第16話 勇者と、賢者
賢者を求めて北方の険しい山道を駆ける、北の勇者パーティー。
道中、彼らは信じがたい噂をあちこちで耳にしていた。
「おい、聞いたか? 魔王軍の傘下に入ったヴェルダンやアルザードじゃ、人々が飢えることもなく、むしろ以前より豊かな生活を送っているらしいぞ……」
「馬鹿な! 魔王軍だぞ? 人間なんていつ食われるか分かったもんじゃないはずだ……!」
「だが、実際にそちらへ移住した商人が言うには、税も安定していて治安もすこぶる良いそうだ……」
その話を耳にするたび、パーティーの仲間である男戦士や女僧侶は、薄々と真実に気づき始めていた。
(……これって、別に魔王軍が洗脳してるわけじゃなくて、単に王国の悪政に愛想を尽かした民衆が自発的に流れてるだけなんじゃ……?)
(――うん、絶対そうよね。むしろ王国側の税金や搾取の方のほうがよっぽど酷かったし……)
しかし、目の前の道を先頭切って進む北の勇者は、その正義感と使命感を燃え上がらせるあまり、全く別の方向へと解釈を暴走させていた。
「ふざけるな……!!」
勇者は鋭い声で振り返り、拳をぎっと握りしめた。
「民の心を豊かにし、笑顔にしているだと……!? なんという悪辣かつ卑劣な洗脳技術だ! 人間の誇りや魂をジワジワと奪い、気付いた時には魔王の完全な家畜(奴隷)として飼い慣らす……これぞ、あの魔王軍の背後にいるという『影の軍師』の恐るべき謀略に違いない……!」
(いや、どう見ても普通の経済政策と復興支援では……?)と突っ込みかけ、男戦士はあまりの勇者の熱量に気圧されてそっと口を閉ざした。
やがて、険しい山奥のさらに奥。
世間から身を隠すように佇む、ひっそりとした一軒の庵。そこに住まう伝説の「賢者」を訪ねた勇者パーティーは、厳重な警戒の中で扉を叩いた。
現れたのは、世捨て人というイメージを覆す、勇者と同い年くらいの眉目秀麗な銀髪の青年だった。整った端正な顔立ちをしているが、なぜかいつも目を細めており、他人からはまるで目を閉じているかのように見える。
「よくぞ来てくれた、若き勇者よ……。外の噂は、この庵にまで届いておるよ」
涼やかな声でそう語りながら、賢者はスッと目を細めたまま重々しく溜息をついた。
その後ろで、男戦士は「てっきり仙人みたいなジジイが出てくるもんだとばかり……!」と内心で派手にずっこけ、一方の女僧侶は、汗臭い勇者とは違うどこか知的で落ち着いた大人の風貌に、一瞬だけ胸を高鳴らせて「……っ、なんか意外とカッコいいかも……?」と小さくドキッとしていた。
――そして、賢者に招き入れられるまま、一行は庵の中へと足を踏み入れた。
室内のテーブル席に通され、温かいお茶が差し出されると、先ほどまでのピリッとした緊張感が少しだけ和らぐ。心地よい静けさの中、賢者は目を細めたまま静かにカップを置き、まっすぐ勇者を見据えた。
「さあ、落ち着いて話そう。……一つ聞かせてほしい。君は、一体どういう想いで、いま魔王を討ち果たそうとしているんだい?」
その問いかけに、勇者はガタンと椅子を鳴らして立ち上がり、燃えたぎるような正義感をその目に宿した。
「決まっている! 魔王は人目を欺く甘い言葉で民を惑わし、属する人間を奴隷のように過酷に働かせて王国を切り崩そうとしている……! そんな非道な所業、この世界の正義にかけて絶対に許すわけにはいかないんだ!」
熱く語る勇者の姿を、賢者は細い目をさらに細めながら、深く頷きつつ受け止める。
「……なるほど。君の言う通りだね。そもそも魔王軍の連中と言えば、血も涙もない冷酷非道な怪物どもの集まりだ。そんな奴らが人間に対して慈悲なぞかけるはずがない。奴隷労働の温床にしているというのは、論理的にも完全に合致する」
――お互いの「勝手な偏見と誤った前提」が、あまりにも綺麗にかみ合ってしまった。
銀髪の青年は、フッと不敵な笑みを浮かべる。
「やはり、君の見立て通りだったな……!」
「うむ、もはや一刻の猶予もない。人間が完全な家畜と化す前に、我々が奴らの首魁を討たねばならん!」
人類の存亡をかけた(と思い込んでいる)二人は、お互いの熱い握手を交わし、庵のテーブルを挟んでガッチリと手を取り合った。完全に意気投合し、最高潮の気炎を上げる勇者と賢者。
その眩しすぎる(そして致命的にズレた)熱狂の輪を目の当たりにして、先ほどまで密かにときめいていた女僧侶は、ガックリと肩を落とした。
(……もうヴェルダンやアルザードのことは放っておいて、まだ魔王軍の手が伸びてない王国の領土を守るだけで良くないかしら……?)
あまりのバカバカしさに呆れ果てる女僧侶だったが、打倒魔王にメラメラと熱く燃え上がっている二人の前で、そんな冷や水を浴びせるような正論を言える雰囲気でもない。
(……まあ、こんな空気の中で口挟むのも面倒だしなぁ。それに、魔王軍の魔物を倒していくこと自体は別に悪いことじゃないし……うん、そういうことにしておこう……)
そう自分に言い聞かせて妥協した女僧侶は、これ以上室内にいても息が詰まるとばかりに、白熱する二人を庵に残したまま、男戦士を連れてそっと外の冷たい空気が流れる庭先へと出た。
静かな夜風の中、男戦士は小さく息を吐き、ポツリと呟いた。
「……しかし、ヴェルダンやアルザードの人々はどういうカラクリで生活しているんだろうな」
「……確かに。王国の圧政から逃れたとはいえ、両領地は魔王軍の領土になった訳だから、凶暴な魔物が自由に闊歩しているはずだし……」
「だよな。絶対食われるよな」
「そこが分からないのよ。噂では人々は幸せに暮らし、貿易も盛んなんでしょ?」
「そうだ。『幸せに暮している』だけならただの噂話だろうけど、実際に王国の商人達も行き来しているからな」
二人はそこで言葉を飲み込み、しばらく静かに夜空を見上げた。
「……」
「……」
「私達も、一度ヴェルダンやアルザードに行ってみたいわね」
「ああ。でもあの勇者と賢者だ。ヴェルダンに行こうなんて言ったら、絶対に反対するだろうぜ……(苦笑)」
「ハァ……。私達、これからどうなっちゃうんだろ……」
遠くでまだ熱く気炎を上げる勇者たちの声を聞きながら、戦士と僧侶は揃って深く、重たい溜息を零すのであった。




