彼女は毒キノコ
「キミ……死ぬわよ?」
その言葉に手を止める。
優しい声とは裏腹なその言葉。触れようとした指先が、あと数センチの所で震えてる。
そのまま声の主が誰なのか、と顔を上げると、僕はたぶん、見てはいけないものを見てしまった。
「…っ……!!」
驚いた拍子にそのまま後ろに倒れる所だった。
数メートル先の薄暗い木々の間に白い何かが立っている。
息を飲んだ僕は恐怖で身体が固まった。咄嗟に確認したのは、その足元だ。
…良かった…ちゃんと足がある。
ホッと安堵の息を吐く。こんな深い森の中で、そんな浮き立つような白いワンピースが、いかにもソレに見えて怖かったが、その下に白いブーツが見えて安心した。
…やめて欲しい…脅かすのは。確実に今ので寿命が縮まったぞ…。
「あ、あの………」
その人がこの世の人だ、わかれば、恐怖は薄まる。
だけど一人でこの森に入ったんだろうか…、それにしては軽装すぎる。でも彼女に声を掛けながら周りを見渡すけど、それらしき姿も見えない。
彼女の格好は違和感がありすぎだ。どう見てもここまで歩いてきたとは思えない。まだ解けない疑問に恐怖が拭えずに固まっていると、彼女が僕を指さした。
「…そのキノコから手を離した方が身のためよ?」
僕の足元には、目の前の彼女のような真っ白なキノコが生えている。彼女が指さしているのは僕じゃなく、このキノコのことなんだと、分かった。
その真紅の瞳に気圧されて僕がそのキノコから距離を取ると、満足そうに頷いてみせる。
「…おりこうさんね」
「は、…はぁ…」
…何なんだ、この人…。
僕の頭の中には、今、それしかない。彼女は僕の疑問なんてつゆ知らず、真っ直ぐに見つめてきた。その胸元に下げているドクロのネックレスまで僕を睨んでいるようで怖い。
「…何かしら?」
僕の視線に気付いて、彼女が首を傾げる。
失礼だとは思ったけど、彼女のことをジロジロと見てしまった。だって、あまりにも不似合いすぎる。ここはどう考えたって、ピクニックしに来るような場所じゃないんだから。
キミ、一人なの?
どうしてこんな森の中に?
…っていうか、どうやってここまで来たんだよ。
様々な疑問が頭に浮かんだけど、声に出せずに、ただ唖然と彼女を見つめてしまった。
「…あなた、どうしてここに?」
…それは僕のセリフだよ。
黙っていたら、彼女の方から先に質問されてしまった。
「え?…えっと……キノコを、採りに…」
「キノコ?…その毒キノコを採りに来たのかしら?」
「…―えっ!?」
慌てて僕は足元の白いキノコを見る。
…確かに、綺麗すぎる、とは思ったけど…。
しばらくボーっと見ていたら、彼女の方が僕に近付いてきた。
「その子の毒は猛毒だから気をつけなさい?…キミと同じように、安易にこの森に入って、この子の毒で命を失った人間が何人居たかしら…?」
…その子って……このキノコのことか…?
指折り数える彼女のしなやかな指が恐ろしい。
…綺麗だ、と思っていた目の前の白いキノコが、一瞬にして、毒々しく見えた。
「…ふふふっ。…大丈夫よ、口にしなければ、ね?」
「そっ……それを早く言ってよ…」
彼女のウインクに思わず心臓が跳ねる。ホッと胸を撫で下ろしながら、僕はまだ止まない鼓動を押さえた。
「……ん?それ…」
キノコを挟んで、彼女が僕の前に立った。遠目で気付かなかったけど、彼女の腰辺りに、小さな羽根のようなものがある。ジッと見ていると、それがパタパタと動いた。
「うわっ」
「あははっ。…ビックリした?」
「…えっ…?本物…?」
「ふふっ…そうよ」
その時の僕は好奇心に身体を動かされ、畏れもせずその羽根に触れてしまった。
「や、…柔らかい…ふわふわ」
「っ…くすぐったいわ」
「うわっ…ご、ごめんなさいっ…!!」
彼女の声にドキッとして、慌てて僕は手を離す。
な、なんてことをしてしまったんだ、僕は…。
謝る僕を、彼女は優しい目で見ている。…間近で見ると、本当に綺麗な人だと思った。ジッと見てはいけない、と思っていても、その魅力に惹き込まれるように見てしまう。
「…キミは正直な人ね」
「っ、えっ…?」
「…正直な子はキライじゃないわ」
その意味が分からずに首を傾げると、彼女に手を握られた。一気に心臓がバクバクと大きな音を立てる。
「キミが探してる子は、こっちよ」
まるで最初から知っているかのようだった。いや、むしろもっと前から僕のことを見ていたのかもしれない。
彼女に見惚れてた僕がその手を解けるわけもなく、引かれるままに森の中を歩いた。
この森の噂を聞いたのは、たまたま僕の街を訪れた旅の行商人からだった。
”再生キノコ”と呼ばれるキノコがそこにはある、と。
それは災害や戦争で壊滅的な被害を受けた土地に力を与えてくれる、と教えてくれた。
僕の街は今、水の死んだ街、と呼ばれる程、深刻な被害を受けていた。その原因を探る為に、今まで様々な専門家を呼んで調べてもらったけど、そのどれもが死の宣告ばかり。そんな現状に僕の父親と街の住民達は、この街を捨てる、という苦渋の決断をせざるを得なかった。
