第五話「秘密の扉」
公園のベンチに座り、ようやく呼吸が落ち着いてきた。
夜風が頬を撫でる。少し冷たくて、でも心地よい。
私は黒沢くんのブレザーの襟を握りしめた。大きくて、温かくて、彼の匂いがする。
でも――。
「制服、どうしよう……」
思わず呟いた。
魔獣に切り裂かれたセーラー服。胸の部分が四本の爪痕でバッサリと開いている。これを着て帰るわけにはいかない。かといって、このままブレザーだけを羽織って帰るのも……。
両親に、何て説明すればいいのだろう。
黒沢くんが、その言葉を拾った。
「ああ、そうだな」
彼はポケットからスマートフォンを取り出し、どこかへ電話をかけ始めた。
コール音が二回。すぐに相手が出たようだった。
「あ、俺」
黒沢くんの声が、また変わった。昼間の弱々しさとは違う、でも先ほどの戦闘時の鋭さとも違う、落ち着いた、信頼できる人と話すときの声。
「商店街で魔獣を一体、殺った。後始末頼む」
淡々とした報告。まるで、日常的なことのように。
「ああ、大丈夫。白鳥さんは無事。ただ、セーラー服をやられた。入学したばかりだから新しいのを用意してほしい。頼む」
短い会話の後、通話を切った。
私は彼を見つめた。質問したいことが、山ほどあった。
今の電話は誰に?後始末って、何を?どうして、そんなに慣れた様子で?
でも、言葉にできなかった。
聞いてはいけない気がした。彼には彼の、事情がある。そして、それを話せない理由もある。
黒沢くんが立ち上がった。
「じゃあ行こう」
「え?どこに?」
「案内する」
それだけ言って、彼は歩き出した。
私は慌てて後を追った。ブレザーの裾を押さえながら、並んで歩く。
街灯の光が、二人の影を長く伸ばしていた。
しばらく沈黙が続いた後、私は勇気を出して聞いた。
「ねえ……黒沢くんの、名前」
「名前?」
「下の名前。まだ、聞いてなかったから」
黒沢くんは少し驚いたような顔をした。それから、小さく笑った。
「そういえば、そうだったね」
彼は立ち止まり、私と向き合った。
「黒沢燈火。燈は灯火の燈。火は火属性の火」
「燈火……くん」
名前を口にした瞬間、不思議な感覚があった。
燈――光を灯す。火――炎を操る。
そして黒沢という姓には、水を連想させる「沢」の字。
水と火。相反する属性を、その名前に宿している。
「綺麗な名前……」
思わず呟いた。
燈火くんは少し照れたような顔をした。
「ありがとう。親が、俺の属性を知って、願いを込めてつけたらしい」
「願い?」
「水と火、どちらも制御できるように。どちらも、人を照らす光になれるようにって」
その言葉には、深い意味が込められている気がした。
「白鳥さん」
燈火くんが、私の名前を呼んだ。
「美月でいいよ」
即答していた。
「名前で、呼んで」
燈火くんの瞳が、少し驚いたように見開かれた。それから、優しく微笑んだ。
「じゃあ、美月」
心臓が跳ねた。
名前を呼ばれただけなのに、どうしてこんなに胸が高鳴るのだろう。
「俺も……燈火って呼んでほしい」
「うん……燈火くん」
その瞬間、何かが変わった気がした。
言葉では言い表しにくい、でも確かに存在する、強固な絆のようなもの。
それが、私たちの間に芽生えた。
燈火くんが再び歩き出し、私はその隣を歩いた。
商店街を抜け、少し寂れた裏通りに入る。そこに、見慣れない建物があった。
漆黒の外壁。窓はあるが、中の様子は全く見えない。そして何より――。
「あれ……?」
不思議だった。
建物があるのは分かる。でも、強く意識しないと、視界がぼんやりと霞む。まるで、そこに何もないかのように錯覚してしまう。
「認識阻害の魔法がかけてある」
燈火くんが説明した。
