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お狐さまとこけしちゃん

お狐さまと仮想ちゃん

作者: 芦川玲

登場人物:九尾の狐と女子高生

「お久しぶりです、お狐さま」


 それは衝撃の町内肝試し大会から二日後のこと。

 超がつくほど『ホンモノ』の一流心霊トンネルでワクワクドキドキの大冒険をした私は、命の恩人であるお狐さまに油揚げを奉納に来ていた。



 ヒヨヨヒヨヨ、ピイピイ。ヒヨヨヒヨヨ、ピイピイ。



 境内のど真ん中上空をツバメが飛んでいる。

 炎天下で一羽、頑張って鳴いているけど、八月にこんなところにいて大丈夫なんだろうか。渡り鳥なのに。

 うちの軒下にも巣が五つあるから、時々出遅れたのが六月くらいまでならいるんだけど、さすがに八月はまずくない?


 見知らぬツバメをちょっとだけ心配。だけど賽銭箱の上に座っているお狐さまの後ろ姿が見えると、途端にそんなことはどうでもよくなった。

 ちょうどいいタイミング。

「お狐さま!」私は声をかけた。

 すると。


「もう世辞はいらんと言っただろう! 死ね!」


 ……は?

 なんだなんだ、ご機嫌斜めどころの騒ぎじゃない。この数日に何があったんだ。


「いや、お世辞を言いに来たわけじゃないんだけど。死ねって……」


 戸惑いながらも話しかけると、そっぽを向いていたお狐さまが一瞬で振り返った。


「は、あ、お前か!」

「他に誰がいんの」


 お狐さまは私の顔を確認すると、非常に取り乱した様子でこっちに駆け寄ってきた。

 いったい誰と間違えたんだ。

 お狐さまが死ねって言う相手? 全然知らない。というか私以外とお狐さまが話してるところを見たことがない。見せてくれたためしがない。


「や、今のは人違いだ! お前に言ったのでは、まさか、死ねだなんて、そんな」

「勘違いだったんでしょ。別にそれくらい気にしないって」


 最初はちょっと傷ついたけど。


「ああ本当に! 俺はてっきりまた、蜘蛛か蛇の連中かと……」

 誰、それ? お友達?

「友達なものか、あんな、あんな気色の悪い徒党は! ……それより、お前の体調はどうだ。崩してはいないかい、悪いところなどは?」


  走ってきて足に擦り寄るお狐さまの頭を、私はぐりぐりと撫でて、ご安心を、と笑った。


「昨日までは風邪と熱で寝込んでたけど、今日になったらすっかりひいちゃった。やっぱり妙な場所に近づくもんじゃないね」


 まさか一週間も寝込みっぱなしになるなんて思わなかった。せっかくの夏休みを風邪で一週間潰したなんて、そんな不幸がほかにあるだろうか。


「相手があの量では、肺の一つもやられるかと思ったが。なんにせよ元気になってよかった。お前が来ない一週間、くだらない奴らばかりが訪ねてきたもので、そろそろ飽き飽きしてきたところだ」


 お狐さまがすっかり疲れた様子でため息を吐いた。


「ここ、誰か来るの?」

「俺の腐れ縁がね、少し」

 件の、私に会わせたくない人たちか。どうりで最初の台詞が()()だったわけだ。


「この間、久しぶりにたくさん喰ったからね。あちこちの知り合いが使いをよこしてきた。それも揃いも揃って下っ端ばかり。『先日はお楽しみでしたね』だと? そんな馬鹿らしい言伝を受ける身にもなれ。お前らの四肢両翼は何のためについている。その重い腰、いっそ寝床に縫い付けてやろうか」


 ふんすふんすと音が出そうなほど鼻息を荒くするお狐さまを、まあまあとなだめる。

 お互い大変だったんだね。何かするたび各所から挨拶が来るなんて、まるで政治の世界みたい。


「事実、政も絡んでいる。力関係は歴然であれ、年季と人脈は見くびれんからな。あまり雑に扱ってもあとが面倒だ。――あいつらも、普段は空気を読んで近寄らんものを」


 忌々しげに舌打ちするお狐さま。そんなに嫌いなの?