…その決断に異論があるわけじゃない。
だけど、領主だった父までがこの街を捨てることに、僕はどうしても納得出来なかった。ずっと暮らしてきたこの街に、まだ何か出来る事が残されているんじゃないか、って。
…でも、僕に何が出来るわけでもなかった。日に日に朽ちていく街を見守ることしか出来なかった。
だから”再生キノコ”の話を聞いた時、行くしかない、と思った。そのまま身支度して街を出ようとした僕に、旅の行商人が”死の天使”の話を教えてくれる。
キノコの群生地のその森には、キノコの精霊達が住むという。その中には、人間に友好的な精霊、逆に敵意を向ける者も少なくない、ということだ。
そしてそのキノコ達を統べる、精霊達が居るという。それはアマニタ姉妹と呼ばれる猛毒を持ったキノコの精霊達。彼女たちに嫌われる、ということはその森での死を意味するのだ、と。
”死の天使”
行商人に教えてもらったその言葉が頭をよぎる。僕の手を引く、彼女がそうなんじゃないか、って。
「…いいわよ?聞きたいことがあるなら」
「っ!」
…そこまで僕は顔に出ているんだろうか。
あまりにビックリして思わず彼女に引っ張られている手を引いてしまった。
「…あらら。そんな顔しないで?可愛い顔が台無しよ?」
…それは僕のセリフだよ…。
一瞬呆気に取られて、言葉を失った。そんな僕を彼女はくすぐったくなるような視線で見つめてくる。
「あ、あの……君は…一体…?」
「……あぁ。そうね、自己紹介がまだだったかしら?私はアマニタ・ヴィロサ。…この森の…そうね、管理人って所かしら」
彼女の名を聞いて、やっぱり、と思った。話に聞いていた、アマニタ姉妹。そしてその白い羽根が彼女のシンボルだ。
「アマニタ…やっぱり、君が”死の天使”…?」
「…ご感想は?」
「えっ!?」
「キミが実際目の当たりにした”死の天使”のご感想は?」
まさか本人からそんなことを聞かれると思っていなかった僕は、焦って咄嗟に答えてしまった。
「き、…綺麗、です」
「ふふっ…ありがとう。…やっぱりキミは正直な人ね」
そう言って、一度僕が離してしまった手を、ヴィロサが握ってきた。
「えっ…?あ…」
「…キミの名前は?」
「……ま、マサト…です」
「マサト?…ふ~ん、素敵な名前ね」
「あ、…ありがとう。ヴィロサ」
緊張して声が震える。ヴィロサの手の温度と、微笑みに僕の心臓が浮かれっぱなしだ。
「他に聞きたいことは無い?」
彼女の真紅の瞳に見つめられていると、ヴィロサしか見えなくなる。吸い込まれるようにその妖艶な笑みを見ていたら、小さく笑われてしまった。
「あ、あの、えっと…ごめんなさい」
「…え?」
僕が頭を下げると、ヴィロサは不思議そうな顔をした。
「…さっき…手を振りほどくようなことして」
彼女達からしてみれば、僕の方が侵入者なのに、異質なものを見るような目をしてしまった。
「…あら…そんなこと、気にしなくてもいいのに。怖がられるのには慣れているわ」
「そ!…そんなことって…。そんなわけにはいかないよ。…人間がみんな僕みたいなやつだと思われたくないんだ…」
僕が肩を落とすと、ヴィロサが大きくため息ついた。
「……あのねぇ…私よりキミが落ち込んでどうするの」
ヴィロサに肩を叩かれ、慰められた。片方目を閉じて、困ったように笑う彼女。
「…ほら、キミにはやるべき事があるんでしょ?」
「っ!…な、なんでそれを…?」
彼女の言葉にハッとした。
…そういえば、ヴィロサは僕が”再生のキノコ”を探してることもわかってたみたいだし…。
「…ふふっ…あなた達には見えてないみたいだけど、私達のような存在は色んな場所に住んでいるの。…そしてたまーに、気まぐれに人間に力を貸したりするのよ?」
「…へー………えっ?」
ヴィロサが悪い顔で微笑むから、思わず後ずさり。暗示をかけるように、指先を僕の目の前でグルグルと回した。
「…たとえば…あなたの街に立ち寄った行商人さんの口を借りたりしてね?」
「えぇっ!?…そ、そんなことが…?」
「…まぁ…たとえ口を借りたとしても、キミが動かなかったら、どうしようもなかったけど」
彼女の指が止まって、僕のおでこを突いた。
「…だから、合格よ?キミ」
「…ごうかく…」
その言葉の意味がわからずに首を傾げる僕を、ヴィロサは面白そうに見ている。
…どうやら僕は知らないうちに、ここへ呼ばれていたようだ。
「…ただ…まぁ……解決したとしても、また別の問題が起きると思うけど…」
「…え…?今、何て…」
「キミなら大丈夫。きっとなんとかしてくれるって期待してるわ」
不穏な言葉を聞いた気がしたけど…。
ヴィロサは有無も言わせぬ迫力で僕に聞き返す術を与えてくれなかった。
「さ、まずは手に入れなきゃ、始まらないでしょ…?」
「は、…はいっ」
彼女の言う通りだ。大きく頷くと、ヴィロサが満足そうに頷いて歩き出す。僕もその後に続いた。