「普通の人は、この建物を認識できない。魔法使いでも、意識しなければ素通りしてしまう」
そう言って、彼は躊躇なく建物の中へ入っていった。
私は一瞬躊躇したが、すぐに後を追った。
扉を開けると、そこは驚くほど近代的な内装だった。白い壁、LED照明、洗練されたデザインの受付カウンター。
そして、そこに一人の老紳士が立っていた。
七十代くらいだろうか。白髪を綺麗に撫でつけ、仕立ての良いスーツを着ている。背筋はまっすぐで、その立ち姿には威厳があった。
「燈火くん、お疲れ様」
老紳士が穏やかに微笑んだ。
「魔獣の処理は既に始めています。道路の修復も明朝までには完了する予定です」
「ありがとうございます、柳瀬さん」
燈火くんが丁寧にお辞儀をした。
老紳士――柳瀬さんは、私の方へ視線を向けた。
「初めまして。私は柳瀬悠一郎と申します。この機関の統括責任者を務めております」
丁寧な口調で、深々とお辞儀をされた。
私も慌てて頭を下げた。
「白鳥美月です。あの、えっと……今日は、ありがとうございます」
何にお礼を言えばいいのか分からなかったが、とりあえず口にした。
「いえいえ。こちらこそ、燈火くんが守ってくれて良かった」
柳瀬さんは優しく微笑んだ。
私は疑問を口にした。
「あの……ここは、魔法対策課ですか?」
その質問に、燈火くんと柳瀬さんは顔を見合わせて笑った。
「いえ、違います」
柳瀬さんが答えた。
「魔法対策課は警察組織の一部門で、主に魔法犯罪の取り締まりと、一般市民への被害防止を担当しています。私たちは……もう少し特殊な組織です」
燈火くんが続けた。
「ここは『特異属性管理機構』。通称SAMA――Special Attribute Management Agency。特異属性を持つ魔法使いの訓練と、対魔獣戦闘のための特務機関だ」
「特異属性の……」
私は呟いた。
「そう。美月も、ここに来る資格がある」
燈火くんが真剣な目で言った。
「俺は、幼い頃からここに通ってる。強大すぎる相克魔法と魔力を制御するために」
その言葉に、胸が締め付けられた。
幼い頃から。ずっと、一人で。
「燈火くんは、この機関で最も優秀な訓練生です」
柳瀬さんが誇らしげに言った。
「水と火の相克属性。しかも、その出力は測定不能レベル。普通なら制御不可能ですが、彼は十年かけて、完璧に近い制御を身につけました」
十年。
燈火くんは今、十六歳。つまり、六歳の頃から――。
「あの……」
私は勇気を出して言った。
「私も、訓練を受けられますか?」
二人が驚いたような顔をした。
「先日の魔法基礎実技の授業で、私、何も発現できなかったんです。でも、さっき魔獣と戦った時……無意識に、風属性の魔法が発現しました」
あの瞬間を思い出す。体が後ろにスライドした感覚。風に押されたような、でも自分で操ったような、不思議な感覚。
「自分の魔法を、ちゃんと理解したいんです。制御できるようになりたい」
柳瀬さんが頷いた。
「それは素晴らしい心構えです。では、基礎訓練から始めましょう。魔力に指向性を持たせる訓練です」
「指向性……?」
「はい。美月さんの魔法は多重共鳴型。六つの属性に魔力が分散してしまう。それを、意識的に一つの属性に集中させる技術を学びます」
「それができれば……」
「発現できるようになります」
柳瀬さんは断言した。
嬉しかった。希望が見えた気がした。
その時、奥の部屋から女性が現れた。
三十代くらいだろうか。スーツ姿で、知的な雰囲気を纏っている。その手には――。
「新しいセーラー服です」
女性が微笑んだ。
「サイズは、学校のデータベースから取得しました。こちらへどうぞ」
私は女性に案内され、隣の部屋へ移動した。
そこは更衣室のようになっていて、鏡と椅子が置いてあった。
