえて引き抜くと、そのCDをくわえながら、部屋から出た。
毎日、私は塞ぎ込んで一日、一日過ごしてきた。
以前のように楽しかったあの日常は送れない。
―――・・・日記
はもう書かない。クラシックも聞かない。ミステリー小説ももう読まない。
私は、ひたすら目の前の事象をフィルムのように流して一日を送る。
朝ごはん、お昼ご飯、お風呂、夕食。人間が生きていく、必要最低限のことがそのフィルムに映っていく。それをロボットのように、何の喜怒哀楽も感じず過ごす。それだけだった。
お母さんの心配は一層強くなっているようだ。母は私が目に映ると絶えず何かを話しかけている。しかし、それは私の心に響かない。もう誰も私のことを理解していない。そのことが何より悲しい、辛い・・・・。
私は感情が出るときはベッドで横になるときだけだった。
電気を消し、完全に孤独になるとき。私は涙腺が耐えられず、泣いてしまう。
しかし、そのとき、誰かが涙を拭っている気がしている。そして、私のすぐそばで励ましている・・・。何故だろう?誰だろう?
私は、毎日、流している涙を誰かに拭ってもらっているため、生きてこれたのかもしれない。
ふと、夜中目を覚ました。眠りが深い方なので一回寝たら、目を覚まさないのに、その日だけは違った。明るい・・・。私はそう感じ光が発せられている机の方向を見た。
デスクランプが投げ捨てたままにしておいた、日記を照らしている。そして、これはCD・・・。一枚は自分のものだ。同じものが複数ある。確か誰かと一緒に買いに行ったような・・・。
私は不思議と気味悪いと思わなかった。そんな思いがあったら、始めからだろう。それが無いのだから・・・・。
私はおもむろにイスに座り、日記を見た。
私が最後に見たページ。
名前はいっぱい書かかれてあったが、それは会社で主に若い世代、友達のように接していた人の名前が並べられていた。しかし、一人だけ書かれてない。私が大切に思っていた人のように思える。
しばらく、日記を見ていると、紙から黒い文字が浮きだしてきた。
五十嵐相馬
五十嵐相馬、五十嵐君だ!日記には付箋が張られてあり、そのページを見る。彼とデート、クラシックのコンサートに一緒に行ったこと。私がママチャリで彼が競輪の選手みたいな自転車でツーリングしたこと。カフェで小説のことで二人して盛り上がったこと。そのときのことを記されたページに付箋が貼られている。
私はハっとして、CDを見た。
―――このCDもコンサートの帰りに五十嵐君と一緒に買ったもの・・・―――
私は唾を飲み込んで、日記の続きを見ようと思った。
五十嵐君は続きを書いていた。
『皆、江利沢さんのことを心配してます。そして僕自身も心配しています。会社でミスがあったことを気にしているの?誰にでもあるよ。皆、そして誰も咎めないし、気にしてない。それよりも、一番大事なのは江利沢さん自身だよ。なんで、自分で追い詰めて不幸になろうとするの?江利沢さんは僕と違って幸せになれる人だよ。仕事でも、人付き合いや恋愛だって。だから、外に出て。江利沢さんはきっと、皆を幸せにできる。幸せになれる人はきっと、周りの人だって自然に集まってきてくれて、そして幸せになれるよ。お願い、勇気を持ってください。そして、もう一生言えないと思うから言わせてください・・・・・・。』
私はそこで読むのを止めた。まさか、あのときの言葉がもう一度そこに記されているのではないのだろうか・・・・・。手が小刻みに揺れ、涙が溢れている。
『頑張り屋さんで、いつも僕や周りの気遣いをしてくれる江利沢さんが大好きです。僕と付き合ってください。』
私はしばらくフリーズしてしまった。
こんなことって、こんなことってある訳ない。でも、実際に起こっている。
フリーズしている間に時間は流れる。私は朝日を浴びて、明るくなった部屋に気がつき、硬直は解けた。
―――会いに行こう!そして返事を伝えるんだ―――
私はパジャマ姿で家を飛び出そうとした。持っているものは白太郎と日記だけ。お母さんはビックリしていた。
