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『限界魔王を餌付け中。 ~生贄令嬢は、死にかけの魔王様を「唐揚げ」と「ビール」で完全蘇生させました~』  作者: 月雅


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第8話 決戦? いいえ、これは接待です

「離せ! 無礼者! 私は王国の王子だぞ!」


「泥だらけのドレスに触らないでよ! このオーク!」


城内から、騒がしい声が近づいてくる。

魔王城の最奥、かつては厳粛な空気が張り詰めていた玉座の間。

しかし今のここは、全く別の空間に生まれ変わっていた。


高い天井からは明るい魔石のシャンデリアが吊るされ、フロアには長机が並べられている。

そこでは、先ほど投降したばかりの人間界の騎士たちと、魔王軍の兵士たちが肩を並べ、ジョッキを片手に談笑していた。


「おいオーク、その串焼きもう一本くれ!」

「おうよ、その代わりそっちの枝豆よこせ」


まさに、呉越同舟の大宴会である。


そんな和やかな空気を切り裂くように、扉が荒々しく開かれた。

魔王軍の兵士に両脇を抱えられ、引きずられてきたのはカイル王子と聖女リリィだ。


「ここへ直せ」


ヴァルガスの低い声と共に、二人は玉座の前の絨毯に放り出された。


「くっ……!」


カイル王子は屈辱に顔を歪めながら立ち上がる。

そして、玉座に座る人物を見て、あんぐりと口を開けた。


「……な、なんだその姿は」


玉座に座る魔王ゼッド様は、いつもの威圧的な黒マントではなく、リラックスした浴衣のような『魔界の寛ぎ着』を羽織っていた。

片膝を立て、手には盃。

その表情は、かつて対峙した時の凍てつくような無表情ではなく、温泉上がりのように緩んでいる。


そして、その隣。

本来なら側近が控える場所に、私はいた。

白い割烹着に三角巾。

手には王笏おうしゃくではなく、巨大なお玉を持っている。


「ようこそお越しくださいました、カイル殿下。……と言いたいところですが、予約のないお客様はお断りしているんです」


私はお玉で鍋のふちをコンコンと叩いた。


「エ、エレノア……! 貴様、恥を知れ! 悪に魂を売り、あまつさえ敵の王に給仕をするなど!」


聖女リリィが金切り声を上げる。

しかし、その目は私の手元にある鍋に釘付けだった。

彼女の喉が、ゴクリと鳴るのが聞こえる。


「給仕? 違いますよ。私は今、ここの料理長として、最高のおもてなしを管理しているんです」


私は足元のコンロに乗った大鍋の蓋を、わざとゆっくりと開けた。


ボワァァァァァ……。


純白の湯気が立ち上る。

それとともに、玉座の間全体に、濃厚で甘辛い香りが爆発的に広がった。


「っ!?」


カイル王子とリリィが同時に鼻をひくつかせた。


醤油と砂糖が焦げる甘美な匂い。

豚肉の脂が溶け出した芳醇な香り。

生姜と八角(魔界スパイス『星形香辛料』)の爽やかなアクセント。


それは、空腹の人間にとって拷問に近い、暴力的なまでの『食の誘惑』だった。


「こ、この匂いは……なんだ……」


「今日のメインディッシュ、**『ベヒモス・ポークのトロトロ角煮』**です」


私は説明しながら、鍋の中を軽くかき混ぜた。


魔界の巨獣、ベヒモス。

その腹肉は脂身と赤身が美しい層を成しているが、そのままでは硬くて食べられない。

だが、米のとぎ汁と魔界の『大根』で下茹でし、余分な脂を抜いてから、特製のタレで三日間じっくりと煮込んだのだ。


鍋の中で、飴色に輝く肉の塊がプルプルと震えている。

箸で持ち上げれば崩れてしまいそうなほどの柔らかさだ。

一緒に煮込まれた煮卵も、美しい茶色に染まっている。


「さあ、魔王様。仕上げの味見をお願いします」


私は小皿に一切れの角煮と、半分に割った煮卵を乗せ、ゼッド様に差し出した。


「うむ。待っていたぞ」


ゼッド様は嬉しそうに箸を伸ばした。


カイル王子たちの目の前で、残酷なショータイムが始まる。


ゼッド様が箸を入れると、角煮は抵抗なくスッと切れた。

脂身の部分はとろりと溶け、赤身の部分はほろりとほぐれる。


それを、パクリ。


「……んんぅ……!」


魔王様が目を閉じ、恍惚の表情を浮かべる。


「消えた……。肉が、舌の上で溶けて消えたぞ……!」


噛む必要などない。

口に入れた瞬間、ゼッド様の口内に濃厚な肉汁と、甘辛いタレの旨味が津波のように押し寄せる。

脂身の甘さはくどさがなく、とろけるようなコクとなって喉を潤す。


「そしてこの煮卵だ!」


ゼッド様は続けて卵を口にした。

白身はプリッとした弾力があり、黄身はねっとりと濃厚。

タレの味が中心まで染み込んでいて、これだけで白米が三杯はいける味だ。


「うまい! エレノア、これは過去最高傑作だ! 酒だ、熱燗を持ってこい!」


「はいはい、すぐに」


二人のやり取りを、カイル王子は呆然と見ていた。

いや、見せつけられていた。


彼の国では今、固い黒パンと薄いスープしか出ない。

それなのに、敵地であるここでは、王族でさえ食べたことのないようなご馳走が振る舞われている。


「ぐぅぅぅぅ……」


王子の腹が、悲鳴のような音を立てた。

プライドなど、もう限界だった。


「よ、よこせ……」


カイル王子がふらふらと歩き出した。

その目は虚ろで、焦点が合っていない。


「その肉を……私によこせェェェ!!」


彼は獣のように吠え、私に向かって飛びかかってきた。

剣を抜く余裕さえない。ただ本能のままに、目の前の鍋を奪おうとしたのだ。


しかし。


パチン。


ゼッド様が指を一度、軽く鳴らした。


ドォォン!!


