その1わ
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ヒュータスレゲイノ王国。その最北にあるベズエンダル山脈のお膝元、そこにロージッタス辺境伯領がある。
季節は春を過ぎ、初夏の香りが山々や木々と草花を彩りはじめだした精気芽吹くそんな時。
雪解け水が川の水を増して普段よりごうごうと流れる音が聞こえる。
そんな中を、馬の蹄がパカランパカランと軽快に聞こえてくる。その音を聞いて長耳白獣が耳を立てて様子を伺う。
パカランパカランと力強く野山を踏みしめ駆ける馬脚。ギリリと弓を引き絞る音。狙いはその長耳白獣。
バッと後ろ足を蹴り上げ高く高くジャンプしたその姿は半人半馬の少女。鏃の先を長耳白獣に向けて射ようとした瞬間、ペキリと弓が折れ少女は慌てる。その間も無くバランスを崩して、雪解け水の満たされ川の中へドッポ――――――ンと飛び込んでいく。水飛沫が盛大に跳ね上がる。
それを見ていた長耳白獣は、何食わぬ顔で森の中へと消えていった。
川の中には水中からブクブク泡を出し、馬の後ろ足を水面に出した少女の姿があった。
「アババババッ」
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ロージッタス辺境伯邸――――辺境伯領の中央に位置する広大な敷地に石積みの砦の様な雰囲気を持つお屋敷である。質実剛健を旨とする辺境伯の姿を体現しているようなそんな趣を見せる。
街の外れにある邸の広い庭にたくさんのシーツや洗濯物が物干し竿に掛けられて、風にたなびいている。
その一角に両袖を物干し竿に通されて、あたかも洗濯物のように干されている半身半馬の少女がいた。
少女のその姿はまるで水に飛び込んだように、髪も服もびしょ濡れであった。
「マリア。ひどいのです。わたくしは洗濯物ではないのです」
少女がそう文句を言うと、傍らにいたふくよかな体格をした壮年の婦人が少女に振り向き説き伏せる。
「姫様。そんなびしょ濡れになりながら館に入ろうとすれば、そういう事にもなります。何故そんな姿になったのかはご自身がお分かりでしょう?」
グウの音も出ず押し黙る少女。そうこの婦人こそこの辺境伯領で最強と謳われる侍女頭のマリアであった。
誰もマリアには敵わない。辺境伯でさえ頭の上がらない人物なのだ。
そう、辺境領の人々はマリアに逆らえないのである。逆らうつもりもないが。
そんなわけなのでもちろん少女も頭が全く上がらないのだが、1人?だけその理から外れる存在がそこにいた。
半身半馬の少女が白い光に包まれるとやがて光は弾け飛び消えていく。
そこには半身半馬の少女は消えて、物干し竿に吊られた少女と美しいとしか言い表せない白い子馬が少女の前に現れた。
“たのしかった―――っ。またねぇー”
子馬はそう告げると軽快に足音を鳴らしてその場から去っていった。
「レリアのはくじょぉものぉぉぉぉぉぉ!!」
少女の叫びがその場に響き渡る。それを見ていたマリアは肩を竦めて仕方がないとため息をつく。
叫び声に物干し場に来た文官見習いの少年が驚いて声を上げる。
「何をなされてるのですか!?姫様!!」
少年の言葉に悪戯を見つかった子供のように舌を出してテヘッと笑い一言。
「おせんたく?」
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ロージッタス辺境伯邸にある騎士が鍛練をするための訓練場に少女と文官見習いの少年が剣を交わしていた。というより少女が一方的に木剣を振り、それを少年がかわし弾いているといったほうが正しいか。
「うにゅ!てぃあっ!とりょっ!」
「ちょい、ちょい、はっと」
少年は左手しか使ってないので、傍目から見れば遊んでるようにしか見えないかも知れない。現に通りがかる侍女たちは、その光景をほほえましそうに笑みを浮かべて見て過ぎ去って行く。
しかし少女の剣捌きは、速度を上げ鋭さを増している。一般に騎士と呼ばれる人間が躱せる速度では無くなってることに誰も気づきはしない。受けている少年以外は。
「はにゃ、ほにゃ、ちょえーい」
「そい、そい、なっと」
少女の攻撃を余裕で払って、木剣を空へとはじき飛ばす。木剣はひょろろーと空を舞い地面へと転がる。
