第16章 第1話:冬の贈り物
あらすじ:十二月。長谷川と篠原先生の共同論文が掲載され、学術コミュニティから予想を超える反響が届く。文部科学省の行政指導を受けて、まなびルームの開発元が設計の見直しを表明する。しかしそれは、予想とは異なる形だった。開発元は、自分たちの側から研究者チームへの協力を申し入れてきたのだ。その申し入れが、この旅の次の局面を開く。一方、田中陸斗の母親から、手紙への返信が届く。その返信に書かれていた一言が、智也の心に、深く静かに、届いた。第十六章の問いが、冬の静けさの中で、静かに芽吹き始める。
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十二月の初旬。
東京は、冬の入り口に立っていた。
朝の空気が、刃のように冷たかった。
区立図書館の窓際の席に座ると、外では、白い息が見えた。
智也は、コーヒーを一口飲みながら、今朝届いた複数のメッセージを確認した。
最初は、長谷川からだった。
「論文が、掲載されました。今回も、橋本先生と篠原先生が一緒に喜んでくれました」
「おめでとうございます。反響は、どうですか」
「予想以上です。教育工学の分野から、複数の研究者が関心を示しています。特に、『引っかかり』という概念を、教育研究に持ち込んだことへの評価が高い。認知科学の概念が、教育の現場に翻訳された、という言葉をいただきました」
「それは、本多先生の最初の論文が評価された時と、同じ評価ですね」
「そうです。認知科学と教育実践の橋渡しが、この研究の最も重要な貢献だと思っています」
次に、村上准教授から届いていた。
「論文掲載を受けて、教育関係の学会から、招待講演の依頼が来ました。長谷川さんと橋本先生と篠原先生、三人に、来年春の学会での発表をお願いしようと思っています。智也さんも、もし参加できれば、との打診がありました」
「参加できます。何を話せばいいですか」
「この問いがどのように始まったかを、話してほしいと思っています。推理者として、問いを追ってきた過程を。それが、研究者だけでは語れない視点をもたらすと思います」
「分かりました。準備します」
そして、最も予想外の連絡が来ていた。
差出人は、まなびルームの開発元、株式会社エデュイノベーションだった。
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**千葉様**
**弊社は、まなびルームを開発・提供している株式会社エデュイノベーションです。**
**先月、文部科学省より行政指導を受け、弊社の設計の見直しについて、社内で検討を続けています。**
**その過程で、千葉様のチームが長年取り組んでこられた研究と調査の成果を、詳細に読みました。長谷川詩織氏、橋本文子氏、篠原康子氏の共同論文も、読みました。**
**弊社は、子供たちの学びを支援したいという誠実な思いから、このアプリを開発しました。しかし、その設計の一部が、子供たちの引っかかりを阻害する方向に作用していた可能性があることを、研究チームの成果から、理解しました。**
**弊社として、設計の見直しを行いたいと思っています。しかし、どのように見直すべきかについて、研究チームのみなさんの知見を、直接伺いたいと思っています。**
**押しつけがましいお願いで恐縮ですが、協力いただけないでしょうか。**
**株式会社エデュイノベーション 代表取締役 西川誠**
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智也は、その手紙を、三度読んだ。
「開発元から、協力の申し入れ」
これは、予想していなかった展開だった。
行政指導を受けた開発元が、批判に反発するのではなく、研究チームへの協力を申し入れてきた。
その姿勢が、正直で、前向きだと感じた。
しかし、同時に、慎重さも必要だった。
「これが誠実な申し入れかどうかを、確認する必要がある」
智也は、木村刑事とサラに、その手紙を転送した。
木村刑事からの返信は、すぐに来た。
「株式会社エデュイノベーションを、調べました。プリズム・グロース・ファンドとの直接の資金的な繋がりは、確認されていません。ユニバーサル・キャンパスやスタディナビの開発元とは、別系統の会社です」
「つまり、これまで追ってきた組織とは、別の会社ということですか」
「そうです。ただし、コンテンツプロバイダーの一部を、共通している可能性が、まだ完全には排除できていません。そのため、慎重な対応が必要ですが、協力すること自体は、検討に値すると思います」
「分かりました。マーカスのチームに、技術的な観点からの意見を求めます」
マーカスからの返信は、その夜届いた。
「エデュイノベーションについて、技術的な観点から調べました。まなびルームのアルゴリズムは、ユニバーサル・キャンパスやスタディナビと比較すると、設計の精巧さが低い。つまり、意図的な認知操作のための設計というより、利便性を優先した結果として、問題のある設計になっている可能性が高い。その解釈が正しければ、開発元が設計の問題を認識した後に、改善に向けて動くことは、十分に可能だと思います」
「設計の意図が、認知操作ではなく、利便性の追求だったということですか」
「そう推測しています。ただし、コンテンツプロバイダーの問題が残っている可能性があります。設計の問題と、コンテンツの問題を、分けて考える必要があります」
「分けて考える、というのは重要な視点ですね」
「そうです。開発元と協力することは、設計の改善に繋がります。しかし、コンテンツの問題については、別途、確認が必要です」
「分かりました。その二つを分けた上で、協力する方向で進めます」
