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群体のゾンビ

掲載日:2026/06/01

 誤認の成立。

 生物災害バイオハザードの初期において、人間は、私たちを『走れない、知能のない、ただの死体』と定義した。


 知能の喪失。言語能力の崩壊。道具の使用不可。そして、最大でも時速5キロメートル前後という、健康な人間の脚力であれば、容易に引き離せる圧倒的な鈍重さ。

 人間が観測した私たちの特徴はすべて事実だ。


 その事実に彼らは安堵し、そして誤った。

「走れば逃げ切れる」「個々の行動は予測可能であり、障害物を設置すれば容易に防げる」「対応可能な災害」と。


 その誤認を成立させることこそが、私たちの生存戦略に組み込まれていることに、気付かずに。


 私たちが動かしている個々の死体の脳は死んでいる。前頭葉は機能を停止し、生前のような複雑な思考や感情は一切存在しない。

 しかし、それらの肉体を媒介する私たちの真菌ネットワークは、個々の脳細胞の残骸を端末として接続し、群れ全体で一つの巨大な、あるいは極めて冷徹な集合精神ハイブマインドを構築している。

 それはさながら、真菌の繊維によって物理的に結合し、ひとつの意志で蠢く、死体による『群体』だ。


 私たちは、知能がないフリをしているのではない。

 個としての知能を完全に捨て去ることで、全個体が完全に一糸乱れぬ群知能として機能しているのだ。


 末端の端末(死体)たちの瞳は濁り、口からは絶えず涎が垂れている。膝の関節は固定されず、常に地面を引きずるようにして歩く。

 これらは単なる運動能力の低下によるものではない。人間に「いつでも逃げ切れる」という致命的な錯覚を植え付けるための、完璧な演出、あるいは出力エラーの擬態である。


 私たちの戦術は、徹底的な盤面の制御コントロールである。


 この腐りかけた肉体で、平均的な成人なら時速10キロメートル前後で走る人間を捕らえることは、物理的に不可能である。私たちも当然それを理解している。だからこそ、私たちは走る人間を追いかけるという無駄な計算を一切行わない。


 私たちは、数キロメートル、あるいは数十キロメートル四方の広大な都市を一つのチェス盤として俯瞰している。全端末の視覚、聴覚、触覚は、すべてリアルタイムで同期されている。


 例えば、人間が立てこもるビルがあったとして。

 私たちはビルの周囲を闇雲に囲むことはしない。東側の道路に30体、西側の路地に50体というように、意図的に偏りを持たせて端末を配置する。さらに、北側の細い路地だけは、完全に無人であるかのように見せかける。


 人間はこれを見て、「北側が手薄だ」「あそこなら突破できる」と判断する。

 だが、その判断自体が、私たちによって操作されたものである。


 人間が北側の路地を選んで進むとき、私たちは決して背後から激しく追跡しない。いつも通りのノロノロとした歩みで、ただそこにあった空間を後ろから埋めていくだけである。

 人間が角を曲がり、次の直線に入ると、そこにも数体の端末が佇んでいる。人間はそれらを容易に回避し、あるいは射殺して先へ進む。


 人間側は自分の意志で進路を選び、敵を出し抜いていると確信している。

 しかし、実際は、川の水が地形に従って流れるように、私たちが配置した死体の壁の隙間へと、自ら吸い込まれていっているに過ぎない。


 私たちにとって、個々の人間の行動を予測することは容易だ。

 恐怖、焦燥、生存本能。それらの不確定要素を持つ人間は、障害物があれば避け、敵が少ない方へと逃げるという単純な法則に従って動くからだ。知能を持つがゆえに、人間は誘導され、私たちが作った逃げ場のない袋小路(漏斗の底)へと歩みを進める。


