第八話「三つの選択肢」
週末の土曜日、朝から空は快晴だった。
私は父と並んで、あの裏通りを歩いていた。
「本当にこの辺りなのか?美月」
父が不安そうに周囲を見回している。
「うん、もうすぐだよ」
私には見えていた。
あの漆黒の建物。
でも、父には見えていない。認識阻害の魔法が、一般の魔法使いには強く作用するのだろう。
「お父さん、こっち」
私は父の手を取り、建物の入口へと導いた。
「え?ここに建物が……?」
父が驚いたように目を見開いた。
扉に触れて初めて、その存在を認識したようだった。
「すごい魔法だな……」
父が感心したように呟いた。
扉を開けて中に入ると、受付カウンターの前に藤崎さんが立っていた。
紺色のスーツ姿で、髪を後ろでまとめている。知的で、でも柔らかい雰囲気を纏っていた。
「いらっしゃいませ、白鳥さん。そして、お父様」
藤崎さんが丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして。私は藤崎真理と申します。この機関で、特異属性者の支援を担当しております」
「あ、はじめまして。娘がお世話になっております」
父も慌ててお辞儀を返した。少し緊張しているようだった。
「燈火くんから、今日お越しになると伺っておりました。どうぞ、こちらへ」
藤崎さんに案内され、私たちは廊下を進んだ。
白い壁、LED照明、洗練された内装。外観の漆黒とは対照的な、明るく清潔な空間だった。
応接室のような部屋の前で、藤崎さんが立ち止まった。
「柳瀬がお待ちしております。どうぞ」
扉を開けると、そこには柳瀬さんが立っていた。
白髪を綺麗に撫でつけた、威厳のある老紳士。仕立ての良いスーツを着て、背筋はまっすぐに伸びている。
「ようこそ、白鳥さん。そして美月さん」
柳瀬さんが温かく微笑んだ。
「は、はじめまして……」
父が少し緊張した様子で一歩前に出た。
「娘が、お世話になっております」
「いえいえ、こちらこそ。私は柳瀬悠一郎と申します。この特異属性管理機構の統括責任者を務めております」
柳瀬さんは丁寧にお辞儀をした。
「美月さん」
「はい」
私も慌てて頭を下げた。
「本日は、貴重なお時間をありがとうございます」
「いえ、こちらこそ……娘のことで、色々とご相談させていただければと」
父の声には、親としての真剣さが滲んでいた。
応接室のソファーに腰掛ける。
父と私が並んで座り、向かい側に柳瀬さんと藤崎さんが座った。
テーブルの上には、お茶が用意されていた。
「まず、お父様のお気持ちを聞かせていただけますか?」
柳瀬さんが穏やかに言った。
父は少し考えるように視線を落としてから、口を開いた。
「正直に申し上げます。私は……美月の特異属性の魔法能力を、伸ばしてやりたいと思っています」
父の声は真剣だった。
「娘が希少な存在であることも、理解しています。でも……」
父は私の方を見た。その目には、愛情と心配が混じっていた。
「同時に、美月には普通の女の子と同じように、学校生活を過ごしてほしいんです。友達を作って、笑って、青春を楽しんで……」
父の言葉が、胸に染みた。
柳瀬さんが優しく頷いた。
藤崎さんも、柔らかく微笑んでいた。
「お父様のお気持ち、よく分かります」
柳瀬さんが言った。
「では、まず現状をお話しさせてください」
柳瀬さんは姿勢を正した。
「現在、美月さんを取り込もうとしている組織が、判明しているだけで三つあります」
その言葉に、父が息を呑んだ。
「一つ目は、ここ――特異属性管理機構。二つ目は、警察庁魔法対策課。三つ目は、魔法属性研究所です」
柳瀬さんは、それぞれの組織について説明を始めた。
「まず、私たち特異属性管理機構――SAMAについて。ここでは、特異魔法の訓練と、対魔獣戦闘の対処を行っています」
父が真剣な表情で聞いている。
「特異属性を持つ魔法使いは、その力ゆえに孤立しやすい。制御できなければ危険ですし、制御できても周囲から恐れられる。私たちは、そうした魔法使いを支援し、訓練し、社会と調和できるよう導いています」
柳瀬さんの言葉には、深い信念が込められていた。
「次に、警察庁魔法対策課。こちらは警察組織ですから、主な目的は治安維持です。魔法の訓練は行いますが、それは対人魔法犯罪に対処するためのもの。特異属性者は、その強力な力を犯罪取締に活用される傾向にあります」
父の表情が曇った。
「最後に、魔法属性研究所。こちらは純粋な研究機関です。特に実戦的な訓練は行われず、特異属性の魔法使いは……研究のための被検者として、様々な実験や測定に従事することになります」
藤崎さんが補足した。
「研究所では、魔法の発現メカニズムや、属性間の相互作用などを解明しようとしています。それ自体は重要な研究ですが……被検者となる本人にとって、必ずしも幸せな環境とは言えません」
父が深刻な顔で考え込んでいる。
