奥様、風邪薬を拒否する
ただただいちゃつくだけのお話です。
この次でシリーズは最終話の予定です。一応……。なんの深みもありません。
『奥様、眠り薬をもる』の続編です。
心配そうに私を見つめる夫に、今日ばかりは白々しいと毒を吐きたい気分です。
「大丈」
「大丈夫に見えますか?」
少し食い気味で言うと、リベラはしゅんと肩を落としました。そうやって私の罪悪感をあおるなんて酷い人です。そんな顔をされたらうっかり許してしまいそうではありませんか。
「怒っているだろうか?」
「貴方にはぜひ反省していただきたく思います。怒っているかと問われれば、否とは言えない心境ですわ」
「すまない……」
吐く息まで熱く、意識がぼんやりとしています。風邪をひきました。熱があります。当然です。真冬に裸で眠るを五日続ければそれはこうなります。
ついでに言えば、髪を乾かす前にことに至り、そのまま気絶するまで行為を強制され朝を迎えればそれは風邪をひきます。
咳を一つすると、その度彼が悲しい顔をするものですから、一生懸命のみこみます。
ベッドに入ったままの私の手を握り、リベラの顔は蒼白です。ただの風邪なので、そこまで深刻そうにされると逆にいたたまれなくもなりますが……。
「私と貴方では、ある体力が違うのをおわかりですか?」
「ああ…」
「今後は考えてくださいますね?」
「もちろんだ」
「……まさかないとは思いますが、風邪が治るまで私に行為を求めませんね?」
「それは……」
「まさかないとは思いますが」
「……もちろんだ」
怪しい間です。
「そろそろ支度をしなければお仕事に間に合いませんよ、旦那様」
「いいや、今日は休むことにしたよ。こんな状態の貴女を残していくなど私にはできない」
飲みかけていたお水を少し噴いてしまいました。
「そんな、ただの風邪ですわ!貴方にそこまでさせるわけにはいきません……。それに貴方にうつってしまいますわ」
大切な旦那様に風邪をうつすなんてことがあれば、私はショックで倒れてしまうでしょう。
それに、普段休みの少ない人です。私についているくらいならば、一人でゆっくり休ませてあげなければ酷というものです。
駄目、駄目、と首を横にふると、リベラは私の両頬をつつんでおでこを合わせてきます。
「貴女が苦しんでいると思うと仕事も手につかない。それにせっかく休んだのだから、貴女と少しでも一緒にいたい。貴女の風邪ならうつってもかまわないさ」
「そんな素敵なことを言わないでください。追い出せないではないですか…」
クスリと笑ったリベラは、私に口づけようとします。これはいけません。とっさに、彼の口元を片手で覆います。夫はあからさまに顔をしかめ、少し怒っています。
「本当にうつってしまいます」
「貴女からならかまわないと…」
「私がいけません。泣いてしまいますよ?」
「それは怖い脅迫だな」
溜息をついた旦那様は結局私の瞼にキスをするにおさまりました。
困ったのはそれからです。眠ろうにも、顔を凝視されていては眠れません。時々顔を撫でてくれる手は大きくて、冷たくて、気持ちいいのですが、時々遊ぶように私の唇をつまんだり、鼻をつまんだり。
風邪でつまっているのであまり支障はありませんが、鼻をつままれるのはさすがに気になります。
ぺしりと優しく夫の手を叩きました。
「眠れませんわ」
「いや、すまない、つい」
「それに、もう何度も何度も何度も言いますがうつるのが怖いので顔半分を布で覆うくらいの対策をしていただきたいわ」
「私の妻に対しそんなことができるはずがない」
たしかに、リベラが風邪をひけば私もそんな、彼をばい菌扱いすることはしませんが。自分がひいているがわとなると、怖くて仕方ありません。
「それに私は悪い男なので、自分が風邪をひいて貴女に看病してもらうことを期待している。その時に、たとえば私がそうやって布で顔を覆えば、貴女に看病してもらう際貴女がそうしても責められないだろう。弱っているときなどは特に、貴女の顔をきちんと見ていたいものだから、貴女のその案は却下だ」
絶対に、この人は私が赤面するのを面白がっているのです。私が俯くと、からかうような笑い声が聞こえてなんだか悔しい気分になります。
「自分からうつろうとするなんて、いけない人です」
「貴女のことになると、良識というものを忘れてしまうからね」
しばらく見つめ合っていると、扉の方からゴホンゴホンと咳が聞こえました。リベラが小さく舌打ちをした気がしますが、きっと気のせいです。私の旦那様は気品のある方ですので。
咳をしたのは侍女のアリスでした。
腰に手をあてた可愛らしいアリスは、ぷっくりと頬を膨らませています。どうやらご立腹のようです。
「奥様の部屋に入る時はノックをしなければ駄目だろうアリス」
「いたしました!何度も!失礼ながら、お風邪の奥様はともかく、旦那様は聞こえていらっしゃったのでは?」
