第9話 復縁要請? 請求書を回しますね
カイル王子たちの「悪女奪還(という名のご飯たかり)作戦」が失敗に終わってから数日後。
魔王城の玉座の間には、再び重苦しい空気が漂っていた。
ただし、今回の空気は「食欲」ではなく、ヒリヒリとした「政治的緊張」によるものだ。
「……まさか、我が国の王子がこれほどの失態を演じるとは」
重厚なテーブルの向こう側で、老紳士がハンカチで額の汗を拭った。
彼は人間の王国から急遽派遣された、宰相グランツ公爵。
王国内でも数少ない「話のわかる知性派」として知られる人物だ。
カイル王子と聖女リリィが捕虜になったという知らせを受け、国王は泡を吹いて卒倒。
代わりに、全権を委任された彼が交渉にやってきたのである。
「それで、我が国への要求とは……?」
グランツ宰相が、恐る恐る尋ねる。
彼の目の前に座っているのは、魔王ゼッド様。
そして、その横で分厚い書類の束をトントンと整えている私、エレノアだ。
「単刀直入に申し上げますね」
私は書類をテーブルに滑らせた。
「これが、今回の騒動における請求書です」
「せ、請求書……?」
グランツ宰相が羊皮紙に目を通す。
次の瞬間、彼の目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「な、なんだこの金額は!? 金貨一億枚!? 国家予算の三年分ではないか!」
「内訳をご覧ください」
私は冷淡に説明を始めた。
「まず、魔王城への不法侵入および器物損壊。城門の修理費ですね。次に、慰謝料。これは私に対する冤罪と婚約破棄、追放による精神的苦痛への賠償です。そして最後に……」
私はニッコリと笑った。
「カイル殿下および騎士団の方々が召し上がった『飲食代』です」
「い、飲食代でこの金額だと!? いくらなんでも暴利だ!」
「暴利? とんでもない」
私はかぶりを振った。
背後で控えていたヴァルガスが、ワゴンを押して進み出てくる。
「彼らが食べたのは、魔界の貴重な食材を、私のユニークスキルと技術で調理した『至高の料理』です。その価値は金貨では測れませんが、あえて市場価格をつけるならこうなります」
ワゴンには、土鍋が一つ乗っていた。
まだ蓋は閉まっているが、そこからは鼻腔を刺激する強烈な香りが漏れ出している。
「宰相閣下。お疑いなら、あなたも食べてみますか? 王子たちが国を売ってでも食べたがった理由がわかりますよ」
私は鍋の蓋に手をかけた。
「ただし、これを食べたら……もう二度と、粗末なパンとスープの生活には戻れませんが」
ゴクリ。
グランツ宰相が喉を鳴らす音が、静寂な広間に響いた。
◇
「……見せてもらおうか。その、一国の王子を狂わせた味とやらを」
宰相の言葉を合図に、私は蓋を開け放った。
ボワッ!!
立ち上る赤い湯気。
広間に充満するのは、突き刺すような唐辛子の刺激臭と、山椒の痺れるような香り。
「これは……!?」
鍋の中でグツグツと煮えたぎっていたのは、マグマのように赤い豆腐料理だった。
『地獄釜の激辛麻婆豆腐 ~雷鳴山椒を添えて~』
使用したのは、魔界の火山地帯で取れた『マグマ大豆』の豆腐。
挽肉は、荒々しい旨味が特徴の『ミノタウロスの粗挽き肉』。
そして、赤さの正体は、戦場跡にしか生えないという『ブラッド・ペッパー(血染め唐辛子)』と、口の中を雷に打たれたように痺れさせる『サンダー・ペッパー(雷鳴山椒)』だ。
「どうぞ。白いご飯にかけて食べるのが作法です」
私は『月光米』をよそった茶碗に、真っ赤な麻婆豆腐をたっぷりとかけた。
赤と白のコントラストが、視覚的にも食欲を煽る。
宰相は震える手でレンゲを持ち、一口運んだ。
「……辛っ!?」
口に入れた瞬間、強烈な辛味が舌を襲う。
宰相の顔が一気に紅潮し、汗が噴き出す。
「か、辛い! これは毒……」
「いいえ、噛んでください。その奥にありますから」
宰相は涙目になりながらも、口を動かした。
すると。
ガツン!