「ゆっくり着替えてくださいね」
女性がそう言って、ドアの外で待っていてくれた。
私は燈火くんのブレザーを脱いだ。
温かかった彼の体温が、離れていく。少し、寂しい。
次に、魔獣に切り裂かれたセーラー服を脱ぐ。四本の爪痕が生々しく残っている。あと少しずれていたら――。
考えないようにした。
白いブラジャーを確認する。傷一つない。
ほっと胸を撫でおろした。
もし下着まで切り裂かれていたら、と思うと、顔が熱くなる。
新しいセーラー服に袖を通す。真新しい布の感触。糊の匂い。
リボンを結び、スカートを整える。
鏡の中の自分を見た。
同じ制服なのに、何かが違う気がした。
今日、私は変わった。
「お済みですか?」
女性の声がした。
「はい、大丈夫です」
ドアを開けると、女性が微笑んでいた。
「お似合いですよ。私は藤崎真理と申します。この機関で、特異属性者の支援を担当しています」
「ありがとうございます。白鳥美月です」
「ええ、存じています。六属性全てに反応する、極めて希少な特異属性の持ち主ですね」
藤崎さんは真剣な表情になった。
「一つ、忠告させてください。この機関に深く関わると、対魔獣戦闘に駆り出される可能性があります」
「それは……」
「危険を伴います。今日のような戦闘が、日常になるかもしれません」
その言葉に、体が震えた。
でも――。
「それでも、訓練を受けてみたいです」
私は答えた。
「燈火くんと……一緒に、時間を過ごせるなら」
藤崎さんは少し驚いたような顔をした。それから、複雑な表情で微笑んだ。
「忘れないでくださいね、美月さん」
彼女は優しく、でも厳しい声で言った。
「貴女は希少な特異属性の持ち主で、国家レベルで保護すべき対象なんです」
「国家レベル……?」
「ええ。貴女の魔法が完全に開花すれば、この国の魔法史を塗り替えるかもしれない。だから、危険に晒すわけにはいかないんです」
藤崎さんは続けた。
「そして、燈火くんは――貴女を守護するために派遣された、最強の戦力なんですよ」
その言葉に、息が止まった。
「え……?」
「彼が貴女の隣の席になったのも、偶然ではありません。全て、計画されていたことです」
頭が真っ白になった。
燈火くんが、私の……守護者?
「だから、訓練を受けるのは構いません。でも、理解してください。貴女と燈火くんの関係は、最初から対等ではなかったということを」
胸が苦しくなった。
でも――。
私の心の中に芽生えた気持ちは、そんなことで消えるものじゃなかった。
計画だったとしても。
任務だったとしても。
燈火くんが見せてくれた笑顔は、本物だった。
私を守ろうとしてくれた想いも、本物だった。
「大丈夫です」
私は藤崎さんを見つめた。
「それでも、私は燈火くんの側にいたい」
藤崎さんは深くため息をついた。
「分かりました。でも、後悔しないでくださいね」
そう言って、彼女は部屋を出ていった。
私は一人、鏡の前に立った。
燈火くんから離れるという選択肢は、私にはなかった。
理由は分からない。
ただ、心が――そう叫んでいた。
この感情が、恋なのかどうかも、まだ分からない。
でも、確かなことがある。
私は、燈火くんともっと一緒にいたい。
彼のことを、もっと知りたい。
そして――彼の隣で、戦えるようになりたい。
守られるだけじゃなく。
一緒に、立ち向かえるように。
私は深呼吸をして、部屋を出た。
燈火くんが、待っていてくれた。
「似合ってるよ、新しい制服」
彼が微笑んだ。
その笑顔を見て、私は決意した。
この道を、進もう。
燈火くんの隣で。
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