「別に憎いわけではないんだが……。いつもはあちらに控えさせる分、時間のあるうちに話しておこうというのは理にかなっている」

「じゃあ友達?」

「連中の中に少しは話が通じるやつもいる、それだけだよ」


 なあんだ、素直じゃないね。

 それを聞いて安心したよ。お狐さまにもちゃんと友達がいるようで。まさか五百年の生で得た友人が私一人なんて、そんな闇の交友関係でなくてなにより。


「そういえばお狐さまは何回も()()()()してるけど、友達とはちゃんと連絡取れてる? 友達は巻き戻したり、してないんでしょ?」


 毎回友達までリセットされてたらどうしよう。罪の意識に駆られずにはいられない。貴重な友達が私のせいで失われるなんて、そんな。


「戻す者もいるが、大抵はそうだね。やり直す理由がない。でも俺のしていることは知っているし、別段不自由することはないな。お前と出会う遥か昔からの縁ゆえ、二十年なんて誤差の範囲だ」

「……ほっ」

「なんだ、そんなに露骨に安心しなくとも。どいつもこいつもろくでなしだよ、お前を見れば取って食おうとするような。お前が心配するほどの価値はない」


 たぶん比喩じゃないんだろうなぁ、紹介してくれないってことは。そう思ったけど、口には出さない。

 その代わりに「あっち」と声をかけて、お狐さまを連れて神社の軒下の日陰に入った。あのまま日照りの下にいると熱中症になりかねないだろう。


「そんなこと言わないの。人間じゃないんだから、私のこと、どう思ったってしょうがないし。それより変わり者のお狐さまといてくれる人を大事にしたほうがいいって」

「俺のことを変わり者とは。お前もたいがいだろうに、どの口が言う」

「あはは、そうかもね」


 二人して笑って、落ち着いた頃に、私は持ってきた油揚げを取り出した。

 本日の表のメインディッシュ、お礼の供物だ。


「改めましてお狐さま、先日は本当にありがとうございました」


 しゃがんで地面に膝をつき、深々と頭を下げる。

 お狐さまはやや苦笑して「いいから、頭をあげてくれ」と言った。


「お前が無事ならそれで何より。油揚げはくれると言うならもちろん頂くが」


 こうして封を切られた油揚げ――いつもより奮発して、少しだけ肉厚の二枚入りを選んだ――が、瞬く間にお狐さまに平らげられた。


 お狐さまは食べ終わるとお口周りの毛づくろいを始めた。



「そういえばさ、肝試しのとき、私と連れて歩いた人。覚えてる?」

「ああ。あの坊主頭だろう」

「そう。あの人、あれから熱出したみたいでさ。すぐに引いたんだけど、元々持ってた喘息が出ちゃって。まだ回復してないんだって。変なうわごと言ってて怖いって、その人の妹さんが言ってた。『金色の、犬っぽい猫っぽい何かそう言う感じのやつが、尻尾たくさんで牙むき出しにして戦ってるー』って」


 お狐さまが、せわしなく動かしていた前脚をぴたりと止めた。

 信じがたい、といいたげに私を見る。


「犬っぽい猫っぽい、何か? まさか俺かい?」


 ご名答。


「狐なんて知らないんでしょ。霊感無いのにお狐さまが見えちゃったもんだから、肝潰して寝込んでんの」

「あんなに調子づいていた奴が、たったあれしきで肝を潰すとは。情けない。お前の方がよほど豪胆だ」



 もう興味がなくなったようで、お狐さまは毛づくろいを再開。

 その間、私はぼんやりと宙を眺めて暇つぶしだ。


「そこは年季の差でしょ。あんなはったりには負けらんないって」


 私はのんびりと答えながら、今日は一段と日差しがきついな、なんて考える。だけどその分風が少し吹いて、日陰は心地いいな、とも。



 見渡す限りひとっ子ひとりいない境内と、その先の鳥居から眼下に一望できる田舎町。夏の魔法で全部が白くぎらついて見える。季節はずれのツバメの声以外は何も聞こえない。

 まるで誰もいないみたいだ。

 このまま石段を降りたら、私一人になってしまいそうな錯覚がする。



「……もしも私たち以外がみんな、ゾンビになっちゃったらどうする?」


 自分で振っておいてなんだけど、ものすごく雑談だ。それも昨日の今日でこれかというような話題。あれほどのことを経験しておきながら、って呆れられるかな。


 それでもしょうがないじゃない? 一応の事後報告以外、なんにも用件はないし、それでもせっかく来た以上はもうちょっとここで話がしたい。


「ぞんび?」

「動く死体のこと。生きてる人間を見つけると、襲いかかって食べちゃうの。食べられるとその人もゾンビになっちゃう。そういうのがもしも世界中で流行ってさ、私たち以外の全員、ゾンビになって襲いかかってきたらどうする?」