ぷくぷくくっと、アリスの頬が更に膨らみます。
リベラは、なんのことだとそっぽを向きます。
アリスの手には水の入った容器と、大きめのタオルが一枚、小さめのタオルがもう一枚。私の傍らに来たアリスは、心配そうに目を潤ませています。妹と同じくらいのこの子に、私はどうも弱いのです。
そっと頭を撫でてあげると、アリスはぶわっと涙を浮かべました。
「奥様ぁ…っ!お可哀想な奥様…っ、代われるのなら代わりたいです…」
そんなことを言わないの、と涙をぬぐってみると、余計悲しそうな顔をさせてしまった。
「お体をふこうと思いました。こんなに熱いんですもの!少し気持ちよくなりますわ!」
ごしごし目をこすったアリスは、大きめのタオルを水に浸して絞ります。
「リベラ、少し、出ていただいてもよろしいですか?」
服を脱ごうとする私を、リベラはなんでもなさげに見ています。それがどうにも恥ずかしくて提案したというのに、リベラは首を横に振ります。
「今更恥ずかしがることもないだろう」
「明るいところで見られるのは嫌です。アリスもいますし…」
「ではアリスの代わりに私が」
「いいえ、少し出て行ってください」
いいえ、決して疑っているのではありません。体をふくだけで終わる気がしないと疑っているのではなくて、念のため…念のためです。
不満顔で出ていったリベラを確認したアリスは、クスクス笑います。
「奥様はお強くなられました」
服を脱ぐのを手伝いながら、アリスの声は嬉しそうです。
「そう思う?」
「はい。前からお二人は素敵なご夫婦でしたけれど、今はもっと素敵」
旦那様の様子がおかしくなって、奥様が倒れた時はどうしようかと思ったと、今だからこそ笑うことのできる内容をアリスは話します。
「前はお二人とも遠慮がちで、愛し合っていらっしゃったけれど夫婦にあるべきでない壁がありましたもの」
自分でもうっすら感じていたことは、周りにも伝わっていたようです。
「だけどこの頃は奥様もはっきりものを言いますし、旦那様も、今までに増して愛情表現がわかりやすいですもの。羨ましいですわ」
「そうねえ……」
彼の愛情表現が過激になったのはやましいことがなくなったせい。私が言いたいことを言うようになったのは、睡眠薬をもった例の件以来、糸が切れてしまったから。あんなに恥ずかしいことを口走ってしまえば、今更取り繕うこともできません。
体をふき終えたアリスは私を寝かせて、小さい方のタオルを私の額にのせ、リベラを再び部屋に入れた。
「あのぅ…、侍女長様から旦那様に伝言がございます」
さっそく私を抱きしめて来たリベラに、アリスは眉間に皺をよせ声をかけます。
「『ズル休みをなさったのなら奥様の看病をきちんとなさい。奥様のお食事くらい作れるでしょう』だそうでございます」
侍女長はリベラが生まれる前からこのおうちに仕えていたそうで、リベラには少々強気です。
けれど彼がお料理……。できるのでしょうか?器用な人なのでできるのかも。私の実家は父が店主のパン屋ですので、男性が料理をする姿も容易に想像できます。
「そうか。わかった。愛する妻のためだ。腕によりをかけて料理をふるまおうじゃないか」
「あの……できればおなかに優しいもので…」
重い物を食べれるほどの食欲はない。
「わかった。食べたいものはあるかシャロン」
「ええっと……トマトの、ポトフとか……」
風邪をひいた時はよく母が作ってくれました。時々は父や、妹も作ってくれて。それを食べると心なしか風邪のなおりもよく。
わかった、と言って出ていくリベラは大して困った風でもないので、私は安心して眠りにつきました。
***
爆発音で目を覚ましました。
時計を見ると、眠ってから三十分ほどです。
何事だと、ふらつきながら音のした方へ向かいます。調理場の方からです。私同様調理場へ向かう使用人たちは、ふらつく私に気づいて支えてくれます。ご迷惑をおかけします。
「これは……」
どうしたことでしょう。
真っ黒になり黒い煙を出すお鍋。食器や調理道具の散乱する床。お肉の血や潰れたトマトで真っ赤な卓上。
お鍋の前では顎に手を当てた夫が考えるように首をひねり、彼の向かいに立つ料理人のルークは口をパクパクさせています。ルークの顔が真青なのに対し、夫はけろりとしています。
私の口は閉じません。
集まった使用人も唖然としています。
私の姿を見とめたリベラは、こちらへゆっくり歩いてきました。
「どうしたんだシャロン。眠っていなければ駄目だろう」
どうしたはこちらのセリフです。
「あの……ご無理はなさらないでくださいね…?食事なら、ルークが作ってくれますし…」
夫の表情が、ムッと、子供のようになります。
「あまり見くびられては困る。一人分の食事の用意くらいなんてことはない」
「ですけど……」
「部屋に戻って眠っていなさい」
「けれど…」