辛味の奥から、ミノタウロスの肉の強烈な旨味が爆発した。
さらに、豆腐の滑らかな食感と甘みが、辛さを優しく中和していく。
辛い、でも旨い。
痛い、でも甘い。
「……なんだこれは。痺れる……舌がビリビリするのに、レンゲが止まらん!」
宰相の手が加速した。
ハフハフと熱い息を吐きながら、麻婆豆腐と白米を同時にかき込む。
雷鳴山椒の爽やかな香りが鼻に抜け、ブラッド・ペッパーの辛味が胃袋を燃やす。
汗が滝のように流れるが、それが逆に心地よい。
身体中の毒素が排出され、力がみなぎってくる感覚。
「うおおおお! 辛い! うまい! 熱い! うまい!!」
気品ある老紳士が、上着を脱ぎ捨て、一心不乱に麻婆丼を貪っている。
その姿は、数日前のカイル王子と全く同じだった。
完食。
宰相は空になった丼を置き、深い満足のため息をついた。
「……ふぅ。負けた、完敗だ」
彼はナプキンで汗を拭き、憑き物が落ちたような顔で私を見た。
「エレノア殿。貴女の言う通りだ。こんな料理を出されたら、我が国の騎士たちは戦うどころではない。……我が国には、貴女を引き止めるだけの『魅力』も『度量』もなかったのだな」
宰相は居住まいを正し、ゼッド様に向かって深々と頭を下げた。
「魔王陛下。請求書の件、承知いたしました。……とは言え、現金での一括払いは不可能です」
「だろうな。では、どうする?」
ゼッド様が問いかける。
「我が国の領土の一部である『肥沃な穀倉地帯』の譲渡。および、今後十年にわたる農作物の献上。……これにて、借金のカタとしていただけないでしょうか」
実質的な降伏宣言だった。
領土を割譲し、食料を貢ぐ。それは王国が魔王軍の管理下に下ることを意味する。
「エレノア、どうだ?」
ゼッド様が私に判断を委ねる。
私は電卓(魔道具)を弾き、ニヤリと笑った。
「悪くありませんね。居酒屋の経営拡大には、安定した仕入れルートが必要ですし」
「よし、商談成立だ」
ゼッド様が鷹揚に頷いた。
こうして、かつて私を追放した王国は、皮肉にも私の経営する「居酒屋」の食材供給源として生き残ることになったのだ。
◇
商談の後。
城の中庭に、みすぼらしい格好をした二人の男女が引き出された。
カイル王子と、聖女リリィだ。
二人は麻袋のような服を着せられ、手足には魔封じの枷がはめられている。
「は、離せ! 私は王子だぞ! 宰相! なんとか言え!」
カイル王子が叫ぶが、グランツ宰相は冷ややかな目を向けただけだった。
「黙りなさい、カイル。お前の愚行のせいで、国は半分なくなったのだ。……廃嫡処分とする」
「なっ……」
「リリィ、お前もだ。聖女の称号を剥奪し、平民以下の身分とする。……二人とも、これからは労働で罪を償うがいい」
宰相の言葉は、死刑宣告よりも重かった。
「さて、お二人さん」
私は腕組みをして、二人の前に立った。
冷たい視線で見下ろす。
「魔王城は『働かざる者食うべからず』が鉄則です。あなたたちの新しい職場は、城の裏にある『奈落農場』ですよ」
「な、奈落農場……?」
「ええ。狂暴なマンドラゴラの収穫や、人食いトマトの世話をしてもらいます。大丈夫、死にはしませんよ。……運が良ければ」
「いやだぁぁぁ! そんなの無理よぉぉぉ!」
「俺は剣を持つのも嫌いなんだぞぉぉぉ!」
泣き叫ぶ二人を、オークの農場長が両脇に抱えた。
「へっへっへ。新しい肥料係が入ったか。たっぷりと鍛えてやるから覚悟しな」
「連れて行け」
