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沈黙の推理者  作者: 最後に残った形
第9章

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第13章 第7話:スタディナビの正体


あらすじ:五月。マーカスのチームがスタディナビの解析を進める中、その設計がユニバーサル・キャンパスとは異なる、より巧妙な手法を用いていることが判明する。高校生という、まだ批判的思考の習慣が十分に形成されていない世代を対象に、より根本的なレベルで思考のパターンを設計しようとしている可能性が浮かんできた。同時に、木村刑事からの報告により、プリズム・グロース・ファンドの国内窓口人物の像が、徐々に絞り込まれてくる。そして、中川先生が授業の中で試みたあることが、予想外の形で生徒たちの反応を引き出した。その反応の中に、智也は、この問いへの最も根本的な答えの芽を、見つける。


---


五月の初旬。


ゴールデンウィークが明けたキャンパスは、青葉に包まれていた。


新緑の季節が、静かに、しかし確実に訪れていた。


智也は、その緑を眺めながら、図書館の奥の席に向かった。


この席に座るたびに、ここから全てが始まったことを、思い出す。


今は、そのことが、重さではなく、力として感じられた。


マーカスから、スタディナビの初期解析の結果が届いていた。


「今夜、話せますか。重要な発見があります」


「話せます」


夜の会議には、マーカス、サラ、長谷川、そして村上准教授が参加した。


マーカスは、画面を共有しながら、慎重な言葉を選んで話し始めた。


「スタディナビの解析を、一週間かけて進めました。ユニバーサル・キャンパスとの比較を中心に行いました。共通点と相違点が、両方あります」


「共通点から教えてください」


「コンテンツ推薦アルゴリズムの基本的な構造が、部分的に一致しています。ユニバーサル・キャンパスと同じ設計者、あるいは同じ設計思想の系統にある可能性が高い」


「では、相違点は」


「ここが重要な部分です」


マーカスは、少し間を置いた。


「スタディナビは、ユニバーサル・キャンパスより、さらに一歩踏み込んだ設計を持っています。ユニバーサル・キャンパスは、コンテンツの選択プロセスを通じて、既存の思考の方向性を誘導するシステムでした。しかしスタディナビは、それとは異なる目標を持っているように見えます」


「どのような目標ですか」


「思考の方向性ではなく、思考のスタイルそのものを、形成しようとしている可能性があります」


「思考のスタイルを形成する、とはどういう意味ですか」


村上准教授が、補足した。


「認知科学的に言えば、こういうことです。人間の思考スタイルは、大人になってから変えることは難しい。しかし、思春期の学習の中で、繰り返し特定のパターンを経験することで、そのパターンが思考の基本的な型として定着する可能性があります。スタディナビが高校生を対象にしているとすれば、それは、思考スタイルの形成期を、意図的に狙っている可能性がある」


会議室が、静まり返った。


長谷川が、静かに言った。


「私が高校生の時に、もしこのシステムがあったら、と思うと、怖くなります」


「どういう意味ですか」


「高校の時の私は、まだ、何を信じるべきかを決める力が、十分ではなかった。あの時期に、特定の思考スタイルが刷り込まれたとしたら、それに気づくのは、ずっと後になってからかもしれない。もしかしたら、気づかないまま終わるかもしれない」


「その観察は、非常に重要です」


智也は言った。


「大学生は、ある程度の知識と経験を持った上で、プラットフォームを使います。しかし高校生は、まだ、その知識と経験を形成している段階です。その段階での介入は、より深く、より長期的な影響を持つ可能性がある」


「スタディナビの設計者は、それを分かった上で、高校生を対象にしているということですか」


マーカスが、慎重に答えた。


「意図的かどうかは、まだ言えません。ただし、結果として、そのような影響を持つシステムが設計されている可能性があります。善意から始まった設計が、意図せずその方向に向かっているケースも、あり得ます」