「また負けたのです!ふんにゃー」
「姫様。次は弓の鍛練をしますよ。こっちです」
「わかったのです。えーりっく」
そう言って荷物を持って訓練場を出て傍の林の手前までやってくる。前もって準備した小弓を少女に渡し説明を始める。
「林の奥の方に赤い丸が書かれた木板があるのが見えますよね。丸の中に向かってひたすら射ってください」
「分かりましたわ」
ショートボウを渡されて嬉しそうにそれを握り締めて、矢筒から鏃の無い練習用の矢を番えて的に向かって狙いをつける。
ギリリ、ス・コ――――――ン
ス・コーン
ス・コーン コ-ン コーン コーン
ココココココ
「エーリック。もう輪の中に入れられないのです」
少女の言葉に輪の中を見てみるがまだ余裕があるとエーリックは思ったが、奥の木を示して話し出す。
「では奥にある青丸の付いた木板を狙って輪の中に射ってください」
「わかったのです」
ギリリリ、ス・・コ―――――ン
ス・・コーン
ス・・コーン
ス・・コーン コーン コーンコーンコーン
ココココココココ
ん、今日はこんなもんだろう。矢も残り少なくなったし、的に覆い尽くすように射られた矢を見て集中力が切れる前に終わることにする。
「姫様。今日はこれまでに致しましょう。お茶とお菓子を用意してきます」
「はい。ありがとうございました」
ショートボウをおろして息を吐く。矢を入れていた箱にかけていたタオルを手に取り汗を拭いていく。
芝生の上に直に座りマリアから渡されたバスケットを開く。中には色とりどりの肉や野菜を挟んだ小麦焼きが入っていた。美味しそうだ。
「いただきます」
少女が食前の祈りをして小麦焼きをひと齧り。美味しそうに身体を揺らす。
「さすがはマリアなのです。えーりっくも食べるのです」
葡萄果実水を杯にそそいでいたエーリックに声を掛ける。
「ありがとうございます。いただきます」
果実水を少女に渡し少しだけ遠慮しながら、形の崩れた小麦焼きを取って食べ始める。
2人が何故こんな事をしているかというと、変な生兵法は逆に危ないので正しい鍛錬をさせたほうがいいとマリアが言ったからだ。
そこへ白羽の矢が立ったのが文官見習いのエーリックだったわけである。
「姫様は筋が良いですねもう僕が教える事など無いみたいです」
ニコニコ笑顔で少女を見てエーリックが話す。
「いいえ、えーりっくが凄いからなのです。さすが英雄兵士の末裔なのですわ」
その言葉に少しだけ顔を曇らせ困った様に笑う。何と言えばいいか言いあぐねてる様だ。
「そうは言っても100年以上の前の話ですし、ボクのご先祖様は荷物持ちで兵士ではなかったみたいなので一族でも賛否が分かれてるんですよ」
しかし彼の一族はこれ迄に多くの優秀な兵士を輩出して来ているので英雄兵士の末裔と言われてもおかしくないのである。これ以上はあまり語りたく無さそうなので少女は黙って空を見上げる。
「綺麗な青空ですわ」
ふっと、少女はあの日のことを思い出す。
☆
今から数年前に少女とその家族は視察を兼ねながら、ロージッタス辺境伯領の東にある“海竜馬の棲む聖なる湖”へと旅行に来ていた。
4頭だての大きな馬車で一週間ほどの旅は日頃舘に篭りがちな少女を普段より数倍元気にしていた。
辺境伯領のさらに奥地の空気や水は日頃病弱な少女にも生き生きとさせる何かがあるのかもしれない。
その時少女は、偶然見つけた虹色揚羽を追いかけて森の奥へと深く入り込んでいった。
普段少女に襲い掛かる喘息も体にまとわりつく気だるさもも感じずに深く深く入って行く。
虹色揚羽を見失い道に迷った事に気が付いた少女だが、水音に気づきそこへと向かっていくと、泉でとても綺麗な白い仔馬が水を飲んでいた。
「ほわぁ~きれいなのです」
少女の洩らした言葉に気づいた仔馬は少女を見て何の警戒もせず近寄って来た。
"あたしレリア。あなたは?”
仔馬の問いかけに戸惑いながらも自分の名を答える。
「エミュティア・レリ・ロージッタスです。初めましてレリアさん」
“レリアでいいよ。エミューって呼ぶね”
「はい!レリア。よろしくですわ」
のちに白馬姫、突撃騎馬姫、そしてケンタウロスさまと呼ばれるレリアとエミュティア2人の出会いであった。
(-「-)ゝ お読みいただき嬉しゅうございます