「弘美、外に出るの?」
「うん。行かなきゃ、会わないといけない人がいる。」
「誰?」「とにかく行くね!」
「待って!」
お母さんは私の決意に満ちた目に押されているようだ。外出を承諾してくれた。そして自分の部屋からコートと財布を持ってきてくれた。
「これを羽織りなさい。下は?大丈夫。」
「うん。大丈夫。」
そう言いながら、ドアを強く閉め、私は駆けだした。まず行くところは会社だろう。会社に行けば会える。そう強く信じていた。
駅に行き、特急で三駅ほど離れた、会社の最寄りの駅で降り、そこから、会社に向かう。
会社の人は非常に驚いていた。
「江利沢じゃないか?どうしたんだ?急に。」
会社のオフィスは突然来た私に驚き、人が沢山集まってきた。
「心配してたんだよ。弘美。どうしたの?何があったの?」
沢山の言葉と視線が私に向けられる。
―――怖い。でも、言わなきゃ、聞かなきゃ―――
私は恐怖を押し殺して聞いた。
「五十嵐君は出社していますか?」
皆、その質問を聞いて、黙った。
「どうしたのですか?」
「・・・・彼は行方不明になってるんだよ。警察に届けてあるそうだが、消息はつかめず・・・。」
私の頭に電撃が走る。
―――行方不明???―――
一体、それはどういったことだ。現に彼は私とやりとりをしていた。
私は有り得ないことを経験して、有り得ないことに直面させられ、通常の思考はできず、そこには論理性が欠如していた。
だからこそ、出来たのだろう。私は無我夢中で彼と二人で過ごした、思い出の場所を探し回った。
誰もいない、コンサート会場。二人で過ごしたとあるカフェ。
―――いない―――
そして、警察まで立ち寄った。しかし、捜査中とのことで、それ以上、何も分からない。
私は最後に二人で自転車でツーリングした、山の上の公園に行こうとする。
息が荒い、体力も限界に近づいてきている。当たり前だが、何か月も家に引きこもっていたのだから。
山の頂上。街を見渡せるてっぺんの公園についた。
―――いない、いないよ、どこにもいないよ。五十嵐君・・・―――
その言葉が頭の中を占め、その場の地面に足を崩した。
私は白太郎を見た。いつも、いつも話を聞いてくれている白太郎。でも、なんだか、一緒にいると安心する、まるで五十嵐君みたい。
「白太郎、私の話聞いてくれる?」
「・・・・・。」
白太郎は沈黙している。あの時のようにワンと吠えてくれたらいいのに。
「私はずっと、五十嵐君に支えられていたの。日記、日記に毎日返事をくれて、私を勇気づけて、最後には、踏み出す勇気までもらった。」
「・・・・・。」
「でも、私は何も返せていないの。だから感謝も伝えたいし、恩返しもしたい。でも、そのこと以上に・・・・・。」
「・・・・・・・。」
「大事な返事を返してないの。」
「・・・・。」
私は何故そのときそうしただろう?理由は分からないが、私はそうしていた。
白太郎を五十嵐君と思って、ちゃんと向かい合って、目を見て。
「五十嵐君、私の方こそ、少しどんくさいところもあるけど、五十嵐君のことが大好きです。私で良ければ付き合ってください・・・・。」
そう言いながら、私はうつむいて、涙した。
―――白太郎が五十嵐君の訳ないのに、五十嵐君は行方不明なのに・・・―――
あ、あ、いつもと同じ感触だ。いつも私が泣いていたら、涙を拭いてくれる。
いつもありがとう、五十嵐君・・・・・・!?
私は抱きしめられていた。そこには人の姿をした五十嵐君が私を強く抱きしめていた。
「良かった、本当に良かった・・・・・。」
五十嵐君は泣きながら、私を抱きしめている。
私の方こそ、思った。
―――良かった。本当に良かった・・・そしてありがとう、五十嵐君―――
どうでしたか?
「対人恐怖症の人に勇気を!!」と思って、書きました。もちろんそれ以外にお悩みがある方も勇気をもらっていただけたら、この上なく嬉しいです。
感想お待ちしています。
読了ありがとうございました。