「篠崎先生の時と、同じ可能性ですね」


「そうです。だからこそ、慎重に判断する必要があります。スタディナビの設計者が、悪意を持っているかどうかと、システムが与える影響は、別の問いです」


「両方の問いに、向き合う必要があります」


「そうです」


会議が終わった後、智也は、長谷川に個別にメッセージを送った。


「今夜の発言、ありがとうございました。高校生だった頃の自分を思い出して発言してくれたことが、会議の中で最も大切な言葉でした」


長谷川の返信は、すぐに来た。


「あの発言は、正直な気持ちでした。高校の時の自分のことを考えると、今も、少し怖くなります。でも、それだけ、今、この問いに向き合うことが大切だと思えます」


「そうですね。その怖さが、あなたを動かしている」


「はい。怖さが、エネルギーになっています」


---


翌週、中川先生から、メールが届いた。


件名は、「生徒たちの反応について、報告します」だった。


---


**千葉さん、**


**先週の授業で、あなたに教えていただいた問いかけを試しました。**


**「今日の授業の内容について、自分の考えに至った道筋を、三分間、ノートに書いてみてください」**


**最初、生徒たちは戸惑っていました。「どういう意味ですか」という声が、いくつか上がりました。「考えに至った道筋を書く、というのが難しい」という生徒もいました。**


**そのことが、まず、驚きでした。以前の生徒たちは、意見を聞かれれば、すぐに答えました。しかし今の生徒たちは、道筋を問われると、戸惑う。意見はある。しかし、その意見がどこから来たのかが、分からない。**


**三分後、ノートを見せてもらいました。**


**一部の生徒のノートには、具体的な道筋が書かれていました。「授業の最初に先生が言った○○という言葉が引っかかって、そこから考え始めた」「昨日、スタディナビで読んだ記事と比べてみたら、違う部分があって、そこが疑問になった」という形で。**


**しかし、多くの生徒のノートは、こうでした。「スタディナビで読んだ記事で知った」「なんとなくそう思っていた」「正しいと思う」。道筋が、ありませんでした。**


**授業の後、一人の生徒が、私のところに来ました。**


**その生徒は、少し困った顔をして、こう言いました。**


**「先生、道筋ってどうやって書くんですか。どこから考えたのかって、考えたことなかったです」**


**私は、その一言を聞いて、思わず、しばらく言葉が出なかった。**


**「どこから考えたのかって、考えたことなかった」**


**その言葉が、今も頭に残っています。**


**その後、私は、その生徒にこう聞きました。「では、今日の授業のこの話題について、もう少し調べてみたいと思う部分はありますか」と。**


**生徒は、しばらく考えて、「あります」と言いました。そして、「でも、スタディナビで調べたら、なんか同じような記事が出てくるから、あんまり新しいことが分からない気がして」と言いました。**


**その言葉も、印象的でした。**


**もっと知りたい、という気持ちはある。でも、調べると、なんか同じような記事しか出てこない。その感覚が、もっと知りたいという気持ちを、少しずつ萎ませていく。**


**それが、生徒の体験の中で起きていることかもしれません。**


**この報告が、何かの役に立てれば、と思っています。**


**中川俊介**


---


智也は、その手紙を、三度読んだ。


「どこから考えたのかって、考えたことなかった」


「もっと知りたいけど、調べると同じような記事しか出てこない」


この二つの言葉が、第十三章の核心を、これ以上ないほど鮮明に照らしていた。


最初の言葉は、思考の道筋を持つという経験が、生徒たちにとって、当たり前ではなくなっていることを示していた。


考えることと、どこから考えたかを知ることが、分離している。


考えた結果はある。しかし、考えたプロセスがない。


それが、スタディナビの設計が意図的かどうかに関わらず、もたらしている可能性のある状態だった。


そして二つ目の言葉は、もっと知りたいという知的好奇心が、萎んでいくプロセスを、生徒自身が言語化していた。


知りたい。でも、調べても、同じものしか出てこない。


その繰り返しが、知りたいという気持ちそのものを、少しずつ、小さくしていく。


「これが、知的好奇心の制御の、最も具体的な形だ」


智也は、ノートにそう書いた。


そして、その言葉を、村上准教授に転送した。


村上の返信は、翌朝届いた。


「中川先生の報告は、非常に重要です。特に、二つ目の証言が。もっと知りたい、でも調べると同じものしか出てこない、という体験が繰り返されることで、脳が一種の学習を行う可能性があります。調べることと、同じものに行き当たることが、繰り返し結びつくことで、調べるという行為への期待値が下がる。その結果、調べようという動機自体が、弱まる。認知科学的には、これは、オペラント条件づけに近い現象です」


「オペラント条件づけ」


「行動と結果の関係を、繰り返し経験することで、行動のパターンが変化することです。調べることと、期待外れの結果が繰り返し結びつけば、調べるという行動が減少する。これは、強制ではなく、経験の積み重ねによる変化です。だから、本人は気づきにくい」