 私も想像する。この鳥居のむこう、全員が化け物に変わった世界を。

 ……怖いね、勝てる気がしない。生き残り以前に、絶望して自殺しちゃいそうだ。


「俺は元より化け物だから関係ないけれど……問題はお前か」

「あはは、そうだね。お狐さまに見捨てられたら、一人ぼっちですぐ捕まっちゃうだろうね」

「そうなるといよいよ嫁に取るしか」

 ( )っ、まーたすぐそうやって話を持っていく。

( )それはなしだって」

「世界に俺とお前しかいないのに?」

「だから余計に。喧嘩したときなんて目も当てらんないでしょ。絶対お狐さまの方が有利じゃない」

「どうだか。惚れた弱みというし」

「そんなの相殺。できれば今のままで守ってほしいんだけど」

「なんて欲どしい。何も差し出さず生き残ろうとは」

「最悪足の一本、腕の二本ならあげるから」

 ( )も痛いだろうなあ。やだなあ。

( )俺の希望は顔か心臓なんだけれど」

 ( )んて、お狐さまもさらっと怖いことを言う。

( )ったら死ぬから駄目」

 ( )んなのあげたら私、ゾンビじゃなくてお狐さまに捕まっちゃう。

 ほかの場所も、引きちぎられたら失血死だろうけど。


 つまり結論は。

「とにかく死ぬまでお狐さまにすがって、守ってもらうしかないかなあ」

「一長一短。役得ながら、なかなか厄介そうな仕事だ」

「そこはそれ、ご愛嬌ってことでひとつ」




 つづいて。

「もしもお狐さまが人間に生まれ変わるとしたら、何したい?」

「生まれ変わり? お前が生きているなら会いたいねえ」

「お狐さまが生まれ変わるんだもん、うんと先の話。私がおばあちゃんになったり、死んじゃったりするくらいの。そうなったらもうお狐さまのこと、覚えてないかもよ」

「忘れるのか、お前が俺を? それは考えなかったな」


 自信家め。たしかにこんな思い出、一生忘れないだろうけど。


「私のこと以外で、何か。あれが食べたい、これが見たい、どこに行きたい、とか」

「とは言ってもねえ。見たいものは特にないし、食べたいものはもうお前にもらった。どこに行くのも億劫だ。あとは……ああそうだ、料理がしてみたい」


 料理?

 あまりに想定外の答えに、思わずオウム返し。


「料理。お前もできるんだろう? 刃物や、熱湯や、氷や、肉や魚や野菜を使って」

「今でもできるんじゃないの、それ。姿だけなら人間になれるんだし」

「場所がなくてね。お前の家に上がり込むわけにもいかん」


 そっか、たしかに。私とお狐さまだけじゃ、野外炊飯しようってわけにもいかないか。

 ちなみに、作るなら何がいいの?