「ぐあぁっ!?」


目に見えない衝撃波がカイル王子を襲い、彼は紙屑のように吹き飛ばされて壁に激突した。

魔王は玉座から一歩も動いていない。


「……おい、人間」


ゼッド様の声が、氷点下まで冷え込んだ。


先ほどまでの「美味しいおじさん」の顔は消え失せ、そこには絶対強者としての魔王の顔があった。


「余の食卓を汚すな。……それに、その料理人に気安く触れるな」


赤い瞳がギラリと光る。

その殺気に、聖女リリィは悲鳴を上げて腰を抜かした。


「ひぃっ……! ご、ごめんなさい……!」


「彼女は余の伴侶となるべき女性だ。貴様らのような、彼女の価値を理解できぬ愚か者が近づいていい存在ではない」


伴侶。

その言葉に、私は思わずお玉を取り落としそうになった。

え、伴侶? 契約社員じゃなくて?

後で詳しく聞かなければ。


カイル王子は壁際で蹲りながら、悔しげに私を睨んだ。


「ど、どうしてだ……。たかが料理上手なだけの女だぞ……。聖女の力もない、地味な女じゃないか……!」


「『たかが』だと?」


私が口を開く前に、ゼッド様が立ち上がった。


「その『たかが料理』が、余を救い、兵士の士気を上げ、国を豊かにしたのだ。……貴様らの国はどうだ? 聖女とやらがいて、腹は満たされたか? 幸せになれたか?」


「そ、それは……」


「食は、生の根源だ。それを軽んじた貴様らに、国を治める資格などない」


正論すぎる説教だった。

ぐうの音も出ないとはこのことだ。


騎士たちはもう、誰も王子を助けようとしなかった。

彼らは夢中で角煮丼を食べていたからだ。

「王子、静かにしてください。味わえないじゃないですか」という視線が痛い。


私はため息をつき、しゃがみ込んでいるリリィの前に立った。

彼女は涙目で私を見上げている。


「リリィ様。あなた、聖女の力で土壌を浄化しようとしたそうですね」


「な、なによ……。私がやれば、豊作になるはずだったのよ……」


「魔力を注げば作物が育つわけじゃありません。土を耕し、肥料をやり、毎日世話をする。……料理と同じで、手間暇をかけなきゃ美味しいものは育たないんです」


私は鍋から、煮崩れて形の悪くなった角煮の端っこを小皿に入れた。

そして、それを二人の前にコト、と置く。


「……え?」


「味見です。形は悪いですが、味は同じですよ」


カイル王子とリリィは、顔を見合わせた。

プライドが邪魔をして、手を伸ばせない。

しかし、その香りは抗いがたい。


震える手で、カイル王子が肉を掴み、口に入れた。


一瞬で、彼の目から涙が溢れ出した。


「……っ!」


うまい。

悔しいけれど、どうしようもなくうまい。

母の温もりのような、懐かしく優しい味。

自分が切り捨てた「地味な女」が作り出す、魔法のような味。


「うぅ……うぅぅ……」


王子は床に拳を突き、子供のように泣き出した。

リリィもまた、肉を頬張りながら泣きじゃくっている。


それは、彼らの完全なる敗北の瞬間だった。


「さて、お腹も膨れたようですし」


私は冷徹に、懐から一枚の羊皮紙を取り出した。


「お会計のお時間です」


「……は?」


涙目の王子が顔を上げる。


「タダ飯だと思いました? ここは『居酒屋 魔王城』です。食べた分はきっちり払っていただきますよ」


私は羊皮紙を広げた。


「本日の飲食代。騎士団全員分で金貨五千枚。……それに加えて」


私はニッコリと笑った。

それは魔王様よりも怖いと言われる、店主の笑顔だ。


「私に対する不当解雇の慰謝料、精神的苦痛への賠償金、未払いの残業代。……締めて、国家予算三年分となります」


「な、国家予算……!? 払えるわけがないだろう!」


「払えない?」


私はゼッド様を振り返った。


「魔王様、払えないそうです」


「ほう。ならば仕方ないな」


ゼッド様は楽しそうに笑い、恐ろしい提案を口にした。


「身体で払ってもらおうか。……魔界の農場は人手不足でな。ベヒモスの世話係が足りんのだ。餌やり(食われる危険あり)の仕事なら、空いているぞ?」


「ひ、ひぃぃぃぃぃ!」


こうして。

「悪女奪還作戦」は失敗に終わり、代わりに魔界の農場に新たな労働力が二名、追加されることになったのだった。


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