ゼッド様の命令と共に、二人はズルズルと引きずられていった。
その背中には、かつての栄光など微塵もなかった。
「……ふぅ。これで、ようやくスッキリしましたね」
私は大きく伸びをした。
胸のつかえが取れた気分だ。
ざまぁ展開ここに極まれり、である。
「エレノア」
ふと、隣にいたゼッド様が私の名前を呼んだ。
振り返ると、彼は中庭のベンチに座り、夜空を見上げていた。
魔界の夜空には、二つの月が美しく輝いている。
「少し、隣に来ないか」
「はい、喜んで」
私は彼の隣に腰掛けた。
夜風が心地よい。
激動の日々が嘘のような静けさだった。
「人間界との揉め事も片付いた。……これで、ようやく落ち着いて飯が食えるな」
「そうですね。明日は何を作りましょうか。宰相から貰い受けた領地から、新鮮な小麦が届くそうですよ。パンも焼けますし、うどんも打てます」
「うどん……。聞いたことのない名だが、其方が作るなら間違いなく美味いのだろうな」
ゼッド様は嬉しそうに笑った。
そして、少し躊躇うように視線を泳がせた後、真剣な瞳で私を見た。
「なぁ、エレノア」
「はい?」
「先ほど、宰相の前で言ったことを覚えているか? 其方は、我が城の『心臓』だと」
「え、ええ。おだてすぎですよ」
「おだてではない。本心だ」
ゼッド様は私の手を取り、その甲に自身の額を押し当てた。
それは魔族にとって、最上級の敬愛と服従を示す仕草だった。
「余はもう、其方のいない生活など考えられん。……胃袋だけではない。心まで、完全に掴まれてしまったようだ」
「魔王様……」
「世界征服などという退屈な野望は捨てた。余のこれからの望みはただ一つ。……エレノア、其方と共に、美味いものを食べて生きていくことだ」
彼は顔を上げ、少し照れくさそうに、でも力強く言った。
「余の妃になってくれないか。……いや、まずは『居酒屋の共同経営者』としてでも構わん。ずっと、そばにいてほしい」
それは、世界最強の魔王からの、あまりにも不器用で、食いしん坊なプロポーズだった。
私は驚きに目を瞬かせたが、すぐに自然と笑みがこぼれた。
胸の奥が、温かいスープを飲んだときのようにポカポカとする。
「……ふふ。条件がありますよ?」
「なんだ? なんでも言え。世界中の食材を集めろと言うなら、今すぐ取ってくる」
「違います。……これからも、私が作る料理を一番最初に食べて、一番美味しい顔で笑ってください」
「なんだ、そんなことか。……容易い御用だ」
ゼッド様は私の手を引き寄せ、今度は優しく口づけを落とした。
「誓おう。生涯、其方の料理の虜であり続けると」
月明かりの下、私たちは静かに笑い合った。
甘い雰囲気になりかけた、その時。
「おーい!! 姉御ー! 陛下ー!」
空気を読まない大声が響いた。
ヴァルガスだ。
彼はジョッキを片手に、厨房の窓から顔を出していた。
「宴会の酒が足りねぇってよ! あと、シメのラーメンまだか!?」
「……あの朴念仁め。後で激辛わさび寿司を食わせてやる」
ゼッド様が不機嫌そうに呟く。
私は吹き出しながら立ち上がった。
「さあ、行きましょう魔王様。お客様がお待ちかねですよ」
「やれやれ。……今夜は長い夜になりそうだ」
私たちは手を繋ぎ、温かい光と賑やかな声が溢れる「居酒屋」へと戻っていった。
かつて生贄として捨てられた私は、今、世界で一番幸せな料理人として、魔王様の隣で笑っている。
「とりあえず、生と唐揚げで世界平和!」
それが、私たちの新しい合言葉になったのだった。