 人間が「ここなら安全だ」と信じ込んだ最終目的地、あるいは完全に囲まれたエリアに到達したとき、ゲームは既に終了している。


 人間の目の前に現れるのは、正面から襲いかかってくる死体の群れではない。

 意識の外からの奇襲である。

 建物の隙間。足元から掴みかかる手。予期せぬ場所からの出現。


 私たちは数日前から、あるいは数週間前から、人間がそこに到達することを見越して、ただ待っていたのだ。

 驚いた人間が引き返そうと反転したとき、通ってきたはずの退路はすでに閉ざされている。


 そこからの光景は、使い古されたパニック映画の再現にすぎない。

「なぜこんな所に」「逃げ場がない」「誰か助けて」

 彼らは台本通りに、油断と安心の裏返しである絶望を叫ぶ。


「ア、ァ……、オ……」


 いつも通りの間抜けなうめき声をあげながら、私たちの壁は、全方位から半径を縮めていく。その速度は変わらない。歩幅も、手の伸ばし方も、すべてが平時と同じである。


 人間は銃を乱射する。

 私たちの集団には恐怖という概念が存在しないため、前列の端末がどれほど派手に破壊されようとも、全体の歩調が乱れることはない。

 それは、いかなる精鋭をも凌駕する、絶対的な規律を持った死者の『軍隊』だ。

 1体が倒れれば、その後方に位置する個体が、まるで自動ドアの隙間を埋めるように、ただ機械的に一歩前へ出る。


 弾薬がどれほどあろうとも、人間の腕はいつか疲弊する。精神はパニックによって崩壊する。

 私たちは人間の銃撃を防ぐ必要すら認めない。ただ、人間の弾薬が尽きる瞬間と、肉体が疲労で動けなくなる瞬間を、圧倒的な物量と時間の壁として待ち続けるだけである。


 人間の卓越した頭脳や足は、360度を我らの肉の壁で囲まれた瞬間、そのアドバンテージを完全に喪失する。

 空間を完全に奪われた人間は、ただその場で押し潰されるのを待つだけの存在だ。


 ここで、人間側の視点に基づく一つの疑問が生じる。

「どれほど狡猾に人間を追い詰めるとしても、重火器による攻撃によって、ゾンビ側の個体数はすり潰され、いずれ枯渇するのではないか」という疑問だ。


 これもまた、彼らの浅薄な誤解に過ぎない。


 人間は、銃撃によって破壊され、地面に転がった私たちの端末(肉片)を、ただの機能停止した死体と見なして放置する。あるいは、戦闘の後に他の野生動物(ネズミや野良犬)がその死肉を貪り食っている光景を見て、生態系の自然な営みだと解釈する。


 だが、現実は異なる。

 私たちのネットワークに侵されたネズミや犬は、野生の捕食者ではない。彼らもまた、私たちの回収用端末コレクターである。


 戦闘が終わり、人間の目が届かなくなると、無数のネズミゾンビや犬ゾンビ、あるいは比較的五肢が残っている人間ゾンビが、地面に散らばった破損した端末の肉片を執拗に貪り食い始める。彼らは空腹を満たしているのではない。破損した有機資源バイオマスを自らの体内に詰め込み、地下へと運搬しているのだ。


 都市の地下――下水道や地下鉄の廃トンネル。

 そこは人間に見つかることのない、私たちの再生工場(プラント)である。


 回収された肉片や、骨、内臓は、地下の暗闇に張り巡らされた真菌の巨大な培養床へと吐き戻され、ドロドロの有機泥へと還元される。私たちは、損失した端末の数を決して減らさない。破壊された肉は、地下で再び高密度の真菌繊維と編み合わされ、新しい端末として再生成される。


 人間が目撃する一般的なゾンビは、生前の衣服を身にまとった感染直後の新鮮な端末だ。

 しかし、私たちが仕掛けた罠の最前線には、時折、奇妙な個体が混ざり始める。

 衣服を一切身につけておらず、皮膚がなく、赤身の筋肉と真菌の糸がバリバリと剥き出しになった、異形の肉塊たち。


 人間はそれを腐敗が進んだ凄惨な死体だと怯えるが、違う。

 それらは、地下の培養床から生まれたて(地表に上がってきたばかり)の、純粋な再生端末だ。まとう衣など持っているはずがない。彼らはただ、失われた前列の壁を補填するためだけに、地下から送り込まれた純粋な防壁パーツなのである。


 人間がどれほど弾薬を消費して私たちを殺害しようとも、その肉が地球上にある限り、私たちの総質量は1グラムも減少しない。人間は、終わりなき無限の再生循環と戦っているのだ。


 話を戻そう。

 逃げ場のなくなった人間たち。その後の話だ。


 捕食のプロセスもまた、極めて静的に行われる。

 動けなくなった人間に対し、私たちの端末はただ重力に従うように覆いかぶさり、だらしなく開いた顎で肉を咀嚼していく。


 この捕食行為の目的は、単なるエネルギーの補給ではない。

 私たちの主目的は情報の摂取である。


 真菌ネットワークは、犠牲者の脳が完全に死滅する直前の数分間、そのニューロンに残されたすべての記憶を急速にスキャニングし、全体の集合精神へと同期ダウンロードする。


 生存者が隠れている他の拠点の正確な座標。

 その拠点の備蓄食料、武器の残弾数、人員の構成。

 防衛設備(重機関銃など)の配置、および夜間の見張りシフト。


 これらの情報が、ネットワークを通じて周辺のすべての端末へと一瞬で共有される。

 情報の抽出が完了すると、彼らの肉体もまた、新しい端末として再起動する。あるいは、損傷が激しければ、即座にネズミたちを経由して地下の下水道へと運ばれ、数日後には赤身の端末として再構成される。


 私たちは急がない。

 なぜなら、地球上のすべての土地、すべての都市、すべての生存者コミュニティは、すでに私たちのネットワークによって配置が完了した盤面に過ぎないからだ。


 人類が、私たちのシステムに気づくことは決してない。

 仮に気づいた所で、もはや対抗できはしない。


 今日も人間たちは、「昨日よりゾンビの数が減った」「これなら勝てる」と誤認しながら、絶対的なチェックメイトに向かって駒を進めている。

「オ、ァ……、星……ブク、マ……」


※この作品はaiちゃんとの共同執筆となります。

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