「そして、調べる行動が減れば、プラットフォームが提供する情報だけが、思考の材料になる」


「そうです。自分から情報を取りに行く力が、徐々に失われていく。それが、知的好奇心の制御の完成形かもしれません」


その言葉が、智也の推理を、一段深いところへ連れていった。


強制ではない。命令でもない。


ただ、繰り返しの中で、学習されていく。


その学習が、知的好奇心という、人間の最も根本的な力の一つを、静かに萎ませていく。


これは、第一章から追ってきた問いの、最も深い層への到達だと、智也は感じた。


---


翌日、木村刑事から連絡が来た。


「プリズム・グロース・ファンドの国内窓口人物の件で、一つ、重要な情報が入りました」


「どのような情報ですか」


「その人物が、教育テクノロジーの審議会に関わっているという情報を、先月お伝えしました。さらに調べると、その人物が、スタディナビの普及に、間接的に関わっている可能性が浮かんできました」


「文部科学省への働きかけを通じて、スタディナビの推奨を後押ししていた可能性があるということですか」


「その可能性があります。ただし、これは、まだ状況証拠の段階です。直接的な関与を示す文書は、まだ見つかっていません」


「文部科学省の推奨を得ることで、全国の高校に一気に普及できる。それが、戦略として、以前の個別のプラットフォーム展開とは異なる点ですね」


「そうです。一つの権威機関のお墨付きを得ることで、何十、何百という個別の交渉を省略できる。非常に効率的な方法です」


「その効率性が、問題の見えにくさとも繋がっている」


「その通りです。文部科学省が推奨しているサービスを、誰が疑いますか」


「中川先生も、最初は疑わなかった。推奨されているからという理由で、学校として全校導入を決めたと書いていました」


「そうです。信頼性の外装が、問題を見えにくくしている。その構造は、シグマ・ファンデーションや、コグニティブ・ブリッジ・リサーチの時とも、共通しています」


「権威を装うことで、批判的な目が向きにくくなる」


「そうです。そして、高校生という対象は、大人以上に、権威への信頼を持ちやすい。学校が使っているから、先生が勧めているから、文部科学省が推奨しているから。その連鎖が、疑問を生みにくくする」


「その疑問の欠如自体が、思考スタイルとして形成されていくかもしれない」


「その可能性を、私も感じています」


「木村刑事、一つ聞かせてください。国内の窓口人物が特定された場合、スタディナビへの対応はどうなりますか」


「文部科学省への通報が、最初のステップになります。ただし、文部科学省を動かすためには、技術的な証拠と、実際の影響についての証拠が、両方必要です。スタディナビのアルゴリズムの問題と、生徒への影響の両方を、具体的に示す必要がある」


「技術的な証拠は、マーカスのチームが積み上げています。生徒への影響については、中川先生の報告と、今後の共同研究のデータが証拠になりえます」


「その方向で、証拠を整備してください。文部科学省を動かすには、時間がかかりますが、動いた時の影響は大きい」


---


その週の終わり、智也は、卒業論文の第一章の草稿を書き始めた。


序論に当たる部分だった。


書き始める前に、ノートを開いて、今の自分の問いを、一度整理した。


**「この論文が向き合う問いは、何か。」**


**「デジタル学習プラットフォームの設計が、利用者の知的好奇心に与える影響。特に、選択体験の繰り返しを通じた、知りたいという動機の変化について。」**


**「なぜ、この問いか。」**


**「この問いは、一通の手紙から始まった。地方大学の教育者が、授業の中で感じた違和感を、言語化する勇気を持った。その勇気は、一冊の書籍のあとがきの一行から生まれた。その連鎖が、この問いを私のもとに届けた。」**


**「この問いの意味は何か。」**


**「知的好奇心は、学習の原動力であると同時に、民主主義の原動力でもある。自分で調べ、自分で考え、自分で判断したいという欲求が、市民の自律性の基盤となる。その欲求が、設計によって制御されるとすれば、それは教育の問いであると同時に、社会の問いだ。」**