「稲荷寿司を。お前の祖母が作ったというあれは美味かったから」

 お狐さまがそう言って舌をちろりと覗かせた。

「よく覚えてるね、そんな小さなこと」

「味覚は獣の得意分野ゆえ」


 耳をピコピコさせながらちょっと胸を張られた。


「何そのどや顔」


 笑って、ちょんちょんと腹をつつくと、お狐さまは身をよじって離れていった。


 結論。お狐さまは生まれ変わったら、料理がしてみたい。

 おまけで私はその味見役につきたい。内緒だけど。

 生きてたら、生まれ変われたら、出会えたらの話だけど。




「――そういえば、これも雑談なんだけど」


 そう予防線を張って、私は切り出した。

 こっちが本日の裏のメインディッシュ。


「国公立の大学をね、目指そうと思う」


 無意識に、お狐さまの顔から、スッと目を逸らした。

 どんなことを言われるかな、どんな顔をされるかな。私が来られなくなると聞いて、いったいどんな反応を、あなたは。

 それを見るのを、私は、もしかしたら肝試しなんかよりずっと怖がってきたのかもしれない。


「国公立、とは?」


 お狐さまから思いもよらぬ切り返しが。

 そっか、よく考えたら知らないよね。


「国とか県とかが運営してる大学のこと。大学はわかる? 私が今通ってるのが『高校』、その次に進むのが『大学』。試験に合格したら、四年間通うことになるの」


 なんとか平静を保ったけど、圧迫質問コーナーはこれで終わりじゃなかった。


「ふむ、なかなかに大きなくくりだけれど、具体的には?」

「決めてあります」

( )ここからは?」

「遠いです」

( )どれくらい?」

「私の交通手段だと、丸一日かかるくらい」

( )いつ?」

「一年と半年後に」

( )どうしてそれを俺に?」

「……なんででしょうね」


 なんででしょう。

 私は敬語でそう言ってから、「……嘘。理由、あるよ」といつもの口調で言い直した。


「寂しいから。私が」


 倒置法で後付けしたフレーズが、じわじわと辛い。お狐さまが、って言うだけの確信はなかった。


「なんたってすっごい遠いからね、なかなか帰って来られないでしょ。そしたらここに来るのも、よくて半年に一回? それくらい。それまでだって、勉強しないといけない分、ここに来るのは少なくなる。――そういう色々が寂しいから、お狐さまにもおすそ分けしようと思って」


 一人で抱えて悶々と過ごすくらいなら、いっそ道連れにしてやる、ってわけ。

 ぎこちない笑顔で言った私を、お狐さまが鼻で笑った。


「寂しさのおすそ分けかい? ずいぶんひどいことをする。最低だよ、本当に、お前は。そんなのを知って、止められずに先を過ごせとは。鬼にでもなったつもりか。俺に飢え死にしろと」


 ちょっとわざとらしいくらいに大きくため息をはいて、「どうだい、これで満足だろう?」とお狐さま。「うん。大満足」と私。


 本当は、この近くにも大学はあった。私学だけど、家計が傾くほどじゃない、通いたいって言えば許可が出るような手頃なやつが。

 親戚はみんな懐の肥えた年寄りばっかりになってきたから、それを食いつぶしてやってもいいよって、本当はお母さんからも言われていた。甘えるのは昔から得意だから、あたしに任せなさいって。

 お母さんは一人っ子だったし、ついでにうちは実は結構裕福だったから。


「変える気は?」

「あんまりない。止める気は?」

「お前が決めたんだろう、あるはずもない」

「お互いさまじゃん」

「ごもっとも。面白くない話だ」

「雑談だって言ったでしょ。オチは忘れちゃった」


 ふん、とお狐さまは鼻を鳴らして実に不快そうにそっぽを向いた。


「……試験、といったかい。それは、お前が合格できるのか」


 拗ねたようでも、ちらちらとこっちを振り返りながらの問いかけ。なんだ、ちゃんと気にかけてくれるんだね。

 私は嬉しくなって、自信満々にサムズアップした。


「できるよ。絶対合格する。お狐さまに会わない分はきっちり勉強するから、心配ご無用です。親戚のおじいちゃんみたいなこと言うんだね」

「そんな若造と並べられるのか、俺は」


 心外だというお狐さまに、軽口を叩く。

 普段の素行のせいでしょ。


「よく回る舌だ、引っこ抜いてやろうか」


 がおー、と虎かなにかの吠え声の真似をして、お狐さまが膝に飛び乗ってくる。重いし暑苦しいけど、振りほどく気にはなれない。


「……とまあ、そういうのを決めたので、一応、ご報告を」

「ああ、了承する他ないんだろう、どうせ」

「残念ながら、そうだね」

 私が決めたことだもん。



 気分転換に、次の雑談。

「もしも私とお狐さまがさ、出会ったのが別の時だったら、どうなってたと思う?」

「別というと、例えば数年前とか」

 うん。

 頷いて、自分でも考えてみる。

 お狐さまと私が、十一年前に出会わなかった選択肢を。


「いつだろうとお前は俺が見えているんだから、同じに決まっている……と、いいたいところだけど。そう上手くはいかぬだろうね。泣いていないお前が俺を受け入れるとは思い難い」

「あー、たしかに。昔は幽霊にもうっかり話しかけそうになったり、結構油断してたけど、今じゃそんなことないしねえ。タイミングがよかったっていうか、偶然っていうか?」

「十回続けた幸運が、まだ偶然と呼べるのかどうか」

 そこまでいくともう運命でしょ。


 うーん……。


 私が意味もなく唸っていると、お狐さまが膝の上でクスクスと笑った。

 何?