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翌日、美優に連絡した。
「開発元から、協力の申し入れが来ました」
「それは、予想外の展開ですね」
「そうです。行政指導を受けた後に、批判への反論ではなく、協力の申し入れが来た。それは、開発元の誠実さを示しているかもしれない」
「批判する側と、批判される側が、協力する。それは、これまでの旅にはなかった展開ですね」
「そうです。対立ではなく、対話。その形が、この旅の次の局面になるかもしれない」
「怖くないですか」
「少し、怖いです。これが誠実な申し入れかどうか、まだ確認中です。しかし、もし誠実な申し入れだとすれば、断ることは、問いの連鎖を止めることになる」
「問いを贈ることで、問いの連鎖を作る。開発元に問いを贈ることで、設計の改善という連鎖が始まる可能性がある」
「そうです。その可能性が、慎重に動く理由でもあります」
「どうやって確認しますか」
「直接会って、話を聞く。その過程で、誠実さを確認します。これまでの対話と同じように」
「では、また対話が始まりますね」
「そうです。今度の相手は、加害者でも、被害者でも、研究者でもない。設計者です。設計者との対話が、この章の新しい局面になるかもしれない」
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その週の後半、田中陸斗の母親からの返信が届いた。
手紙を開いた瞬間から、智也の手が、少し震えた。
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**千葉さんへ、**
**手紙をありがとうございました。**
**論文の謝辞に、陸斗の名前が入るとのこと。読んで、しばらく、声が出ませんでした。**
**陸斗は、名前が残るとは思っていなかったと思います。あんなに孤独だった子だから。でも、千葉さんと、長谷川さんという方の研究の中に、陸斗の名前が残る。**
**それが、嬉しかった。**
**一つだけ、聞かせてください。**
**陸斗は、千葉さんに、何を贈ったのでしょうか。**
**私には、陸斗が何者だったかが、まだ、よく分かっていない部分があります。あの子が、世界にどんな痕跡を残したのか。それを、千葉さんに聞いてみたくて、ずっと、思っていました。**
**田中恵子**
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「陸斗は、千葉さんに、何を贈ったのでしょうか」
その問いが、智也の心の中で、静かに、しかし深く、響いた。
田中陸斗が、智也に贈ったもの。
それは何か。
智也は、窓の外を見た。
冬の空が、高く、澄んでいた。
田中陸斗。
あの朝の教室で、その名前を聞いた。
引っかかった。
なぜ引っかかったのか。
それを今、言葉にするとしたら。
「田中陸斗は、私に、最初の問いを贈った」
智也は、ノートに、その言葉を書いた。
問いを贈ることが、問いの連鎖を作る。
田中陸斗の死という、彼が意図しなかった贈り物が、智也に最初の問いを与えた。
その問いが、この長い旅の出発点になった。
問いを贈った人が、その問いが生む連鎖を知ることはなかった。
しかし、問いは連鎖した。
今も、連鎖し続けている。
智也は、田中陸斗の母親への返信を書いた。
「恵子さん、大切な問いをありがとうございます。田中陸斗さんが私に贈ってくれたものは、最初の問いです。なぜ、彼は死んだのか、という引っかかりが、この旅の全ての出発点でした。彼は、その問いを意図して贈ったわけではありません。しかし、彼の死が、私に問いを生み、その問いが連鎖して、今、多くの人を繋いでいます。問いを贈ることは、時に、意図せずして起きます。田中陸斗さんは、意図せずして、私に最も大切な問いを贈ってくれた。その贈り物が、今も、続いています。千葉智也」
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その夜、智也は、ノートを開いた。
**「十二月。第十六章が始まった。」**
**「まなびルームの開発元から、協力の申し入れが来た。批判と防衛の関係ではなく、対話の関係に向かう可能性がある。設計者との対話が、この章の新しい局面になる。」**
**「長谷川の論文が掲載された。引っかかりという概念が、タイトルに入った学術論文が、世界に向けて発信された。」**
**「田中陸斗のお母さんから、手紙が来た。陸斗が私に何を贈ったのか、という問い。その問いへの答えが、今夜、言葉になった。陸斗は、最初の問いを、意図せずして、私に贈った。」**
**「問いを贈ることは、意図せずして起きることもある。そして、意図せずして贈られた問いが、最も深い連鎖を生むことがある。それが、この旅全体が示したことかもしれない。」**
**「第十六章の問いが、始まった。設計者との対話。意図せずして贈られる問いの意味。そして、問いの連鎖がどのように社会を変えていくのか。」**
**「推理者の旅は、今日も続いている。」**
ノートを閉じた。
冬の夜が、静かに深まっていた。
どこかで、風の音がした。
その風の中に、この旅の全ての声が、混じっているような気がした。
田中陸斗の声。
美優の声。
本多先生の声。
中川先生の声。
橋本先生の声。
篠原先生の声。
長谷川の声。
田島の声。
子供たちの「なんで?」という声。
それらが、冬の風の中で、静かに、しかし確かに、続いていた。
問いは、続いていた。
推理者の旅は、今日も続いていた。
一歩一歩、丁寧に。
信頼できる仲間と共に。
そして、次の問いへと向かって。
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第16章 第1話「冬の贈り物」完