整理を終えて、智也は、パソコンを開き、論文の序論を書き始めた。


最初の一文は、こうなった。


**「この研究は、一通の手紙から始まった。」**


その一文を書いた時、智也は、これが正しいと感じた。


学術論文が、手紙から始まることが、この問いの本質を最もよく示していると思った。


問いは、日常の中に生まれる。


専門家の研究室からではなく、地方の大学の教育者の、日常の授業の中から。


そして、その問いが、学術的な形を取ることで、より多くの人に届く。


その往復が、問いを深め、広げていく。


序論を一時間かけて書き上げ、指導教員にメールで送った。


---


翌日、美優から電話があった。


「スタディナビの話、聞きました。村上先生から」


「はい。高校生が対象ということで、問題の深刻さが増しています」


「報道のタイミングについて、相談したいことがあります」


「何ですか」


「捜査の状況を聞きながら、タイミングを慎重に選ぶ必要がありますね。ただ、一つだけ、今の段階で確認しておきたいことがあります」


「何ですか」


「中川先生の報告の中に、非常に重要な言葉がありました。『どこから考えたのかって、考えたことなかった』という、高校生の言葉です。あの言葉を、記事に使うことを、中川先生に許可してもらえますか。もちろん、生徒は完全に匿名化した上で」


「中川先生に確認します。ただし、報道のタイミングは、木村刑事に必ず相談してください」


「もちろんです。あなたの了解なしに動くつもりはありません。ただ、あの言葉は、この問いの核心を、最も単純な形で示していると思っています。専門的な説明よりも、あの言葉一つの方が、多くの人の心に届くかもしれない」


「そうかもしれません」


「智也、一つだけ聞いていいですか」


「何ですか」


「あなたは今、この問いのどこにいると思いますか。始まりですか、中間ですか、終わりに近い場所ですか」


智也は、少し考えた。


窓の外の新緑を見ながら、答えた。


「中間の、少し深いところにいると思います。問いの全体像は、まだ見えていません。しかし、問いの形は、だいぶ明確になってきた」


「その明確さが、論文に出ると思います」


「そうだといいですが」


「出ます。私は、あなたが書くものを、第一章から読んできた。あなたは、問いが明確になるにつれて、言葉が研ぎ澄まれていく。今が、その段階だと思います」


「美優さんにそう言われると、勇気が出ます」


「それが、私の役割の一つね。さて、四冊目の書籍の構想を、少し話してもいいですか」


「もちろんです」


「問いの連鎖というテーマで書くと、前に言いました。具体的には、本多先生の手紙から始まり、中川先生の手紙に至るまでの過程を、一つの物語として書こうと思っています。あとがきの一行が、問いを生み、その問いが論文になり、論文が別の教師に届き、さらに別の手紙を生む。その連鎖の一つ一つを、丁寧に記録する」


「それは、この旅の最も重要な記録の一つになりますね」


「そう思っています。ただし、書くためには、もう少し、この連鎖の続きを見届ける必要があります。まだ、終わっていないから」


「終わっていません。まだ、問いの途中にいます」


「それで、いい。進行中の問いを書くことが、最も誠実な書き方だから」


その言葉が、智也の心に、温かく届いた。


---


その夜、智也はノートを開いた。


**「五月の整理。」**


**「スタディナビの解析結果が出た。ユニバーサル・キャンパスよりも深いレベルの介入。思考の方向性ではなく、思考のスタイルそのものを、形成期に影響しようとしている可能性がある。」**


**「中川先生の報告が届いた。『どこから考えたのかって、考えたことなかった』。『もっと知りたいけど、調べると同じような記事しか出てこない』。この二つの言葉が、問いの核心を照らした。」**


**「村上先生の補足。繰り返しの経験が、知りたいという動機自体を弱める。オペラント条件づけに近い現象。強制ではなく、経験の積み重ねによる変化だから、本人は気づきにくい。」**


**「木村刑事から。スタディナビの普及に、国内窓口人物が間接的に関わっている可能性。文部科学省の推奨という権威が、問題を見えにくくしている。」**


**「卒業論文の第一章の草稿を書いた。最初の一文は、『この研究は、一通の手紙から始まった』にした。それが正しいと感じた。」**


**「美優が、四冊目の書籍の構想を話してくれた。問いの連鎖を、一つの物語として記録する。進行中の問いを書く。それが最も誠実な書き方だと。」**


**「一つだけ、今夜の自分に問い返す。なぜ、この問いを続けているのか。」**


**「答えは、変わっていない。田中陸斗のことを、忘れていないから。あの死から始まった問いが、今も続いているから。そして、問いを持つ人間が、世界のどこかで増え続けているから。それが、続ける理由だ。」**


窓の外に、夜の新緑が、静かに揺れていた。


五月の夜風が、甘い香りを運んできた。


推理者の旅は、今日も続いていた。


一歩一歩、丁寧に。


信頼できる仲間と共に。


そして、次の問いへと向かって。


---

第13章 第7話「スタディナビの正体」完


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