「いや、お前、本当に寂しいんだねえ、と思って」

「うわ、ちょっと、言わないでよ」


 ごまかそうと思って話題変えたのに。


「悪い悪い。お前が寂しがるなんて、実は思っていなかったものだから」

「なんで、寂しいに決まってるでしょ? 今まで会わなくても一週間だったのに」


 修学旅行も、自然学校も、友達との旅行も、インフルエンザや霊障の時だって。終わるとすぐに、寂し恋しで会いに来てたんだから。


 自分で決めたこととはいえ。やっぱり寂しい。

 一年半後にはお狐さまに会えなくなるなんて。


「お前はもっと薄情かと思っていた。まして自分で選ぶ道、俺のことはしょうがないときっぱり捨てるのかと」


 何それ、ひっどーい。

 ぶうぶう文句を言って、ふわふわの背中に顎をのせる。


 でもねえ、お狐さま。


「私もね、本当はそう思ってたの。口でなんて言っても、私が決めたんだから。寂しくなったりしないって、仕方ないって割り切れるって、思ってた」


 十年一緒にいて、話すことなんてもう何も残ってないのにねえ。


 お狐さまは、尻尾を揺らめかせてそっと私に当てた。


「お狐さま、これからあんまり来られなくなるけど、私のこと忘れないでよー?」


 じわじわと寂しさを実感して、お狐さまの大きな胴体をぎゅうと抱きしめた。


 実は最近猫アレルギーだって分かって、お狐さまがイヌ科で安心したのを思い出す。

 鼻呼吸をしても、臭いがしない。体臭がないってレベルじゃなくて、完全に無臭。妖怪には臭いがないのかもしれない。羨ましいことだ。


 ……なんて、現実逃避にもなってないけど。


「こんなに丁重に扱われながら、今さら何の心配をするのか。俺に愛想を尽かさない変わり者を、これでも大事にしているつもりなのだがね。どうも筆頭には伝わっていないらしい。俺がお前を忘れるだって?」

「二ヶ月会わなきゃどうなるかわかんないよ」

「試してみるといい」


 挑戦的なお狐さまの言葉に、「やだよ」と笑って返す。寂しいでしょ。思ったけど言わない。



「――なぜと、聞いても?」


 腕の中で、お狐さまがちょっと身じろぎ。


「ん? 何が?」

「お前がそこを目指す理由さ。もっと近くにも大学はあるんだろう? 前にお前が言っていた」


 いつもと変わらない、穏やかな声音だった。面白がっている様子も、惜しんでいる様子もない。



「やりたいことがあるの、私」



 ずっと言えなかったことがあった。私には夢があると。


 誰にも――家族にも、友達にも、先生にも――、神様にも、お狐さまにも、話せない夢があった。言葉にしたら逃げてしまいそうな、分不相応な夢が。


 それを叶えるために、お狐さまのいない場所に行けるくらい、とびきりの。

 ずっと言葉にも文字にもできず、隠してきた、とびきりの。


 夢が。

 私にはあったから。


「そこじゃないとだめなの。他じゃお金がかかるから、うちじゃ通えない。それに、やるなら徹底的にしたいから。……ほら、中途半端じゃ諦めもつかないでしょ」


 私が茶化すと、お狐さまも、小さく笑った。


「最初から諦めるつもりでどうする。頑張ってみるんだろう? 頑張れ」


 お狐さまが、素直に励ましの言葉をくれる。珍しい。確認してないけど、これは今日の星占いランキング、一位だったな。


「もちろん頑張りますとも。……うん、そんな感じです。報告おしまい!」


 お狐さまを抱きしめていた腕をパッと離した。お狐さまが察して膝から降りていく。


「あーもう、お狐さまのせいでホントに寂しくなっちゃった。今日はもう帰ります」


 立ち上がって悔しがるふり。お狐さまの毛並みをわしゃわしゃと撫でて乱す。


「じゃあ、また今度」

 お見送りの言葉を受けて、うん、と回れ右。


「顔見せるくらいなら、ちょこちょこ来るから」

「もちろん。俺が待ちくたびれて干乾びないようにしてくれ」

「そっちこそ、浮気したら許さないからね」

「さて、お前次第だろう」

 うっわ、言ったね。こいつめ。

「また今度、絶対近いうちに来くるから」



 その約束を守って、私が神社に足を運ぶのは、それから四日後のこと。

 そして見つけた女物のかんざしに緊急ひざ詰め会議が行われるのも、同じく四日後のことだった。

「浮気?」「知人の忘れ物だ!」「お洒落な人なんだね」「大蛇だ! 雄の! 俺への当てつけで置いていったに違いない。あの場には他にも……」「女が?」「男が!」

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