「眠っていなさい」
無駄です。諦めましょう。集まっていた使用人たちが私にうったえかけます。
結局部屋のベッドに戻ったのですが、爆発音や破壊音が部屋まで聞こえ、とてもではありませんが安眠など得られませんでした。
***
得意げにポトフを持ってきたリベラに、思い切り拍手しました。
「すごいです。とても美味しそう」
おいしそうなのですが……。ちらりとリベラの手元を見ます。この赤は、果たしてトマトの赤だけなのか……。夫婦ですから、彼の血が入っていても気にはしませんが。
それにしてもよく死人を出さずに完成させてくれました。それだけで称賛ものです。
「私が食べさせてもいいだろうか?」
「よろしいのですか?」
試練を乗り越えた後なので多少のいちゃいちゃはほしいところです。
母の味とは違った幸福の味がします。いい夫を持ったものです。全部食べ終わると口元をぬぐってくれて、うれしいのですが子供扱いをされている気がします。年の差が気になることもあるので複雑な気分になります。
「とても美味しかったです。私の旦那様はお料理もお得意なのですね」
後で、侍女長に、彼が調子に乗るようなことを言ってはいけませんとどやされました。
「よし、次は薬だな」
「おなかがいっぱいになったら眠たくなってしまいました」
「そうか。では風邪薬を飲んだらゆっくり休みなさい」
「おやすみなさい」
寝転がったら、腕をひっぱり起こされました。
「きちんと飲みなさい」
「苦いんですもの……」
「可愛らしく言ってもいけないよシャロン。飲みなさい」
首を横に振ると、リベラも顔を横に振ります。
「治るものも治らない。もう子供ではないだろう」
「いくつになっても苦手なものは苦手です……」
無理やり私の口をこじ開ける夫が悪魔に見えます。
「飲まなくたって治ります!」
「飲んだ方が楽になるだろう」
「私のことがお嫌いなのですかっ?」
「愛ゆえだ。早く飲みなさい」
紙に乗った粉に息を吹きかけると、ふっと舞い上がりました。
「こら」
コンと頭突きをされます。
「眠れば治ります」
「寝苦しいかもしれないだろう」
「そんなものを飲んで何になるというのですか?」
「貴女の回復につながるだろう……」
どうしても、お薬は苦手です。吐き気を催します。それだったら注射をする方が何倍もマシです。
「貴女の母上はどうやって貴女に薬を飲ませたのか…」
「食事にこっそり混ぜるんです。卑怯ですわよね」
「それをもっと早く教えてもらいたかった」
さっとリベラから離れ、部屋を出ます。けれど風邪ひきの私に俊敏さなどなく、あっという間に確保されました。
廊下で押し合いです。
「駄々をこねるんじゃない」
「嫌ですわ!おやめください!」
アリスのように頬を思い切り膨らませると、リベラがくっと唸りました。
「そんな愛らしい顔をしても見逃しはしない。早く飲みなさい!」
「いーやーっ」
「可愛く駄々をこねても駄目だ…!」
熱のせいで私もおかしくなっている自覚があります。普段はこんな幼稚な真似はしないのです。熱のせいです。
そうこうしているうちに使用人たちが数人集まってきます。また私たちが喧嘩をしているのではないかと心配してくれているのです。
「見なさいシャロン。貴女より年下の者も何事かと集まっている」
アリス含め、十代の子たちから年配の執事までいます。
「だって……」
口に薬が近づけられます。むーっと口を閉じます。
「愛しているよシャロン」
「はい?」
唐突になにを。
「こうして貴女を抱きしめられる毎日は夢のようだ。貴女は私をどう思っているだろう」
そんなこと、もちろん、
「私もあ…あぁぁ……っ!んん…っ!うぅ……っ!?」
愛しているの“あ”しか言えませんでした。粉のお薬がサラサラ口に侵入していきます。次には水を流し入れられました。
まずくて苦くて吐き気がします。はめられました。
「う…っ」
「よし。よく頑張った」
「弄びましたのね…?」
「なんのことだかわからないな。よし、もう眠っていい」
すました笑みの旦那様は、集まった使用人たちに仕事に戻るよう言って、私を抱えて部屋に戻ります。
ベッドに潜り込むと、リベラの笑い声が聞こえます。
「愛しているよシャロン。弄んだわけではない。私の本心だ」
「……私も愛しています」
また笑い声がします。
「私の妻は愛らしい」
「笑いながら言われても嬉しくありません」
そのまま眠ってしまい、次に起きた時にはリベラも座ったまま、私の傍らで眠っていました。私の手を握るリベラの手は、しっかり手当をしてあり、努力してくださったのは一目でわかります。
頬が持ち上がってしまうのを感じながら、もう一度目を瞑ります。
翌日、私の旦那様は私のお薬嫌いを使用人たちに話してくださり、私はいい笑いものとなりました。
そしてその更に翌日、案の定、私の旦那様は風邪をひいたのでした。