渋い表情で、何度も首を傾げた。
私は、口を開いた。
「柳瀬さん、質問してもいいですか?」
「もちろんです、美月さん」
「以前、魔法属性研究所で聞いたんですけど……過去に三人しか見つかっていない特異属性の魔法使いがいるって」
柳瀬さんの表情が、わずかに変わった。
「光と闇の両方を自在に操る『双極の魔法使い』、生物の成長を加速させる『生命加速』、物体の色を変える魔法を操る魔法使い……その三人のことですよね?」
柳瀬さんは静かに頷いた。
「でも……」
私は続けた。
「私、知ってます。燈火くんが《相克属性》の魔法使いだって。水と火、両方を使える」
父が驚いたように私を見た。
柳瀬さんは深く息をついた。
「……やはり、気づいていましたか」
そして、柳瀬さんは立ち上がった。
右手を掲げる。
その手から――光が溢れた。
眩い、白い光。
同時に、左手からは闇が滲み出た。
漆黒の、光を飲み込むような闇。
光と闇が、柳瀬さんの周りで渦巻く。
美しく、恐ろしく、圧倒的な光景。
「《双極の魔法使い》……それは、私自身です」
柳瀬さんの声が、重く響いた。
父が息を呑んだ。
私も、言葉を失った。
頭では理解していた。でも、実際に目の当たりにすると、その衝撃は計り知れない。
光と闇が消え、柳瀬さんは再び座った。
「そして……」
柳瀬さんが藤崎さんの方を向いた。
藤崎さんが微笑んだ。
彼女が手を掲げると、テーブルの上の茶器の色が変わった。
白かったカップが青に。
青かった受け皿が赤に。
赤かったティーポットが緑に。
次々と色が移り変わり、やがて元に戻った。
「《色彩変換》の魔法使い……それが、私です」
藤崎さんが静かに言った。
父が呆然としている。
「つまり……この機関には……」
「はい」
柳瀬さんが頷いた。
「世間に秘匿されている特異属性の魔法使いが、複数所属しています。そして、美月さんの同級生である黒沢燈火も、その一人です」
「黒沢……燈火?」
父が私を見た。
「うん……隣の席の子」
私は小さく答えた。
「彼は《相克属性》――水と火を操る魔法使いです。そして、美月さんの安全を守護するため、学校に配置されています」
柳瀬さんの言葉に、父が目を見開いた。
「守護……?」
「はい。美月さんは国家レベルで保護すべき存在です。だからこそ、私たちは最強の戦力である燈火を、彼女の側に置きました」
父が複雑な表情をした。
「それは……つまり、美月がそれほど危険に晒されているということですか?」
「可能性として、はい」
柳瀬さんは正直に答えた。
「特異属性者を狙う者は、必ず現れます。研究目的、戦力目的、あるいは単なる好奇心。だからこそ、私たちは守らなければならない」
父が沈黙した。
長い、長い沈黙。
やがて、柳瀬さんが続けた。
「お父様、ご安心ください。美月さんの訓練と日常生活のサポートには、藤崎が就きます」
藤崎さんが優しく微笑んだ。
「私が、美月さんを導きます。希少な特異属性の魔法使いとして、立派に育て上げることを誓います」
その声には、確かな決意があった。
「訓練は週に二回、放課後に行います。学校生活への影響は最小限に抑えます。そして、燈火が常に側にいますから、安全は保証されます」
柳瀬さんが真剣な目で父を見た。
「お父様、どうか美月さんを、私たちに預けていただけませんか」
父は長い間、考えていた。
私を見て、柳瀬さんを見て、藤崎さんを見て。
そして――深く息をついた。
「分かりました」
父が立ち上がった。
そして、深々と頭を下げた。
「美月の訓練、守護を……どうか、よろしくお願いします」
柳瀬さんも立ち上がり、お辞儀を返した。
「お任せください。美月さんの属性を伸ばす努力を、決して惜しみません」
その言葉には、重みがあった。
約束。
誓い。
そして、信頼。
帰り道、私は父の右腕に自分の腕を絡めた。
「お父さん、ありがとう」
「ん?」
「許してくれて」
父は少し困ったような顔をした。
「許すも何も……美月がやりたいって言うなら、応援するのが親の役目だ」
「でも、心配だよね」
「そりゃあね」
父が苦笑した。
「でも……柳瀬さんも、藤崎さんも、信頼できそうだ。それに、黒沢くんって子が守ってくれるんだろ?」
「うん」
私は嬉しくて頷いた。
「じゃあ、大丈夫だ。お父さんは信じるよ、美月を。そして、美月を支えてくれる人たちを」
その言葉が、胸に染みた。
「ありがとう、お父さん」
「ああ。頑張れ、美月」
父の腕に、もっと強く腕を絡めた。
嬉しかった。
これで、本格的に訓練を始められる。
燈火くんと一緒に。
固有魔法を使えるようになるために。
そして、いつか――燈火くんの隣で戦えるように。
空は青く澄んでいて、風が優しく吹いていた。
新しい一歩を踏み出した日。
私は父と並んで、笑顔で帰路についた。
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